“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その29―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その29 ―

連載「要諦再読」の概括にかえて ②
夜明けを告げる伝統と革新の「東アジア世界」

――今やわが国のみならず、東アジアの民衆にとって
  自己の主体性の確立は、避けては通れない共通の急務――

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要諦再読 ―その29―
連載「要諦再読」の概括にかえて ②
“夜明けを告げる伝統と革新の「東アジア世界」”
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さそり座 星雲・星団

現代中国の女性作家・梁鴻(リアン・ホン)の作品が投げかけるもの
 いま世界は、AI(人工知能)技術の世界的な開発競争に火がついた。
 世界中の巨大企業が自動運転や人型ロボットの開発、ビッグデータの活用などの先陣争いにしのぎを削り、いっそうの人減らし(合理化)の手段としてAIの応用に必死である。軍事産業は、無人戦闘機や無人戦車などの殺人兵器の開発に余念がない。

 今日、人口13億9000万人(2017年現在)を擁する巨大中国は、改革開放後のわずか40年で大変貌を遂げた。
 就業者構造から見れば、2017年の第一次、第二次、第三次産業部門の就業者の比重は、27.0%、28.1%、44.9%である。国有部門就業者は1億人超、私営企業(従業員8人以上)1億7999万人、個人企業(従業員7人まで)1億2862万人である。小営業部門である私営企業と個人企業の就業者は合計3億861万人、これに農民を加えれば、就業者の約65%が小営業部門で働いていることになる。
 栄華の陰で、農民工(長期出稼ぎ農民)総数2億8700万人(うち外地農民工1億7000万人)の群れが蠢(うごめ)いている。※1

 このような国内の構造的矛盾を抱えながらも、今や中国は、世界の経済発展やグローバル化、自由競争の旗手の役割を演じはじめている。中国は、アメリカに次ぐ世界第2位の経済規模を持ち、国際的影響力もアメリカに迫る。2030年を待たずアメリカを抜き、世界最大の経済大国になると見られている。
 「世界の工場」にして「世界の市場」たる中国経済を抜きにしては、もはや世界を語ることができない現実を背景に、2013年秋、習近平国家主席が打ち上げた巨大経済圏構想「一帯一路」は、世界の人々からの様々な疑念や不安や批判を尻目に、中国経済の飛躍的発展とさらなる超大国化への道を誇示するかのようである。

 こうした中国経済「繁栄」のただ中に出版された梁鴻(リアン・ホン) ※2 著のノンフィクション『中国はここにある ―貧しき人々のむれ―』(鈴木将久・河村昌子・杉村安幾子訳、みすず書房、2018年。原題は『中国在梁庄』、2010年)。
 この作品で、作者梁鴻(1973年生まれ)は、20歳までの少女時代を過ごした生まれ故郷の河南省西南部の村に久々に帰郷し、華々しい巨大都市の繁栄の陰で蠢く中国農村の痛々しい実態を克明に描いている。
 中国文学研究者としてのおだやかな筆致によって、その暗部を赤裸々に描写しつつ、ふるさとの村・梁庄(リアン・ジユアン)の自然とそこに生きる人々を温かい眼差しで詩情豊かに綴っていく。読む人の心を揺さぶらずにはおかない。

 中国の驚異的な発展の象徴としてメディアを賑わす、北京や上海など巨大都市や深圳など新興巨大都市の目も眩む、夢のような繁栄とは対照的なふるさとのさびれゆく光景に戸惑いながらも、その真逆の真実を率直に突きつけてくる。
 それだけにとどまらない。中国農村の暗い影から射し込む未来への可能性を模索するそのひたむきな姿勢に、誰もが惹きつけられ、共感を覚えるであろう。

 作者梁鴻は、この調査の期間、村の歴史や事情、人情に通じた父や姉たちの協力も得ながら、様々な階層、様々な境遇の人々と会い、目を背けたくなるほど悲惨な実に暗い個々人の事実や事件にも真っ正面から向き合い、それを丹念に叙述している。
 出稼ぎに行った両親の代わりに孫の面倒をみる祖父母、長期出稼ぎ中の夫の浮気の噂話と村の因習との板挟みに精神を病み、自殺に追い込まれていく農民工の妻、家族崩壊の哀れな結末。家庭の温もりを知らず、将来の夢も希望も見出せないまま取り残される留守児童、孤独の中で模範少年が犯した猟奇的殺人事件、荒廃するまま放置された学校。実兄や幼馴染みたちの思うに任せぬ人生の流転・・・。

 この本の大部分がこれら数々の忘れられ、取り残された人々の叙述に当てられ、埋め尽くされている。その眼差しは、故郷を離れ都会に生きる一人の知識人として内省的であると同時に、おそらく同じ村に生まれ育った同胞のみが抱き得る深い愛情が、その奥底に貫かれている。
 底辺の声なき人々の声を書きとめようとする知識人のジレンマに著者も直面し、うろたえながらも、自身のその姿を隠さず紡がれた語りに、中国の農民も都会人も没頭したという。

 梁鴻の『中国はここにある ―貧しき人々のむれ―』を読んで感じるのは、それが心の奥に響く文学作品であるのと同時に、社会科学的見地からも惹きつけられるものがあるということである。
 つまり、中国社会の実態をありふれた農村の一つとしての作者の故郷・梁庄(リアン・ジユアン)という具体的な一地域において、実に克明かつ多面的、実感的に辿ることができるという点で、いわば優れた地域史・地域研究にもなっているということである。
 その意味で、シリーズ“21世紀の未来社会”の第五章「19世紀未来社会論のアウフヘーベン」で提起した基礎的「地域」の概念と、革新的地域研究としての「地域生態学」の理念と方法論とも相通ずるものがあり、「東アジア世界」の未来を展望する上でも、中国という一角から、極めて貴重な思想的基礎を提示してくれているように思えるのである。

