近代超克への構想 ―「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への道―

去る2014年9月20日(土)・21日(日)に大阪府立大学において、環境思想・教育研究会 第2回研究大会が開催され、大会第2日目には、当里山研究庵Nomadから、小貫がフォーラム「将来社会を〈農〉と環境から構想する」で報告し、伊藤が一般研究発表で報告しました。

この時の報告レジュメに大幅加筆し、このたびあらためて小論 “ 静かなるレボリューション 近代超克への構想 ―「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への道― ” (小貫雅男・伊藤恵子、2014年11月16日)としてまとめました。ご一読ください。

◆ こちらから全文のダウンロードができます。
“ 近代超克への構想 ―「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への道― ”
(PDF:734KB、A4用紙13枚分)

なお、目次は下記の通りです。

― 目 次 ―

はじめに ― 今なぜ近代の超克なのか
あらためてアルジェリア人質事件を思い起こす
果たして私たちの暮らし方、社会経済のあり方はこれでいいのか
迫られるパラダイムの転換 ― 大地への回帰
世界を揺るがす暴力の連鎖、それをどう断ち切るか
戦争を生まない、心豊かな「くに」 ―「菜園家族」的平和主義をめざして

Ⅰ ここであらためて私たち自身の現実を簡潔に確認しておきたい

Ⅱ 「菜園家族」構想の問題意識と要諦
私たちの生きている現代社会は、多重・重層的な階層構造を成している
近代経済学の致命的な弱点
19世紀マルクスの思想と理論の到達点、その未来社会論の限界
パラダイムの転換を阻む今日の分厚い思想的土壌、まずはこのことの自覚から
迫られる未来社会論の再構築

Ⅲ 21世紀の未来社会論に欠かせない「地域研究」の理念と方法
1)今あらためて根源的に考える ―「家族」とは一体何なのか
2)「新しい地域研究」の必要性 ―21世紀未来社会論構築のために
ここで言う「地域」とは何か
21世紀未来社会を展望する「新しい地域研究」
総合科学としての「新しい地域研究」が21世紀の未来社会論を切り拓く

Ⅳ 近代を超克する「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への道(B型発展の道)
伝統的な“森と海を結ぶ流域地域圏”の衰退、それがもたらしたもの
修復不能に陥った深刻な矛盾
今や小手先の対症療法ではどうにもならない
「菜園家族」の創出は近代超克の究極の槓杆である

1 近代超克の「菜園家族」構想、その前提となるいくつかの定義、基礎的概念

2「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への具体的展開
1)現代賃金労働者と生産手段(最小限度の農地・生産用具など)との「再結合」
~自然と風土に根ざした「菜園家族」の創出と「地域」の再生~
2)「菜園家族」を育むゆりかごとしての“森と海を結ぶ流域循環型地域圏”の形成
3)「菜園家族」・「匠商家族」基調のCFP複合社会とその展開過程
~資本主義セクターC(Capitalism)、家族小経営セクターF(Family)、公共的セクターP(Public)~
4)CFP複合社会の生成・発展に果たす地方自治体の役割
5)原発のない低炭素社会へ導く新たな仕組みCSSKメカニズムの創設
6)「菜園家族」構想を資本の自己増殖運動の側面から考える ~21世紀を長期展望のもとに~

むすびにかえて
1)いのちの思想を現実の世界へ ― 私たちはあまりにも自然の流れから逆行している
2)混迷の時代だからこそ見失ってはならない未来社会への展望、そこへ到達する具体的道筋の探求
3)いま私たちにもっとも欠けているものは
4)近代を超克する21世紀の草の根未来社会論 ― 混沌から調和へ

環境思想・教育研究会は、2005年に当時東京農工大学大学院教授であった尾関周二先生(現 同大学名誉教授)の研究室を拠点に発足した研究会です。詳しくは、
環境思想・教育研究会ホームページ http://environmentalthought.org/ をご覧ください。
今回の研究大会全体についての情報(プログラム・各報告の要旨など)も、上記ホームページに掲載されています。

