連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」第1章

新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―

第1章 「辺境」からの視点

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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
第1章 「辺境」からの視点
(PDF:471KB、A4用紙6枚分)

図1-1 東アジアのなかの日本とモンゴル
図1-1 東アジアのなかの日本とモンゴル

1 モンゴル『四季・遊牧』から「菜園家族」構想へ

 私たちは長年の間、モンゴルの遊牧地域を考察してきました。今から振り返ってみると、絶えず日本の現実から出発し、そこに据えられた確かな目で見てきたような気がします。そして、異国にむけられたその目は、再び原点とも言うべき日本の現実に注がれ、この反復の繰り返しによって、さらなる思索を深めることができたように思います。こうした調査研究は、学生や多くの住民・市民との連携のもとで続けられてきました。

 この活動の中で結実したものがあるとすれば、それは、ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』(三部作全六巻、7時間40分) であり、また、日本各地で行われたたこの作品の上映運動と農山村調査を通じて、学生・住民・市民との対話・交流のなかで培われてきた、「菜園家族」構想をあげることができます。

映像作品『四季・遊牧』VHSカラーチラシ(上部)
甦る大地の記憶、心ひたす未来への予感。
家族の、地域社会のかけがえのない世界を
21世紀に生きる人々へ―。

 『四季・遊牧』は、1992年秋から1年間、モンゴルの首都から南西へ750㎞離れた、ゴビ・アルタイ山中のツェルゲル村に住み込み、撮影、制作した作品です(図1-1)。山岳・砂漠の遊牧民たちのつつましい暮らし。大地にとけ込むように生きる子供たちの表情。ヤギの乳を搾る少女の目の輝き・・・。なぜかその1つ1つが雄々しく映ります。

 21世紀の日本と世界の未来社会を展望する「菜園家族」構想は、国土の自然も暮らしも価値観も、現代日本とは対極にあるモンゴルの大地から日本を見る、いわば「辺境」からの視点にもとづき、そこから生ずる何ともいいようのない心の軋(きし)みや不協和音を絶えず気にしつつ、長年考えてきたことが下敷きになっているのかもしれません。

このドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』(小貫雅男・伊藤恵子共同制作、三部作全六巻・7時間40分、大日、1998年)は、東西冷戦の終結、ソ連社会主義体制の崩壊、市場経済への移行という激動期のただ中、1992年秋からモンゴル山岳・砂漠の村ツェルゲルで行われた1年間の住込み調査に基づき、四季折々の自然とそこに生きる遊牧民の暮らし、地域再生の模索を描いている。
  そのダイジェスト版(前編・後編 各1時間40分)をYou Tubeに公開中。
  前編 https://youtu.be/8ckpvZv3blc ,後編 https://youtu.be/8WR0TCZd7O0

2 森と琵琶湖を結ぶ11の流域地域圏(エリア)

 近江国(おうみのくに)・滋賀県の象徴ともいうべき琵琶湖。
 この日本最大の湖は、湖西の比良(ひら)山地、湖北の野坂山地や伊吹山地、そして湖東の鈴鹿山脈など、緑深い山なみに囲まれて、豊かな水をたたえています。滋賀県の総面積の52.1%は湖の周縁の森林地帯です。ここに降った雨や雪のほとんどすべてが、渓流や小川となって、山間を縫うように走り、やがて合流し河川となって平野を流れ、琵琶湖に注いでいます。

 139万6000人(2008年現在)の人口を擁する近江国(滋賀県)は、このように、その中央に位置する琵琶湖にむかって、周縁の山々から川づたいにいのちの水を走らせ、山間部の「森の民」や平野部の「野の民」の暮らしを潤してきました。そして、人びとのいのちを育みながら、さながら一風変わった巨大な生き物のように、1つのまとまりある広域地域圏を形づくり、息づいています。支流を含め100を超すこれら河川のなかから主要な河川を取りあげると、これらに沿って、以下a~kの11の“森と湖を結ぶ流域地域圏(エリア)”が浮かびあがってきます(図1-2)。

図1-2 森と琵琶湖を結ぶ11の流域地域圏
図1-2 森と琵琶湖を結ぶ11の流域地域圏
(注)山中から琵琶湖に注ぐ主要河川に沿って、中核都市を含む11の流域地域圏が想定される。

a:「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)
b:「安曇(あど)川∽比良山地」流域地域圏(エリア)
c:「石田川・知内(ちない)川∽野坂山地」流域地域圏(エリア)
d:「大浦川・余呉川∽野坂・伊吹山地」流域地域圏(エリア)
e:「高時(たかとき)川・姉川∽伊吹山地」流域地域圏(エリア)
f:「天野川∽伊吹山地・鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)
g:「愛知(えち)川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)
h:「日野川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)
i:「野洲川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)
j:「草津川・大戸(だいど)川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)
k:「天神川・瀬田川∽比良山地・鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)