 そこには、自然と家族と村人とが互いに深くとけあって生きていた作者の少女時代の原体験を交錯させながら、経済成長の激流に翻弄される中国農村の姿が、老若男女の人生の哀切と、それゆえに深まるひたむきで素朴な人間性への信頼とを色濃く滲ませ、詳細に描かれている。
 まさにそれは、激動のただ中にある中国民衆の人間存在と「地域」を、いっそう重層的で深みのある像として結び、浮かび上がらせるのである。人間とは何かを鋭く突きつけてくる。

※1 井手啓二「中国経済はどこへ向かうか ―改革の深化と『強国化』の将来―」『経済』2018年8月号、(「特集 中国経済と『一帯一路』構想」、新日本出版社)に拠る。

※2 梁鴻(リアン・ホン)1973年生まれ。中国人民大学文学院教授。北京師範大学文学博士。米国デューク大学客員教授、中国青年政治学院中文学院教授を経て現職。本書で第11回華語文学伝媒大賞「年度散文家」賞、2010年度人民文学賞など多数の賞を受賞。本書の原型となった作品「梁庄(リアン・ジユアン)」は、『人民文学』2010年度第9期に発表され、その後、構成と内容を大きく変え、『中国在梁庄』と題し単行本として出版された。みすず書房の日本語訳は、2014年、多少の訂正を施した再版バージョンを底本にしている。香港、台湾、フランスで出版されたほか、チェコでも抄訳が出ている。

1 東アジアの民衆にとって決して避けては通れない共通の課題

 不思議なことに、この長い物語を読み進めるうちに、いつしかわが国自身が辿ってきた高度経済成長と農村の変貌、成長の停滞とその打開策としての『日本列島改造論』、そしてその末路としての今日の農山漁村の荒廃など、私たち自身の過去と現在がありありと重なって見えてくる。
 そして、拙著『新生「菜園家族」日本 ―東アジア民衆連帯の要(かなめ)―』(本の泉社、2019年)の第Ⅱ章4節でとりあげた、1990年代以降の市場経済移行期におけるモンゴル遊牧の村ツェルゲルの姿 とも重なってくる。
 おそらく「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれたかつての高度成長期の韓国、ドイモイ政策下の「社会主義市場経済」ベトナムの現在、さらには、いずれ遠からず北朝鮮が辿るであろう農村と都市の行方にも重なってくるのである。

 シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”では、冷酷無残なグローバル市場経済に対峙して、自然循環型共生社会(じねん社会、脱資本主義としてのFP複合社会)をめざす「菜園家族」社会構想について、その全体像を提起してきた。
 それは簡潔に言うならば、大地から引き離され、根なし草同然となった近代特有の人間の社会的生存形態、つまり賃金労働者を根源的に問い直し、生きるに最低限必要な生産手段(農地や生産用具、家屋など)を取り戻すことによって新たに生まれる抗市場免疫の「菜園家族」を基礎に、地域再生と素朴で精神性豊かな自然(じねん)世界への壮大な回帰と止揚(レボリューション)の道を切り拓こうとするものである。
 そして、それを21世紀における生命系の未来社会論具現化の道として位置づけ、絶えず現実世界と照合しつつその内容を深め、豊富化をはかっていくことが、今日何よりも大切であると見てきた。

 そして、今やわが国のみならず、中国、朝鮮半島、モンゴルなど、東アジア全域の民衆自身が、このような長期展望のもとに自らの暮らしを見つめ直し、それぞれの国の21世紀未来社会のあり方、戦争と平和の問題、そして何よりも超大国および自国の内なる権力に対峙し、草の根の民衆自身の個々の主体性をいかにして確立していくのか、こうした現実の切実な問題に向きあわざるをえなくなってきたのである。
 まさしくこのことこそが、21世紀の今日、すべての東アジア民衆に課せられた、決して避けては通れない最大にして共通の急務なのである。

 中国の急速な経済的台頭も、熾烈さを増す米中二超大国間の覇権争いも、まさにシリーズ“21世紀の未来社会”で提起してきた、「菜園家族」社会構想という射程の長いこの独自の生命系の未来社会論の視野に立つ時、目先のあれこれの現象に惑わされることなく、現実世界の本質をより根源的に捉え、別次元の思考と行動力を獲得できるのではないかという思いを、あらためて強くしている。

 21世紀の今日、中国で強力に展開されようとしている巨大経済圏構想「一帯一路」とは、急速な高度経済成長が頭打ちになる中で、その停滞からの打開策として、さらなる「拡大経済」継続の要請から打ち出されたものであるという意味で、次元の異なる規模とはいえ、本質的には、わが国におけるあの『日本列島改造論』の地球版再現と言えるのではないか。

 この「一帯一路」構想は、東は朝鮮半島、ロシア極東、モンゴルから中央アジアを経由し、西はヨーロッパ、南は東南アジア、南アジア、アフリカに至るまでを陸路と海路で結び、鉄道、道路、港湾、航空、パイプライン、情報網への投資とインフラ整備を進め、経済成長を促すものとされている。超大国アメリカに対抗し、覇権争奪の場は北極圏、さらには宇宙空間にまで広がっていくという。

