“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その21―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その21 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <5>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

世界的複合危機の時代を生きる ①
―避けては通れない社会システムの根源的大転換―

――CO排出量削減の営為が即、
  古い社会(資本主義)自体の胎内で
  次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと
  自動的に連動する
  CSSK社会メカニズムの提起――

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要諦再読 ―その21―
“世界的複合危機の時代を生きる ①”
(PDF:668KB、A4用紙14枚分)

青地にピンク・緑・水色の葉っぱ

環境活動家17歳の少女
グレタ・トゥーンベリさんの
涙ながらの訴え。
あの清新の気は
私たち大人からは
もうとうに消え失せてしまったのであろうか。

1 気候変動とパンデミック、そしてウクライナ戦争は、果たして人間社会の進化にとってまことの試練となり得るのか

 今、世界の人々は、新型コロナウイルス・パンデミックの脅威と地球温暖化による気候変動、さらにはウクライナ戦争がもたらす人類破局の事態に直面し、この複合危機回避の重い課題を背負わされている。

 大量生産・大量浪費・大量廃棄に基づく市場原理至上主義「拡大経済」は、今や行き着くところまで行き着いた。消費拡大による「景気の好循環」の創出は、結局、資源の有限性・地球環境保全とのジレンマに陥らざるをえない矛盾を孕んでいる。今こそ、大地に根ざした素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への転換が切実に求められる所以である。

 そうはいっても、そのような社会は、結局、縮小再生産へと向かい、じり貧の状態へと陥っていくのではないかといった不安。あるいは、それは理想であり願望であって、実現など到底不可能であるといった諦念にも似た漠然とした思い。あるいはまた、先のない僅かばかりの温もりに訣別できず、ただただその日その日の歓楽を追い求める根深い意識などなどが、人々の心のどこかに根強くあるようだ。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その20―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その20 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <4>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

労働運動に「菜園家族」の新しい風を
―労農一体的人格融合による
 人間の新たな社会的生存形態創出の時代へ―

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要諦再読 ―その20―
“労働運動に「菜園家族」の新しい風を”
(PDF:624KB、A4用紙11枚分)

白い花・緑の葉っぱ・黄色い実

1 21世紀の労働運動と私たち自身のライフスタイル

身近な試練を厭わず目を明日の広い世界へ
 週休(2+α)日制のワークシェアリングによる「菜園家族」社会構想は、いわゆる主流派労働組合の連合(日本労働組合総連合会)などに象徴されるように、労働者の代表を僭称する職業化された一部労組幹部によって長きにわたって牛耳られ、沈滞と後退を余儀なくされてきたわが国の労働運動に、根本からその変革を迫っていくものになるであろう。

 既成の労働運動が惰性に流れ、従来型の賃上げ要求の狭い枠組みに閉じ込められ、労働運動そのものが衰退へと陥っていく中にあって、この新たな社会構想の実現をめざす運動は、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)によって、農民と賃金労働者という、いわば前近代と近代の人格的融合による、労農一体的な21世紀の新たな人間の社会的生存形態、すなわち「菜園家族」を創出していくその性格上、必然的にこれまでの労働運動には見られなかった新たな局面を切り拓いていくことになろう。

 それは、自ずから近代を社会の根底から超克するまさに新しい働き方、新しいライフスタイルの創出へと向かわざるを得ないものであり、そこに「正規」「非正規」の分断、男女の分断、世代間対立、そして都市と農村の垣根を乗り越えた、これまでには見られなかった、それこそ時代を画する多彩で個性豊かな広範な国民的運動へと展開していく可能性が秘められている。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その19―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その19 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <3>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

「匠商家族」と地方中核都市の形成
―都市と農村の共進化―

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要諦再読 ―その19―
“「匠商家族」と地方中核都市の形成”
(PDF:626KB、A4用紙12枚分)

丸い花々(黄・ピンク・グレー)

非農業基盤の家族小経営 ―「匠商(しょうしょう)家族」
 ここであらためて確認しておきたいことがある。これまで一般的に「菜園家族」という時、狭義の意味では、週のうち(2+α)日(但し1≦α≦4)は、家族とともに農業基盤である「菜園」の仕事に携わり、残りの(5-α)日はCFP複合社会の資本主義セクターC、または公共セクターPのいずれかの職場に勤務して、応分の現金収入を得ることによって自己補完する形態での家族小経営を指してきた。

