“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その26―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その26 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <10>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

「菜園家族的平和主義」の構築 ②
―いのちの思想を現実の世界へ―

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要諦再読 ―その26―
“「菜園家族的平和主義」の構築 ②”
(PDF:520KB、A4用紙6枚分)

緑色の鹿

 戦後78年目の夏、思いあらたに

どんな理由があろうとも
決して戦争には組しない。
これが
あまりにも凄惨な犠牲の末に
やっと辿り着いた
結論であり
未来への希望の光ではなかったのか。

3 非同盟・中立の自然循環型共生の暮らしと平和の国づくり

 嘆かわしいことに、今日の世界で起きている事態は、巨額の軍事費を費やし、最新の科学技術の粋を凝らしてつくり上げた、政・官・財・軍・学の巨大な国家的暴力機構から繰り出す超大国の恐るべき軍事力と、それにひきかえ、自己のいのちと他者のいのちを犠牲にすることによってしか、理不尽な抑圧と収奪に対する怒りを表し、解決する術を見出すことができないところにまで追い詰められた「弱者の暴力」との連鎖なのである。

 かつてガンジーが、インドの多くの民衆とともに「弱者」の側から示した精神の高みからすれば、大国の圧倒的に強大な軍事力、すなわち暴力によって「弱者の暴力」を制圧、殲滅し、暴力の連鎖をとどめようとすることが、いかに愚かで恥ずべきことなのかをまず自覚すべきである。

 今日における集団的自衛権の行使とは、わが国がまさにこの「弱者」と「強者」の暴力の連鎖の一方の側に加わり、世界の圧倒的多数を占める「弱者」を敵に回し、利害や権益を共有する超大国、そして諸大国とともに、「自衛」と称して「強者の暴力」に加担するということなのではないのか。これでは暴力の連鎖をとどめるどころか、ますます拡大させていく。

 今大切なのは、「弱者」が窮地に追い込まれ、そうせざるを得なくなる本当の原因が何であるかを突き止め、その原因を根源的になくすよう努力すること。これ以外に暴力の連鎖を断ち切る道はない。

 結局、それを突き詰めていけば、先進資本主義国私たち自身の他者を省みない利己的で放漫な生活のあり方、それを是とする社会経済のあり方そのものに行き着くことになるであろう。暴力の連鎖がますます大がかりに、しかも熾烈を極め、際限なく拡大していく今日の状況にあって、超大国をはじめ先進資本主義国の深い内省と、そこから生まれる寛容の精神、そして、大国自身の社会そのものの変革が、何よりも今、求められている所以である。

日本国憲法第九条の精神を生かす新たな提案
 ―自衛隊の戦力なき「防災隊」(仮称)への発展的解消
 日本国憲法の施行から76年が経った今、私たちはもう一度、憲法前文と第九条をしっかり再確認し、その精神を条文通り、今日の日本社会に創造的に具現化することをあらためて決意しなければならない。
 そして、戦後78年にあたって、この決意を世界のすべての人々に向かって再宣言し、いかなる困難があろうとも、敗戦直後の初心にかえり、以下のことを誠実に実行に移していく。

 自衛隊は、日本国憲法第九条が明確に否定している陸海空軍その他の戦力を一日も早く解除し、自然災害や人災など、あらゆる災害や事態に対処する任務に特化した、戦力なき「防災隊」(仮称)に根本から編成し直す。
 この新しく生まれ変わった「防災隊」(仮称)を、現在の消防庁傘下の全国都道府県、および市町村のすべての消防隊と統合・再編し、これを新設の「防災省」(仮称)の下におく。この時はじめて、日本国憲法第九条に違反する現在の自衛隊は、実質解消することになる。

 この「防災省」(仮称)の下に、新たに統合・再編された戦力なき「防災隊」(仮称)は、その施設および人員を活用して、国民の生命、身体および財産をあらゆる災害から保護するとともに、火災、水害、地震、津波など自然災害や人災、および重大な感染症の拡大を防除し、これらの災害を軽減するほか、災害等による傷病者を救助し、搬送を適切に行う。

 新設の「防災省」(仮称)の役割として、「安心・安全な地域づくり」を推進していくため、全国の災害対策本部や地方公共団体と連携して、必要な法令を整備するとともに、防災・救助車両や資材・機材を充実させ配備する。
 大火災、大規模地震・津波や台風などの自然災害、土砂災害、水難・山岳救助、道路・鉄道・航空事故、重大な感染症など、緊急事態においては、被害の全貌を迅速に把握するとともに、全国的な見地から緊急防災援助隊やレスキュー隊の派遣などを行い、人命救助、高齢者・子どもたち・障害者・傷病者の避難にあたる。
 防災隊員や職員の教育・訓練および消防・防災の科学技術の研究開発に力を入れる。

 日本国憲法の非戦・平和の精神を最大限に生かし、国民の圧倒的多数の信頼と支持のもとに、すべての国民に心から愛される、地震・自然災害大国日本にふさわしい、世界に誇る戦力なき「防災隊」(仮称)に育てあげていくことになろう。