 わが国自身とて同じである。2008年リーマン・ショックによる世界経済の危機。先行きの見えない、鬱屈したどうしようもない21世紀初頭の今日の状況を何とか変えたいと、新たなビジョンへの待望から、「成長戦略」なるものへの漠然とした期待が高まっていったのである。

モンゴル山岳・砂漠の村ツェルゲルの四季折々の自然と、そこに生きる遊牧民の暮らし、地域再生の模索は、東西冷戦の終結、ソ連社会主義体制の崩壊、市場経済への移行という激動期のただ中、1992年秋から行われた1年間の住込み調査に基づき、映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』(小貫雅男・伊藤恵子共同制作、三部作全六巻・7時間40分、大日、1998年)にまとめられている。
  そのダイジェスト版(前編・後編 各1時間40分)をYou Tubeに公開中。
  前編 https://youtu.be/8ckpvZv3blc ,後編 https://youtu.be/8WR0TCZd7O0

思考の根源的転換に立てないわが国民の限界、その反映としての「政治」的腐敗の進行
 1970年代初頭、民間設備投資の伸びに期待できず、高度経済成長がかげりを見せはじめたその時、持続的な経済成長と国民が望む環境保全や福祉の充実との両立を謳い、田中角栄首相(当時)が『日本列島改造論』を引っさげて登場。全国新幹線や高速自動車道などの巨大公共投資にシフトし、危機回避を計ろうとした。

 本質的にはそれと同様に、「百年に一度」といわれる世界経済の混迷と閉塞状況の中、2009年、「土建国家」からの脱皮を掲げて「政権交代」を実現したはずの民主党の鳩山政権、それを引き継いだ菅直人政権のもとでもなお、中国、インド、ベトナム、その他東南アジア諸国の経済成長に乗じて、いわゆる「東アジア共同体」構想なるものをバックに、「新成長戦略」の名のもと、その域内の「内需」を取り込めとばかりに、ハイブリッド車や電気自動車など「エコカー」や、最新鋭の新幹線やスマートグリッド(次世代双方向送電システム)など巨大パッケージ型インフラ、さらには「CO排出量ゼロのクリーン・エネルギー」を売り物にした原発の売り込みを、他国に遅れてはならじと、政・官・財が一体となって推進していったのである。

 2011年3・11東日本大震災後の野田政権においても、福島原発事故のあれだけの大惨事を経たにもかかわらず、財界の意のままに原発の再稼働を強行し、事故前と何ら変わることなく原発輸出にこだわり、「新成長戦略」とその焼き直しである「日本再生戦略」(2012年7月31日閣議決定)に邁進した姿は、恐るべきというほかない。

 2012年12月に返り咲いた自民党安倍政権の大胆な「金融緩和」、放漫な「財政出動」、巨大企業主導、輸出・外需依存の「成長戦略」の「三本の矢」で当面のデフレ・円高を脱却し、日本経済を再建するという「アベノミクス」なるものも、本質的にはこれら従来の一連の政策路線の延長上にあるものにすぎず、いっそうなりふり構わず、露骨に市場原理至上主義「拡大経済」を推し進めるものにほかならなかった。

 それを引き継いだ菅義偉首相(当時)は、既に触れたように、就任後初の所信表明演説(2020年10月26日)において、「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします。」と述べ、成長戦略の柱に経済と環境の好循環を掲げ、グリーン社会の実現に最大限注力し、世界のグリーン産業を牽引していくとした。

 これらの根底にある思想は、かつての『日本列島改造論』と本質においてどこも変わるところがない。変わったのは、「場」を国内から他国へといっそう広げ、いよいよ地球大の規模へと拡延しようとしているだけのことである。
 その主観的な意図や建て前が、地球温暖化防止や環境問題に日本の優れた科学技術によって「貢献」し、先進国と後進国の格差を解消し、同時に日本の「経済成長」に結びつけることにあるとしても、『日本列島改造論』が私たちの社会にもたらした悲惨な結果から学べば、その「地球版」は、意図に反して遠からず相手国の社会にも、わが国自身の社会にも、取り返しのつかない、さらなる歪みと重大な打撃を与えるであろうことは予想できるはずである。
 目先のほころびはしばしの間、繕うことができたとしても、長い目で見れば、かつての『日本列島改造論』とその後の政策によってもたらされた日本社会の今日の深刻な矛盾を国内でさらに深めることはもちろん、地球大の規模にますます拡延していくことになるのは間違いないであろう。

先進工業国および超大国の「拡大経済」下で苦しむ世界各地の民衆
 グローバル化のもとで「拡大経済」を前提とする限り、市場競争は今までにも増して熾烈を極めていく。国内需要の低迷が続く中、世界的な生産体制の見直しを進める多国籍巨大企業は、「国際競争に生き残るために」という口実のもとに、安価な労働力と新たな市場を求めて海外移転を進め、いとも簡単に国内の雇用を切り捨てる。
 EPA、FTA、TPP、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)など貿易自由化のさらなる推進と引きかえに、特に農林漁業における家族小経営は、いよいよ壊滅的な打撃を被ることになるのである。

 日本をはじめ先進工業国に加えて、超大国中国など新興諸国までもが「拡大経済」を追求する現在、そうした国々の地方や、さらにその周縁のアジア・ロシア極東・中東・アフリカ・ラテンアメリカなどは、開発の名のもとに、地下鉱物資源(石油・石炭・天然ガス・ウラン鉱等エネルギー資源、ベースメタル、レアメタル、レアアースなど)や、水、森林などの天然資源、食料、繊維原料などの格好の収奪先となり、「援助」と称して鉄道・道路の輸送網が整備されていく。

