“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その15―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その15 ―

今こそ近代のパラダイムを転換する
―21世紀の未来社会論構築のために―

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要諦再読 ―その15―
“今こそ近代のパラダイムを転換する”
(PDF:604KB、A4用紙12枚分)

樹木と星空(赤・青)

未踏の思考領域に活路を探る
 「菜園家族」とは、大地から引き離され、自立の基盤を失った現代の「賃金労働者」が、自立の基盤としての「菜園」との再結合を果たすことによって創出される新たな家族形態のことである。それはつまり、大地から遊離し根なし草同然となった不安定な現代賃金労働者(サラリーマン)が、大地に根ざして生きる自給自足度の高い前近代における「農民的人格」との融合を果たすことによって、21世紀の新たな客観的諸条件のもとで「賃金労働者」としての自己を止揚し、より高次の人間の社会的生存形態に到達することを意味している。

 シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”で提起した、生命系の未来社会論の具現化としての「菜園家族」社会構想※1 を、懐古趣味的アナクロニズムの妄想として一蹴するのは簡単ではあるが、それでは人間の存在自身を否定する、非正規労働という身分保障もない差別的低賃金の不安定雇用が蔓延する今日の事態を乗り越え、非人間的で非人道的な現実をどうするかの解答にはならない。これに答えるためには、結局、近代の所産である「賃金労働者」という人間の社会的生存形態が、はたして永遠不変のものなのか、という根源的な問いに行き着かざるを得ないであろう。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その14―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その14 ―

人類の歴史を貫く民衆の根源的思想
―ヒトの原初的「共感能力」の発揚―

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要諦再読 ―その14―
“人類の歴史を貫く民衆の根源的思想”
(PDF:393KB、A4用紙3枚分)

葉っぱと花と実(黒色の地に緑・赤)

近代に先立って現れた民衆の自然権的共産主義の先駆的思想
 イギリス産業革命が進行し、近代資本主義が形成される中で生まれてきたロバート・オウエンなどのいわゆる空想的社会主義といわれる一連の思想や、今日では高校の教科書にも記述されている社会主義とか共産主義という用語の根底に流れる思想は、はたして近代に限られた近代の産物であったのであろうか。決してそうではない。
 それは、近代以前の古き時代から人類史の中に脈々として伝えられ、人々の心を動かし、時には民衆による支配層への激しい抵抗や闘いをよびおこし支えてきた、根源的な思潮ともいえる。
 それは、私利私欲に走るあさましさ、人間が人間を支配する不公正さ、抑圧される人々の貧困や悲惨さへの憤りに発する思想でもあり、人間の協同と調和と自由に彩られた生活を理想とする人類の根源的な悲願でもあり、したがって、おのずから繰り返し生まれてくる思潮にほかならない。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その13―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その13 ―

機能不全に陥った近代経済学と末期重症の資本主義

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要諦再読 ―その13―
“機能不全に陥った近代経済学と末期重症の資本主義”
(PDF:571KB、A4用紙9枚分)

黒い羊

近代を超えて新たな地平へ
 わが国は2011年3月11日、巨大地震と巨大津波、そして福島第一原発事故という未曾有の複合的苛酷災害に直面した。そして、地球温暖化による気候変動、「数十年に一度の」自然災害が日本列島のどこかで毎年のように頻発する異常気象、2020年新型コロナウイルス・パンデミック、さらには2022年2月24日にはじまるウクライナ戦争。これら一連の世界的複合危機は、巨大都市集中、エネルギー・資源浪費型の私たちの社会経済の脆さを露呈させた。

 この近代文明終焉の分水嶺とも言うべき歴史の一大転換期に立たされた今なお、相も変わらず大方の評者、なかんずく主流派を自認する経済学者やエコノミストは、広く市井の人々を巻き込む形で、従来型の金融・財政上の経済指標や経済運営のあれこれの些細な操作手法に固執、埋没し、目先の利得に一喜一憂する実に狭隘な議論に終始している。

