連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」エピローグ(その1)

新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―

エピローグ 分かちあいの世界へ(その1)

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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
エピローグ 分かちあいの世界へ(その1)
(PDF:448KB、A4用紙7枚分)

青地にピンク・緑・水色の葉っぱ

苦難の道を越えて

 いのち削り、心病む、終わりなき市場競争。
 アメリカ型「拡大経済」日本に
 はたして未来はあるのでしょうか?
 いのち輝く
 「週休5日制」の自然融合の生活世界。
 21世紀、人びとは、素朴な精神世界への回帰と止揚(レボリューション)
 壮大な人間復活の道を歩みはじめるのです。

 これは、拙著『菜園家族物語 ―子どもに伝える未来への夢―』(日本経済評論社、2006年)を刊行したとき、帯に記した一文です。「壮大な人間復活の道」とは、この本で明示した人類究極の到達すべき目標である、人類始原の自然状態への回帰と止揚(レボリューション)、すなわち「高次自然社会」への道を指しています。

 とくに19世紀以降、私たち人類は、資本主義を克服し、その次に来(きた)るべき理想の姿を、「社会主義」に求めてきました。もちろん、すべての人がそう考えていたわけではありません。しかし、世界の多くの人びとは、それを否定的に捉えるにしても、あるいはそれを歓迎しないにしても、無意識のなかで、あるいは暗黙のうちに、その到来を漠然と予感していたことは間違いありません。

 このようなこと言うと、20世紀の前半を経験していない若い世代からは、驚きの声があがるでしょう。けれども、世界にはそんな一時期が確かにありました。
 しかし、少しずつ伝わってくる現実の「社会主義」体制の内実に、人びとは不審を抱きはじめます。そして、、ついに1990年代初頭、「社会主義」体制そのものが崩壊するなかで、それを目の当たりにした人びとの心のなかからは、資本主義に代わる理想のあるべき社会の模索といった観念は一気に消え失せていきました。
 こうして、ただただ目先の功利のみを追い求める時代の到来とともに、人類の到達すべき理想の社会などは、語るのも虚しく、気恥ずかしくさえ思う時代へと変わったのです。

 人間がめざすべき理想を失ったとき、世の中がどうなってしまうのか。21世紀の今日の精神の荒廃と度重なる戦争の惨状を見るだけでも、お分かりになるのではないでしょうか。
 人びとは、「生き残り」をかけた際限のない競争のなかで、他を蹴落としでもよい、われ先にと競い、飽くなき功利追求のたたかいに挑むのです。このたたかいに、大人だけではなく、幼い子どもたちまでもが、引きずり込まれていきます。こうした社会風潮のもとで、人びとの心がますますすさんでいくのは、無理もないことです。

 刻一刻と人びとの精神が衰微していくこのときをねらうかのように、狡猾にも、日本国憲法第九条を変える策動がうごめいてきました。社会不安のなかから「改革」を唱えて登場し、情緒に訴え、民衆を巧みに煽動してきた、かつての首相。それに継ぐ、戦後生まれの坊ちゃん育ちの若き首相の「美しい国」の影からも、戦争のきな臭いにおいが漂ってきます。そして突然の辞任。そんなぶざまな醜態をさらけ出したのも、つい最近のことでした。

黄色のチョウチョ

 「菜園家族」の本質は、太陽のもと大地を耕し、雨の恵みを受けて作物を育て、その成長を慈しむ。天体の運行に合わせ、自然のゆったりとした循環の中に溶け込み、人びとと助けあい、分かちあい、仲良く暮らすことにあります。それ以外の何ものでもありません。人と競い、争い、果てには隣国への憎しみを駆り立てられ、民衆同士が殺しあう。そんな戦争とは、「菜園家族」はもともと本質的に無縁です。

 したがって、「菜園家族」構想の実践は、日本国憲法の精神を現実世界に具現するものであり、とくに、第九条「戦争の放棄」と第二五条「生存権」の精神を、抽象的に、しかも萎縮して保守しようとするのではなく、積極的に日常の暮らしの身近なところから出発して、具体的に堂々と、現実世界のなかに一歩一歩着実に築きあげることであるのです。
 本連載で提起した“菜園家族 山の学校”は、まさに自らの足元から、「菜園家族」構想の実現をめざして活動する大切な拠点でもあります。

