マクロビオティック・マガジン『むすび』2013年11月号に『静かなるレボリューション』が紹介されました!

 正食協会(大阪市中央区大手通)が発行するマクロビオティック・マガジン月刊『むすび』No.650(2013年11月号)の書籍案内コーナー「新刊EXPRESS」に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の紹介が掲載されました。以下に転載させていただきます。

『むすび』2013年11月号「新刊EXPRESS」

モンゴルと鈴鹿山中
辺境から見えてくるもの

片山明彦(正食協会『むすび』編集部)

「今だけ、金だけ、自分だけ」とは、目先の利益のみにとらわれる最近の世相を皮肉った言葉です。むき出しの市場競争至上主義がもてはやされる現代にあって、著者らは「大地への回帰」こそが、混迷を深める社会を根本から建て直す指針となるのではないかと訴えてきました。

ともにモンゴルの遊牧民研究から出発し、琵琶湖畔の鈴鹿山中を拠点に、「辺境」に生きる人々の視点を大切にして、研究と実践を重ねてきた著者らは、三世代による「菜園家族」を基礎単位にした社会づくりを一貫して提案しています。

菜園家族とは、週のうち二日だけ企業や公的機関の職場で従来型の仕事をして、残りの五日間は暮らしの基盤である菜園で自給農をしたり、手づくり加工や商業、サービス業といった自営業を、三世代が協力して営むというものです。  そして菜園家族の育成の場として、森と海を結ぶ流域地域圏を再生させることで、自然循環型共生社会の実現をめざしています。

東日本大震災で近代文明終焉の分水嶺に立たされた今こそ、「アベノミクス」に代表されるような従来型の「経済成長」をかたくなに推進するのではなく、新たな価値観のもとに大胆な一歩を踏み出そうと呼びかけています。

マクロビオティック・マガジン『むすび』2013年11月号

☆ 正食協会のホームページは http://www.macrobiotic.gr.jp/
  月刊『むすび』のご案内は http://www.macrobiotic.gr.jp/publish/musubi.html
  をご覧ください。

グラフィック電子雑誌『Lapiz ラピス』2013年秋号に『静かなるレボリューション』が紹介されました!

 グラフィック電子雑誌『Lapiz(ラピス)』2013年秋号に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書籍紹介が掲載されました。以下に転載させていただきます。

Book 『静かなるレボリューション』

片山通夫(フォト・ジャーナリスト)

インターネット上で読める「虚構新聞」という名の新聞がある。その名の通りあくまで《虚構=嘘》の情報などを扱っている。その新聞に次のような記事が掲載された。
「山手線、日暮里エクスプレス開業へ 来年3月から」
記事の要旨は、山手線・日暮里―西日暮里間をノンストップで走る超特急「日暮里エクスプレス」を来年3月のダイヤ改正に合わせて開業させるとJR東日本が発表したというもの。
日暮里駅の隣の駅は西日暮里駅である。しかし山手線は環状線である。一周回って隣の駅である駅まで27駅・約60分かかるので、乗客の利便を考えて日暮里エクスプレスを走らせるというものだ。隣の駅に行くのにである。http://kyoko-np.net/2013081301.html

冒頭につまらない事を書いた。しかし、この記事は現在の《無駄》を的確に表している。利便性を追うだけのために、壮大な無駄をしているのが現代社会だと、痛烈に批判した記事だと筆者は感じだ。

さて本論だが、本書は『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』と題する369ページ・A5版のたっぷりと読みごたえのある本である。著者は小貫雅男、伊藤恵子の両氏。小貫氏は、滋賀県で「里山研究庵Nomad」を主宰している。伊藤氏はNomadの研究員。小貫氏の専門はモンゴル近代史、伊藤氏のそれはモンゴル遊牧地域論。

本書のタイトルの頭に「グローバル市場原理に抗する」とあるように、アベノミクスの危うさ、無駄、3・11以後のわが国、政・官・財界がとった行動や発表した指針を、著者たちが提唱する「菜園家族」運動に照らして、如何に奇妙な行動であり、また提唱だと、痛烈な批判を繰り広げているのが特徴だ。