 そして、広義の意味では、狭義のこの「菜園家族」に加え、非農業部門(工業・製造業や商業・流通・サービスなどの第二次・第三次産業)を基盤とする自己の家族小経営に週(2+α)日携わり、残りの(5-α)日を資本主義セクターC、または公共セクターPのいずれかの職場に勤務するか、あるいは自己の「菜園」に携わることによって自己補完する家族小経営も含めて、これらを総称して「菜園家族」と呼んできた。
 ここでは、後者の家族小経営を、狭義の「菜園家族」と区別する必要がある場合に限って、「匠商(しょうしょう)家族」と呼ぶことにする。

非農業基盤の家族小経営の事例
 そこで、「匠商家族」とその「なりわいとも」について述べていきたいのであるが、その前に、一般的に言って、非農業基盤に成立する従来の家族小経営にはどんなものがあるのか、思いつくままに若干、例示しておきたい。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その18―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その18 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <2>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

草の根民主主義熟成の土壌
―「なりわいとも」の展開と地方自治体の再生―

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要諦再読 ―その18―
“草の根民主主義熟成の土壌”
(PDF:530KB、A4用紙9枚分)

青地に黄色の花と水色の葉っぱ

1 地域協同組織体「なりわいとも」の生成・展開 ―「地域生態学」的アプローチ―

 21世紀生命系の未来社会論具現化の道である「菜園家族」社会構想の核心は、週休(2+α)日制のワークシェアリングによる「菜園家族」を基調とするCFP複合社会の生成であり、その展開・円熟にある。
 基礎的にもっとも大切なことは、この社会基盤に「労」「農」人格融合の新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を据え、拡充していくことであるが、その際不可欠なのは、既に述べたように、「菜園家族」育成の場としての森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生である。

 「菜園家族」は、単独で孤立しては生きていけない。数家族、あるいは十数家族が集落を形成し、新しい地域共同体を徐々に築きあげていくことになるが、こうした“菜園家族群落”※1 も、農業を基盤にする限り、“森”と“水”と“野”を結ぶリンケージ、つまり森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の中ではじめて生かされてくる。
 ここでは、「菜園家族」を基礎単位に形成される地域共同の特質について、「菜園家族」のゆりかごともいうべき森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の形成過程との関連で、革新的「地域生態学」の視点からさらに詳しく見ていくことにする。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その17―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その17 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <1>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

「菜園家族」社会構想の基礎

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要諦再読 ―その17―
“「菜園家族」社会構想の基礎”
(PDF:681KB、A4用紙17枚分)

オレンジ色の花と水色の葉っぱ

1 21世紀の「菜園家族」社会構想 ―「地域生態学」的理念とその方法を基軸に―

 シリーズ“21世紀の未来社会”の第三章「今こそ近代のパラダイムを転換する」および第四章「人間そして家族、その奇跡の歴史の根源に迫る」でも触れたように、二百数十万年の長きにわたる人類史の中で、自然に根ざした「家族」は、ヒトが人間になるために根源的で基底的な役割を果たしてきたし、個々の人間の発達一般にとっても、おそらく遠い未来にわたってそうあり続けるであろう。
 まさにこのテーゼが、21世紀生命系の未来社会構想として、私たちがここ20年来提起してきた週休(2+α)日制(但し1≦α≦4)のワークシェアリングによる「菜園家族」社会構想にとって、揺るがすことのできない大前提になっている。

 ところで、戦後まもなくはじまった農地改革によって地主・小作制が撤廃され、たけのこの如く次々と自作農(農民的家族小経営)が誕生した。彼らは創造性豊かな農業の再生に奮闘し、実に多種多様な品目の農作物の栽培や家畜飼育に取り組み、篤農家と呼ばれる先進的農家が続々とあらわれてきた。農業生産は飛躍的に増大し、明るい農村の建設へと向かった。敗戦直後の想像に絶する食糧難にあって、貧窮とひもじさに苦しみながらも、不思議なことに人々は明日への希望に燃えていた。
 こうした時代の雰囲気の中で、活気を取り戻した自作農のまさに縁の下の力に支えられるようにして、都市労働者も知識層も広範な人々と共に、反戦平和と民主主義、そして文化国日本の建設をめざした。一時期とはいえ全国津々浦々に国民的運動が湧き起こり、その高揚期を迎えたのである。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その16―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その16 ―

