
コラム「菜園家族 折々の語らい」(13)
コラム
菜園家族 折々の語らい(13)
グローバル市場経済の新たな重圧と東アジア民衆、究極の課題 ⑤
―朔北のモンゴル遊牧民の苦闘が問いかけるもの―
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コラム「菜園家族 折々の語らい」(13)
(PDF:492KB、A4用紙6枚分)
10.大地に根ざした21世紀未来社会と東アジア民衆の新たな連帯をめざして
ここまで見てきた「東アジア世界」民衆の悲痛な歴史が私たちに問いかけているものは、結局、こういうことではないのか。
つまりそれは、「東アジア世界」の歴史を辿り、何よりも今日わが国をはじめ東アジア諸国、諸地域が陥っている社会の深刻な構造的矛盾、そして一方では、実に多様で豊かな自然的条件と歴史的に蓄積されてきた社会的可能性をも組み込みながら、従来の観念ないしは教条に囚われることなく、現実世界の具体的実態からの帰納を重視し、自らの社会を多面的に自由奔放に考え、議論を深める中で、柔軟性を失い、頑迷固陋に陥った19世紀以来の未来社会論を止揚し、新たなパラダイムのもとに、草の根の民衆による新たな21世紀未来社会論の構築に立ち向かうべき時に来ているということではないのか。
まさにそれは、再び多元的覇権争奪の舞台と化した今日の「東アジア世界」の新たな歴史段階にあって、私たち民衆に課せられた最後の宿命的とも言うべき名誉ある使命なのである。
「中華民族の偉大な復興」を掲げる中国の経済・軍事大国化。ソ連崩壊後の社会・経済の大混乱期を経て、石油・天然ガスなど豊富なエネルギー資源を梃子に、再び強権的大国へと復活を遂げたロシア。その脅威を口実に、日米軍事同盟のもと、日本国憲法の前文および第九条を蔑ろにして、さらなる経済・軍事大国への道を突き進む日本。
このまま行けば、何よりも韓国、北朝鮮、中国、モンゴル、ロシア極東、そして日本自身を含む東アジアの民衆に、再び計り知れない犠牲と不幸を強いることになるであろう。
まさにそれは、過去の「東アジア世界」の悪夢の再来である。今日再び浮上してきたこの歴史の逆行は、真の東アジア民衆連帯の構築を期待し切望している民衆にとって、その実現を阻害するばかりでなく、それを先延ばしにし、永遠に葬り去ることにもなりかねないのである。
こうした危機感と問題意識から、21世紀、「東アジア世界」の新たな歴史段階のまさにこの時代は、かつてのあの「社会主義」という人類悲願の壮大な理想への実験の挫折、そしてその挫折の苦悶の中から生まれつつある新たな思考の可能性をも含めて、民衆による民衆のための新たな高次の東アジア民衆連帯への胚胎期として、位置づけることができるのではないか。それはとりもなおさず、権力に対峙する東アジア民衆の新たな連帯創出の揺籃とも言うべき時代なのである。
そうなるかどうかは、支配権力者の欲深いディールに頼ることなく、まさにこれからの私たち草の根の民衆自身の力量如何に、すべてがかかっていると言わなければならない。
21世紀、「東アジア世界」の新たな歴史段階の今日は、この「東アジア世界」全域へのかつての前近代の伝統的権力の規制とか、近代資本主義的権力の規制とか、現代「社会主義」的権力の規制とか、時代それぞれに「規制」の姿かたちを変えながらも、結局、「支配権力」主導一色に染められてきた「東アジア世界」の全歴史を最終的に清算して、支配権力者が我が物顔に振る舞うかつての古い「東アジア世界」の時代から、民衆が主体の真の東アジア民衆連帯を創出する新たな時代へと大転換を成し遂げる、唯一残された時代になるのかも知れない。
それではどうすればよいのか。その糸口を探ることが今日、切に求められているが、結局、この「東アジア世界」の民衆自身が、それぞれ自国の現実から出発して、自らの生きる問題として自らが考え、行動し、社会変革の真の主体として自らの社会を変えていくしかないのである。
それは、「東アジア世界」の苦難の全歴史を通じて学びとった、最も大切な教訓でもあるのだ。いつまでも自らの進む道を欲深い支配権力者に委ねていていいはずがない。
ここまで見てきた「東アジア世界」の民衆の全歴史に込められた核心的思想、それはとりもなおさず19世紀前半、モンゴルの朔北の辺境の地で果敢に闘い、ついに異国へ流刑の身となって虚しく消えていった遊牧民トゥデッブ一家の思い、そして20世紀80年代半ばからの、山岳・砂漠の村ツェルゲルでのツェンゲルさん家族をはじめ遊牧民たちの涙ぐましいまでの「地域」自立への願い、さらには「東アジア世界」の各地でまっとうに、正直に生きたいと希(こいねが)い、闘い、果てには埋もれていった幾千万もの民衆の思いの一つひとつが、疑いようもなく率直にそのことを私たちに語りかけてくるのである。