本書からプロローグ(39ページ)に書かれているほんの一部を紹介したい。
「私たちは今から十余年前の2000年に、21世紀の未来社会論として「菜園家族」構想を初めて公表した。2001年からは、滋賀県の琵琶湖に注ぐ犬上川・芹川の最上流、鈴鹿山中の限界集落・大君ヶ畑(おじがはた)に里山研究庵Nomadという拠点を定め、彦根市、多賀町、甲良町、豊郷町の一市三町を含むこの森と湖を結ぶ流域地域圏を地域モデルに、農山村地域とその中核都市の調査・研究に取り組んできた。(中略)本書は3・11を機に近代文明終焉の分水嶺に立たされたまさに今、この「菜園家族」構想の意味するところを改めて吟味し、今日の新たな時代状況を組み込みながらまとめたものである」

著者たちの提唱する「菜園家族」構想をここで説明するのは難しい。
著者たちはいう。「“菜園家族群落”による日本型農業の再生」の必要を。そしてその解が本書に書かれている。
そして今のわが国の情況、新自由主義をあがめ、戦争のできる普通の国を目指そうとしている政・官・財への辛辣な批判が本書を書かれた両氏の原動力だと筆者は読めたのだが。

☆ グラフィック・マガジン『Lapiz(ラピス)』は、大阪在住のフォト・ジャーナリスト片山通夫さんたちが2011年12月に創刊された季刊の電子雑誌です。
「ラピス」はスペイン語で鉛筆の意。3・11後、「私たちが享受している文明や文化を今こそ見つめ直すべきではないか。普通の市民として、とにかく現場に足を運んで自分の目で見て考える雑誌にしたい」(編集長 井上脩身さんの「創刊に当たって」より抜粋)と、フリージャーナリストのみなさんが中心となって執筆・発行されているものです。

通常は、「マガストア」、「DL MARKET」、「雑誌ONLINE」にて各号250円で発売されていますが、このたび東日本大震災3年目の節目に発行された特集号『東日本大震災 あれから3年』(2014年4月20日発行)に限っては、無料でダウンロードできるそうです。
マスメディアとはひと味もふた味も違う、この電子雑誌『Lapiz』。
詳しくは、Lapizホームページ
http://lapiz-international.com/ をご覧ください!

片山通夫さんは、フリーカメラマンとして、1990年代初頭の民主化のただ中にある東ヨーロッパなど、世界各地を取材。特に1999年からは、第二次大戦中日本によりサハリン(旧樺太)に残留を余儀なくされた朝鮮人問題に関心を持ち、そうした人びととその留守家族の歴史と現状を撮り続けておられます。
片山通夫さんのオフィシャルサイト「609studio」は、
http://www.609studio.com/ をご覧ください。

『日本農業新聞』に『静かなるレボリューション』の書評が掲載されました!

 『日本農業新聞』(2013年9月1日付)の読書欄に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書評が掲載されました。以下に転載させていただきます。日本農業新聞2013.9.1書評

  「菜園家族」こそ共生の鍵

                 評者:蔦谷栄一(農林中金総合研究所特別理事)

 “危ない国”の再生に、がっぷり四つに取り組んだ渾身の未来社会論であり、グローバル市場原理に抗する“静かなるレボリューション(革命)”の実践論だ。

本書の最大のキーとなる概念が「菜園家族」である。週休5日制により、5日は「菜園」で農業に励み、2日は雇用という形態で勤務する。ワークシェアで雇用を2・5倍に増やす。「家族は生きるために必要なものは、大地に直接働きかけ、できるだけ自分たちの手で作る・・・・・。現金支出をできるだけ少なく抑え、生活全体の賃金への依存度を最小限に抑制し、市場が家族に及ぼす影響をできる限り小さくする。つまりそれは、家族が過酷な市場原理に抗する免疫を自己の体内につくり出し、自らの自然治癒力を可能な限り回復する・・・・・この免疫的自然治癒力を家族内にとどまらず、家族と家族の連携によって次第に地域に広げ、抗市場免疫の自律的地域世界を構築」していくことを説く。

根底にあるのは大地から引き離され、自立の基盤を失ってしまった賃金労働者の“悲劇”だ。菜園との再結合と、これによる「農民的性格」との融合による自立の基盤の確保を目指す。