「菜園家族」構想 学習会 in 長野市戸隠 のご案内

来たる2014年11月8日(土)に、長野市戸隠にて、NPO法人「地球環境フォーラム長野」の主催で、「菜園家族」構想の学習会が開催されます。

会場は、戸隠連峰と飯綱山の裾野にある「生活工房ゆったり庵」。
諏訪公司さん・ゆきえさんご夫妻が、築後80年ほどの古民家を活かし、農、自然、物、人々のすべてが「いのち」に活かされている・・・そんな生き方をゆったり楽しく実践し、体験し、学ぶ「場」をめざして、一歩一歩、丁寧に創りあげられているところです。

当日は、「菜園家族」構想のいわば原点ともなった、モンゴル遊牧地域の暮らしを描いたドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』のダイジェスト版(後編)の上映もあります。

主催者のご案内チラシより、学習会全体の概要を、下記に転載させていただきます。
深まりゆく秋、信州の山里で、私たちの今と未来を語り合ってみませんか。

こちらからご案内チラシのダウンロードもできます。
(PDF:632KB、A4用紙1枚分)

◆◇◆「菜園家族」構想 学習会 in 長野市戸隠 のご案内 ◆◇◆

今日の様々な文明生活問題は、人間が自然から乖離した結果生じたものと言えます。

諸問題の解決の道を見出すために、『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション』の著者で里山研究庵Nomad主宰の小貫雅男氏と、同共同著者で里山研究庵Nomad研究員の伊藤恵子氏を迎えて、自然循環型共生社会の創造について学習会を開催します。

「菜園家族」と地域を基盤に築く精神性豊かな生活世界の創造について、共に考えてみたいと思います。多くの皆様のご参加をよろしくお願いします。

日時:2014年118日()
場所:戸隠 生活工房ゆったり庵
〒381-4102 長野市戸隠豊岡3800 TEL:026-217-7993

プログラム
9時30分 受付開始
10時~  ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』
ダイジェスト版・後編(1時間40分)の上映

昼食 戸隠 ゆったり庵で昼食を準備します。(別料金)

12時30分~「菜園家族」構想 講演・学習会

その後、希望者は夕食、懇親交流会
戸隠 ゆったり庵で夕食を準備します。(別料金)
希望者は宿泊可です。(宿泊・朝食 別料金)

募集定員:30名
参加費:3,000円(昼食持参の方)
昼食代500円、夕食交流会500円、宿泊朝食500円 各プラスになります。
宿泊される方は、寝袋持参

主催:特定非営利活動法人 地球環境フォーラム長野 TEL(FAX):026-259-8724

環境思想・教育研究会 第2回研究大会のご案内

環境思想・教育研究会は、2005年に当時東京農工大学大学院教授であった尾関周二先生(現 同大学名誉教授)の研究室を拠点に発足しました。
2012年、青森県弘前での初めての研究大会に続いて、本年2014年、第2回研究大会が来たる9月20日(土)・21日(日)に大阪府立大学で開催されます。

大会第2日目の21日(日)には、当里山研究庵Nomadからも、小貫がフォーラム「将来社会を〈農〉と環境から構想する」で報告し、伊藤が一般研究発表で報告します。

研究大会の概要について、下記にご案内いたします。
ご関心のある方は、どうぞご参加ください。

なお、大会全体のプログラムや各報告の要旨、会場案内など詳しい情報は、
環境思想・教育研究会ホームページ http://environmentalthought.org/ をご覧ください。
「大会案内・開催要項」(PDF)とポスター(PDF)をダウンロードしていただけます。

◆◇◆環境思想・教育研究会 第2回研究大会のご案内(概要)◆◇◆
☆日時:2014年920日(土) ・21日(日)

☆場所:大阪府立大学 中百舌鳥キャンパス B3棟-118大講義室(メイン会場)
〒599-8531 大阪府堺市中区学園町1番1号

☆参加費:1,000円(学生500円)、懇親会費:4,000円

☆主催:環境思想・教育研究会、共催:大阪府立大学現代生命哲学研究所

☆お問い合わせ先:実行委員事務局 大阪府立大学A15-429(上柿研究室)
大会実行委員長 上柿崇英(E-mail:kyojinnokata-kankyo@yahoo.co.jp)
※ 参加ご希望の方は、事前にご一報いただけるよう、よろしくお願いします。

