連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」第5章(その1)

新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―

第5章 “菜園家族 山の学校” その未来への夢(その1)

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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
第5章 “菜園家族 山の学校” その未来への夢(その1)
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写真5-3 おじがはた保育園
おじがはた保育園
中央が保育園舎、右端が体育館。校庭はこの奥に広がる。手前を流れるのは犬上川北流

1 “めだかの学校” を取り戻す

  めだかの学校

 作詞/茶木 滋  作曲/中田喜直

めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなでおゆうぎ しているよ

めだかの学校の めだかたち
だれが生徒か 先生か
だれが生徒か 先生か
みんなでげんきに あそんでる

めだかの学校は うれしそう
水にながれて つーいつい
水にながれて つーいつい
みんながそろって つーいつい

(1951年、NHKラジオ「幼児の時間」で放送)

“めだかの学校”は、作詞者の茶木滋が、終戦直後の春、疎開先の小田原で幼い息子と買い出しの途中、荻窪用水のほとりで見た情景と、2人で交わした会話をもとに、うたったものといわれています。

 21世紀、混迷のなかから、私たちが、そして世界が探し求めているものは、エコロジーの深い思想に根ざした本物の自然循環型共生社会への確かな糸口です。その意味でも、“菜園家族 山の学校”は、一地方のささやかな試みではあっても、その夢は大きいといわなければなりません。

 “菜園家族 山の学校”が拠点をおくことになる鈴鹿山中・犬上川流域最奥の大君ヶ畑(おじがはた)は、過疎・高齢化に悩みながらも、1990年代後半から集落の人たちが中心となり、地元の特産であるお茶や、地域ぐるみで摘んだ山椒やフキなど山菜の佃煮、シカ肉やイノシシ肉の燻製、竹炭、木工品などを手づくりし、道の駅「ステーション大君ヶ畑」の運営に取り組んできました。
 また、分校跡の体育館で週2回行われる、空手を通じた子どもたちの心身の教育、渓流の漁場を守る漁業組合の活動、女性たちの「遊々会」によるおじいさんやおばあさんたちを元気づけ支える活動など、多様で地道な取り組みが続けられてきました。

 “菜園家族 山の学校”は、こうした地道な取り組みに加えて、婦人部・老人会の活動、2008年に20年目をむかえる兄弟邨(むら)・甲良町北落(きたおち)集落との交流、そして私たちが2001年来続けてきた里山研究庵Nomadの活動とも呼応していきます。

写真5-1 大君ヶ畑と北落集落の親子ふれあい交流田活動1
大君ヶ畑と北落集落の親子ふれあい交流田活動
民話『幸助とお花』にちなんで、流域循環の再生を願い、「森の民」大君ヶ畑と「野の民」北落の人びとは、兄弟邨の交流活動を続けてきた。後方に見える鈴鹿の山なみの奥、田んぼのない大君ヶ畑から下りてきた子どもたちも、手に鎌をもち、稲刈りを楽しむ。
写真5-2 大君ヶ畑と北落集落の親子ふれあい交流田活動2
北落の女性たち自慢のかしわ飯のおにぎりをほおばり、交流のひとときを過ごす。

 さらに、若い農業後継者や新規就農者を中心に、農や食に関心のある市民も参加する勉強会を続ける滋賀県東浅井郡湖北町(現 長浜市)の農事組合法人大戸洞舎(おどふらしゃ 松本茂夫さん・富子さんら)、第4章で触れた池田博昭さんらの建築グループ(旧 八日市市)、第3章で触れた南信州・大鹿村のアルプ・カーゼ(小林俊夫さん・静子さん)、都市近郊で先駆的な酪農経営を切り拓いてきた弓削牧場(弓削忠生さん・和子さん、神戸市北区)、鈴鹿山脈を越えた三重県の伊勢湾に注ぐ櫛田(くしだ)川・宮川流域で森と海を結ぶ地域づくりに取り組む多気郡勢和村(現 多気町)図書館の林千智さん、野呂ファミリー農場の野呂由彦さん・千佳子さん、都会から移り住んだ若き林業家などのグループをはじめ、全国各地の活動と連携。
 これまでの「研究」・「教育」・「交流」の成果と、そのネットワークをさらに充実、発展させていくことになるでしょう。