 かつての日本で自然と人々のいのちを蝕んだ公害が、世界各地の小さな村々で再現される。農民や漁民、牧畜民など大地に生きる人々は、主体的な地域づくりの芽を、外国資本と結びついた自国政府の開発指向・家族小農軽視の政策のもとで無惨にも踏みにじられ、かけがえのない自らの地域から放逐されてしまう。
 大地から引き離され、なりわいを失い、根なし草同然となった人口は都市部に流入し、グローバル企業の現地生産や国際下請け生産、あるいはにわか仕込みの新興巨大観光産業などに、安価な労働力を提供することになる。

 このような中で、母国の家族のもとを離れ、遠い異郷に渡り、単純労働分野での外国人技能実習生・労働者として劣悪な条件のもとで酷使された挙げ句、雇用の調整弁として使い捨てにされ流浪する人々も、ますます数多く生み出されていくであろう。昨今のベトナムなどからの技能実習生の急増と、相次ぐ失踪・自殺などの事実が、そのことを如実に物語っている。
 こうした状況は、新型コロナウイルス、そしてウクライナ戦争がもたらす事態によって、さらに深刻の度を増している。

 こうして、いつしかこうした国々の地域と民衆も、際限のない市場競争至上主義「拡大経済」に呑み込まれ、自立の基盤を失い、独自の進むべき道を閉ざされていく。これこそ凄まじい環境の破壊であり、伝統に根ざした民衆の暮らしの破壊でなくて何であろうか。

欲望むき出しの多元的覇権抗争に対峙する、東アジア民衆のまことの連帯と生活世界
 市場原理至上主義「拡大経済」の枠内に留まっている限り、世界の耳目を集めている中国の「一帯一路」構想も、結局は、地球全体を土俵に仕立てた熾烈な市場競争を巻きおこし、この「戦争」に勝ち抜いた強者が弱者を呑み込む、徹底した弱肉強食の世界を新たに再現することになるであろう。わが国がすでに経験した『列島改造論』の後遺症を今もって引きずり苦しんでいる苦い体験からも、このことを心底から危惧する。

 貿易や先端技術をめぐる米中の覇権抗争が激化し、加えて2020年新型コロナウイルスの感染蔓延で外需が細り、海外への拡張路線が打撃を受ける中、同年10月末に開催された中国共産党の第19期中央委員会第五回全体会議(五中全会)において、内需も重視し、国内・国際経済が相互に促進する「双循環戦略」なる新たな発展モデルが打ち出された。
 この新たな方針により、一時的には国外への拡張は多少は抑制されるものの、巨大な国内市場に依拠した経済発展に重点が移され、国内の農山村地域や、新疆ウイグル、チベット、内モンゴル自治区など広大な「辺境」地方において、資源の乱開発や高速道路などの巨大開発が以前にも増して強力に進められ、そこに生きる民衆のいっそうの反発を招くことになるであろう。
 そして結局、資本の論理からしても、国内市場に飽き足らず、いずれ従来の地球規模での拡張路線へと復帰し、再び「一帯一路」構想へと収斂していくことは避けられないであろう。

 日本政府は2020年12月10日、インフラ輸出についての今後五ヵ年の新戦略「インフラシステム海外展開戦略」を策定、2025年の受注額目標として34兆円を掲げた。
 菅義偉首相(当時)肝煎りの脱炭素化やデジタル化を柱に、蓄電池や水素燃料供給などで海外市場の獲得や先進技術の共同開発などを進め、世界の脱炭素化に貢献するとともに、国内産業の成長を促すという。近年の国際情勢の複雑化、つまり中国の台頭を念頭に、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の実現をも目的とする。
 一方、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)も、今後10年間の経営戦略として同様の分野に重点的に投融資を行っていく方針を示した。

 米中二超大国に加え、EU諸国、ロシア、韓国、日本も絡みながら、新たな次元での三つ巴、四つ巴の多元的覇権抗争が激しさを増す今、最果ての「辺境」の地を含め、地球まるごと全体を巻き込むこの予測される事態が、あまりにも大がかりで重大であるがゆえに、私たちはこうした時代の潮流に抗して、民衆自らが根なし草同然の自らのあり方を、大地に根ざした抗市場免疫の社会的生存形態へと変革し、自然循環型共生のまことの意味での「持続可能な」もう一つの道を、たとえ時間がかかろうとも、今度こそ何としてでも、根気強く探しもとめなければならない。
 私たちは今まさに、この二つの道の岐路に立たされている。

 市場原理に抗する免疫力のない脆弱な体質をもった、根なし草同然の現代賃金労働者(サラリーマン)。こうした人間によって埋め尽くされた旧来型の社会が世界を覆っている限り、同次元での食うか食われるかの力の対決は避けられず、血みどろのたたかいは延々と続くであろう。市場競争は、地球大の規模でますます熾烈さを極め、世界は終わりのない修羅場と化していく。

 このような根深い複合矛盾の結末として、2022年2月ウクライナ戦争は現に起こり、世界の民衆を混迷の淵に突き落としている。
 こうした世界規模での危機的状況を作り出している根源を不問に付したまま、如何なる目先の処方箋を施そうとも、一時はうわべを糊塗できたとしても、決して本質的な解決にはならない。それどころか、人類を破滅の道へと誘いかねない。