☆主なプログラム☆
◆シンポジウム「“いのち”、環境、科学文明から考える ―生命哲学と環境哲学―」
9月20日(土)13:30~17:30
○基調講演
「人間と自然のつながりを再考する」森岡正博 (大阪府立大学)
○報告者
「環境といのちを守るために」河野勝彦 (京都産業大学)
「生きものへの知的好奇心はどこに向かうべきか ―『文化的道具としての動物園』利用観」並木美砂子 (帝京科学大学)
「走る身体と『自然』―近年のランニング・ブームから考える」福田珠巳 (大阪府立大学)

◆フォーラム「将来社会を〈農〉と環境から構想する」 9月21日(日)13:30~16:30
○フォーラム趣意
経済のグローバル化が進む今日、「成長戦略」の名の下、日本政府は経済の再生と競争力の強化を掲げて主導的に経済政策を主導している。そうした動きの中で宣伝される「国益」という用語も、なじみのある言葉となってしまった。従来の主力産業・工業・電化製品だけでなく、TPP 交渉への参入に象徴されるように、農業も国際的な自由競争の荒波に翻弄されていくことになる。その傍らで、スマートアグリに代表されるように、農業の仕組み(=生産)そのものを市場経済に適合させる方向が追求されてきた。一見それらは効率的・合理的でよい手段のようにも思われるが、実は、自然生態系と農業との本質的関係を見失った、生命を機械へと従属させる農のあり方でしかないといえる。そこでは、生物の生存はみられても、生命のもつ活力(輝き)は失われている。
農をとりまくこうした状況は、生活の自立とは、生きるとは一体どういうことかについてあらためて問い直し、社会のあり方の再考を私たちに迫っているといえよう。それは資本主義システムが生み出す諸問題を抑制し、自分たちの生のための営みを自分の手に取り戻す試みでもある。
本フォーラムではこのような問題意識を念頭に置きつつ、将来社会のあり方について〈農〉と環境を基軸としながら構想し、人間が生きることの意味、人が育つことの意味を、社会や環境との関係、生命をはぐくむ〈農〉の営みとの関係において考える契機としたい。

○登壇報告者
「近代超克への構想 ―「菜園家族」基調の自然循環型共生社会への道」
小貫雅男 (滋賀県立大学名誉教授、里山研究庵Nomad主宰)
※当日の報告レジュメをこちらからダウンロードできます。
報告レジュメ(小貫)(PDF:453KB、A4用紙6枚分)
「持続可能な共生社会のビジョン ―食・農・環境、私・公・共の視点から」
古沢広祐 (國學院大学)
「〈農〉的自然体験の教育的意義 ―自然学校運動の実践から」
野田 恵 (東京農工大学非常勤講師)

◆一般研究発表 9月21日(日)9:00~11:00
○小会場A(B3棟-306)
「統合学としての新しい環境学の構築に向けて ―ケン・ウィルバーの統合的アプローチの水環境問題への応用」秋山知宏(東京大学助教)
「自然観と『無痛文明論』的視座」吉田哲郎(桐蔭横浜大学非常勤講師)
「記憶と記録 ―インターネットに苦痛と他者は存在し得るのか」吉田健彦(東京家政大学非常勤講師)
「『菜園家族』創出の歴史的意義 ―資本の自己増殖運動の側面から」伊藤恵子(大阪大学・立命館大学非常勤講師、里山研究庵Nomad研究員)
※当日の報告レジュメをこちらからダウンロードできます。
報告レジュメ(伊藤)(PDF:301KB、A4用紙3枚分)

○小会場B(B3棟-305)
「擬人化による自然理解:共感、代弁、憎悪」熊坂元大(徳島大学)
ワークショップ「身体・場所・正義」吉永明弘(江戸川大学)/山本剛史(慶應義塾大学)
提題1:「場所」(すみか)を不当に奪われることに対する憤り(吉永明弘)
提題2:未来倫理における「身体」と「時間」(山本剛史)

◆学生フォーラム 9月21日(日)11:10~12:40
「身近な人間関係の変化と持続可能性」(大阪府立大学の学生の皆さん)

大会全体のプログラムや各報告の要旨、会場案内など詳しい情報は、
環境思想・教育研究会ホームページ http://environmentalthought.org/ をご覧ください。
「大会案内・開催要項」(PDF)とポスター(PDF)をダウンロードしていただけます。

政治的欺瞞に対峙する民衆的生活世界の再構築 ― 苦難の実践こそが活力ある変革の主体を生み出す ―

◆ こちらから全文のダウンロードもできます。
「政治的欺瞞に対峙する民衆的生活世界の再構築」(PDF:422KB、A4用紙18枚分)