 一方、生命系の未来社会論具現化の道である「菜園家族」社会構想は、シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”の第八章「世界的複合危機の時代を生きる ―避けては通れない社会システムの根源的大転換―」で既に述べてきたように、わが国独自の週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)と、それに連動し下支えするCSSKメカニズムを梃子に、戦後高度経済成長の過程で衰退した家族と、古来日本列島の津々浦々にモザイク状に形成されてきた森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)を一体的に甦らせ、農山漁村の過疎高齢化と都市平野部の過密を同時解消し、「菜園家族」基調の抗市場免疫の自律的世界を全国につくりあげていく。

 日本列島各地の風土に根ざした、多重・重層的な地域協同組織体「なりわいとも」の主体的で個性豊かな活動によって、おおらかで精神性豊かな自然循環型共生の地域社会を国土全体にバランスよく構築していく。
 こうして、地域地域の足もとから次第に平和の土壌は熟成されていくのである。

 憲法第九条に則った戦力不保持の「防災隊」(仮称)のこの構想も、究極において、このような日常普段のたゆまぬ地域づくりの動きの中で培われる、広範な住民・市民の主体的力量に支えられてはじめて、現実のものとなっていくであろう。

 防災隊員自身も、その職務の特殊性が十分に配慮された形で、基本的には一般の勤労者と同様に、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングに則って勤務する。いわば、防災隊員は「菜園家族」としても地域に溶け込み生活することによって、地域の自然や社会を熟知し、住民との連携を日常的にも深めながら、「安心・安全な地域づくり」に貢献していくことになる。

 1962年以来今日まで半世紀の間、数次にわたり出されてきた、かつてのいわば官製の「全国総合開発計画」なるものを、戦後78年を経た今、その根底にある思想と理念を含めて、根本から検討し直す時に来ている。
 こうした検証によって、上から目線ではない、新たな理念に基づく、地域住民による、地域住民のための草の根の国土計画「21世紀国土のグランドデザイン」は練りあげられていく。

 この新しい国土構想の中に、戦力なき「防災隊」(仮称)をどう位置づけるかである。
 国土の7割を占める広大な山村地帯。過疎高齢化に悩み、瀕死の状態に陥っている限界集落・消滅集落。手入れ放棄によって荒れ果てた森林、土砂災害の頻発。平野部の農村・漁村コミュニティの衰退・・・。
 こうした全国各地の森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生に、「防災隊」(仮称)独自の「安心・安全な地域づくり」の任務をどのように有機的に連動させていくかである。

 つまり、災害発生時の対応のみならず、日常普段からの防災・減災を視野に入れた時、「防災隊」(仮称)のこの構想も、そして防災隊員の具体的な仕事も、いっそう明らかになり、未来に向かって、わが国の風土に合った独自の豊かな広がりを見せていくであろう。

 防災隊員は、職務上戦場に送られ、人を殺したり、殺されたりすることはない。隊員自身もその家族も、戦争加担への罪悪感と死の恐怖に苛まれることなく、一意専心人々を災害から救助し、人々のいのちと暮らしを守り、住民とともに地域再生に尽くす。
 したがって戦力なき「防災隊」(仮称)は、その本質上、地域の人々に心から信頼され、尊敬される、そのような存在になるのである。隊員本人はそのことを誇りに思い、家族も安心して暮らせるであろう。

 結局、近代を超克する「菜園家族的平和主義」は、「菜園家族」を基調とする、大地に根ざした素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)形成の長いプロセスと連動してはじめて、本格的に達成されることになる。
 この長き道のりを通じて、日本国憲法の精神は次第に現実社会に深く根を張り、不動のものとなるであろう。やがて人類史上どの時代にも成し得なかった、戦争を生まない、心豊かな、ともに笑顔で暮らせる至福の世界はもたらされるのである。

非戦・平和構築の千里の道も一歩から
 「自由と民主主義の価値観を共有する必然のパートナー」などと「仲間」だけを持ち上げ、徒党を組むような狭い了見からは解き放たれ、日本国憲法第九条の条文を厳格に守って新設される戦力なき「防災隊」(仮称)は、「安全・安心の地域づくり、くにづくり」の任務に徹し、非軍事・非同盟中立の立場を明確に堅持する。

 大国がもっともらしい大義名分のもとに徒党を組み、科学技術の粋を凝らした圧倒的に強大な軍事力をもって攻撃を仕掛け、戦争することが、今や世界の常識となったこの時代にあって、わが国がこのように宣言し行動すれば、はじめは国際的に孤立を深めることになるかもしれない。

 しかし、こうした誠実で具体的な平和構築の実践を積み重ねる中で、敵と看做してきた国々や人々からも、あるいは「仲間」と看做してきた国々や人々からも、そのいずれを問わず、次第に世界の人々から信頼されていくに違いない。
 そして、多くの人々から、これこそが本物の世界平和に通ずる先駆的な道であると理解されるであろう。やがて「国際社会において、名誉ある地位を」占めることになるに違いない。