 世界経済の牽引役と期待されている中国も、資本主義における市場原理至上主義「拡大経済」とは同根であり、本質的に何ら変わるものではない。
 「社会主義現代化強国」を掲げ、勢いづいている中国と、世界覇権の死守に躍起となる超大国アメリカに、いずれ遠からずやってくるその後の結末と、世界経済と民衆のいのちと暮らしへの計り知れない衝撃の連鎖を想像するだけでも、こうした危惧の念を単なる取り越し苦労と、一笑に付すわけにはいかないであろう。

 2022年8月2日・3日のアメリカ連邦議会ペロシ下院議長の台湾訪問を契機に、にわかに高まる米中の軍事的緊張。この時とばかりに、日米軍事同盟の強化と軍事予算の増額を目論むわが国の権力的為政者たち。日本をはじめ、アジアの民衆を再び戦争の渦に引きずり込みかねない。

 あれからわずか1年後の2023年8月18日昼(日本時間19日未明)、岸田文雄首相は、米ワシントン郊外の大統領専用山荘(キャンプ・デービッド)で、アメリカのバイデン大統領、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と首脳会談を行った。
 「共通の利益及び安全保障に影響を及ぼす地域の挑戦、挑発に対応するため、3ヵ国政府が相互に迅速な形で協議する」とのコミットメント(約束)の文書を発表。北朝鮮に加え、軍事、経済、技術の各方面で台頭する中国への対抗を強く意識するものであった。

 中長期の指針を示す「キャンプ・デービッド原則」なるものも発表。「ウクライナ侵攻を続けるロシアや海洋進出を強める中国」を念頭に、「法の支配に基づく自由で開かれたインド太平洋」を推進すると強調した。
 共同声明「キャンプ・デービッド精神」では、日米韓連携の具体策を示し、米国主導のもと、日米韓の「安全保障」協力を強化するための「制度化」を図った。
 共同声明には、首脳や外相、防衛相らそれぞれが、少なくとも年1回協議することや、自衛隊と米韓両軍による3ヵ国共同訓練の毎年実施などが盛り込まれた。また、経済安全保障も重視し、中国の「経済的威圧」を念頭に、重要鉱物、蓄電池など優先物資のサプライチェーンの安定化を図る「早期警戒システム」の試験運用開始に向けて連携するとした。

 会談後の記者会見で、岸田首相は「日米韓3ヵ国の安全保障協力を新たな高みに引き上げる」と強調。バイデン大統領は「日米韓の新たなパートナーシップがはじまる」、尹大統領は「キャンプデービッドは韓米日が域内の安全保障で中心的な役割を担うと明らかにした歴史的な場として記憶される」と述べた。

 果たしてそうなのであろうか。
 これまで日韓は、歴史問題などで軋み、アメリカも「悩まされて」きた。アメリカにとって日韓関係の悪化は、東アジア地域戦略上、決定的な障害になる。
 今回の首脳会談は、アメリカ支配権力にとって、既に確立された米韓軍事同盟と既存の日米軍事同盟を、アメリカ主導のもとに統合し、実質上、3ヵ国による米日韓軍事同盟として強化、それを東アジア地域の一隅に構築し、中国、ロシアに対抗していくという、恐るべき戦略の一環の完成をめざす企みと見るべきである。

 いざ朝鮮半島有事、台湾有事となれば、その最前線で甚大な被害を被ることになる日本や韓国、北朝鮮の民衆にとって、緊張緩和は死活の問題である。
 世界で進行する今日の事態は、米中二超大国はじめ、各国権力者の合作によって、全世界を分断と対立、壊滅と滅亡のどん底に追い遣る恐るべき悲劇なのである。
 恐らく第3次世界大戦はこのようにしてはじまり、地球上に人類の生き残りを微塵も許さない破滅的な結末を迎えるであろう。

 こうした視野に立つ時、今回の日米韓首脳会談は、緊張緩和どころか、東アジア地域の対立をいっそう激化させ、世界を壊滅的危機に陥れる重大な分岐点として記憶されるにちがいない。
 私たちは、超大国の、そして各国の一握りの権力者に自己の命運を委ねるわけにはいかない。とどのつまり、民衆の主体性の確立以外に答えはないのである。

 今こそ私たちは、18世紀イギリス産業革命以来、長きにわたって拘泥してきた、ものの見方・考え方を支配する認識・思考の枠組み、つまり近代のパラダイムを根本から転換しなければならない。
 それは結局、人間の欲望原理に基づき、欲望そのものを際限なく助長してきた経済理論とその拠って立つ人間観、社会観からの徹底した訣別である。そして、生命本位史観に立脚した新たなパラダイムのもとに、これまでとはまったく次元の異なる視点から社会変革の独自の道を探り、歩みはじめる勇気と覚悟が試されている。

 これは日本のみならず、東アジア、さらには世界のすべての人々に最後に突きつけられた、避けては通れない、21世紀人類の共通にして最大の課題なのである。
 そうでないというのであれば、現状を甘受するほかなく、やがて人類は、熾烈な市場競争、覇権抗争の果てに、人間同士の醜い争いによって滅びるか、それとも、地球環境の破壊によって亡びるしかないであろう。

 こうした世界の現実認識に立つ時、今、私たちに求められているのは、飽くなき資本の自己増殖運動、つまり「拡大経済」の要請に応えて財界および政治的権力支配層が提唱する、「自由で開かれたインド太平洋」や、従来の「東アジア共同体」なるものとは本質的に異なるまったく別次元の、21世紀の今日にふさわしい、大地に生きる草の根の東アジア民衆のまことの連帯、その基礎となる自然循環型共生社会(じねん社会としての脱資本主義FP複合社会)への道であることが、はっきりと自覚されてくるのではないだろうか。