大規模経営体ではなく、わが国の条件にかなった中規模専業農家を育成すべきで、これを核に、10家族前後の「菜園家族」が囲む「菜園家族群落」を形成していく。そして「森と海を結ぶ流域地域圏」の再生、さらに「自然循環型共生社会」を展望する。これは資本主義セクターC、家族小経営セクターF、公共セクターPのCFP複合社会でもある。

著者は滋賀県多賀町大君ケ畑の現場で活動しながら調査研究に取り組む。難解ながらも鋭く真実を穿っており、大地への回帰を訴え掛ける。

☆ 評者の蔦谷栄一さん(1948年生まれ、宮城県出身)は、農業・農村を長く研究されてきたと同時に、40代の頃から週末には山梨市牧丘町にて田舎暮らし・自然農法を実践、さらに2005年からは養蚕農家を改築した「みんなの家・農土香(のどか)」を拠点に、東京を中心とした都会の子供たちの田舎体験教室・交流活動蔦谷栄一『共生と提携のコミュニティ農業へ』(創森社、2013年)(後年、大人向けも加わる)に取り組んでこられました。

 最近のご著書『共生と提携のコミュニティ農業へ』(創森社、2013年1月刊)では、日本の農業・農村にとって家族農業を基礎単位にすることが大切であるという視点から、それを軸に多様な人々が関わり合う持続的循環型の地域づくりの可能性について、ご自身の長年にわたる実体験も交えて展開されています。

 昨2013年10月に退職されたのを機に、「農的社会デザイン研究所」 http://www.nouteki-design.com/ を設立。「成長・効率志向の工業的社会から自然循環を優先した生命尊重の社会へと転換していくことが必要であり、“農”がそのカギを握る」(『地域からの農業再興』創森社、2014年1月刊のあとがきより)とのお考えから、山梨でのご活動を充実させ、同時に全国各地のさまざまなグループと連携し、ネットワークを広げていきたいと、決意を新たにされています。

DVDダイジェスト版『四季・遊牧』

モンゴル・遊牧の大地に生きる人々の暮らしを丹念に描き、1998年の公開以来、全国でご好評を得てきた 長編ドキュメンタリー 完全版『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』(三部作・全6巻 7時間40分)を待望のDVDダイジェスト版(前・後編 2枚組 各1時間40分)に編集!ただ今、発売中!

DVD

モンゴル国ボグド郡ツェルゲル村のツェンゲルさんとその家族

モンゴル国ボグド郡ツェルゲル村のツェンゲルさんとその家族

1 DVDダイジェスト版(前編・後編2枚組、各1時間40分)

DVDダイジェスト版『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』
(前・後編 2枚組 各1時間40分)
*チャプターメニュー画面付き

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企画・制作

Nomad

発売元

里山研究庵Nomad

定価

(前・後編 2枚組)5.600円(税込)

申込方法

官製ハガキ、またはFAX、e-mailで、郵便番号・ご住所・ご氏名・お電話番号および「DVDダイジェスト版『四季・遊牧』の購入申込み」と明記の上、里山研究庵Nomadまでお申込み下さい。お電話でお申込みの場合は、上記の事項をお伝え下さい。

作品のお届け

お申込みの受付次第、ご注文の作品に「解説リーフレット」を添えて郵送いたします。

お支払い方法

作品を郵送する際、郵便振替用紙を同封いたします。お手数をおかけしますが、この振替用紙でご入金ください。なお、作品の郵送代と振込手数料は、無料です。

お申込み・お問い合わせ先
里山研究庵Nomad
TEL&FAX 0749-47-1920
e-mail onuki@satoken-nomad.com
住所 〒522-0321滋賀県犬上郡多賀町大字大君ヶ畑(おじがはた)452番地

推薦のことば

『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』を推す
映画監督 山田洋次さん

 一度見出したらどうしても席を立てない。モンゴルの遊牧民の暮らしのようにゆったりとした時間に包まれながら、終わりまで見てしまう。この作品にはそんな不思議な魅力がある。学術的な記録として撮られた画像なのだろうが、これはもう、作品である。