 日本の近世においては、こうした森と海(湖)を結ぶ流域循環型の地域圏(エリア)には、おおむね郡制がしかれ、郡役所がおかれてきました。例えば、彦根市を中核都市とする「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)であれば、その地理的範囲は、近世の近江国の犬上郡とほぼ一致しています。近世江戸の循環型社会は、森林資源と平野部の資源を有効に活用し、そのうえで、森と平野が交流を密にすることによって、はじめて成立していた社会であったとも言えるでしょう。

 「菜園家族」構想は、農山村の過疎と平野部の都市過密を同時に解消し、自然循環型共生社会をめざすものです。そうであれば、地域区画の面でも、循環型社会が高度に発達していたと言われる近世にあらためて着目し、森と湖を結ぶ流域地域圏(エリア)を1つのまとまりある地域圏(エリア)としてとりあげ、それを詳しく考察し、地域の未来構想の基底にしっかりと位置づけていくことは、至極当然であるように思われます。

3 里山研究庵と調査活動の進展

 「菜園家族」構想は、『週休5日制による 三世代「菜園家族」酔夢譚』(Nomad、2000年)や、『菜園家族レボリューション』(社会思想社、2001年)をまとめた時点では、まだまだ抽象的で、机上の理論の枠を出るものではありませんでした。しかし、2001年には、近江国の11の流域地域圏(エリア)の中から、具体的に彦根市を中核都市とする「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)を選び、地域モデルとして現実世界に設定。理論的にも新たな段階に入っていきました。

図1-3 大君ヶ畑とその周辺
図1-3 大君ヶ畑とその周辺

 琵琶湖畔の城下町・彦根から、犬上川の北流を遡って三重県との県境に近づくと、突然人家があらわれます。この山あいの集落・大君ヶ畑(おじがはた)には、落葉樹の若葉に映える渓流に沿って、昔ながらの農家が四十数戸、ひっそりと居を構えています(図1-3)。
 私たちは2001年6月から、この大君ヶ畑で1軒の空き農家をお借りし、調査研究活動をはじめました。恐る恐る裏の勝手口の戸を開けると、五右衛門風呂の炊き口が、タイムスリップでもしたかのように目に飛び込んできます。
 広い玄関のひんやりとした土間から座敷にあがる框(かまち 床の端に渡す横木)に腰をおろして一休みしていると、突然つばめが玄関口から飛来して、天井の梁の古巣をのぞき込んでは出ていきます。長年戸が締められていた空家に新参者が現れたのだから、無理もありません。いかにも機敏に羽ばたく翼が嬉しさを隠しきれません。人気(ひとけ)のない農家にも、こうしていのちを吹き込むことになったのです。

 大君ヶ畑の集落内を流れる犬上川の北流は、ひと山むこうの谷筋を流れる南流と合流し、琵琶湖に注いでいます。また、同じく鈴鹿山脈を源に、芹川が琵琶湖にむかって走っています。これらの渓流に沿って、山深い山中の各所に集落が散在しているのですが、いずれも予想以上に過疎化と高齢化がすすみ、空家が多くなりました。
 私たちは、この森と湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)最奥の地・大君ヶ畑の“里山研究庵Nomad”を拠点に、3つの水系の広大な山中一帯を対象として、「菜園家族」構想の観点から、地域調査研究に取り組んでいます。
 Nomadはもともと英語で遊牧民の意。大地に生きる人間の姿をいつまでも地域研究の原点に持ち続けたいという思いを込めて名づけました。一見、時流に逆行する無謀(mad)な「酔夢」も、21世紀の未来にいつかは生きてくると本気(no mad)で願っているのです。

 調査研究をすすめるなかで、「菜園家族」構想は、単なる理論の枠にとどまらず、実現への具体的な道筋もより鮮明になってきました。同時に、それまでには想定できなかった理論面で解決すべき課題が多岐にわたって浮上してきました。「菜園家族」という人間の社会的生存形態は、人類史上、どのように位置づけられるのかという疑問から出発して、近代以来忌避されてきた「家族」とは一体何なのか、という根源的な問い、さらには家族小経営の再評価が課題となってきます。

 こうした疑問を、歴史を辿って理論的にも整理していくなかで、19世紀以来の「社会主義理論」の欠陥や限界が浮き彫りになってきました。また、「菜園家族」が今日の現実世界に育成されるためには、どのような自然のまとまりのなかで、どのような地域の共同性や経済圏が不可欠となるのか、という課題も浮上してきます。これらを突き詰めていくうちに、人間は自然とのかかわりにおいてどうあるべきなのかという根源的問題に直面しました。そして、これらの問題を相互に関連づけながら考えていくことによって、研究のさらなる深化が可能になってきたのです。