 そして、伊吹山麓の農村で古民家を借り、ヤギやチャボなどを飼いながら菜園にいそしみ、小学生の里子と生まれたばかりの赤ちゃんとともに、「菜園家族」的エコライフをめざす三品聡子さん・楠原剛人さんの若きご夫婦(滋賀県東浅井郡浅井町=現 長浜市)や、学生時代から職人の手作りに関心を寄せ、修業を経て、地元産大豆にこだわる西駒とうふ店をスタートさせた西田亮介さん(滋賀郡志賀町=現 大津市)・・・。
 これら若き新生「菜園家族」と「匠商(しょうしょう)家族」とも手をたずさえて、未来志向の楽しい活動を展開したいと思っています。

 こうした世代や地域を結ぶ住民・市民の連携の中で、“菜園家族 山の学校”は、「近江国(おうみのくに)自然循環型共生社会」の誕生をめざし、すべての人びとにひらかれた自由闊達で創造性あふれる学びあいの場になっていくことでしょう。
 教育の現場が、研究の現場が、そして社会が、閉塞状況に陥り生気を失っている今、戦後の焦土のなかから芽生えた、あの“めだかの学校”の生き生きとした自由で平等で友愛に満ち満ちた精神は、目に眩(まばゆ)いまでに新鮮です。
 このいのち輝くみずみずしい精神を、子どもも大人も世代を越えて、もう一度何とか取り戻したいと願うのです。

2 新しい「地域研究」の創造をめざして ―「在野の学」の先進性

 そもそも「地域」とは、「地域研究」とは、一体何なのでしょうか。
 「地域」とは、自然と人間の基礎的物質代謝の場、暮らしの場、いのちの再生産の場としての、人間の絆によるひとつのまとまりある最小の社会的、地理的、自然的基礎的単位です。

 この基礎的「地域」は、いくつかの「家族」によって構成され、日本の場合であれば、多くは伝統的な少なくとも近世江戸以来のムラ集落の系譜を引き継ぐものです。人間社会は、「家族」、基礎的「地域」(=ムラ集落)、さらにはその上位の町、郡、都道府県などいくつかの階梯を経てより広域へと次第に拡張しつつ、多重・重層的な地域階層構造(団粒構造)を築きあげています。

 したがって、この基礎的「地域」は、人間社会全体を総合的かつ深く理解するために必要なすべての要素が完全なまでにぎっしり詰まっているがゆえに、社会考察の不可欠の鍵にして重要な基本的対象となるのです。

 人間とその社会への洞察は、とりとめもなく広大な現実世界の中から、任意に典型的なこの基礎的「地域」を抽出し、これを多重・重層的な地域階層構造全体のなかに絶えず位置づけながら、長期にわたり複眼的、かつ総合的に調査・研究することによってはじめて深まっていくものです。

北欧地域の俯瞰地図

 特に21世紀現代においては、世界のいかなる辺境にある基礎的「地域」も、いわゆる先進工業国のそれも、今やグローバル市場世界の構造のなかに組み込まれています。
 こうした時代にあって、自然と人間という二大要素からなる有機的な運動体であり、かつ歴史的存在でもあるこの基礎的「地域」を、ひとつのまとまりある総体として深く認識するためには、①「地域」共時態(シンクロニック)、② 歴史通時態(ダイアクロニック)、③「世界(グローバルな)」場という、異なる三つの次元の相を有機的に連関させながら、具体的かつ総合的に考察することがもとめられます。

 こうすることによってはじめて、社会の構造全体を、そして世界をも、全一体的(ホリスティック)にその本質において具体的に捉えることが可能になってくるのです。
 やがてそれは、社会経済の普遍的にして強靱な理論に、さらには21世紀世界を見究める哲学にまで昇華されていきます。地域未来学とも言うべきこの革新的地域研究としての全一体的(ホリスティック)な「地域生態学」は、こうして、21世紀の未来社会をも展望しうる方法論の確立にむかうものでなければなりません。

 こうした要請に応えるためには、差し迫った世界のこの重大な転換期にあって、何よりもまず、これまでのものの見方・考え方を支配する認識の枠組み、すなわち既成のパラダイムを革新する努力と勇気がなければなりません。
 そして、やがて到達したこの新たなパラダイムによってはじめて、既成の社会のあり方は根源的に問い正され、次代の社会を構想することが可能になるのです。