 まさにこうした昨今の憂うべき時流にあって、マクロ経済学について門外漢である者としては軽率との誹りは免れようもないが、敢えて本論に入る前に、金子貞吉著『現代不況の実像とマネー経済』(新日本出版社、2013年)などを参照しつつ、自分なりに近代経済学の辿った歴史の展開過程とその性格を見極め、整理しておくことにした。このことによって同時に、アベノミクスなるものによって煽られた経済政策の淵源とその本質も自ずから明らかになってくるはずである。

 この作業を通じて、安倍政権を継承すると自認もし、公言もして憚らない菅義偉政権下の「成長戦略」なるもの、そして続く岸田文雄政権の「新しい資本主義」を旗印にした「成長と分配の好循環」なるものが果たして如何なるものかが、近現代史のグローバルな視野からも明確に位置づけられ、その本質も自ずと明瞭になってくるであろう。それだけではなく、実は、19世紀未来社会論に対峙し、21世紀の未来社会論を深めていく上でも、それは避けてはならない大切な作業の一つになってくるはずだ。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その12―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その12 ―

「家族」と「地域」の再生を探る
―生命本位史観に立脚―

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要諦再読 ―その12―
“「家族」と「地域」の再生を探る”
(PDF:547KB、A4用紙8枚分)

葉っぱと花と実(水色の地に白・赤)

いのちの再生産とモノの再生産の「2つの輪」が重なる家族が消えた
 かつては、いのちの再生産の輪と、モノの再生産の輪が、2つとも家族という場において重なっていた。それゆえ家族は、大地をめぐる自然との物質代謝・物質循環のリズムに合わせて、時間の流れに身をゆだね、ゆったりと暮らしていた。
 ところが、世界史的には18世紀のイギリス産業革命以降、社会の分業化が急速にすすむ中で、不可分一体のものとして存在していた「農業」と「工業」は分離し、まずは「工業」が、次いで「農業」も家族の外へと追い出されていく。その結果、家族という場において、いのちの再生産とモノの再生産の「2つの輪」が重なる部分はますます小さくなってしまった。

 戦後日本の高度経済成長は、こうした傾向にいよいよ拍車をかけ、その極限にまで追いやっていった。それゆえ今日の家族は、生きるために必要な食料はもとより、育児・教育、介護・医療・保険等に至るすべてを、家の外で稼いだ賃金で賄わなければならなくなった。このことは同時に、人間が自然から乖離し、無機質で人工的な世界の中で家族がまるごと市場に組み込まれ、熾烈な競争にもろに晒(さら)されることを意味している。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その11―

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要諦再読 ―その11 ―

わが国社会の構造的破綻の自覚から

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要諦再読 ―その11―
“わが国社会の構造的破綻の自覚から”
(PDF:597KB、A4用紙8枚分)

葉っぱと木の実(黒地に青・グレー)

顕在化した日本社会の積年の矛盾 ―いのち削り、心病む、終わりなき市場競争
 投機マネーに翻弄(ほんろう)される世界経済。新型コロナウイルス・パンデミックのさなかにあっても、一握りの巨大金融資本、巨大企業、富裕層にますます莫大な富が集積する一方で、まともな医療さえ受けられず、路頭に迷う圧倒的多数の民衆。

 それでもこの機に乗じて、DX(デジタル・トランスフォーメーション)なるものによる新たな成長への幻想を演出しつつ、これまで急速に拡大させてきたにわか仕込みの観光産業※1 と、とどの詰まりはその背後にある巨大金融資本救出のための「Go To トラベル」だの、「Go To イート」だのと、感染拡大防止とは真逆の愚策に一兆数千億円もの国民の血税を注ぎ込む。ここに至ってもなお「浪費が美徳」の経済を煽(あお)る姿に、やるせない思いがつのる。
 果てには岸田自民党政権の軍拡・大増税に至っては、狂気の沙汰である。ついに、かつての軍国日本の道に一歩踏み込んでしまった。WBC「侍ジャパン」などと浮かれている場合ではない。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その10―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その10 ―

