『菜園家族の思想』を読んでのお便り(黒須正雄さんより)

 お正月明け早々2017年1月6日に、黒須正雄さん(東京都三鷹市在住)から、拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年10月刊)を読んでのお便りが届きました。
 この中で、地元で取り組んでおられる「居場所」づくりのご活動の様子と、未来への抱負が語られています。
 あまりにも過酷な競争社会にあって、我知らず「自己責任」の思考に囚われ、自他ともに孤立に陥りがちな昨今、人と人とのあたたかなつながりをもう一度、取り戻そうとする実践は、大きな励ましになることと思います。
 以下に掲載いたします。

『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』を読んで

黒須 正雄(東京都三鷹市在住)

 読ませていただきました。
 普段テレビの報道番組や新聞を読みながら、家内と現在の世界情勢や日本の政治、経済、社会について話し合い、嘆いていることをそっくり表現して下さっていることに、改めて共感を覚えました。
 ただ自分でできることは、と考えると容易ではないように感じて、何をどうしたら良いのだろう・・・という思いが募ります。身近な地域から少しでもと、コミュニティ再生の実践活動に取り組み、模索を重ねているところです。

 もともと私は、2000年11月に世田谷区民会館で開かれた「お弁当二つの上映会」で、ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧』を鑑賞したのをきっかけに、自らの生き方を改めて考え直すことになりました。
 その後、2003~2004年にかけて、滋賀県立大学(彦根市)での“菜園家族の学校”にも、毎回、足を運び、衝撃的な“週休五日制”の「菜園家族」構想に出会いました。
 若い頃は、「貿易立国日本」のために経済、収益を追い求め、商社マンとしてひたすら走り続け、転職を経て、40代で過労と心労からダウン。こうした実体験もあり、「菜園家族」構想についての講演や数多くの本に触れ、「これまで一体、自分は何を得たのだろう?」と自問させられたのです。
 そこで、「家族って何?」「ゆったりと健康的な生活とは?」とわが身を見つめ直し、週末に農業の真似事をしながら、滋賀県や長野県で田舎暮らしをはじめました。単に野菜を作ることから、徐々に生き方を考えるに至り、改めて本来の日本人の生活は、東京や大阪ではなく、豊かな自然と共存しながら生きている、このような生活なのでは、と感じるようになりました。
 グローバル志向だったかつての自らの生き方は、政治、経済、社会の現状を見るにつけ、ローカル化をベースにした生き方こそが、紛争、対立を乗り越える生き方ではないのか、という思いに変わっていきました。

 こうした中で、自らの今後を考え、改めて今住んでいる三鷹の地域に戻ろう、と考えた時、周りの空き家の多さ(23区に隣接する人口18万人の三鷹市で16%)と、同じマンション(115軒)の中で35軒が一人住まいの高齢者であることを知りました。
 「独立」(ご近所とのわずらわしいお付き合いのない)を売り物にしてきたマンションですが、今後は、隣近所とせめて何かあったら助け合える家族的な付き合いが必要では・・・、と感じました。
 そのことをご近所の高齢の独居男性に話した時、涙を流され、手を握られたことで、身近なことでちょっとでも出来ることをしようと、「地域」を考え始めることになりました。

 こんなきっかけで、私の生活する三鷹市で、気心の知れた方々と、政府の唱える「地方創生」のような、まず予算有りき(1,000万渡すから、地域をどうするか考えろ的な話が伝わってきます。)ではなく、個人、家族にとって、また若い方達にとって住みよい街とは何か?を探ることからスタートしました。
 一方、都会生活の中で、地域から孤立している子育て親子、一人住まいの高齢者等も多く見受けられます。
 そこで、まず3年前の2014年に立ち上げたのが、「居場所」プロジェクト、「さとうさんち」です。毎月1回ですが、毎回30人ほどの方が、ご自宅の部屋を開放してくださった方の家に三々五々集まり、お茶とおしゃべりを楽しんでいます。
 最近は、行政の方々にも関心を持っていただき、市でも「居場所」講習会を定期的に開いたり、広報の協力もあり、第二の「さとうさんち」が、別な町内にできるところまでになりました。目標は、町内会に1か所の「居場所」です。

 また、地域の「高齢者」の意識を変えよう、と考えました。65歳以上を「高齢者」=社会からの引退者的な考え方に抵抗を覚えるとともに、地方では70代80代は、まだまだ現役で働いておられる方も多いこともあり、「三鷹では、85歳以上を高齢者と呼ぼう」と呼びかけています。
 つまり、家族を養うための現役を退いた後、特に年金で暮らしている体力も知力もある方達は、せめて週2~3日は地域で現役として、地域中心互助的社会はどのように実現できるのか共に探ろう!そして、特に若い方々に勧めているソーシャルビジネスの起業化への協力をしよう!と呼びかけているのです。

 もともと三鷹には2つの大学(国際基督教大学、ルーテル学院大学)がありましたが、2016年春からは杏林大学も移転してきました。これによって、自主的な地域活動の芽と、国際的な視野での研究、地域福祉、医学・看護を専門にした大学、そして待ってましたの若い学生たち、という三拍子が揃うことになりました。
 これからは、こうした学生たちにもファシリテーター的役割を果たしていただくために、積極的に参加を呼びかけ、地域の60代・70代と一緒にまちづくりを考えていくつもりです。
 三鷹も都会の中での過疎化が、近々予想されます。空き家率16%、介護施設の不足、保育園不足、せっかくの農地は税金対策で、地元への食糧供給からは程遠い現実。
 最近、三鷹社協に就職した東北出身の女性に、なぜ三鷹を選んだのかを問うた時、「そこそこ田舎だったから」と答えてくれました。その少しでもホッとする地域をこれからどうするか、が課題となりそうです。

 現状の政治的経済的価値観でやっていける時代は終わっており、国が米国的価値観による経済政策、外交政策に尾っぽを振り続ける限り、行き着くところは戦争でしかないように思えます。
 この原因は様々ですが、きっと政治の世界では、強がりを見せることに価値感をもつ「男」が牛耳っている限り、この悪循環は続く可能性大、と思われます。そこで、地域で同じような考えを持った方と、まず市会議員の半分を女性にし、ゆくゆくは都会議員、国会議員も男女半々にしよう!と、ことあるごとに呼びかけています。
 その先に、「菜園家族」から学んだ、ゆったりとした、穏やかな、家族をベースにした地域社会が生まれるのでは、と信じています。むろん都市部、農村部等役割の違う地域同志が手を結び、新しい地域の組み合わせで、双方の地域を活性化させることも必要と思い、並行した課題と考えています。

 この『菜園家族の思想』にある社会を実現するには、まずは、国として食糧自給率100%を目指すことも、第一歩ではないかと思います。大都市だけでなく、過疎化の進む地方都市も含め、その周辺部での農業の復活からスタートすることだ、と考えます。食糧自給のための経済構造、社会構造には、3世代家族が少しでも増えることが一つの解決策になることも含め、国として真剣に考えて欲しいと思います。
 人口減少の時代に、また、このままでは地球に住めなくなるというのに、なぜ経済成長が必要ですか?と、改めて問いたい気持ちです。本書にも登場するホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領の言葉を借りれば、日本は「貧しい人」になりたいのでしょうか?昔から日本にあった、「質素」な国を目指して欲しいと思います。