19世紀未来社会論のアウフヘーベン
―自然と人間社会の全一体的検証による―

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要諦再読 ―その16―
“19世紀未来社会論のアウフヘーベン”
(PDF:491KB、A4用紙6枚分)

青空と入道雲

21世紀未来社会論の核心に「地域生態学」的理念と方法をしっかり据える
 ところで、私たちが今生きている21世紀現代社会は、分かり易く単純化して言うならば、「家族」、「地域」、「国」、「グローバルな世界」といった具合に、多重・重層的な階層構造を成している。
 最上位の階層に君臨する巨大金融資本が、あらゆるモノやカネや人間や情報の流れを統御支配する。そしてそれは、それ自身の論理によって、賃金労働者(高次奴隷身分)という根なし草同然の人間の社会的生存形態を再生産するとともに、同時に社会のその存立基盤そのものをも根底から切り崩しつつ、この巨大システムの最下位の基礎階層に位置する「家族」や「地域」の固有の機能をことごとく撹乱し、衰退させていく。

 このことが今や逆に、この多重・重層的な階層システムの巨大な構造そのものを土台から朽ち果てさせ、揺るがしている。
 まさにこれこそが、近代経済学が機能不全に陥った要因の根源であり、同時に治療の術を失った末期重症の現代資本主義の姿ではないのか。これが今日のわが国社会の、そして各国社会の例外なく直面している現実である。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その15―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その15 ―

今こそ近代のパラダイムを転換する
―21世紀の未来社会論構築のために―

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要諦再読 ―その15―
“今こそ近代のパラダイムを転換する”
(PDF:604KB、A4用紙12枚分)

樹木と星空(赤・青)

未踏の思考領域に活路を探る
 「菜園家族」とは、大地から引き離され、自立の基盤を失った現代の「賃金労働者」が、自立の基盤としての「菜園」との再結合を果たすことによって創出される新たな家族形態のことである。それはつまり、大地から遊離し根なし草同然となった不安定な現代賃金労働者(サラリーマン)が、大地に根ざして生きる自給自足度の高い前近代における「農民的人格」との融合を果たすことによって、21世紀の新たな客観的諸条件のもとで「賃金労働者」としての自己を止揚し、より高次の人間の社会的生存形態に到達することを意味している。

 シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”で提起した、生命系の未来社会論の具現化としての「菜園家族」社会構想※1 を、懐古趣味的アナクロニズムの妄想として一蹴するのは簡単ではあるが、それでは人間の存在自身を否定する、非正規労働という身分保障もない差別的低賃金の不安定雇用が蔓延する今日の事態を乗り越え、非人間的で非人道的な現実をどうするかの解答にはならない。これに答えるためには、結局、近代の所産である「賃金労働者」という人間の社会的生存形態が、はたして永遠不変のものなのか、という根源的な問いに行き着かざるを得ないであろう。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その14―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その14 ―

人類の歴史を貫く民衆の根源的思想
―ヒトの原初的「共感能力」の発揚―

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要諦再読 ―その14―
“人類の歴史を貫く民衆の根源的思想”
(PDF:393KB、A4用紙3枚分)

葉っぱと花と実(黒色の地に緑・赤)

近代に先立って現れた民衆の自然権的共産主義の先駆的思想
 イギリス産業革命が進行し、近代資本主義が形成される中で生まれてきたロバート・オウエンなどのいわゆる空想的社会主義といわれる一連の思想や、今日では高校の教科書にも記述されている社会主義とか共産主義という用語の根底に流れる思想は、はたして近代に限られた近代の産物であったのであろうか。決してそうではない。
 それは、近代以前の古き時代から人類史の中に脈々として伝えられ、人々の心を動かし、時には民衆による支配層への激しい抵抗や闘いをよびおこし支えてきた、根源的な思潮ともいえる。
 それは、私利私欲に走るあさましさ、人間が人間を支配する不公正さ、抑圧される人々の貧困や悲惨さへの憤りに発する思想でもあり、人間の協同と調和と自由に彩られた生活を理想とする人類の根源的な悲願でもあり、したがって、おのずから繰り返し生まれてくる思潮にほかならない。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その13―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その13 ―