– 論説 –

政治的欺瞞に対峙する
民衆的生活世界の再構築

― 苦難の実践こそが活力ある変革の主体を生み出す ―

2014年7月1日、ついに安倍内閣は、他国に対する武力攻撃の場合でも自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を容認するために、憲法解釈を変える閣議決定をした。直接日本への攻撃が発生していなくても、他国の戦争に参加できる国に大きく転換することになる。

そもそも憲法9条は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」のである。もともと戦力の保持自体を認めていないのであるから、個別的自衛権と言えども、武力の行使はできないのである。ましてや他国の戦争に加わり、武力を行使する集団的自衛権などは、憲法上論外である。このことは、憲法を虚心坦懐にそれこそ素直に読みさえすれば、子どもでも分かる道理であるはずだ。それを殊更もっともらしくあれやこれやと屁理屈を並べ立て、国民を欺くとは実に恥ずべきことではないのか。

本来憲法違反である武力による個別的自衛権を勝手な憲法解釈によって認め、不当にも既成事実を積み重ねてきた歴代内閣も、さすがに集団的自衛権の行使については、長年、憲法解釈で禁じてきた。ところが、安倍内閣はそれすらも崩し、憲法の柱である平和主義を根底から覆す解釈改憲を行ったのである。国民の命運に関わる、憲法改定に等しいこの大転換を、国民は蚊帳の外に置き、自・公与党内の密室協議という猿芝居を延々と見せつけ、果てには議論は熟したと称して強行する歴史的暴挙であった。

あとは関連法案などを小出しにして、違憲の選挙制度のもとすでに準備された虚構の絶対多数をもって国会を押し切れば済むという魂胆なのだ。こんな子ども騙しのようなことを平然とやってのける。これが首相の言う「自由と民主主義」の実態なのだ。異常としか思えない私的心情から来るファシストまがいの狭隘な自己の信念に陶酔してのことなのか、あまりにも「政治」に嘘が多すぎる。立憲主義と国民主権の破壊に直面し、多くの人々は、暗い時代への急転回に不気味さと不安を感じている。

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5月25日(日)開催!道の駅「ステーション大君ヶ畑」祭りのご案内

大君ヶ畑集落(滋賀県犬上郡多賀町)の地元のみなさんが開催される、毎年恒例の
道の駅「ステーション大君ヶ畑(おじがはた)」祭りのお知らせです。

◆◇◆ 第15回 ステーション大君ヶ畑祭り ◆◇◆

☆日時:2014年5月25日(日) 10:00頃~15:00頃(小雨決行)
☆ところ:道の駅「ステーション大君ヶ畑」
(国道306号線沿い、滋賀県側からの場合、洞門を越えてすぐ左手)
☆内容:
大君ヶ畑より 木工作品、おいしい新茶(玉露「御池」、煎茶「白山」、かりがね「鈴鹿」、番茶「川柳」。
甲良町北落(兄弟邨)・多賀町木曽より 新鮮野菜など。
その他、地元特産品の数々。
模擬店では、うどん・焼き鳥・婦人部特製手づくりショウガご飯ちらし寿司ヘルシードーナツ
抹茶&コーヒーゼリーなど。
地元で摘んだヨモギを使って、草餅もつきます!(とても香りがいいですよ。)

商品に限りがありますので、品切れの場合はご容赦下さい。

今、鈴鹿山中は、新緑と花々のとても美しい季節を迎えています。
地元の皆さんが1年1年、地道に続けてこられたこの「ステーション祭り」も、今年で15年目になります。
みなさん、どうぞお誘い合わせの上、お出かけ下さい!

