“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その12―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その12 ―

「家族」と「地域」の再生を探る
―生命本位史観に立脚―

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要諦再読 ―その12―
“「家族」と「地域」の再生を探る”
(PDF:547KB、A4用紙8枚分)

葉っぱと花と実(水色の地に白・赤)

いのちの再生産とモノの再生産の「2つの輪」が重なる家族が消えた
 かつては、いのちの再生産の輪と、モノの再生産の輪が、2つとも家族という場において重なっていた。それゆえ家族は、大地をめぐる自然との物質代謝・物質循環のリズムに合わせて、時間の流れに身をゆだね、ゆったりと暮らしていた。
 ところが、世界史的には18世紀のイギリス産業革命以降、社会の分業化が急速にすすむ中で、不可分一体のものとして存在していた「農業」と「工業」は分離し、まずは「工業」が、次いで「農業」も家族の外へと追い出されていく。その結果、家族という場において、いのちの再生産とモノの再生産の「2つの輪」が重なる部分はますます小さくなってしまった。

 戦後日本の高度経済成長は、こうした傾向にいよいよ拍車をかけ、その極限にまで追いやっていった。それゆえ今日の家族は、生きるために必要な食料はもとより、育児・教育、介護・医療・保険等に至るすべてを、家の外で稼いだ賃金で賄わなければならなくなった。このことは同時に、人間が自然から乖離し、無機質で人工的な世界の中で家族がまるごと市場に組み込まれ、熾烈な競争にもろに晒(さら)されることを意味している。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その11―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その11 ―

わが国社会の構造的破綻の自覚から

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要諦再読 ―その11―
“わが国社会の構造的破綻の自覚から”
(PDF:597KB、A4用紙8枚分)

葉っぱと木の実(黒地に青・グレー)

顕在化した日本社会の積年の矛盾 ―いのち削り、心病む、終わりなき市場競争
 投機マネーに翻弄(ほんろう)される世界経済。新型コロナウイルス・パンデミックのさなかにあっても、一握りの巨大金融資本、巨大企業、富裕層にますます莫大な富が集積する一方で、まともな医療さえ受けられず、路頭に迷う圧倒的多数の民衆。

 それでもこの機に乗じて、DX(デジタル・トランスフォーメーション)なるものによる新たな成長への幻想を演出しつつ、これまで急速に拡大させてきたにわか仕込みの観光産業※1 と、とどの詰まりはその背後にある巨大金融資本救出のための「Go To トラベル」だの、「Go To イート」だのと、感染拡大防止とは真逆の愚策に一兆数千億円もの国民の血税を注ぎ込む。ここに至ってもなお「浪費が美徳」の経済を煽(あお)る姿に、やるせない思いがつのる。
 果てには岸田自民党政権の軍拡・大増税に至っては、狂気の沙汰である。ついに、かつての軍国日本の道に一歩踏み込んでしまった。WBC「侍ジャパン」などと浮かれている場合ではない。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その10―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その10 ―

戦争の本質は民衆同士の殺し合いである
―どんな理由があろうとも
 戦争は人間冒涜の究極の大罪であり
 国権を発動し戦争を画策、加担した為政者は
 すべて厳罰を免れ得ない―

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要諦再読 ―その10―
“戦争の本質は民衆同士の殺し合いである”
(PDF:651KB、A4用紙11枚分)

花と葉の模様(ピンク・紫・緑)

 気候変動、新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争と、めまぐるしく同時多発する惨禍。この世界的複合危機、混迷の時代にあって、世論はますます近視眼的で狭隘な視野に陥っていく。
 今一旦、時間と空間を広げ、少なくとも冷戦後の歴史に視座を据え、そこから今日の時代状況とこの複合的危機の性格を確認しておく必要があるのではないか。