2 日本国憲法のもとではじめて甦る「未発の可能性」としての小国主義

 さて、拙著『新生「菜園家族」日本 ―東アジア民衆連帯の要(かなめ)―』(本の泉社、2019年)でも述べたように、明治政府が選んだ道は、自由民権運動を徹底的に弾圧し、大国主義の最たるものともいうべき大日本帝国憲法(明治憲法)のもと、日清、日露戦争を通して小国主義を押さえ込み、近隣の朝鮮、台湾を踏みにじり、さらには中国への軍事侵略を拡大していく大国主義の道であった。
 そしてこの大国主義の道は、アジア・太平洋戦争へと戦線を拡大し、ついに1945年8月15日の敗戦を迎えたのである。
 明治初年、明治十年代からの「未発の可能性」としての小国主義は、大国主義と闘い、伏流、台頭、再伏流という長い苦難の水脈を維持しつつ、ついに敗戦・占領という過程で、この小国主義の理念を内包する、世界に誇る日本国憲法として結実したのである。

 日本国憲法成立に至るこの苦難の歴史を思う時、人類の英知の結晶ともいうべき、世界に誇る稀有なる日本国憲法のもつ今日的意味をあらためて考えさせられる。
 明治初年から大正、昭和そして敗戦まで、長きにわたって「未発の可能性」として伏流してきたこの小国主義は、今日、日本国憲法の成立によってはじめて「現実の可能性」に転化したことを思い知ると同時に、この憲法のもつ歴史的意義、21世紀における今日的意義をあらためて深く自覚させられるのである。
 あとは、この何ものにも代え難い精神的、法制的拠り所を私たち自身がいかに生かしていくかである。

 しかし、戦後78年間、私たち国民は、世界に誇るこの日本国憲法の理念と精神を、本当に自らのものにすることができたのであろうか。もちろんその間、高度経済成長による国民全般にわたる豊かさの謳歌、欲望の異常なまでの肥大化による精神の衰退、脆弱化など、その要因はさまざまに考えられるが、残念ながら反動的思想攻勢、政治攻勢に晒されながら、後退に後退を重ねてきた歴史ではなかったのか。

 そして今、何よりもしかとおさえておかなければならないことがある。
 2022年7月8日、安倍晋三元首相銃撃事件によって、図らずも国民に広く露呈することになったわが国政党政治の不気味な闇。祖父である岸信介元首相に端を発し、孫の安倍晋三政権へと引き継がれ、今もなお延々と続く、旧統一教会と自民党政治との半世紀にも及ぶ根深い因縁。そこに日本国憲法をことごとく蹂躙し、戦後の歴史を逆行させてきた企みの真相を見る。

 首相在任中、安倍氏は、「強い日本を取り戻す」などと豪語し、「トップセールス外交」よろしく、得々として大国としての自らの野望を剥き出しにしつつ、「自由と民主主義の普遍的価値を共有する」仲間と徒党を組み、国民には敵愾心を煽り、軍事同盟を強化していった。
 内に向かっては、戦前・戦中の「一億火の玉」を想起させるに足る「一億総活躍社会」の実現などと民衆を煽り、欺き、その裏では憲法第九条違反の既成事実を着々と積み重ね、憲法の明文改悪を虎視眈々と狙い、大国主義への道を問答無用とばかりに突き進んだ。

 明治初年以来、第二次大戦後にも及ぶ、小国主義と大国主義との長きにわたる悲運な葛藤の歴史から学ぶことはおろか、そこから目を反らし、大国主義への道へ平然と国民を引きずり込んでいったファシズムまがいのその強引さ、その狡猾さ、その罪深さは、恐るべきというほかない。
 一握りの人間のきわめて私的な野望によって、大多数の国民が再び戦火にまみれ、犠牲になるようなことがあっては決してならない。

 安倍政権を継承すると公言し成立した菅義偉自民党政権のもと、2020年10月に明るみに出た日本学術会議の推薦会員の任命拒否問題も、こうした歴史文脈の中で捉える時、明治以来の長きにわたる民衆の苦闘の歴史を如何に逆行させ、日本国憲法の精神を踏みにじる罪深いものであるか分かるであろう。

 私たちは、世界に誇る日本国憲法のもとに、やっと掴んだ小国主義の「未発の可能性」を、この憲法のもとにあるという何ものにも代え難い新たな条件のもとで、如何にして現実のものにしていくのか。そのためには、この国の社会経済のあり方は、どのようにあるべきなのか。
 明治、大正、昭和、平成の時を越えて、まさに21世紀のこの時代に小国主義の「未発の可能性」を敢然と甦らせ、かつ、当時とは異なる発展段階にある現状から、新時代にふさわしい小国主義を実現可能にする道筋とは、一体どのようなものなのか。
 まさにこのことが今、問われているのである。

 それはまさしくシリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”で提起してきた、日本国憲法のもとでこそはじめて構築可能となる生命系の未来社会、つまり、18世紀イギリス産業革命以来の近代を超克する、抗市場免疫の「菜園家族」を基調とする自然循環型共生の自律的な社会(じねん社会としての脱資本主義FP複合社会)の構築なのではないのか。

 既にシリーズ“21世紀の未来社会”の第九章の項目「『菜園家族』の創出と資本の自然遡行的分散過程」で述べてきたように、自然循環型共生社会の必要不可欠な基礎となる「菜園家族」の創出それ自体が、剰余価値の資本への転化による資本の自己増殖運動のメカニズムを狂わせ、際限のない「資本の蓄積・拡大・拡張」をおさえ、したがってこの自然循環型共生社会そのものが、本質的に大国主義への衝動を自らの社会の内部から抑制するものになっている点に刮目すれば、そのことは納得できるはずである。