アベノミクスの積極的平和主義の欺瞞性 ― 対峙する「菜園家族」的平和主義 ―

◆ こちらから全文のダウンロードもできます。
「積極的平和主義の欺瞞性」(PDF:391KB、A4用紙13枚分)

– 論説 –

アベノミクスの 積極的平和主義の欺瞞性

― 対峙する「菜園家族」的平和主義 ―

アベノミクスが目論む「積極的平和主義」とは一体何なのか。この十数年来、私たちは「菜園家族」構想を考えてきたのであるが、今、欺瞞に充ち満ちたこの「積極的平和主義」なるものの台頭を前に、いよいよ「菜園家族」的平和主義を真剣に対峙しなければならない時に来ているとの思い強くしている。

今日ますます強まる反動的潮流のただ中にあって、「菜園家族」的平和主義こそが、日本国憲法が謳う「平和主義」、「基本的人権(生存権を含む)の尊重」、「主権在民」の三原則の精神をこの日本社会に具現する、今日考えられるもっとも現実的でしかも確かな方法であり、しかも未来への道筋を具体的に明示しうるものではないかと思っている。

なかんずく「平和主義」についてもう少し敷衍して述べるならば、この「菜園家族」的平和主義は、これまで人間社会に宿命的とまで思われてきた戦争への衝動を単に緩和するだけにとどまらない。「菜園家族」の社会構想では、根なし草同然となった現代賃金労働者(サラリーマン)家族に、生きるに最低限必要な生産手段(農地や生産用具など)を再び取り戻し、社会の基礎単位である家族を抗市場免疫の優れた体質に変革していく。こうして生まれる「菜園家族」が社会の基盤をあまねく構成することによって、熾烈な市場競争は社会の内部から自律的に抑制されていくことになる。資源・エネルギーおよび商品市場の地球規模での際限なき獲得競争という戦争への衝動の主要因は、こうして社会のおおもとからしだいに除去されていく。その結果、戦争への衝動はしだいに抑えられ、他者および他国との平和的共存・共生が、その社会の本質上おのずと実現されていくのではないか。

21世紀こそ、戦争のない平和な世界を実現していくためにも、人間の社会的生存形態を根本から変えることによって、18世紀産業革命以来の近代社会のあり方そのものを超克するという、こうした根源的な社会変革こそが待たれている。そうならなければ、もはや人類には未来はないであろう。
こうした主旨から、この小文を書くことにした。
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『山中人語』の趣旨

『山中人語』の再出発にあたって

「山中、人語を聞かず」。
高度経済成長を経て、今、日本の多くの山村では、豊かな森はうち捨てられ、人々は平野へと下り、荒れ果てた廃屋と畑が、過疎と高齢化の流れの中で、なすすべもなくひっそりと佇んでいます。
私たち「里山研究庵Nomad」がある鈴鹿山中の奥山の集落、大君ヶ畑(おじがはた)の周辺にも、かつては子供たちのはしゃぐ声が山の静寂を破って、こずえから空へと高く響き渡っていただろう、そんな廃村の跡が散在しています。

ついこの間まで、ここには確かに人々の暮らしがあったという痕跡に遭遇した時、人はきっと、自然にとけ込むように生きてきた先人たちの努力と叡智の積み重ねが、悠久の歴史から見ればまさに一瞬のうちに消え去ったことを知り、自分たち現代人の浅はかさを悟ることでしょう。

こんな山中の一隅から、私たちの今を見つめ、21世紀の未来を見通したい・・・。そんな願いを込めて、この『山中人語』を再スタートさせたいと思います。

3・11東日本大震災から早や3年と2ヵ月が経ちました。あの時の衝撃や深い自省の念はすっかり忘れたかのように、今、アベノミクスなるものに淡い期待を寄せ、浮き足立っている――。社会の根源的な構造的矛盾はいっこうに変わっていないのに、表層ばかりに目を奪われ、厳しい現実の矛盾からは、敢えて目をそらそうとさえしているのではないかと危惧するのです。

長きにわたる閉塞状況から、忌まわしい反動の時代へとずるずると急傾斜していく中、それでも怒りを堪(こら)え、じっと耳を澄ませば、新しい時代への鼓動が聞こえてきます。たとえそれが幽かであっても、信じたいと思う。そして未来への光も、そこに見出したいのです。

このコーナーでは、四季折々の山の自然とそこに生きる人々の暮らし、時には、社会、経済、世界の動きにもふれて、気のおもむくままに書き留めていければと思っています。

2014年5月11日 ― 新緑の候に ―

                                                   里山研究庵Nomad

大君ヶ畑周辺地図

『季論21』2014年冬号に『静かなるレボリューション』の書評が掲載されました!

 新しい思想・文化を考える季刊雑誌『季論21』No.23(2014年冬号、編集・発行:『季論21』編集委員会、発売:本の泉社、定価:952円+税)に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書評が掲載されました。評者は、澤 佳成さん(さわ・よしなり=東京農工大学講師、環境哲学)です。
 以下に転載させていただきます。ぜひご一読ください!