“菜園家族の学校” (滋賀県立大学)
“菜園家族の学校”。毎月200名もの市民・学生が琵琶湖畔のキャンパスに集い、熱心に学びあった

 こうした調査研究と併行して、2003年4月~2004年7月にかけては、映像作品『四季・遊牧』と「菜園家族」構想を題材に、当時勤務していた滋賀県立大学(彦根市)の大教室を会場に、毎月第3土曜日、若者や市民や地域住民を対象に、“菜園家族の学校”を開催。意見と経験の交流を深めてきました。
 この会では、毎月、各地から「菜園家族」的活動や地域づくりを実践しているユニークな方々を講師に招き、滋賀県内のみならず、京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山など近畿一円から、毎回200名にもおよぶ人々が集い、熱心に学び合いました。

 『森と海を結ぶ菜園家族 ―21世紀の未来社会論―』(人文書院、2004年)は、こうした流域地域圏(エリア)モデルの設定という新たな方法の導入と、若者や住民・市民との交流・学びあいとによって成しえた研究の成果であるといってもいいでしょう。
 そして、これに続く『菜園家族物語 ―子どもに伝える未来への夢―』(日本経済評論社、2006年)は、これまでの「菜園家族」構想研究の集大成として位置づけたものになっています。

 こうして、新しい段階をむかえた今、私たちは、ややもすると調査研究に重点がおかれがちであったこれまでの活動に、新たに「教育」と「交流」の2つの機能を加え、「研究」、「教育」、「交流」という3つの機能を統合し、かつそれぞれの機能が内的に有機的に連関する、ホリスティック(全一体的)な新しいタイプのユニークな「学校」に向けて、動き始めることになりました。それが、“菜園家族 山の学校”の構想です。

4 “菜園家族 山の学校”から広がる展望

 この“菜園家族 山の学校”は、大君ヶ畑に拠点をおきます。集落内にあった大君ヶ畑分校は、過疎・高齢化がすすむなかで1996年3月に廃校となり、木造校舎は取り壊されました。校庭跡には保育園が残されましたが、まもなく園児が減少し、これも休園となって久しくなります。
 大君ヶ畑の人びとともに、この旧保育園を活用し、ここを拠点に過疎・高齢化の流れを何とか食い止め、活気に満ちた美しい山村に甦らせたいというのが私たちの願いです。そして、奥深い鈴鹿の山の過疎・高齢化に悩むこの小さな山村から出発して、広く「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)全域を視野に収め、この森と湖を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生をめざして調査研究を重ねながら、“21世紀・近江国循環型共生社会”の誕生を展望し、活動を展開していきたいと思っています。

1-4 滋賀県の市町村
図1-4 滋賀県の市町村
(注)いわゆる「平成の大合併」以前のもの。

 「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(エリア)は、彦根市と犬上郡の多賀(たが)町と甲良(こうら)町と豊郷(とよさと)町一市三町からなり、総人口13万4200人の地域圏(エリア)です(図1-4)。それぞれの概況を紹介しておきましょう(人口は2008年現在の概数、森林率は2006年現在)。

 彦根市=犬上川・芹川下流域、琵琶湖の東岸に沿って広がる流域平野に位置し、鈴鹿山脈の北東部の山間の一部も含む。総面積98.15㎢、人口11万900人、森林率25.8%。
 甲良町=彦根市の南側に接し、犬上川中流域に広がる扇状地帯に位置する。南東部には、わずかではあるが、鈴鹿山脈が含まれる。総面積13.66㎢、人口7900人、森林率12.8%。
 豊郷町=甲良町の西側の平野部に位置する。総面積7.78㎢、人口7400人、森林率0%。
 多賀町=犬上川・芹川上流域、甲良町の東側、彦根市の南側に位置する。ごくわずかの平野部のほかは鈴鹿山脈の広大な山間部から成り立つ。総面積135.93㎢、人口8000人、森林率は85.5%。

 なかでも大君ヶ畑のある多賀町一町だけで、「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏(一市三町)の総森林面積の81.07%を占めています。つまり、多賀町は流域地域圏(エリア)内で唯一、鈴鹿山脈の広大な森林地帯にある、山村といってもいい土地柄なのです。
 広大な森林地帯の山あいを流れる幾筋もの渓流は犬上川と芹川に集められ、流域地域圏(エリア)の平野部を縫うように流れ下り、やがて琵琶湖に注いでいます。

 大君ヶ畑をはじめ、この流域地域圏(エリア)の人びとは、この“菜園家族 山の学校”を拠点に、自らの地域再生をめざして、新しい時代にふさわしい理念のもと、歴史的・世界的視野をも培いながら、自然や社会や経済、文化などあらゆる領域を総合的に学び合っていくことでしょう。こうした切磋琢磨のなかから、やがて21世紀の未来を切り拓くたくましい主体が育っていくにちがいありません。

       ――― ◇ ◇ ―――

新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の掲載にあたっては、明らかな誤字・脱字・舌足らずな表現の類い等の若干の訂正以外は、原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)が出版された15年前の時点でのこの地域の実情をそのまま忠実に再現し伝えることを期して、統計資料、地図、文中の統計数字、関連する諸研究の成果などについては、改変を加えることなく、出版当時の通り、そのまま原典から収録することにしました。

2023年11月11日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

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