「東アジア世界」の東端のこの列島にあって、21世紀の今日、安倍政権、それを引き継ぐ自民・維新連立政権は、中国・ロシア・北朝鮮脅威論、韓国への敵愾心を殊更に煽り立て、東アジアの民衆を分断し、日米軍事同盟のもと日本国憲法を蔑ろにし、人を騙し、欺き、国民生活を犠牲にしてまで、米軍と一体となって自衛隊をさらに剥き出しの軍隊に仕上げる。
そして、人間を大量に殺傷する愚劣極まりない最たる暴力、すなわち軍事力を誇示し、「抑止力」の名のもとに威圧し、東アジアの民衆に背を向け振る舞うこの厚かましさ、卑劣さは、かつての「東アジア世界」の修羅場とも言うべきあの時代を再び甦らせる、驚くべき精神の荒廃というほかない。
AI(人工知能)とか、IoTとか、5G(第5世代移動通信システム)などと、今はやりの先端科学技術に酔い痴れて、飽くなき生産拡張へと邁進する。今や世界は、弱きをくじき、大が小を呑み込む弱肉強食の巨大化への道をひたすら突き進んでいる。
人々は大地に背を向け、人間の温もりのない、あまりにも人工的で無機質な虚構の世界へと幽閉される。徐々に、だが確実に、バーチャルな私的空間に取り込まれていく。とどの詰まりが、自然から隔絶し、野性を失ったひ弱で冷淡、狭隘な「新種の人類」の出現なのである。格差と憎しみはますます増長され、社会の分断が進行し、さらなる地球規模での本格的な対立と抗争の時代へと陥っていく。
今日の深刻な児童虐待の急増一つをとってみても、それは偶然の現象ではないであろう。親や子供個人の問題として狭く見てはならない。現代社会のもっと根っこに深く抱え込んだ病理として捉えていくべきではないか。
こうした殺伐とした時代の中で、未来への展望を見失い、果てには不安と恐怖と混迷へと陥っていく人々の心に醸し出される根深い狭隘な利己的生活意識。それがやがて無意識のうちに澱(おり)のように溜まり、蔓延していく諦念の思想。これこそが、もっとも憂えるべき今日の社会の沈滞と荒廃の根本原因ではないのか。
21世紀のあるべき未来社会の考察は、何よりもまず、現代社会のこの病理を解き明かすことからはじまるであろう。膠着状態に陥った19世紀以来の未来社会論を克服し、今あらためて自然と人間の関係を根源的に問い直し、まさに民衆による、大地に根ざした人間性豊かな、21世紀の新たな未来社会論を探究しなければならない時に来ている。
それは、「東アジア世界」の新たな歴史段階のまさにこの時代の熱い坩堝(るつぼ)の中で鍛錬され、生み出されていくにちがいない。
11.国破れてわが郷土(トゥルスン・ノタツク)あり ―再起への思い未だ止まず―
旧体制に果敢に挑み、山岳・砂漠の村ツェルゲルの山中の分校を拠点に、ひたむきに地域づくりに取り組んできた遊牧民の若きリーダー・ツェンゲルさん。グローバル市場経済の突如の荒波に呑み込まれ、心に描いた終生の夢は無惨にもひしがれ、失意のうちにふるさとの村を去った。
国破れてもなお、夏営地(ゾスラン)、秋営地(ナマルジャー)、冬営地(ウブルジュー)、春営地(ハバルジャー)の四季をめぐる遊牧循環の山岳・砂漠の厳しくも美しいあの広大な郷土の自然は、人事を超越して泰然として存在しているではないか。
ツェンゲルさんと気丈夫な妻バドローシさんの人生は、21世紀の今も現在進行形である。我慢強い長女のスレン、幼かった次女ハンドや弟セッド、あるいは同時代の苦難を乗り越えてきた多くの若者たちが、いつの日か故郷の大地に戻って、村に残り生き抜いてきた人々とともに、人生の試練に鍛えられた「土着の思想」と、学業や仕事を通じて培った経験や技量を生かして、再び地域再生に取り組む時代がきっとやって来るにちがいない。
思えば33年前、あの厳冬の遊牧民協同組合ホルショー結成総会の時、ツェンゲルさんはいみじくも、「私たちはこのツェルゲルの大地に生まれ、育ち、そしてこの大地に死んでいくのです。だから私たちには、この母なるツェルゲルの大地から恵みを受け、誰からも干渉されずに自由に生きていく権利があるはずです」と訴えかけていた。
その主張は、人間と大地の関係に深く由来する根源的な強さを表現しているように思えてならない。そして、ツェンゲルさんが自らを励ますように、よく口ずさんでいた歌「マルチン・ザヤー(遊牧民の宿命)」にも重なってくる。
太古から受け継いだ遊牧民(マルチン)の宿命(ザヤー)
世界にも稀なる、愛馬とともに生きる(モリトイ)人生(ザヤー)
その夢は、「東アジア世界」の次なる高次のステージ、すなわち民衆による真の東アジア民衆連帯のもとで必ずや復活し、叶えられていくにちがいない。
フムール※ の若芽の香りを漂わせ
高原を吹き抜ける
初夏の風
これぞふるさとツェルゲルの大地