 国民の戦争と平和に対する考え方が急速に後退、麻痺する中、この機に乗じて、新聞・テレビなどマスメディアに次々に登場する「軍事専門家」と称する評論家のゲーム感覚まがいの生命軽視、人間冒涜とも言える「戦争俗論」が横行、罷り通る今、わが身を見つめ直すためにも、19世紀ロシア文学を代表する文豪トルストイが『イワンのばか』(1885年)に込めた人間と社会への深い思想、そして『俘虜記』(1948年)の作家大岡昇平が自らの実体験から深めた現代戦争と人間への透徹した思索に今一度立ち返って、考えてみることが大切ではないだろうか。
 少し長くなるが、以下の4つの項目に沿って話を進めたいと思う。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その9―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その9 ―

「菜園家族」が衰退しきった人間の「共感能力」を現代に甦らせる

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要諦再読 ―その9―
“「菜園家族」が衰退しきった人間の「共感能力」を現代に甦らせる”
(PDF:445KB、A4用紙4枚分)

小豆

土が育むもの ―素朴で強靱にして繊細な心―
 「菜園家族」にとって、畑や田や自然の中からとれるものは、そしてさらにそれを自らの手で工夫して加工し作りあげたものは、基本的には家族の消費に当てられ、家族が愉しむためにある。その余剰はお裾分けするか、一部は交換されることもあろう。また、河川上流域に位置する内陸部の山村であれば、当然のことながら、下流域の海辺や湖畔の漁村との間に、互いの不足を補い合うモノとヒトと情報の交流の道が開かれてくる。

 しかしこれらはすべて、従来のような市場原理至上主義の商品生産下での流通とは、本質的に違うものになるはずである。
 なぜならば、シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)の第六章「あらためて考える21世紀の未来社会 ―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―」https://www.satoken-nomad.com/archives/1946で詳しく述べたように、「菜園家族」では基本的には自給自足され、しかも週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとで、週数日の“従来型の仕事”に見合った応分の給与所得が安定的に確保されているために、人々の欲求は専ら多種多様な文化・芸術活動やスポーツやそれぞれの趣味・嗜好などの類いに向けられ、そこでの愉しみを人々とともに共有することが、最大の関心事になるからである。
 したがってそこでは、営利のための商品化のみを目的にした生産にはなりにくく、流通の意味も本質的に変わってくるはずだ。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その8―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その8 ―

家族に甦るものづくりの心、ものづくりの技

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要諦再読 ―その8―
“家族に甦るものづくりの心、ものづくりの技”
(PDF:413KB、A4用紙3枚分)

エンドウ豆

 いずれ「菜園家族」は、土地土地の気候・風土にあった、しかもこの家族の仕事の内容や家族構成にふさわしい住環境を整えていくことになるでろう。菜園の仕事や家畜の飼育の場、収穫物の加工場や冬の保存食の貯蔵庫など、また手仕事の民芸や、文化・芸術の創作活動などにもふさわしい工房やアトリエを備えた住空間が、必要になってくる。

 新建材や輸入木材に頼る従来の方式に代わって、身近にある豊かな森林を活用する時代が再びはじまる。近隣の集落や都市の需要に応えて、日本の林業は次第に復活し、枝打ちや間伐や植林など、それに炭焼きの山仕事、さらには薪や木質ペレットやチップづくりもはじまり、森林は、地元の山村はもとより、山のふもとから広がる平野部農村に散在する「菜園家族」や都市住民のための、重要な燃料エネルギー供給源としても復活していくことになるであろう。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その7―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その7 ―

記憶に甦る「菜園家族の世界」
―21世紀生命系の未来社会の原形―

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要諦再読 ―その7―
“記憶に甦る「菜園家族の世界」”
(PDF:568KB、A4用紙8枚分)

大豆

甦る大地の記憶
心ひたす未来への予感

 この「要諦再読」では、“21世紀生命系の未来社会”具現化の道である「菜園家族」社会構想を深め、考えていくのであるが、ここでは概念と論理だけで展開する抽象レベルの論述を避け、記憶に甦る原風景から、まずは「菜園家族の世界」の原形を身近に具体的にイメージできる世界に描くことからはじめよう。