 モンゴルの大自然とそこに暮らす素朴な人々 ―― というテーマで作られたテレビドキュメントはいくらでもある。劇映画もいくつか作られている。しかし、調査隊の学者や学生たちが、日本では想像もできない厳しい自然の中を、ツェルゲルという村で一年を過ごしながら作られた『四季・遊牧』は、そのてのものとはまったく違う。モンゴルを深く知る人によってはじめてとらえることのできる迫力が画面に溢れ、一年間をともに過ごした何組もの遊牧の家族たちへの熱い愛情と、その人たちの暮らしのあり方への敬意が胸をうつ。

 ドキュメント映像の価値は、技術よりも対象への愛と、そして尊敬なのだということを、小貫さんのような学者が作った、この立派な作品から教えられた。

作品紹介

甦る大地の記憶
心ひたす未来への予感
このかけがえのない世界を
21世紀に生きる人々へ

このDVD作品は、長編ドキュメンタリー『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』三部作・全6巻(7時間40分)のダイジェスト版(前編・後編 各1時間40分)です。

 『四季・遊牧』は、1992年秋から一年間、モンゴル・ゴビ・アルタイ山中のツェルゲル村に住込み撮影した記録映像をもとに、制作されたものです。

 ツェルゲルの四季折々の自然とそこに生きる遊牧民の生活を、映像と音楽と語りの絶妙なハーモニーによって、独自の世界に謳いあげています。

 スクリーンに映し出される、日本社会とは対照的な、モンゴルの山岳・砂漠のつつましい暮らし。大地にとけ込むように生きる子供たちの表情。ヤギの乳を搾る少女の目の輝き。なぜかその一つ一つが雄々しく映ります。

 1989年、ベルリンの壁の崩壊を機に、この「辺境」にも押し寄せてくるグローバリゼーションの波。ツェルゲルの人々はこれに抗して、地域自立の道を模索しはじめるのです。

 この度、私たちは、子供からお年寄りまで、幅広い世代のみなさんに、より身近なダイジェスト版の形でご覧いただけるよう、原作の核心を損なうことなく、新たな作品世界にまとめました。

DVDダイジェスト版チャプター・インデックス

(前編・後編 各1時間40分)

前 編 ~秋・冬・早春~(1時間40分)

  1. プロローグ ―山岳・砂漠の村へ―
  2. ツェンゲル家、冬仕度
  3. 厳冬、食肉の準備
  4. 妻トゴス、たきぎとり、雪の中
  5. 深い雪、ツェンゲルさんが語る ―ツェルゲルの昔と今―
  6. 遊牧民協同組合ホルショーの結成―思いあらたに―
  7. 春を待つ ―仔ヒツジの誕生―
  8. 大晦日、おせち料理の準備
  9. 旧正月元旦 ―希望を明日に託して―
  10. 首都ウランバートルへ

後 編 ~春・夏・晩秋~(1時間40分)

  1. 春の訪れ ―春の砂嵐・子供たち―
  2. 夏来る
  3. 次女ハンド、昼下がりのヤギの搾乳
  4. 乳製品づくり、ヨーグルトを飲む
  5. 祭りの準備、そしてヒツジの料理
  6. 胸おどる分校開校記念ナーダム祭
  7. 分校、はじめての授業
  8. アディアスレン家、最後の訪問
  9. 晩秋の狩り、キャンプの火を囲んで
  10. 別れ
  11. 回想
  12. エンディング ―琵琶湖・湖北の夕景―

スタッフ

監督・撮影 小貫雅男
編集 伊藤恵子
技術統括 久島恒知
録音技術 三井晶英
DTM演奏 日下幸子
美術 アニメックス
語り 小貫雅男 伊藤恵子
題字 宇野政之
主題歌 “夢のゴビ”(歌 B.サラントヤー)
監修 冨沢 満 久島恒知
協力 (株)プロダクション 大日/モンゴル国立大学/滋賀県立大学/兵庫県但東町/弓削牧場
T.ムンフツェツェク/Ts.ボルマー/B.ツェベクスレン/今岡良子/村井宗行/芝山 豊
今津宏巨/中村一郎/矢守永生/高澤悠介/野村孝夫/伊藤文隆
DVD版制作協力 ライフ・オン(日下 智)