悲しい時も、嬉しい時も
逆境の時にも
常に愛馬とともに生きる
世界にも稀なる
太古から受け継いだ
これぞ遊牧民(マルチン)の宿命(ザヤー)
※ モンゴルの草原に自生するユリ科の植物。初夏、ラッキョウのような薄紫色の花を咲かせる。
12.東アジアの民衆が「未発の可能性」を叶える究極の鍵
ここまで数回にわたって、中国歴代王朝の政治的権力ないしは権威を支柱にした、冊封体制と呼ばれる「東アジア世界」を措定し、21世紀の今日におよぶその歴史構造の中で、この「東アジア世界」が前近代的専制権力、後には資本主義的強圧によって絶えず侵蝕、支配され、翻弄されてきた歴史を見てきた。
民衆は、こうした「世界」にあって、自己の主体的可能性を長きにわたって封じ込められ、苦悶してきたのである。
民衆のこの「未発の可能性」は、21世紀、「東アジア世界」の新たな歴史段階の今日の時代において、以前にも増して客観的な条件を持ちながらも、新たな資本主義的規制、帝国主義的規制の脅威のもとで苦難を強いられている。
民衆のこの「未発の可能性」を本当に叶える決定的な鍵は、結局、「東アジア世界」の各国、各地において、それぞれが専制的権力の支配から脱し、民衆自らが自らを根源的に解放できる新たな社会を構築できるのかどうかにかかっているのである。
それは、各国、各地のそれぞれの社会が置かれている自然的、社会経済的、歴史的諸条件によって千差万別であるが、とどのつまり、民衆主体の独自の未来社会を誠実に追究できるかどうかにかかっている。
「東アジア世界」の民衆がこの共通の課題を自覚し、それぞれ努力することによってはじめて、「専制的巨大権力」による支配と分断を排し、東アジア民衆の草の根の真の連帯は可能になるのではないか。
「東アジア世界」の東端に位置する日本列島で、世界に誇る日本国憲法を現に有する私たち自身が、その究極の具現化をめざす未来社会構想を誠実に模索し、実現していくならば、その意義は、「東アジア世界」の民衆の未来にとって計り知れなく大きいと言わなければならない。
奇跡としか言いようのない
いのち溢れる
この同じ緑の惑星に生まれ、生きていながら
紛れもなく唯一、人間どもの世界のみが
小賢しい一握りの権力者によって
民衆同士の対立を煽られ
憎しみと暴力の渦に呑み込まれていく。
「抑止力」の美名のもと
為政者たちは、素知らぬ顔をして臆面もなく
「防衛産業の育成」などと嘯(うそぶ)き
民衆の生活を犠牲にしてまで
際限なく軍備拡大競争を加熱させていく。
果てには、現代科学・技術の粋を凝らした
大量殺人・破壊兵器によって
生きとし生けるものすべてを巻き添えに
地球破滅の恐るべき危機の淵へと追い遣っていく。
これこそ「成長神話」
後は野となれ山となれなのか。
権力者のこんな「勝手気まま」があっていいはずがない。
この不条理を許す
その根っこに潜む社会的病理の究明と
資本主義超克の
めざすべき未来への展望の洞察。
これこそが19世紀未来社会論に代わる
私たち自身の新たな21世紀未来社会論の
最大にして喫緊の課題なのである。
2026年早春よりはじまる、【日英対訳】長編連載「いのち輝く共生の大地 ―私たちがめざす未来社会―」では、こうした「東アジア世界」の時代状況と今日的課題を視野に収めつつ、21世紀における私たち自身の日本の未来社会を基軸に考えていきたいと思う。
ここで提起される「菜園家族」未来社会構想が、21世紀の明日を語り合う共通の基盤となり、「東アジア世界」の他の諸国や諸「地域」の民衆との草の根の交流、真の連帯の出発になればと願っている。
◆コラム「菜園家族 折々の語らい」(13)の引用・参考文献(一部映像作品を含む)◆
小貫雅男・伊藤恵子『新生「菜園家族」日本 ―東アジア民衆連帯の要―』本の泉社、2019年
小貫雅男『モンゴル現代史』山川出版社、1993年
映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』小貫雅男・伊藤恵子共同制作(三部作全六巻・7時間40分)、大日、1998年
そのダイジェスト版(前編・後編 各1時間40分)をYou Tubeに公開中。
前編 https://youtu.be/8ckpvZv3blc ,後編 https://youtu.be/8WR0TCZd7O0
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★このコラム「菜園家族 折々の語らい」は、これからも随時、掲載していく予定です。
読者のみなさんからのご感想などをお待ちしています。
2026年2月6日
里山研究庵Nomad
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