 この活動は、近江国(おうみのくに)の“森と琵琶湖を結ぶ11の流域地域圏(エリア)”のひとつである犬上川・芹川流域地域圏(エリア)から出発しながらも、他の流域地域圏(エリア)にもおよんでいくことでしょう。それは、憲法の精神をこの近江国全域に具現することをめざす試みでもあります。それが、“21世紀・近江国自然循環型共生社会”誕生の夢です。
 まだまだ遠い先の願いではありますが、近江が変われば、日本が変わる。日本が変われば、世界が変わるのです。

いのちの思想を現実の世界へ
 年年歳歳かわることなく、めぐり来る四季。その自然の移ろいのなかで、「菜園家族」とその地域社会は、自然と人間との物質代謝の和やかな循環の恵みを享受します。ものを手づくりし、人びととともに仲良く暮らす喜びを実感し、感謝の心を育みます。
 人びとはやがて、ものを大切にする心、さらには、いのちを慈しむ心を育て、人間性を次第に回復していきます。市場競争至上主義の延長線上に現れる対立と憎しみに代わって友愛が、そして対立と抗争に代わって平和の思想が、やがて「菜園家族」に、さらには地域社会に根づいていくのです。

赤い花・ピンクのつぼみ・小リンゴの輪

 もう一度、よく考えてみましょう。
 私たちがめざす「菜園家族のくに」こそ、日本国憲法が世界に向かって高らかに謳った「平和主義」「基本的人権(生存権を含む)の尊重」「主権在民」の三原則の精神を地でいくものであることが、分かってきます。

 「菜園家族のくに」では、日常のレベルで、そして大地に根ざした思想形成の過程で、この憲法の精神が現実のものになっていきます。
 子どもたちも、大人たちも、年老いた祖父母たちも、ともに助けあって生きることで、人をいたわる慈しみの心を育んでいきます。そこには、他人を傷つけ、他人を倒してまで生きなければならない必然性は、まったくありません。

 世界は今も、暴力が暴力を生む負の連鎖のなかで苦しみ、戦争が戦争を誘発する悪循環のなかで、多くの人びとが恐怖に怯(おび)えています。
 「自衛のために」というもっともらしい大義名分によって、あるいは、「戦争を抑止する」という美名のもとに、はたまた「“テロ”との戦い」という大義のもとに、武器を保持し、戦争は繰り返され、この悪循環は断ち切れないでいます。

 アフリカや中東、中央アジアをはじめ、どの地域紛争を見ても、現地の人びとが、自分ではとうてい作れそうもないピカピカの立派な自動小銃など、近代兵器をあてがわれ、お互いに憎しみあい、血を流す構図。“人権”とか“世界平和を乱すものへの制裁”を名目に、容赦なく市民生活の領域にまでミサイルを打ち込んではばからない神経。
 兵器を商売に私腹を肥やす「死の商人」の餌食(えじき)になるのは、もうまっぴら御免です。

 20世紀は、戦争の世紀でした。第2次世界大戦の悲惨な体験と地獄絵のような沖縄戦、そしてヒロシマ・ナガサキを思い起こすだけでも、素直にその道理は分かるはずです。きっと、分かる時代がやってくるにちがいありません。

 ここ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)の人びとも、日本の他の農山村と同じように、近代の歴史のなかで数々の戦争に巻き込まれてきました。
 芹川上流域、鍋尻山のふところに抱かれた奥山の集落・保月(ほうづき)には、戦争に召集され、無惨にもいのちを落とした村人の名前が刻まれた石碑が建てられています。
 日露戦争1名、日中戦争1名、第2次世界大戦17名。中国、ビルマ、フィリピン、南洋諸島、沖縄などの戦線で亡くなりました。戸数わずか46戸(1936年当時)のこの山深い小さな集落も、日本の近代史の過酷な重荷を背負わされてきたことを、ひしひしと実感します。
 廃村寸前となり、もはや人の訪れることも稀な荒涼とした山中にあって、この石碑は、集落の消滅とともに悲しい歴史をも消し去られまいと、今なお風雪に吹かれて立っているのです。