戦争の本質は民衆同士の殺し合いである
―どんな理由があろうとも
 戦争は人間冒涜の究極の大罪であり
 国権を発動し戦争を画策、加担した為政者は
 すべて厳罰を免れ得ない―

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要諦再読 ―その10―
“戦争の本質は民衆同士の殺し合いである”
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花と葉の模様(ピンク・紫・緑)

 気候変動、新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争と、めまぐるしく同時多発する惨禍。この世界的複合危機、混迷の時代にあって、世論はますます近視眼的で狭隘な視野に陥っていく。
 今一旦、時間と空間を広げ、少なくとも冷戦後の歴史に視座を据え、そこから今日の時代状況とこの複合的危機の性格を確認しておく必要があるのではないか。

 国民の戦争と平和に対する考え方が急速に後退、麻痺する中、この機に乗じて、新聞・テレビなどマスメディアに次々に登場する「軍事専門家」と称する評論家のゲーム感覚まがいの生命軽視、人間冒涜とも言える「戦争俗論」が横行、罷り通る今、わが身を見つめ直すためにも、19世紀ロシア文学を代表する文豪トルストイが『イワンのばか』(1885年)に込めた人間と社会への深い思想、そして『俘虜記』(1948年)の作家大岡昇平が自らの実体験から深めた現代戦争と人間への透徹した思索に今一度立ち返って、考えてみることが大切ではないだろうか。
 少し長くなるが、以下の4つの項目に沿って話を進めたいと思う。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その9―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その9 ―

「菜園家族」が衰退しきった人間の「共感能力」を現代に甦らせる

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要諦再読 ―その9―
“「菜園家族」が衰退しきった人間の「共感能力」を現代に甦らせる”
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小豆

土が育むもの ―素朴で強靱にして繊細な心―
 「菜園家族」にとって、畑や田や自然の中からとれるものは、そしてさらにそれを自らの手で工夫して加工し作りあげたものは、基本的には家族の消費に当てられ、家族が愉しむためにある。その余剰はお裾分けするか、一部は交換されることもあろう。また、河川上流域に位置する内陸部の山村であれば、当然のことながら、下流域の海辺や湖畔の漁村との間に、互いの不足を補い合うモノとヒトと情報の交流の道が開かれてくる。

 しかしこれらはすべて、従来のような市場原理至上主義の商品生産下での流通とは、本質的に違うものになるはずである。
 なぜならば、シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)の第六章「あらためて考える21世紀の未来社会 ―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―」https://www.satoken-nomad.com/archives/1946で詳しく述べたように、「菜園家族」では基本的には自給自足され、しかも週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとで、週数日の“従来型の仕事”に見合った応分の給与所得が安定的に確保されているために、人々の欲求は専ら多種多様な文化・芸術活動やスポーツやそれぞれの趣味・嗜好などの類いに向けられ、そこでの愉しみを人々とともに共有することが、最大の関心事になるからである。
 したがってそこでは、営利のための商品化のみを目的にした生産にはなりにくく、流通の意味も本質的に変わってくるはずだ。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その8―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その8 ―

家族に甦るものづくりの心、ものづくりの技

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要諦再読 ―その8―
“家族に甦るものづくりの心、ものづくりの技”
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エンドウ豆

 いずれ「菜園家族」は、土地土地の気候・風土にあった、しかもこの家族の仕事の内容や家族構成にふさわしい住環境を整えていくことになるでろう。菜園の仕事や家畜の飼育の場、収穫物の加工場や冬の保存食の貯蔵庫など、また手仕事の民芸や、文化・芸術の創作活動などにもふさわしい工房やアトリエを備えた住空間が、必要になってくる。