 これこそが、わが国の地政学的位置から見ても、再び戦争の惨禍に巻き込まれることのない道であり、また現に世界に誇る優れた非戦・平和、非同盟・中立の憲法を持つ国民であるからこそ、今日考えられる最も確かな、しかも最も現実的で、豊かな可能性を秘めた真の「安全保障」の姿なのではないか。
 それを地道に実現していくことこそが、わが国一国の「安全保障」にとどまらず、現に今、ウクライナ戦争をはじめ、地球規模で紛争の液状化に陥り苦しんでいる世界の多くの人々に、身をもって範を示すことにもなるのである。

非戦・平和の運動に大地に根ざした新しい風を
 「テロには屈しない」、「武力には武力でわが国の領土、国民の生命・財産を守り抜く」と誠に威勢のいい言葉を発し、また、東アジアの周辺諸国に対する敵愾心を短絡的に煽りつつ、物質的にも精神的にも軍事化へと急傾斜していく昨今の情勢下にあって、憲法第九条に真っ向から敵対する、欺瞞に充ち満ちたアベノミクスとその後継の「積極的平和主義」、そして空虚な「新しい資本主義」の看板を仰々しく掲げ、超大国アメリカに走狗の如く追従し立ち回る、岸田政権のまやかしの「核なき世界」なるものに対峙して、ここであらためて、「菜園家族的平和主義」構想の今日的意義を確認しておきたい。

 この構想のもとで、21世紀にふさわしい新しい暮らしのあり方を模索する動きが、各地で人々の生活の中から起こり活性化するにつれて、非戦・平和の問題も、地域住民の日常普段の生活意識に裏打ちされた、多面的で力強い国民的な運動へと展開していく。
 その高まりの中ではじめて、軍事費拡大の企みは阻止され、さらには軍事費削減へと着実に前進していく。やがて自衛隊は解消へと向かい、戦力なきまことの防災隊(仮称)に生まれ変わっていく。

 つまり、いよいよ緊急を要する課題となった各国での核兵器・軍備廃絶の運動も、非戦・平和の運動も、生命系の未来社会論具現化の道である、「菜園家族」社会構想の大地に根ざした21世紀のライフスタイルの創造という、新たな動きと有機的に連動することによってはじめて、単なる抽象レベルでの反対にとどまることなく、一歩踏み込んで、生活の内実の変革と固く結びついた、多彩で豊かな運動へと発展していく可能性が開かれていく。
 そこにこそ、この近代を超克する「菜園家族的平和主義」の特長がある。

 こうして、日本国憲法第九条の「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」の精神は、遠い未来の理念としてではなく、国民生活から切り離すことのできないものとして、暮らしの中に深く溶け込み、私たち一人ひとりのまさに血肉となっていく。
 それは、平和の基盤として、農に立脚した共生地域社会を重視し、その再生構築に力を注いだガンジーや沖縄・伊江島の阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)(1901~2002)ら、先人たちの深い思想と実践を思い起こし、現代の私たち自身の社会に、単なる表面上の模倣ではなく、その真髄をまさに創造的に生かすことでもある。

 私たちが今、もっとも気を配り努力しなければならないことは、人々のいがみ合いやいさかいを助長することではない。
 「菜園家族」基調の自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)の構築という、この壮大な長期展望のもとに、日本国憲法、なかんずく第九条をしっかり位置づけ、今何ができるのかを多くの人々とともに考えること。
 そして、「地域」の多重・重層的な構造の様々なレベルで、人々がそれぞれの「地域」や職場の個性に合った、多様性に富んだ運動を着実に展開していくことなのではないか。
 どんなに時間がかかろうとも、こうする以外に道はない。

 民衆の、民衆による、民衆のための政治とは、まさしくこのことなのであり、これこそが「選挙」のみに矮小化された「お任せ民主主義」ではない、草の根民主主義の原点なのである。
 今日の現実は、この初歩的基本すらすっかり忘れ去り、ごく一部の特権的人間、つまり権力的為政者によって人々が分断され、いがみ合い、血を流し争っている、実に悲しむべき状況なのである。
 変わらなければならないのは、中東やアフリカやアジアの人々ではない。何よりもまず、先進資本主義国の私たち自身なのである。

(次回 ◆要諦再読◆ ―その27― につづく)

2023年8月17日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その26」の引用・参考文献(一部映像作品を含む)
岡倉古志郎『死の商人』新日本新書、1999年
藤岡惇『グローバリゼーションと戦争 ―宇宙と核の覇権めざすアメリカ』大月書店、2004年
サティシュ・クマール 著、尾関修・尾関沢人 訳『君あり、故に我あり ―依存の宣言―』講談社学術文庫、2005年
記録映画『教えられなかった戦争・沖縄編 ―阿波根昌鴻・伊江島のたたかい―』監督 高岩仁、企画・制作・著作 映像文化協会、1998年

       ――― ◇ ◇ ―――

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