『季論21』2014年冬号

☆ 季論21のホームページ http://kiron21.org/

グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション』への書評

評者:澤 佳成(さわ・よしなり=東京農工大学講師、環境哲学)

生命本位史観を基軸にした菜園家族
東日本大震災の発生した2011年3月11日。この日は、福島第一原発事故の要因である、地方を疲弊させてきた中央集権化政策、海外の貧困層の生存にまで影響する資源浪費型の経済、それに追従する科学技術のあり方といった、この国の矛盾を再考するための、転換点となるはずだった。しかし、3年後の今、この社会では、まるで何もなかったかのように、市場至上主義的経済体制下での、マンモニズムにもとづく政策が跋扈している。本書は、こうした現実に警鐘を鳴らしつつ、オルタナティブな社会を構想する労作である。

筆者の新しい社会構想は、人間を大地と生産手段から切り離す資本主義によって出来した、環境、人間、家族の危機という現代社会の矛盾の克服が前提となる。それゆえ、資本主義の現実的矛盾が深まり、それを克服する実践や研究が進んだ19世紀の理論、とりわけマルクスの理論が、意義と限界の両側面から、序編において吟味される。

本編では、序編における考察を踏まえつつ、筆者の提唱する「生命本位史観」のもとでの未来社会論が、展開されてゆく。人類は、有史以来、剰余生産物を巡る階級闘争において「指揮・統制・支配」を基本原理とする社会のあり方によって、本来なら人間もその一部分であるはずの自然を脅かしてきた。人間を大地から引き離した市場の原理は、その決定打となった。しかし、そもそも生命体は、37億年にわたり、「外的環境の変化に対して、自己を適応させようとして自己を調整し、自己をも変革しようとする」「適応・調整」(322頁)という普遍的原理のもと進化してきたはずである。そうであるなら、人間の社会もまた、この原理に照応する形で編み直さなければならない。その基本単位が、筆者の十数年にわたる実践に裏打ちされた、生きる糧を生産する自律的「菜園家族」となる。

以下、筆者の現代的問題の把握と、菜園家族を基盤とした未来社会の構想をみていこう。

人間の危機と環境の危機の相即性
資本主義は、産業革命後、大量生産が可能な生産手段を、剰余生産物の主たる持主である資本家が独占することで成立する。競争に敗れ、あるいは土地を追われる形で生産手段を奪われ、賃金労働者となった人びとは、自ら生産した物がすべて資本家のものとなるために、本来労働を通じて得られる自己確証、生きる喜びや豊かさといったものを享受できない。それだけではない。賃金労働者は、失業や、生産物があり余っているからこそ生じる恐慌という人災(93頁)によって生死の境を彷徨いかねない境遇に、常に晒されている。それでも、生産手段を失った賃金労働者は、賃労働による生存の維持を余儀なくされる。

こうした形での人間の危機の昂進は、地球環境危機をも深めていく。持たざる者が、自立のための生産手段を含めてわずかな富まで収奪され、根なし草同然になる一方で、富める者がますます富んでゆく市場原理のグローバル化プロセスは、持たざる者の土地・文化・社会を収奪する仕方での環境破壊の拡大と、表裏一体の関係にあるからである。  大地と切り離された人間が増えてゆくほど、自然環境の破壊は昂進する。筆者は、資本主義経済体制下での人間の危機と環境の危機との相即性を、このように鋭く告発する。

家族の変質と子どもの成長の危機
時を経るとともに、空間を超えて拡大するグローバル市場原理体制のもと、「現代賃金労働者(サラリーマン)」として、賃金を得なければ生存を維持できない私たちの多くもまた、帰る故郷をもたない根なし草となっている。この状況が、家族の危機をも招来していると筆者はいう。

かつて、自然との循環のなかで生活を営む家族は、「いのちの再生産の輪」と「ものの再生産の輪」(138頁)が重なる“場”であった。だが、市場原理の貫徹によって、まずは工業生産が、次いで農業生産が、家族の外へと追いやられ、それらの生産物が、自分たちで文化を伝承しつつ生産すべき対象から、賃金を得なければ手に入らないものとなった。

