このたび2018年2月3日に、新著『菜園家族レボリューション ―日本国憲法、究極の具現化―』(小貫雅男・伊藤恵子 著、本の泉社、A5判160頁)が刊行されました。
多くの方々にお読みいただきたいと願っています。
『菜園家族レボリューション
―日本国憲法、究極の具現化―』
(小貫雅男・伊藤恵子 著、本の泉社、
A5判160頁、2018年2月3日発行、
定価:本体1,200円+税)
21世紀人々は、前人未踏の
おおらかな自然(じねん)の世界を求め
大地への壮大な回帰と止揚(レボリューション)の道を歩みはじめる。
根なし草同然となった
近代特有の人間の生存形態
賃金労働者を根源的に問い直し
冷酷無惨なグローバル市場に対峙して
抗市場免疫の「菜園家族」を基礎に
素朴で、精神性豊かな生活世界を構築する。
憎しみと報復の連鎖に代えて
非武装・不戦の誓いを
いのちの思想を
暮らしの根っこから。
今こそ近代のパラダイムを転換する。
~扉のことばより~
≪本書の主旨≫
私たちは鳥籠に飼い馴らされ、本来の野性を失い、いつの間にか歌を忘れたカナリアになってしまったのではないか。このこと自体が、実に恐るべきことなのだ。
俗物トランプ流の反知性と自己本位の拝金主義の蔓延、そしてアベ流改憲のこざかしさと欺瞞に満ちた反動攻勢の風圧に押され、いつのまにか自由な思考と創造の世界に羽ばたくことを忘れてしまったようだ。狭い枠に閉じ込められ、果てには破滅の坂を転がり落ちていったかつての時代の記憶が甦ってくる。実におぞましい時代に突入したのである。
今だからこそ、別次元の思考と行動力を
超大国アメリカが
徒党を組み画策する
弱小国への
異常なまでの軍事圧力と経済制裁。
この狂気の沙汰が誘引する
核の導火線に怯え
本質を忘れ
冷静さを失ってはならない。
私たちは
はるか遠い未来を
展望するに足る
山頂に立ち得た時
あの忌まわしい
強権的為政者たちの
欲深い、けちな取引とは
まったく別次元の
思考と行動力を獲得するのだ。
~本文 第一章より~
1990年代初頭、第二次大戦後の世界を規定してきた米ソ二大陣営の対立による冷戦構造が崩壊し、アメリカ単独覇権体制が成立することになる。しかしそれも束の間、アメリカ超大国の相対的衰退傾向の中、その弛緩に乗ずるかのように、旧来の伝統的大国に加え、新興大国が入り乱れる新たな地球規模での多元的覇権争奪の時代がはじまった。アベノミクスの「経済大国」、「軍事大国」への志向は、まさにこの新たな時代に現れた21世紀型の「新大国主義」とも言うべきその本質が、直截的、具体的に現実世界に投影された姿そのものと見るべきであろう。
21世紀型「新大国主義」の台頭とも言うべき、今日の新たな歴史的段階に突入し、戦争の危機迫るこの暗い世界にあって、日本国憲法のなかんずく前文および第九条「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」の精神は、いよいよ燦然と輝き、私たちの行く手を照らしている。この第九条こそ、大国主義への誘惑を排し、他者に対する深い寛容の精神と、非同盟・中立、非武装・不戦の平和主義に徹した小国主義への道である。
このいのちの思想を今日の現実世界において如何にして実現していくのか。
本書では、その可能性をわが国の経済・社会のあり方、つまり、21世紀未来社会論としての「菜園家族」構想の側面から探究する。
これまで十数年間、数次にわたって提起してきた「菜園家族」構想による21世紀の新たな未来社会像について、日本国憲法の三原則「平和主義」、「基本的人権(生存権を含む)の尊重」、「主権在民」を基軸とする全条項の具現化との関わりにおいて、特に大切になってくる核心部分に絞って、章を追って順次究明していく。
「菜園家族」構想による未来社会の長期にわたる実現過程は、日本国憲法全条項の究極の具現化への道そのものであり、さらには、それぞれの条項を個々バラバラなものとしてではなく、相互に内的に密接、有機的に連関させつつ、その理念を民衆の暮らしの中に深く浸透させ、現実社会に丸ごと実体化していくプロセスそのものでもある。
そしてまた、日本国憲法と私たちの暮らしとの不可分一体化を成し遂げていくこの過程は、同時に、人間社会の生成・進化の原理が自然界の摂理とも言うべき「適応・調整」の普遍的原理に限りなく近づき、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会を経て、人間を抑圧の苦渋から最終的に解放し、自由・平等・友愛のおおらかな「自然(じねん)の世界」、つまり近代を超克する素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会へと到達するプロセスでもあるのだ。
そこに、日本国憲法と「菜園家族」構想との一体的連関性と、そこから新たに生まれ展開する、前代未到の21世紀独自のレボリューションとしての真価を見出すことができる。
以下に目次と著者からのメッセージを掲載します。
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