 つまり、「菜園家族」を基調とする自然循環型共生社会(じねん社会としての脱資本主義FP複合社会)の形成こそが、自らの社会の内部から覇権主義的大国主義への衝動を抑制し、明治初年以来、今日に至るまで、伏流、台頭、再伏流の苦難の道を辿ってきた「未発の可能性」としての小国主義に、21世紀においてはじめて、具現化への確かな道を開くことになるのである。

私たちは今、何からはじめ何を成すべきか
 今や世界は憎しみと暴力の連鎖の中で怯え、武力には武力で対抗するほかないと、実に残念なことではあるが、そう思い込まされている。その結果、憎しみと暴力の報復の連鎖は、とどまるどころかますます拡大し、世界は今や憎しみと暴力の坩堝(るつぼ)と化している。このままでは、世界は一触即発の破滅へと転落していくほかないであろう。

 安倍、菅両政権を引き継ぐ岸田文雄政権は、昨今の国際情勢に乗じていよいよ軍拡への衝動をあらわにし、その反国民的野望の総仕上げを目論んでいる。
 「銃で撃たれ亡くなった安倍元総理大臣の遺志を受け継ぎ、憲法改正に取り組む」と2022年7月11日の記者会見で強調。安倍元首相の政治的業績への評価は賛否両論が大きく分かれている中にあって、国会にも諮らず国民を蚊帳の外に置き去りにしたまま、極めて異例の「国葬」をそそくさと閣議決定し、強行したのである。
 それに比べて、私たちの態勢はあまりにも遅れていると言わざるを得ない。戦前、戦中、戦後の歴史から学び、何からはじめ、何を成すべきかを、まずはっきりさせなければならない時に来ている。

 「武力には武力を」というこの愚かな恐るべき常識を、今こそ根底から覆さなければならない。
 それは、膨張侵略的大国主義の対極にある、民衆にとっての小国主義の理念を完璧なまでに内包した日本国憲法の三原則、「平和主義」、「基本的人権(生存権を含む)の尊重」、「主権在民」を、国民一人ひとりが自らの血と成し、肉と成し、自らの社会の中にその理念と精神を具現すること。具体的には繰り返しになるが、「菜園家族」を基調とする自然循環型共生社会(じねん社会)を一歩一歩、着実に積み上げていくことである。

 そして、まず何よりも日本の国土に生きる私たち自身が、なかんずく「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」を明示した日本国憲法の前文および第九条を、もう一度、世界の人々に向かって高らかに再宣言することである。
 と同時に、自らの国土に非戦・平和の確かな礎となる自然循環型共生社会を構築し、「菜園家族」を土台に築く、世界に比類なき円熟した先進福祉大国 をめざすこと、さらには、いかなる軍事同盟にも加担せず、非同盟・中立の立場を堅持することをはっきりと宣言しよう。そしてこれを身をもって実行し、行動によって示していくのである。
 これこそが、憎しみと暴力の連鎖を断ち切る究極の唯一残された道ではないのか。この「菜園家族的平和主義」こそが、国民が心から望み期待する、まことの積極的平和主義なのである。

 戦前・戦中・戦後の歴史から学び培ってきたものは、結局、原発と戦争には決して組みしないという、人間にとって絶対に譲ることのできないこの最低限度の矜持であり、決意ではなかったのか。近代の終末とも言うべきこの憎しみと暴力の修羅場から脱却する道は、これを措いてほかにないであろう。
 地獄への転落の瀬戸際に立たされても、残されたこの道が、なおも心のどこかで非現実的で夢のように虚ろに映る。この内面の現実こそが不憫なのだ。自らの問題として、この内なる現実をまずもって何とか克服しなければならない。自戒の念を込めて、そう思う。
 この信念のもと、忍耐強く誠実に進んでいくほかに道はない。やがて、暗くて長いトンネルの先に、仄かな光が見えてくる。

シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”の第十章で詳述。

3 世界に誇る日本国憲法の理念こそ、東アジア民衆連帯の要(かなめ)

 ここで確認し、特に強調しておきたいことは、日本国憲法と「菜園家族」社会構想との関係である。
 それは、こういうことになろう。
 生命系の未来社会論具現化の道である「菜園家族」社会構想は、めざすべき未来社会への全過程を通して、日本国憲法と首尾一貫して一体のものとして随伴し、さらには、この憲法の各条項を個々バラバラなものとしてではなく、相互に内的に密接、有機的に連関させ、作用させ合いながら、それぞれを高め合い、総体として、日本国憲法の理念を単なる抽象レベルの空文に終わらせることなく、日々現実の日常生活の中で熟成させながら、その内実をいっそう豊かなものにしていく。

 こうした長期にわたる全過程を通してはじめて、日本国憲法の全条項は、究極において現実社会に丸ごと生かされていくのである。やがて日本国憲法の理念は、民衆の暮らしの中に深く溶け込み、不可分一体のものになっていくにちがいない。
 つまり、「菜園家族」社会構想は、日本国憲法を具現化の道へと着実に導いていく上で、積極的かつ決定的な役割を果たしていくことになるであろう。