DVDダイジェスト版に寄せて ―明日への思い―

~上映会ホールでのあの感動を、ご家庭で、地域で、学校で、身近な人とともに!~

 長編ドキュメンタリー『四季・遊牧―ツェルゲルの人々―』三部作・全6巻(7時間40分)は、1998年以来、東京・大阪など大都市で、また全国各地の農山村で、市民の方々によるあたたかな上映活動の輪となって、広がってきました。

 家族と地域、自然と人間……。はるか遊牧の大地の暮らしを描いたはずのこの物語は、不思議にも、日本の私たち自身の姿を照らし返してくれるようです。

 世界の隅々まで巻き込んでゆく市場競争の波。多くの人たちが、いのちを削り、心を病む日々に煩悶しています。『四季・遊牧』は、私たちに“心のふるさと”にも似た懐かしさとやさしさ、未来への希望を思い起こさせてくれるのです。撮影から二十年たった今、その意味は、ますます強まってくるような気がしてなりません。

 この作品世界を、子供からお年寄りまで、幅広い世代のみなさんに、より身近な形でご覧いただけるよう、この度、DVDダイジェスト版として、新たなものにまとめることにしました。

 このダイジェスト版が、世代を結び、明日への思いを語り合うきっかけになれば、この上ない喜びです。

(編集 伊藤恵子)

解説 ―独自の世界にひたる―

小貫雅男(監督・撮影)

輝く朝が播き散らしたものを、
すべて連れ返す宵の明星よ。
あなたは羊を返し、山羊を返し、
母のもとへ子を連れ返す。

(サッフォー断片104 藤縄謙三 訳)

世界史の転換期に

私たちは、21世紀を目の前にしたあの10年間、世界の歴史の大きな転換期に生きてきた。この転換への激動は、世界の中心部にとどまらず、地球の辺境といわれる地域にもおよんでいくのであるが、そこで惹起された問題は、何も解決されずに、今に残されたままである。

1980年代、ソ連・東欧にはじまるペレストロイカの波は、内陸アジアの草原と遊牧の国モンゴルにも押し寄せ、遊牧の社会主義集団経営ネグデル体制は、かげりを見せはじめていた。

地域再生への模索

1989年11月のベルリンの壁の崩壊は、決定的なインパクトをもって、やがてモンゴルの全土を市場経済のうずに巻き込んでゆく。旧体制の崩壊の中から、地方では伝統的な遊牧共同体ホタ・アイルの再生への動きがはじまり、新たな「地域」の可能性があらわれてくる。

こうした世界史の大きな転換期の中にあって、ツェルゲルの人々は、自らのいのちと暮らしを守るために、新たな「地域」再生の可能性をもとめて模索をはじめたのである。

山岳・砂漠の村 ツェルゲル

ツェルゲルとは、モンゴル国のバヤンホンゴル県ボグド郡ツェルゲル村のことである。モンゴルがアジアの片田舎であるとするならば、ツェルゲルは、そのまた片田舎の一小地域社会である。首都ウランバートルから南西へ750キロ。大ゴビ砂漠地帯に連なるゴビ・アルタイ山脈の中の東ボグド山中にある東西40キロ、南北20キロの範囲に広がる遊牧民60家族が暮らしている小さな村である。

この村の東の高山部には、3500メートルの東ボグド山頂が聳え、西にゆくにしたがって低くなる。遊牧民たちは、比較的低い西の麓近くの標高1500~2000メートル一帯に冬営地をかまえ、初夏をむかえると、東の3000メートル級の緑濃い高山部に移り住む。両者の間を上下の移牧をおこなって、四季折々の自然の変化を実に巧みに使いわけて暮らしている。四季を通してほとんど山岳地帯を利用しているので、家畜はヤギが圧倒的に多い。