 新建材や輸入木材に頼る従来の方式に代わって、身近にある豊かな森林を活用する時代が再びはじまる。近隣の集落や都市の需要に応えて、日本の林業は次第に復活し、枝打ちや間伐や植林など、それに炭焼きの山仕事、さらには薪や木質ペレットやチップづくりもはじまり、森林は、地元の山村はもとより、山のふもとから広がる平野部農村に散在する「菜園家族」や都市住民のための、重要な燃料エネルギー供給源としても復活していくことになるであろう。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その7―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その7 ―

記憶に甦る「菜園家族の世界」
―21世紀生命系の未来社会の原形―

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要諦再読 ―その7―
“記憶に甦る「菜園家族の世界」”
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大豆

甦る大地の記憶
心ひたす未来への予感

 この「要諦再読」では、“21世紀生命系の未来社会”具現化の道である「菜園家族」社会構想を深め、考えていくのであるが、ここでは概念と論理だけで展開する抽象レベルの論述を避け、記憶に甦る原風景から、まずは「菜園家族の世界」の原形を身近に具体的にイメージできる世界に描くことからはじめよう。

 ところで、画家・原田泰治の“ふるさとの風景”は、現代絵画であると言われている。日本からは、もうとっくに失われてしまった過去の風景でありながら、そこには現代性が認められるという。
 たしかな鳥の目で捉えるふるさとの風景の構図。しかも、心あたたかい虫の目で細部を描く、彩り豊かな原田の絵画の世界には、きまって大人と子どもが一緒にいる。大人は何か仕事をし、子どもたちはそのそばで何かをしている。人間の息づかいや家族の温もりが、ひしひしとこちらにむかって伝わってくる。込みあげてくる熱いものを感ぜずにはおられない“心の原風景”が、そこにはあるからであろう。21世紀をむかえた今、子どもと家族の復権を無言のうちに訴えかけてくる。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その6―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その6 ―

人間の「共感能力」の復権と非戦・平和の礎
―地域に築く抗市場免疫のライフスタイル―

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要諦再読 ―その6―
“人間の「共感能力」の復権と非戦・平和の礎”
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雲から顔を覗かせる太陽(銅版画調)

 既に見てきたように、ヒトの「常態化した早産」が原因となって、「未熟な新生児」を受け入れ、長期にわたって庇護する必要性から、他の哺乳動物には見られない、人間に独特の発達事象「家族」の発生を見ることになる。
 この稀に見る「家族」を基底に、人間発達の他の3つの事象「言語」、「直立二足歩行」、「道具」が相互に作用し合い、ヒトの脳髄は特異な発達を遂げてきた。

 ここでもう1つ見落としてはならない大切な発達事象として、人類始原のヒトに特有の感性、すなわち原初的「共感能力」が芽生えてきたことをここで再確認しておきたい。
 二百数十万年と言われる人類史の大半を占める、長期にわたる原始的無階級社会、つまり人類始原の自然状態にあっては、ヒトに特有のこの原初的「共感能力」、すなわち他者の痛み、他者の喜怒哀楽を自らのものとして受け止め、共振・共鳴する能力は、緩慢とは言え、徐々に繊細かつ豊かな発達を遂げてきたと言えよう。

 しかし、「道具」の発達に伴って生産力が発展するにつれ、個々人の労働によって生み出される剰余価値の収奪が可能になると、人間による人間の「規制・統制・支配」がますます強化されていく。それに従って、長い時間をかけ、着実にゆっくり発達してきたヒトに特有のこの原初的「共感能力」は、次第に揺らぎはじめる。
 特に18世紀イギリス産業革命に象徴される近代以降、資本主義の発達に伴って、人間の欲望は際限なく拡大し、人々は狭隘な利己的関心へと走り、分断されていく。
 こうして、人類始原のヒトのこの原初的「共感能力」の発達は阻害されていった。

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