 また、日本国憲法と私たちの暮らしとの不可分一体化を成し遂げていく過程は、同時に、人間社会の生成・進化の原理が、自然界の摂理とも言うべき「適応・調整」の原理(=「自己組織化」)に限りなく近づき、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会、そして素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としての脱資本主義FP複合社会)を経て、人間を抑圧の苦しみから最終的に解放し、自由・平等・友愛のおおらかな高次自然社会へと到達するプロセスでもあるのだ。
 これこそが、草の根の民衆自身が主体となる“生命系の未来社会論”の真髄である。

 「菜園家族」社会構想と日本国憲法との内的連関は、以上のように捉えられる。
 わが国おいて、日本国憲法の「平和主義」、「基本的人権(生存権を含む)の尊重」、「主権在民」の三原則の精神を誠実に具現化することは、既に述べてきたように、「菜園家族」基調の自然循環型共生社会の創出そのものなのであり、それはとりもなおさず、小国主義とその新しい社会の「未発の可能性」の種子を、「東アジア世界」の一角に位置する日本列島にしっかり着床させ、成長を促していくことでもある。
 そのためには、国際的には非武装・不戦、非同盟・中立の主権不可侵、相互尊重を遵守し、あくまでも自給自足度の高い自律的な国民経済を前提に、各国それぞれの自然的、歴史的、社会的、文化的諸条件を十分に考慮し、社会的安定性と持続的な経済のあり方を可能にする、相互補完、平等互恵を旨とする、秩序ある理性的な調整貿易の確立が不可欠の大前提条件となる。
 こうして、わが国における日本国憲法の究極の具現化は、一国の問題にとどまらず、まさに「東アジア世界」自体の胎内に、草の根の民衆による、真の東アジア民衆連帯の萌芽が胚胎することにもつながっていくのである。

 こうした国際的環境のもとで日本が生まれ変わった時はじめて、東アジア民衆の模範となるべきまさに小国を「東アジア世界」の一角に構築したことになる。
 これこそが、東アジアの民衆に圧倒的支持と共感をもって迎えられる唯一の道ではないだろうか。まさにここから、東アジア各国、各地域の民衆とのまことの連帯がはじまるのである。

 「東アジア世界」の東端の日本列島に芽生えたこの小さな芽が見事に育ち、やがて立派に成長していくならば、それは、わが国からさらにこの地域世界の各地へと広がり、色とりどりの花を咲かせていくことであろう。
 その時はじめて、「東アジア世界」に特有の伝統的権力支配の古くて分厚い殻は打ち砕かれ、長きにわたる歴史の中で、幾重もの支配権力に蹂躙されてきたこれまでの古い「東アジア世界」から解き放たれ、草の根の民衆による、民衆のための新たな理念をめざす「東アジア世界」へと生まれ変わっていくにちがいない。
 まさに世界に誇る日本国憲法、究極の具現化 ――新生「菜園家族」日本が、大地に根ざした素朴で精神性豊かな、自然循環型共生の21世紀「東アジア世界」の構築に先鞭をつけることになる。

 その時、この壮大な自律的運動の原動力の役割を果たす、21世紀生命系の未来社会論具現化の道としての「菜園家族」社会構想の理念は、わが国一国の問題にとどまらず、いよいよ「東アジア世界」の全域へと波及し、連動していくのである。
 こうしてこの理念は、世界史的にも意義のある、この崇高な使命を果たしていくことになるであろう。

 その意味において、21世紀生命系の未来社会論で提起された問題の核心は、ひとりわが国に限らず、海図なきこの時代、不条理と生活苦に喘ぎ、欺瞞に翻弄され、憎しみと戦争の脅威に絶えず晒されてきた東アジアと世界のすべての民衆にとって、避けては通ることのできない共通の課題となるであろう。

2023年9月7日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その29」の引用・参考文献(一部映像作品を含む)
梁鴻 著、鈴木将久・河村昌子・杉村安幾子 訳『中国はここにある ―貧しき人々のむれ―』みすず書房、2018年
王義桅 著、川村明美 訳『習近平主席が提唱する新しい経済圏構想「一帯一路」詳説』日本僑報社、2017年
「特集 中国経済と『一帯一路』構想」『経済』2018年8月号、新日本出版社
奥村皓一『米中「新冷戦」と経済覇権』新日本出版社、2020年
西嶋定生「総説」および「皇帝支配の成立」『岩波講座・世界歴史』第4巻、岩波書店、1970年
江口朴郎『帝国主義と民族』東京大学出版会、1971年
遠山茂樹「東アジア歴史像の検討」『歴史像再構成の課題』御茶の水書房、1969年
小貫雅男『遊牧社会の現代 ―モンゴル・ブルドの四季から―』青木書店、1985年
小貫雅男『モンゴル現代史』山川出版社、1993年
映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』小貫雅男・伊藤恵子共同制作(三部作全六巻・7時間40分)、大日、1998年
  そのダイジェスト版(前編・後編 各1時間40分)をYou Tubeに公開中。
  前編 https://youtu.be/8ckpvZv3blc ,後編 https://youtu.be/8WR0TCZd7O0
田中彰『小国主義 ―日本の近代を読みなおす―』岩波新書、1999年
日高六郎『戦後思想を考える』岩波新書、1980年
山室信一『近現代アジアをめぐる思想連鎖 アジアの思想史脈 ―空間思想学の試み―』人文書院、2017年
小貫雅男・伊藤恵子『新生「菜園家族」日本 ―東アジア民衆連帯の要―』本の泉社、2019年
小貫雅男・伊藤恵子『生命系の未来社会論 ―抗市場免疫の「菜園家族」が近代を根底から覆す―』御茶の水書房、2021年

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