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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第10章(その1)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

人間の目(銅版画調・カラー)

 本年2024年11月24日に閉幕した国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP29)では、途上国の脱炭素対策や被害への対応をする「気候資金」の拡大について、交渉が難航した。
 先進国の拠出額をめぐっては、先進国と途上国が激しく対立。会期を延長して合意にこぎ着けたが、途上国には目標額への根深い不満が残る形となった。

 そもそも今回の会議は、近年のCOPに比べ、序盤から勢いを欠いていた。ブラジルでの主要20ヵ国、地域首脳会議(G20サミット)と日程が重なり、英仏など多くの首脳が不参加だった。

 それでもCOP29の会期中には、脱炭素に向けた決意が相次いで表明された。米国内で気候変動対策を進める約5,000の自治体や企業などからなる「America Is All In」は、会場内でイベントを開催。脱炭素をトランプ政権下でも進める姿勢を強調した。環境NGOは会見で、「トランプ氏再選は言い訳にはならない」と釘を刺した。

 こうした中、次の温室効果ガス削減計画などを検討中の日本政府の姿勢が問われている。日本では、次の削減目標とその裏付けとなるエネルギー基本計画の議論が山場を迎える。政府内には「トランプ氏の世界への影響を見極めたい」との声がある。日本としてまずどうするのか、その主体性が問われているのではないか。

 そもそも地球温暖化は、食料や水の不足、災害の激甚化、感染症の増加をもたらす。影響を抑えるには、産業革命前からの気温上昇を1.5℃までにとどめる必要があり、そのためには2025年までに温室効果ガスの排出量を減少に転じさせ、2035年には2019年比で60%減らさなければならないとされている。

 私たち自身の問題として、私たちは今、具体的に何をなすべきなのか。この第10章では、一刻の猶予も許されないこの地球温暖化を根源的かつ包括的に捉える立場から、残された実現可能な一つの提案を再度しておきたいと思う。議論を諦めず続けていくためにも、一つの素材としていただければ幸いである。

第10章
 気候変動とパンデミックの時代を生きる (その1)
 
―避けては通れない社会システムの根源的大転換―

――CO排出量削減の営為が即、
  古い社会(資本主義)自体の胎内で
  次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと
  自動的に連動する
  CSSK社会メカニズムの提起――

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第10章(その1)
(PDF:648KB、A4用紙15枚分)

へび座 散光星雲(横に細長くトリミング)

環境活動家17歳の少女
グレタ・トゥーンベリさんの
涙ながらの訴え。
あの清新の気は
私たち大人からは
もうとうに消え失せてしまったのであろうか。

1.気候変動とパンデミック、そしてウクライナ戦争は、果たして人間社会の進化にとってまことの試練となり得るのか

 今、世界の人々は、新型コロナウイルス・パンデミックの脅威と地球温暖化による気候変動、さらにはウクライナ戦争がもたらす人類破局の事態に直面し、この複合危機回避の重い課題を背負わされている。

黒い羊

 大量生産・大量浪費・大量廃棄に基づく市場原理至上主義「拡大経済」は、今や行き着くところまで行き着いた。消費拡大による「景気の好循環」の創出は、結局、資源の有限性・地球環境保全とのジレンマに陥らざるをえない矛盾を孕んでいる。今こそ、大地に根ざした素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への転換が切実に求められる所以である。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第9章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第四部 民衆主体の具体的政策
―「いのち輝く共生の大地」をめざして―

第9章
「菜園家族」社会構想の現実世界への具体的アプローチ
 
―実現可能性を探る―

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第9章
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2024.9.4空と雲trim

1.地域再生の究極の鍵

まずは、農村・農業の現実を直視することから
 「菜園家族」は、単独で孤立しては生きていけない。「菜園家族」を育む地域協同の場が不可欠である。「菜園家族」の集落の形成過程を考える時、さまざまなケースが浮かんでくる。

野菜畑で農作業する夫婦(モノクロ)

 初期の段階では、農業技術の蓄積があり、その上、農地も家屋もあるといったように、あらゆる面で一番条件が備わっている従来の兼業農家が、おそらくいち早く脱皮して、週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)による「菜園家族」に移行していくにちがいない。
 そして、この農業技術や経験の豊かな「菜園家族」や中規模専業農家の近隣に、都市から移住してきた新参の若者や家族が住居を構え、これら先輩家族から営農や農業技術のこまごまとした指導を授かり、支援を受け、相互に協力し合いながら、自らも本格的な「菜園家族」に育っていくことになるであろう。

 やがて「菜園家族」は、数家族、あるいは十数家族が集落を形成し、新しい地域協同体を徐々に築きあげていくことになる。こうして森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の上流域の山あいから平野部の川筋に沿って、「菜園家族」の美しい田園風景がくり広げられていくことであろう。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第8章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第三部 生命系の未来社会論 具現化の道
―究極の高次自然社会への過程―