 犬上川上流域、大君ヶ畑の里山研究庵のすぐ隣の杉山一市おじいさんも、第2次世界大戦で旧満州や中国に出征、現地で終戦を迎えたそうです。
 辛(つら)い記憶は、88歳になった今も忘れることはありません。昨今の世の風潮を察してか、一人暮らしとなった奥山の家の茶の間でテレビを眺めながら、「また戦争がはじまるぞ」と、予言めいたまことのつぶやきを発するのです。

 大君ヶ畑の北側、芹川上流域の山奥深くひっそりとたたずむ男鬼(おおり 彦根市)は、1949年の戸数わずか16戸という小さな集落です。ここにもまた、かけがえのない青春を戦争に翻弄された人がいます。
 1919年、この山村に生まれた大久保繁雄さんは、20歳のとき、敦賀歩兵第19連隊に入営、翌1940年に旧満州へ派遣されました。1944年には、千島列島色丹(しこたん)島の守備にあたることになり、そこで終戦を迎えます。同時にシベリアに抑留され、日本に帰国したのは、1947年8月のことでした。

写真e-1 大久保繁雄さん(彦根市男鬼、2002年)
大久保繁雄さん(彦根市男鬼、2002年)
今は山を下り、ふもとの住宅地に暮らす。「おじいちゃん、危ないよ」と家族に止められながらも、廃村となったふるさとの生家にオートバイで通っていた。

 「舞鶴港に入港、シベリアで生死を共にした人びととも、ここでお互い西と東に別れを告げました。京都駅で乗り換え、彦根駅からは、とぼとぼ歩いて帰りました。もう二度と見ることはできないと、一時はあきらめた山や川の風景を見ながら歩いたのも、本当に感慨無量、どんなにうれしく思ったことでしょうか。夏の日射しも暮れかけ夕闇迫る頃、男鬼(おおり)の家にたどり着きました。母は、とても喜んでくれました。そうして、私の軍隊生活は終わりを告げたと同時に、私の二十代の青春時代も終わったのです」

 これは、大久保さん自身が1996年にまとめられたガリ版刷りの手記『色古丹島とシベリヤの思い出』の締めくくりに綴られている文章です。
 執筆は困難な作業でしたが、小さなお孫さんを心に思い、「この子どもたちが大人になって、この体験記を読んでくれたとき、平和の尊さを知り、何かを感じ取ってくれたら」と、4年の歳月をかけて書きあげたのでした。

 悠久の時空の中
  人は大地に生まれ
     育ち
   大地に帰っていく

 21世紀、自然と人間をめぐるこの壮大な循環のなかで、「菜園家族」は、共生の思想を、そして人を慈しむ素直な心を育んでいくでしょう。
 「菜園家族」は、もともと戦争とは無縁です。残酷非道な、それこそ無駄と浪費の最たる前世紀の遺物「人を殺す道具」とは、無縁なのです。「菜園家族」は、世界に先駆けて自らの手で戦争を永遠に放棄し、人間が自らも大いなる自然の一部に溶け込むように、平和に暮らすよすがを築いていくにちがいありません。

 ひょっとしたら、「菜園家族」に託すこの願いは酔夢だったのだろうか。ふと、そんな思いがよぎります。しかし、よく考えてみると、既に触れた世界人口“五分の四”の視点からすれば、それは決して酔夢とは思えません。
 日本の国土に生きる私たち自身が、世界に率先してこの新しい人間の生き方「菜園家族」の道を選び、誠実に歩むならば、きっと世界に誇る日本国憲法に、いのちを吹き込むことになるでしょう。

 憲法の精神を地でいくこの「菜園家族」に、アジアの人びとも、さらには世界のすべての人びとも、いつかはきっと、惜しみない賞賛と尊敬の念を寄せてくれるにちがいありません。
 世界は今、ものでも、お金でもなく、精神の高みを心から望んでいます。「菜園家族」はこの世界の願いに応えて、必ず世界に先駆けてその範を示すことになるでしょう。