土着の“共同の思想”をばねに

このツェルゲル村がある広大な砂漠と山岳からなるボグド郡の中心地には、オロックという湖がある。この岸辺には、郡役所、病院、小中学校、郵便局、売店などの施設がある。人口1000人ぐらいの小さな田舎町を形づくっている。しかし、この町はツェルゲル村からは70キロも離れたところにあるので、ツェルゲルの人々は、これらの公共施設を事実上利用できず、郡内の最東端の山中にあって、ひっそりと暮らしている。こうした地理的条件もあって、ツェルゲル村はボグド郡の中では、孤立した存在ではあったが、かえってそのことがこの村を、最も自立心の旺盛な土地柄にしてきた。

こうした土地柄もあって、ツェルゲルの人々は、旧体制の厳しい監視下のもとにあった時から、自立への動きをはじめたのである。世界の動きから遠く離れたこうした山中にありながらも、ツェルゲルの人々は、土着の“共同の思想”に裏打ちされた極めて先進性豊かな“協同組合構想”を、秘かに心に描き、その実現への手がかりを模索していたのである。

つつましく生きる生身の人間

この作品は、1992年の秋からはじまる一年間のツェルゲルの人々のこの“模索の動き”を縦糸に、ツェルゲルの四季折々の自然と、その中に生きる遊牧民の暮らしの細部や人々の心のひだをも組み込みながら、独自の世界を美事に紡ぎ織りなしてゆく。

この“模索の動き”のいわば縦糸を紡ぐツェルゲルの人々。その中のリーダーの一人であるツェンゲルさん(35歳)とその家族。生活の辛さも満面に笑みを湛えて吹き飛ばしてしまう肝っ玉母さんのバドローシさん(31歳)。自然の中に溶け込むようにして飛びまわる次女のハンド(7歳)や食いしん坊の御曹司セッド(5歳)。ツェンゲルさんよりも年上で、彼とは苦楽を共にしてきた同志でもあり、貧乏ではあるが誇り高い“没落貴族”のアディアスレンさん(42歳)とその家族たち……。

これら次々と脳裡に甦ってくる作中のどの人物をとってみても、海の向こうの人々とは思えない。身近で、親しみ深く、等身大の生身の人間として立ちあらわれてくる。

乾燥しきった大砂漠の中の山岳地帯。疎らにしか生えないわずかばかりの草をヤギたちに食べさせ、その乳を丹念に搾り、チーズをつくり、乳製品や家畜の肉を無駄なく大切に食して命をつなぎ、つつましく暮らしているこれらの人々が、なぜか気高く映るのである。

ツェルゲルの人々の姿に21世紀の光明を見る

一方、断片的でこま切れな情報の氾濫と喧噪に刺激され、際限なく拡大してゆく欲望と消費と生産の悪循環の中で、あくせくと働き、精神をズタズタにされてゆく現代人。その末路がどんなものであるのか、そのことが漸くおぼろげながら見えはじめてきた時、貧しくもつつましく生きるこのツェルゲルの人々のひたむきな生き方に、幽かな21世紀への光明を見た思いがしたのかもしれない。いつしか、この作品の独自の世界に、どっぷりと浸ってゆく。

天体の運行に身をゆだねる暮らし

“輝く朝が播き散らしたものを……”ではじまる冒頭の詩は、古代ギリシャの女流詩人サッフォーの作によるものである。朝に東から太陽が昇り、夕べに西に沈むこの天体の運行に身をゆだね、自然の中に溶け込むようにして日々繰り返しおこなわれてきた、家畜たちと人間たちとの共同の営みは、ギリシャの地においては少なくとも二千数百年の昔から、そしてモンゴルのこのツェルゲルの大地では今日においても受け継がれ、時空を越えて、この地球の悠久の広がりの中で、えんえんと繰り返され、何とか今に継承され保持されてきたことになる。

人間にとって大切なものとは

人間にとって本源的で大切なものは何かと問われれば、それは、迷うことなく、今日の私たちには僅かにしか残されなくなったこの原初的な部分である、と答えるであろう。作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』は、人類が僅かではあるが保持してきた、この本源的なるものの底に潜む思想の核心部分を、現代に今、甦らせることの大切さと同時に、そのむつかしさを伝え、人間がますます大地から離れてゆく現代の傾向に対して、精一杯の警鐘を打ち鳴らし、人々に再考を促そうとしているのかもしれない。