機能不全に陥った近代経済学と末期重症の資本主義

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要諦再読 ―その13―
“機能不全に陥った近代経済学と末期重症の資本主義”
(PDF:571KB、A4用紙9枚分)

黒い羊

近代を超えて新たな地平へ
 わが国は2011年3月11日、巨大地震と巨大津波、そして福島第一原発事故という未曾有の複合的苛酷災害に直面した。そして、地球温暖化による気候変動、「数十年に一度の」自然災害が日本列島のどこかで毎年のように頻発する異常気象、2020年新型コロナウイルス・パンデミック、さらには2022年2月24日にはじまるウクライナ戦争。これら一連の世界的複合危機は、巨大都市集中、エネルギー・資源浪費型の私たちの社会経済の脆さを露呈させた。

 この近代文明終焉の分水嶺とも言うべき歴史の一大転換期に立たされた今なお、相も変わらず大方の評者、なかんずく主流派を自認する経済学者やエコノミストは、広く市井の人々を巻き込む形で、従来型の金融・財政上の経済指標や経済運営のあれこれの些細な操作手法に固執、埋没し、目先の利得に一喜一憂する実に狭隘な議論に終始している。

 まさにこうした昨今の憂うべき時流にあって、マクロ経済学について門外漢である者としては軽率との誹りは免れようもないが、敢えて本論に入る前に、金子貞吉著『現代不況の実像とマネー経済』(新日本出版社、2013年)などを参照しつつ、自分なりに近代経済学の辿った歴史の展開過程とその性格を見極め、整理しておくことにした。このことによって同時に、アベノミクスなるものによって煽られた経済政策の淵源とその本質も自ずから明らかになってくるはずである。

 この作業を通じて、安倍政権を継承すると自認もし、公言もして憚らない菅義偉政権下の「成長戦略」なるもの、そして続く岸田文雄政権の「新しい資本主義」を旗印にした「成長と分配の好循環」なるものが果たして如何なるものかが、近現代史のグローバルな視野からも明確に位置づけられ、その本質も自ずと明瞭になってくるであろう。それだけではなく、実は、19世紀未来社会論に対峙し、21世紀の未来社会論を深めていく上でも、それは避けてはならない大切な作業の一つになってくるはずだ。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その12―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その12 ―

「家族」と「地域」の再生を探る
―生命本位史観に立脚―

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要諦再読 ―その12―
“「家族」と「地域」の再生を探る”
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葉っぱと花と実(水色の地に白・赤)

いのちの再生産とモノの再生産の「2つの輪」が重なる家族が消えた
 かつては、いのちの再生産の輪と、モノの再生産の輪が、2つとも家族という場において重なっていた。それゆえ家族は、大地をめぐる自然との物質代謝・物質循環のリズムに合わせて、時間の流れに身をゆだね、ゆったりと暮らしていた。
 ところが、世界史的には18世紀のイギリス産業革命以降、社会の分業化が急速にすすむ中で、不可分一体のものとして存在していた「農業」と「工業」は分離し、まずは「工業」が、次いで「農業」も家族の外へと追い出されていく。その結果、家族という場において、いのちの再生産とモノの再生産の「2つの輪」が重なる部分はますます小さくなってしまった。

 戦後日本の高度経済成長は、こうした傾向にいよいよ拍車をかけ、その極限にまで追いやっていった。それゆえ今日の家族は、生きるために必要な食料はもとより、育児・教育、介護・医療・保険等に至るすべてを、家の外で稼いだ賃金で賄わなければならなくなった。このことは同時に、人間が自然から乖離し、無機質で人工的な世界の中で家族がまるごと市場に組み込まれ、熾烈な競争にもろに晒(さら)されることを意味している。

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