第8章
 「匠商家族」と地方中核都市の形成
―都市と農村の共進化―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第8章
(PDF:561KB、A4用紙13枚分)

北欧地域の俯瞰地図

1.非農業基盤の家族小経営 ―「匠商(しょうしょう)家族」

 ここであらためて確認しておきたいことがある。これまで一般的に「菜園家族」という時、狭義の意味では、週のうち(2+α)日(但し1≦α≦4)は、家族とともに農業基盤である「菜園」の仕事に携わり、残りの(5-α)日はCFP複合社会の資本主義セクターC、または公共セクターPのいずれかの職場に勤務して、応分の現金収入を得ることによって自己補完する形態での家族小経営を指してきた。

 そして、広義の意味では、狭義のこの「菜園家族」に加え、非農業部門(工業・製造業や商業・流通・サービスなどの第二次・第三次産業)を基盤とする自己の家族小経営に週(2+α)日携わり、残りの(5-α)日を資本主義セクターC、または公共セクターPのいずれかの職場に勤務するか、あるいは自己の「菜園」に携わることによって自己補完する家族小経営も含めて、これらを総称して「菜園家族」と呼んできた。
 ここでは、後者の家族小経営を、狭義の「菜園家族」と区別する必要がある場合に限って、「匠商(しょうしょう)家族」と呼ぶことにする。

非農業基盤の家族小経営の事例
 そこで、「匠商家族」とその「なりわいとも」について述べていきたいのであるが、その前に、一般的に言って、非農業基盤に成立する従来の家族小経営にはどんなものがあるのか、思いつくままに若干、例示しておきたい。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第7章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第三部 生命系の未来社会論 具現化の道
―究極の高次自然社会への過程―

第7章
 「菜園家族の世界」
―記憶に甦る原風景から未来へ―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第7章
(PDF:661KB、A4用紙15枚分)

2021.10.27山里の柿の木trim

 甦る大地の記憶
  心ひたす未来への予感

 この長編連載では、21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道である「菜園家族」社会構想を深め、考えていくのであるが、この章では、一旦、概念と論理のみで展開する抽象レベルの叙述を避け、まずは、記憶に甦る原風景から、「菜園家族の世界」の原形を身近にイメージできる「具体的世界」に描くことからはじめよう。

 ところで、画家・原田泰治の“ふるさとの風景”は、現代絵画であると言われている。日本からは、もうとっくに失われてしまった過去の風景でありながら、そこには現代性が認められるという。
 たしかな鳥の目で捉えるふるさとの風景の構図。しかも、心あたたかい虫の目で細部を描く、彩り豊かな原田の絵画の世界には、きまって大人と子どもが一緒にいる。大人は何か仕事をし、子どもたちはそのそばで何かをしている。
 人間の息づかいや家族の温もりが、ひしひしとこちらにむかって伝わってくる。込みあげてくる熱いものを感ぜずにはおられない“心の原風景”が、そこにはあるからであろう。
 21世紀をむかえた今、子どもと家族の復権を無言のうちに訴えかけてくる。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第6章(その2)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第三部 生命系の未来社会論 具現化の道
―究極の高次自然社会への過程―

第6章
 「菜園家族」社会構想の基礎
 
―革新的「地域生態学」の理念と方法に基づく―
 (その2)

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第6章(その2)
(PDF:478KB、A4用紙9枚分)

2011.9.8大君ヶ畑集落を流れる犬上川(北流)trim
鈴鹿山中を発し、大君ヶ畑(おじがはた)集落を流れる犬上川北流(滋賀県犬上郡多賀町)。やがて彦根市街を貫流し、琵琶湖に注ぐ。

5.森と海を結ぶ流域地域圏(エリア) ―「菜園家族」を育むゆりかご―

 本連載の第1章2節で述べたように、日本列島の各地に息づいていた森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)は、戦後、1950年代半ば以降の高度経済成長の過程で急速に衰退していった。重化学工業重視路線のもと、莫大な貿易黒字と引き換えに、国内の農林漁業は絶えず犠牲にされ、人々は農山漁村の暮らしをあきらめ、都市へと移り住んでいった。

 上流の山あいの集落では、若者が山を下り、過疎・高齢化が急速に進行し、空き農家が目立つようになった。「限界集落」と化し、ついには廃村にまで追い込まれる集落が随所に現れている。平野部の農村でも、やはり農業だけでは暮らしていけなくなり、今や農家の圧倒的多数が兼業農家となった。しかも、近郊都市部の衰退によって、兼業すべき勤め先すら危うくなり、後継者の大都市への流出に悩まされている。
 これまで流域地域圏(エリア)の中核となってきた歴史ある地方中小都市では、巨大量販店が郊外に現れ、従来の商店街や町並みの空洞化現象が深刻化している。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第6章(その1)