 ところで、画家・原田泰治の“ふるさとの風景”は、現代絵画であると言われている。日本からは、もうとっくに失われてしまった過去の風景でありながら、そこには現代性が認められるという。
 たしかな鳥の目で捉えるふるさとの風景の構図。しかも、心あたたかい虫の目で細部を描く、彩り豊かな原田の絵画の世界には、きまって大人と子どもが一緒にいる。大人は何か仕事をし、子どもたちはそのそばで何かをしている。人間の息づかいや家族の温もりが、ひしひしとこちらにむかって伝わってくる。込みあげてくる熱いものを感ぜずにはおられない“心の原風景”が、そこにはあるからであろう。21世紀をむかえた今、子どもと家族の復権を無言のうちに訴えかけてくる。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その6―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その6 ―

人間の「共感能力」の復権と非戦・平和の礎
―地域に築く抗市場免疫のライフスタイル―

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要諦再読 ―その6―
“人間の「共感能力」の復権と非戦・平和の礎”
(PDF:545KB、A4用紙8枚分)

雲から顔を覗かせる太陽(銅版画調)

 既に見てきたように、ヒトの「常態化した早産」が原因となって、「未熟な新生児」を受け入れ、長期にわたって庇護する必要性から、他の哺乳動物には見られない、人間に独特の発達事象「家族」の発生を見ることになる。
 この稀に見る「家族」を基底に、人間発達の他の3つの事象「言語」、「直立二足歩行」、「道具」が相互に作用し合い、ヒトの脳髄は特異な発達を遂げてきた。

 ここでもう1つ見落としてはならない大切な発達事象として、人類始原のヒトに特有の感性、すなわち原初的「共感能力」が芽生えてきたことをここで再確認しておきたい。
 二百数十万年と言われる人類史の大半を占める、長期にわたる原始的無階級社会、つまり人類始原の自然状態にあっては、ヒトに特有のこの原初的「共感能力」、すなわち他者の痛み、他者の喜怒哀楽を自らのものとして受け止め、共振・共鳴する能力は、緩慢とは言え、徐々に繊細かつ豊かな発達を遂げてきたと言えよう。

 しかし、「道具」の発達に伴って生産力が発展するにつれ、個々人の労働によって生み出される剰余価値の収奪が可能になると、人間による人間の「規制・統制・支配」がますます強化されていく。それに従って、長い時間をかけ、着実にゆっくり発達してきたヒトに特有のこの原初的「共感能力」は、次第に揺らぎはじめる。
 特に18世紀イギリス産業革命に象徴される近代以降、資本主義の発達に伴って、人間の欲望は際限なく拡大し、人々は狭隘な利己的関心へと走り、分断されていく。
 こうして、人類始原のヒトのこの原初的「共感能力」の発達は阻害されていった。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その5―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その5 ―

資本の自己増殖運動と麻痺する「共感能力」
―人間欲望の際限なき拡大―

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要諦再読 ―その5―
“資本の自己増殖運動と麻痺する「共感能力」”
(PDF:585KB、A4用紙9枚分)

ドラゴン(銅版画調)

 生命系の未来社会論具現化の道である「菜園家族」社会構想による日本社会は、結局、縮小再生産へと向かい、じり貧状態へと陥っていくのではないか、という危惧の念を一般に抱きがちであるが、果たしてそうなのであろうか。
 この「要諦再読―その5―」、および次回の「―その6―」では、この危惧と、生命史上稀に見る、人類始原の自然状態以来の、人間特有の感性とも言うべき原初的「共感能力」の問題を念頭に置きながら、話を進めていきたい。

 戦後わが国は、科学技術という知的資産を最大限に活用して産業を発展させ、高い経済成長をもって国際経済への寄与を果たすとする、「科学技術立国」なるものをめざしてきたし、これからもめざそうとしている。しかし、はたして私たちは、これを手放しで喜ぶことができるのであろうか。

 科学技術は市場原理と手を結ぶやいなや、人間の無意識下の欲望を際限なく掻き立て、煽り、一挙に暴走をはじめ、ついには計り知れない惨禍をもたらす。2011年3・11フクシマ原発苛酷事故は、その象徴的な事件であった。科学技術はいつの間にか本来の使命から逸脱し、経済成長の梃子の役割を一方的に担わされる運命を辿ることになったのである。