 延々と続いてきた既成の頑迷固陋な組織や制度や体制が、人間の思考を旧来の枠組みのなかに閉じ込め、圧殺するものであるとするならば、パラダイムの革新は、既存の大学や研究機関や「学会」というアカデミズムの世界からは、望むべくもありません。
 特に大学では、近年強行された独立法人化によるトップダウン体制のもとで、偏狭な競争原理や安易な効率主義と成果主義が強引に導入され、構成員の自主性と創意性が圧殺されようとしています。
 このような近視眼的な実利主義が蔓延する今日の状況からは、今、もっとも必要とされる、21世紀未来を見据える長期展望に立った思索や理論は、期待できるはずもありません。

 私たちは、精神のあらゆる既成の枠組みに囚われることなく、“めだかの学校”のみずみずしい、自由で平等で友愛に満ち満ちたおおらかな精神を、今一度、取り戻すことができないものなのでしょうか。
 それが期待できるとすれば、権威に装われ、一見、立派に整ったかのように見える既存の機構や制度などではなく、意外にも、時流からは外れた位置にある、素朴で自由な「在野の学」からなのかもしれません。
 犬上川・芹川流域地域圏(エリア)の最奥の山中で、地域の人びととともに、スタートに向けてようやく動きはじめようとしている“菜園家族 山の学校”も、そのようなもののひとつでありたいと願っています。

 “菜園家族 山の学校”は、「菜園家族」構想の研究成果を暫定的な初動の作業仮説(=立案)とし、住民・市民、そして「研究者」による、犬上川・芹川流域地域圏(エリア)の「点検・調査・立案」の終わりなき連続螺旋(らせん)円環運動をねばり強く続けていきます。
 この調査研究は、“菜園家族 山の学校”の「研究」と「教育」と「交流」の3つの機能のなかにしっかりと位置づけられ、「教育」と「交流」とも有機的に連動しながら、効果を発揮していくでしょう。

 調査研究の対象は、森と湖を結ぶ流域地域圏(エリア)という、自然や人間や社会のあらゆる要素からなるひとつのまとまりある有機的運動体です。それゆえ、それ自体を全一体的(ホリスティック)に捉えるためには、自然・社会・人文のそれぞれの専門分野の、さらに分割された部分をただ個別的に調査研究するだけでは、その目的を果たすことはできません。
 何よりも大切なのは、「構想」の理念と共通の目標にむかって収斂するように、それぞれの専門分野が、それぞれの「部分」を究めながらも、その「部分」から、絶えず全体を総合的に捉え直していく姿勢です。それが個々の専門分野に携わるすべての者に要請されます。

 したがって、それぞれの専門分野からは、絶えず「菜園家族」構想それ自体への根源的な問いかけが行われ、暫定的な作業仮説そのものの検討が、繰り返しなされます。こうした自由闊達な議論を通じて、個々の研究プロジェクトは活性化されるでしょう。これこそが、共同研究の本来の姿であり、真髄です。

 “菜園家族 山の学校”は、「在野の学」です。したがって、既存の権威からは相対的に自由であり、科学的真理以外のいかなる権威にも媚びることなく、常に学問の独立と研究の自由を堅持し、研究の発展が「地域」の人びととの正しい結びつきによってはじめて実現されるという優位性を発揮しうるのではないでしょうか。

 体制に安住し、硬直した既存のアカデミズムの世界の組織や機構ではなく、地域の人びととの深いつながりのなかで、今日の世界の激動に応えて、新たなパラダイムの革新をめざし自発的に結集した、まさに在野の小さなグループだからこそ、それが可能になります。やがて、こうした新しいグループが、日本各地に次々にあらわれてくるでしょう。

 これは、少なくとも、人びとの生活そのものとも言うべき「地域」にまともに向き合ってはじめて研究が成立する分野、すなわち「地域研究」において、間違いなく言えると思います。“菜園家族 山の学校”には、これこそが期待されているのです。

 私たちは、“菜園家族 山の学校”に集うすべての人びとともに、「研究」と「教育」と「交流」の3つの機能を有機的に統合し、地道な活動を重ねていきます。
 そして、「菜園家族」構想そのものについて、絶えず議論を深め、理念と内実をいっそう豊かにしていくなかで、既存の大学や研究機関や「学会」には見られない、独自の在野の「研究グループ」が形成されるでしょう。