戦前・戦中の重苦しい陰湿な空気が再び
 ところが残念なことに、最近、日本人は、この憲法の本当の良さ、有り難さが分からなくなってきたようです。憲法の精神を現実世界に活かそうと努力するどころか、憲法が現実に合わなくなったとか、アメリカに押しつけられたものであるとか、国際状況が大きく変化したとか、とにかくいろいろな理由をこじつけては、憲法を何とか変えようというのです。この傾向は、ますます強まってきています。
 何も分からない幼い子供たちから、戦時の苦しみをくぐりぬけてきたお年寄りに至るまで、何の罪もない多くの人びとを巻き添えにしてまでも、またあの暗い悲惨な道を突き進んでいこうとでもいうのでしょうか。どう考えても、不思議でならないのです。

北天の星の軌跡

 今や憲法について、個人が何らかの意思を表明するとなると、即、党派に色分けされ、そこで人びとの思考は止まってしまいます。本当は、何が人びとに幸せをもたらし、何が正しく、何が間違っているのかこそが大切であるのに、色分けによって素直に考えることが阻(はば)まれ、そこで思考は止まり、その先には進もうとはしません。

 戦前・戦中にも似たこの陰湿な風潮が、今、再び蔓延しようとしています。そして、やがてこの風潮は、少数意見を排除していくのです。これは、今にはじまったことではありません。歴史的にも根の深い、きわめて日本的な“負の遺産”であるといわざるを得ません。
 既に教育の現場では、“日の丸”、“君が代”問題が憲法問題に先行して、こうした風潮を強めてきました。小・中・高校の卒業式の日、教師や保護者や、そして子どもたちまでもが、踏み絵を強いられる式場の重苦しい雰囲気のなかで、気まずい思いをさせられながら、この風潮に呑(の)み込まれていった姿は、つい最近のこと。よくご存知だと思います。

 ここで指摘したことは、単なる危惧や妄想として片づけられない、極めて深刻な問題をはらんでいます。この風潮に屈し、呑み込まれたら、おしまいです。内心の自由を土足で踏みにじること自体が、既に戦前の繰り返しを許したことになるからです。
 こうした情勢に今さしかかっているからこそ、人類が長い時間と苦闘の歴史のなかで築きあげてきた、人類の生きる思想の集大成ともいえる日本国憲法の意義を、私たちはもっとしっかりと再認識しなければなりません。
 その優れた憲法の精神を観念的に守ろうとするだけではなく、積極的に、私たち自身の日常の現実生活に活かす方法を探り、そして、それを実践し、その成果を世界の人びとに示すときが来たのではないでしょうか。

 私たちは、背負ってきたこの“負の遺産”を克服しつつ、すべての党派や宗派を超えて、今こそ人びとの幸せと失われた人間の回復をめざして、新しい時代状況をつくり出していかなければなりません。
 「菜園家族」構想と、それにもとづく“近江国(おうみのくに)自然循環型共生社会”の未来展望は、まさにこのことを身をもって身近な足もとから実践していく、理想への確実な道なのです。

エピローグ(その1)の引用・参考文献(一部映像作品を含む)
漫画『はだしのゲン』全10巻、中沢啓治 作、汐文社、1988年
記録映画『教えられなかった戦争・沖縄編 ―阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)・伊江島のたたかい―』高岩仁 監督、映像文化協会 企画・製作(1時間50分)、1998年
映画『母べえ』山田洋次 監督、松竹株式会社 制作・配給(2時間12分)、2008年
大久保繁雄『色古丹島とシベリヤの思い出』サンライズ、1996年
文部省中学校社会科教科書(1947年)『復刊 あたらしい憲法のはなし』(小さな学問の書②)童話屋、2001年
文部省著作高校教科書(1948・49年)『民主主義』(復刻版)径書房、1995年

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新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の掲載にあたっては、明らかな誤字・脱字・舌足らずな表現の類い等の若干の訂正以外は、原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)が出版された15年前の時点でのこの地域の実情をそのまま忠実に再現し伝えることを期して、統計資料、地図、文中の統計数字、関連する諸研究の成果などについては、改変を加えることなく、出版当時の通り、そのまま原典から収録することにしました。

2024年3月1日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

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