 「菜園家族」社会構想では、労働の主体としての人間の社会的生存形態に着目し、何よりもまずそれ自体の変革を通じて、未来のあるべき社会の姿を提起しているのであるが、ここでは、労働と表裏一体の関係にある資本の側面、とりわけ資本の自己増殖運動と、それに触発される人間欲望の問題を科学技術との関連で考えていきたい。

 つまり、「菜園家族」という新たな人間の社会的生存形態の創出が、資本の自己増殖運動の歴史的性格と、その制約のもとで歪められてきた科学技術にいかなる変革をもたらすことになるのか。そして、「菜園家族」の創出によって、資本の自己増殖運動の欲望原理のもとで衰退しつつある、人類始原以来の人間に特有の原初的「共感能力」をどのように復活・成熟させていくことが可能性なのか。このこととの関わりで、未来社会はどのように展望されるのか、少なくともその糸口だけでも見出したいと思う。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その4―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その4 ―

特異な発達を遂げたヒトの脳髄
―“諸刃の剣”とも言うべきその宿命―

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要諦再読 ―その4―
“特異な発達を遂げたヒトの脳髄”
(PDF:432KB、A4用紙4枚分)

人間の頭(銅版画調)

「道具」の発達と生産力の爆発的な発展 ―ヒトの脳髄、自然界からの皮肉な贈り物
 既に見てきたように、「常態化された早産」によってこの世に現れた、脳髄の未成熟な「頼りない能なし」であるヒトの新生児は、長期にわたる「家族」の緊密な庇護のもとに成長する。どのようにも変えうる可能性を秘めたこの未成熟で柔らかな脳髄は、「家族」といういわば原初的社会の刺激を繰り返し受けつつ、他の哺乳類には見られない、人間に特有な異常な発達を遂げていく。
 この「家族」を基盤に、人間発達のその他の3つの事象、すなわち「言語」、「直立二足歩行」、「道具」が相互に緊密に作用し合い、連動しつつ、人間の脳髄のさらなる発達を促していく。

 すべての動物がそうであるように、人間も自然との間の物質代謝過程の中ではじめて、生命を維持していくことができる。人間の場合、この物質代謝過程を成立させているのが労働である。この人間労働は、自然を変えると同時に、人間自身をも変革し、人間に特有の脳髄の発達をさらに促していく。

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“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その3―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その3 ―

「家族」の衰退と社会の根源的危機
―「道具」の発達と連動して―

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要諦再読 ―その3―
“「家族」の衰退と社会の根源的危機”
(PDF:405KB、A4用紙4枚分)

柱時計(銅版画調)

人間に特有な「道具」の発達が人類史を大きく塗り替えた
 受精卵の子宮壁への着床から成人に至る人間の個体発生の過程は、人類が出現して以来、これまでも繰り返されてきたし、これからも永遠に繰り返されていくであろう。
 だとすれば、「常態化された早産」によってあらわれる脳の未成熟な「たよりない能なし」の新生児も、これから先も永遠に繰り返されて、母胎の外にあらわれてくることになるであろう。

 子宮内の変化の少ない温和な環境から、突然外界にあらわれた新生児の新たな環境は、母の胎内とはまったくちがったものである。それは、「家族」という原初的ないわば社会的環境と、それをとりまく大地という自然的環境、この2つの要素から成り立っている。
 人類が出現した時点から数えても、今日まで少なくとも二百数十万年もの間、人間の赤ちゃんは、子宮内の温和な環境から、突然、この2つから成る環境、すなわち原初的な社会環境である「家族」と、大地という自然的環境に産み落とされ続けてきたことになる。

 昔と変わらず今日においても、胎外に生まれ出たこの未完の素質を最初に受け入れ、「養護」する場は、ほかでもなく「家族」であり、それをとりまく大地である自然なのである。そして、どのようにでも変えうる可能性を秘めたその未熟な脳髄は、繰り返しこの「社会」と「自然」という2つの環境から豊かな刺激を受けつつ変革され、人間特有の発達を遂げながら、他の動物とは際立った特徴をもつ人間につくりあげられてきた。

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