 そして、この「研究グループ」のメンバーは、従来イメージされてきたような職業的研究者にとどまりません。むしろ「研究」と「教育」と「交流」の機能を統合した総合的な活動に、世代や職業や性別を越えて、自発的に参画する住民や市民です。
 子どもは、子どもなりの鋭敏な感性によって、若者や中年世代は、やがて未来を担う立場から、そして高齢者は、長年の経験に基づく豊かな知恵を発揮して、世代を越えてお互いに切磋琢磨し合います。

 人間にとってかけがえのない「地域」は、全人的教育の母胎であり、暮らしの場でもあり、人びとの生きがいであり、いのちの再生産の場でもあります。それを対象にする研究が、狭いアカデミズムの世界に棲(す)む一部の「学者」や、「有識者」や「官僚」にのみ委ねられていいはずがありません。
 “菜園家族 山の学校”は、「在野の学」としての役割を果たしつつ、旧態依然たる研究状況を少しでも変えながら、新しい状況を切りひらいていくでしょう。

 この「研究」のめざす基本方向は、市場競争至上主義の「拡大経済」から自然循環型共生社会(じねん社会)への転換を経て、さらには人類究極の夢である、自由・平等・友愛の高次自然社会への壮大な道を探ることです。
 具体的には、森と琵琶湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)を地域モデルに設定し、住民・市民・「研究者」共同の「点検・調査・立案」の連続螺旋円環運動を通じて、それを模索していきます。
 もちろん“菜園家族 山の学校”のこうした「在野の学」としての優位性をいかに活かしていくかは、ひとえに、これからの活動にかかっていると言わなければなりません。

3 おおらかな学びあいの場と温もりある人間の絆を

写真5-3 おじがはた保育園
おじがはた保育園
中央が保育園舎、右端が体育館。校庭はこの奥に広がる。手前を流れるのは犬上川北流

 都市の住民も、農・山・漁村の住民も、商工業者も、また子どもからお年寄りに至るさまざまな世代の人びとが、自主的に楽しみながら学びあう場。これが、“菜園家族 山の学校”の最大の特長です。
 したがって、ここでの「教育」の理念は、受験競争を目的とした近視眼的な知識詰め込み主義を根本から改めたものでなければなりません。

 土地を耕し、作物を育て、収穫する。料理し、みんなで食卓を囲み、味わい、語りあい、楽しむ。現代人にはとうに忘れられた、この一貫した素朴なプロセスのなかに、自然との一体感と豊かな人間関係の基礎が育まれます。
 本当の自己実現は、すすんで身近な自然に親しみ、「地域」の活動や調査に参加し、そこから得た知恵を暮らしに活かし、自らの地域を変え、築きあげていく努力のなかでこそ、果たされるのです。
 21世紀の教育の理念は、こうした確かな社会性に裏打ちされたディープ・エコロジーの立場にこそ、見出されます。

 “菜園家族 山の学校”の「教育(人材育成)」は、世代間の断絶が社会問題にまでなっていることに鑑(かんが)み、幼児、小・中・高校の児童や生徒から、若者・中年・老齢世代に至るまで、世代を越えた連携を重視します。
 それは、人間の自主・自発性と平等・対等を重んじた“めだかの学校”のおおらかな精神の復活なのかもしれません。

 ここでの「教育」は、狭い意味での「人材育成」だけにとどまりません。「地域」の子どもや若者や住民の語らいの場、憩いの場ともなるでしょう。
 また、「菜園家族」構想をはじめ、さまざまなテーマを多角的に取り上げて、勉強会や研究会が行われます。
 そして、上映&講演会、野外教室、研修の旅、地産地消の食材を活かした伝統的な郷土料理、心身ともに健康になるマクロビオティック自然食、手工芸の講習会、さらには作品展示・発表会やコンサート・・・、地域住民の今日的要望に応える、未来志向の多彩な文化活動にも力を入れていきます。
 こうした活動の地道な持続性によって、地域の人びとの心は、いっそう豊かで和やかになるにちがいありません。

 こうした多面的な活動を保障するためには、この森と琵琶湖を結ぶ犬上川・芹川流域の広大な森林地帯や田園地帯に散在する農家や集落、そして都市の住民をも含めて、多くの人びととの連携・相互協力が不可欠です。
 周縁の農家や集落との連携のもとにはじめて、都会から就農を希望してやって来る若者たちや団塊世代を受け入れる農家分宿の体制が整えられます。