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第三部 生命系の未来社会論 具現化の道
―究極の高次自然社会への過程―

第6章
 「菜園家族」社会構想の基礎
 
―革新的「地域生態学」の理念と方法に基づく―
 (その1)

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第6章(その1)
(PDF:651KB、A4用紙14枚分)

青い海に透ける水底の石

1.21世紀の「菜園家族」社会構想 ―「地域生態学」的理念とその方法を基軸に―

 本連載の第1章3節「今こそ近代の思考の枠組み(パラダイム)を転換する」、および第2章「人間と『家族』、その奇跡の歴史の根源に迫る」でも触れたように、二百数十万年の長きにわたる人類史の中で、自然に根ざした「家族」は、ヒトが人間になるために根源的で基底的な役割を果たしてきたし、個々の人間の発達一般にとっても、おそらく遠い未来にわたってそうあり続けるであろう。
 まさにこのテーゼが、21世紀“生命系の未来社会論”として、私たちがここ20年来提起してきた週休(2+α)日制(但し1≦α≦4)のワークシェアリングによる「菜園家族」社会構想にとって、揺るがすことのできない大前提になっている。

山村の田舎家2軒

 ところで、戦後まもなくはじまった農地改革によって地主・小作制が撤廃され、たけのこの如く次々と自作農(農民的家族小経営)が誕生した。彼らは創造性豊かな農業の再生に奮闘し、実に多種多様な品目の農作物の栽培や家畜飼育に取り組み、篤農家と呼ばれる先進的農家が続々とあらわれてきた。農業生産は飛躍的に増大し、明るい農村の建設へと向かった。敗戦直後の想像に絶する食糧難にあって、貧窮とひもじさに苦しみながらも、不思議なことに人々は明日への希望に燃えていた。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第5章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第二部 生命系の未来社会論の前提
―その方法論の革新のために―

第5章
 21世紀、私たちがめざす未来社会
―その理念と方法論の革新―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第5章
(PDF:617KB、A4用紙13枚分)

飛び立つハト(銅版画調・カラー)

1.19世紀未来社会論の到達点と限界

近代に先立って現れた民衆の自然権的共産主義の先駆的思想
 イギリス産業革命が進行し、近代資本主義が形成される中で生まれてきた、ロバート・オウエンなどのいわゆる空想的社会主義といわれる一連の思想や、今日では高校の教科書にも記述されている社会主義とか共産主義という用語の根底に流れる思想は、はたして近代に限られた近代特有の産物であったのであろうか。決してそうではない。

 それは、近代以前の古き時代から人類史の中に脈々として伝えられ、人々の心を動かし、時には民衆による支配層への激しい抵抗や闘いをよびおこし支えてきた、根源的な思潮ともいえる。
 それは、私利私欲に走るあさましさ、人間が人間を支配する不公正さ、抑圧される人々の貧困や悲惨さへの憤りに発する思想でもあり、人間の協同と調和と自由に彩られた生活を理想とする人類の根源的な悲願でもあり、したがって、おのずから時代を超えて繰り返し生まれてくる思潮にほかならない。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第4章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第二部 生命系の未来社会論の前提
―その方法論の革新のために―

第4章
 末期重症の資本主義と機能不全に陥った近代経済学
 
―21世紀未来社会論のさらなる深化のために―

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第4章
(PDF:612KB、A4用紙10枚分)

岩にしがみつくタカ(銅版画調・カラー)

近代を超えて新たな地平へ
 わが国は2011年3月11日、巨大地震と巨大津波、そして福島第一原発事故という未曾有の複合的苛酷災害に直面した。そして、地球温暖化による気候変動、「数十年に一度の」自然災害が日本列島のどこかで毎年のように頻発する異常気象、2020年新型コロナウイルス・パンデミック、さらには2022年2月24日にはじまるウクライナ戦争。
 これら一連の世界的複合危機は、巨大都市集中、エネルギー・資源浪費型の私たちの社会経済の脆さと限界を露呈させた。

 この近代文明終焉の分水嶺とも言うべき歴史の一大転換期に立たされた今なお、相も変わらず大方の評者、なかんずく主流派を自認する経済学者やエコノミストは、広く市井の人々を巻き込む形で、従来型の金融・財政上の経済指標や経済運営のあれこれの些細な操作手法に固執、埋没し、目先の利得に一喜一憂する実に狭隘な議論に終始している。

 まさにこうした昨今の憂うべき時流にあって、マクロ経済学について門外漢である者としては軽率との誹りは免れようもないが、敢えて本論に入る前に、金子貞吉著『現代不況の実像とマネー経済』(新日本出版社、2013年)などの論考を参照しつつ、自分なりに近代経済学の辿った歴史の展開過程とその性格を見極め、整理しておくことにした。
 このことによって同時に、アベノミクスなるものによって煽られた経済政策の淵源とその本質も自ずから明らかになってくるはずである。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第3章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第一部 生命系の未来社会論、その生成と到達
―自然界と人間社会を貫く生成・進化の普遍的原理を基軸に―

第3章
 資本の自己増殖運動と飽くなき人間欲望の結末こそ、野獣世界への退化

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長編連載「いのち輝く共生の大地」
第3章
(PDF:431KB、A4用紙7枚分)

人間の頭(銅版画調・カラー)

1.人間に特有な「道具」の発達が人類史を大きく塗り替えた

 受精卵の子宮壁への着床から成人に至る人間の個体発生の過程は、人類が出現して以来、これまでも繰り返されてきたし、これからも永遠に繰り返されていくであろう。
 だとすれば、「常態化された早産」によってあらわれる脳の未成熟な「たよりない能なし」の新生児も、これから先も永遠に繰り返されて、母胎の外にあらわれてくることになるであろう。

 子宮内の変化の少ない温和な環境から、突然外界にあらわれた新生児の新たな環境は、母の胎内とはまったくちがったものである。それは、「家族」という原初的ないわば社会的環境と、それをとりまく大地という自然的環境、この2つの要素から成り立っている。
 人類が出現した時点から数えても、今日まで少なくとも二百数十万年もの間、人間の赤ちゃんは、子宮内の温和な環境から、突然、この2つから成る環境、すなわち原初的な社会環境である「家族」と、大地という自然的環境に産み落とされ続けてきたことになる。

 昔と変わらず今日においても、胎外に生まれ出たこの未完の素質を最初に受け入れ、「養護」する場は、ほかでもなく「家族」であり、それをとりまく大地である自然なのである。そして、どのようにでも変えうる可能性を秘めたその未熟な脳髄は、繰り返しこの「社会」と「自然」という2つの環境から豊かな刺激を受けつつ変革され、人間特有の発達を遂げながら、他の動物とは際立った特徴をもつ人間につくりあげられてきた。

 人間形成のこの2つの環境は、少なくとも二百数十万年という長い人類史の大部分の間、主として自然界の内的法則にのみ従って、基本的には大きな変容を蒙ることもなく、緩慢な流れの中にあって、時代は過ぎていった。
 ただし、原初的な社会的環境である「家族」の方が、まず先行して、ゆっくりではあるが徐々に変化の兆しを見せはじめる。

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長編連載「いのち輝く共生の大地―私たちがめざす未来社会―」第2章

長編連載
いのち輝く共生の大地
―私たちがめざす未来社会―

第一部 生命系の未来社会論、その生成と到達
―自然界と人間社会を貫く生成・進化の普遍的原理を基軸に―

第2章
 人間と「家族」、その奇跡の歴史の根源に迫る

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第2章
(PDF:458KB、A4用紙9枚分)

キツネ

 本連載においては、ここまでに触れてきた「労」「農」人格一体融合の人間の新たな社会的生存形態「菜園家族」を基軸に、21世紀社会のあり方を構想していくことになるのであるが、「家族」というものについては、歴史的にも実にさまざまな評価がなされてきた経緯がある。特に近代に入るとその評価はきわめて否定的なものになり、今日に至ってもその傾向は根強く存在している。

 一方、まさに“生命系の未来社会論”具現化の道である「菜園家族」社会構想においては、むしろ「家族」がもつ積極的な側面を再評価し、これを地域や社会の基底を成す不可欠の基礎的共同体として、あるべき未来社会の多重・重層的な地域構造を下から形づくり支える大切な役割を担うものと位置づけている。

 「菜園家族」を基調とする21世紀の社会構想の具体的な内容に入る前に、まずこの章では、今なぜ「家族」に着目し、それを重視しなければならないのかを明らかにするためにも、「家族」とは本来、人類にとっていかなるものであるのかをあらためて見つめ直すことからはじめたい。

「家族」の評価をめぐる歴史的事情
 岸田前首相が打ち出した「異次元の少子化対策」が、この間、国会等でもにわかに取り沙汰されてきた。しかし、根源的視点が抜け落ちたまま議論が進行していると言わざるを得ない。

 これまで「家族」については、歴史的に実にさまざまな評価がなされてきた経緯がある。特に今日においては、ジェンダー的視点から「家族」に対する否定的評価が強まる一方、旧統一教会や自民党に典型的な、非科学的で古色蒼然たる家父長的家族観も根強くあり、「家族」をめぐる議論は混迷を極めている。

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