 また、長期逗留型の農・林・漁業の体験や実習をカリキュラムに取り入れた幼児や小・中・高校の児童・生徒、大学生の学習・教育活動も可能になります。
こうした「教育」・「交流」活動は、諸外国の人びとにとっても、日本の農山村の本当の姿を学ぶ絶好の場ともなるでしょう。

 このような農家や集落との連携・相互協力関係は、地域外から訪れて学ぶ側にだけ効果をもたらすわけではありません。
 受け入れる側の、過疎・少子高齢化に悩む今日の農家や集落にとっても、都市の優れた要素や若い世代の息吹を吸収し、諸外国の文化や考えにも接しつつ視野を広げ、自己を高め、地域を活性化していく上で、きわめて意義深いものになるはずです。

 こうした相互交流を深めるなかで、かつて農・林・漁業をあきらめ、都会へ出て行った地元の村の若者たちも、また、新しい暮らしのあり方を求めてやって来る都市部の若者や団塊世代も、農山村の良さや意義を再認識し、「菜園家族」の道をあらためて選ぶことにもなるでしょう。
 こうした人びとは、やがて、過疎山村の地域にも深く根をはり、「地域」を再生していく新たな集落メンバーになっていきます。

 “菜園家族 山の学校”の校舎は、休園となった大君ヶ畑(おじがはた)の保育園です。彦根市内から車で30分ほどなので、地元の犬上川・芹川流域地域圏(エリア)や滋賀県内の住民・市民はもとより、京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山など近畿一円や、隣接する三重・岐阜・福井などからも人びとが集い、地域に深く根ざしながらもすべての人びとにひらかれた、未来志向型の自由な「研究」・「教育」・「交流」の拠点になるでしょう。

 1988年に新築された園舎は、当時、地方財政にもまだ余力があったのでしょうか、なかなか立派なものです。この建物は、1996年に廃校となった大君ヶ畑分校の広々とした校庭にあり、鈴鹿の山々の深い森の緑に映え、渓流のほとりに佇(たたず)んでいます。
 今ではめったに見られなくなった懐かしい風景を彷彿とさせ、設備といい、環境といい、これからはじまる活動にはうってつけです。

 スタート段階では、校庭の南側の奥に建っている体育館を上映会や講演会、コンサートなど、多目的な文化活動にも併用すれば十分です。
 今後は、園舎を活用して、研究室、事務室、情報発信室、図書・映像作品ライブラリー、映像編集室、研修・映写・集会などの小ホール、教室、ミーティングルーム、喫茶・談話ルーム、ヘルスケアルーム、食農教育などのための小キッチンなどを整えていきます。
 さらに、森の緑に恵まれた環境を活かして、菜園、ヤギ小屋、養蜂箱、手工芸工房、薬草風呂・宿泊などの施設を必要に応じて徐々に校庭敷地内に拡充し、「研究」・「教育」・「交流」活動の総合的な拠点センターとして整備していくことが、将来の課題です。

 こうして、犬上川流域最奥の地から、森と琵琶湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)全域を展望し、活動を充実させていきます。

第5章1節・2節・3節の引用・参考文献(一部映像作品を含む)
宮沢賢治(天沢退二郎 編)『宮沢賢治万華鏡』新潮文庫、2001年
壺井栄『二十四の瞳』新潮文庫、1957年
無着成恭 編『山びこ学校』岩波文庫、1995年
田村一二『手をつなぐ子ら』北大路書房、1966年
映画『手をつなぐ子ら』田村一二 原作、稲垣 浩 監督、笠 智衆・杉村春子 他 出演、大映製作(1時間26分)、1948年
田村一二『茗荷村見聞記』北大路書房、1971年
映画『茗荷村見聞記』田村一二 原作、山田典吾 監督、長門裕之 他 出演、現代プロダクション 製作(1時間52分)、1979年
木全清博『滋賀の学校史 ―地域が育む子供と教育―』文理閣、2004年

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新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の掲載にあたっては、明らかな誤字・脱字・舌足らずな表現の類い等の若干の訂正以外は、原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)が出版された15年前の時点でのこの地域の実情をそのまま忠実に再現し伝えることを期して、統計資料、地図、文中の統計数字、関連する諸研究の成果などについては、改変を加えることなく、出版当時の通り、そのまま原典から収録することにしました。

2024年2月16日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

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