こうして大地から引離され、世代間の継承を通して行われる労働(生産活動)での喜びや自己形成の機会、人間的交流が失われた家族からは、子どもを育む力が失われてゆく。それだけではない。子どもの成長を育む営み事態が、幼児保育、学校や塾といった形で家族の外部に追いやられてゆく。生産物の獲得から教育にわたり、家族の維持には賃金が必須となるため、「家族がまるごと市場に組み込まれ、熾烈な競争にもろに晒される」(138頁)。結果、現経済体制下でいかに生き残るかに賭ける、教育家族が出来する。

こうして、市場原理の支配する経済体制への適応志向が家族を席捲し、マンモニズムが跋扈することで、社会における倫理の頽廃も深まってゆくと筆者は警鐘を鳴らす。

市場原理の昂進により、人間が、家族が、大地から切り離され、環境の破壊も深まってゆけばゆくほど、人類は、自らの破滅に、一歩、また一歩と近づいてゆくのだ。

人類史の新たな段階:菜園家族
では、どうすればよいのか。二百年程度の歴史しかない資本主義体制は、数百万年続いてきた人類の歴史からみれば微々たるものだが、結果として大地から切り離され、賃労働に縛り付けられ生きている私たちの手許には、もはや、自然循環型の生活を営むための土地や生産手段が残されていない。だからこそ、現代賃金労働者と「自立の基盤としての「菜園」との再結合を果たすことによって創出される新たな家族形態」である「菜園家族」(311頁)を、未来社会の根本的な担い手としなければならないと筆者は強調する。

三世代を基礎とする菜園家族は、賃労働を週二日に減らし、週休五日のなかで、生きるために必要な物の栽培、手作りによる加工品の制作、自営業(匠商家族)を営む。その共同作業のなかで、農地や里山などの美しい景観を育み、技を伝承してゆく家族は、他の生命種にはみられぬほどの未熟さをもって誕生する人間の子どもの感性を育み、自己を形成する場として機能する。

こうしたあり方の菜園家族は、資本主義の席捲によって失われていた人間の生き方、つまり、数百万年継続してきた、家族を基礎とする人間の生存のための営みを、現代の社会様式のよき部分も組み込みつつ継承することで、人間疎外、環境破壊をもたらす社会の仕組みをかえる担い手となる。

それは、「大地から遊離し根なし草同然となった不安定な現代賃金労働者(サラリーマン)が、大地に根ざして生きる自給自足度の高い前近代における「農民的性格」との融合を果たすことによって、21世紀の新たな客観的条件のもとで「賃金労働者」としての自己を止揚し、より高次の人間の社会的生存形態に到達することを意味している」(311頁)のだ。

抗市場免疫の自律世界の構築へ
こうした筆者の提言は、けっして前近代への回帰の称揚ではない。資本主義セクターC(Capitalism)、家族小経営セクターF(Family)、公共的セクターP(Public)の相互連関により形成される「CFP複合社会」で、セクターPによる規制によってセクターFを主役に据え、セクターCの積極面を受容しつつ賃金労働者と菜園(大地)との再結合を図り、歴史の進展とともに、昨今の矛盾を招いたセクターCの範囲を徐々に狭めてゆくという構想である。

だからといって、この社会は、中央集権的共同所有によって資本主義に対抗しようとした旧ソ連型の発展形態(A型発展)を目指すものでもない。そうではなくて、「大地に根ざした個性的で創造的な人間一人ひとりの活動と人間的鍛錬を通じて、非民主的で中央集権的な独裁体制の生成と増幅を抑制する豊かな土壌と力量を社会の内部に涵養していく」(168頁)発展(B型発展)を重視する。それゆえ菜園家族は、むしろ、中央集権化、非民主化という市場原理のもたらす問題への、抵抗の拠点となる。

市場原理の貫徹する現代社会は、家族、地域、国、グローバルな世界といった階層構造をなす社会の「最上位の階層に位置する巨大資本が、あらゆるモノやカネや情報の流れを統御支配」している(132頁)。この上からの支配が、人間や家族を危機に陥れ、地域の衰退を招いているのなら、自律した菜園家族を基盤として地域や同業の協同組合(なりわいとも)を結成し、村、郡、県レベルへと繋がりを広げてゆく「ローカルからグローバルへ」という形での、下からの民主主義を徹底すればよいと筆者は提起するのである。「経済の源泉は、まぎれもなく草の根の「人間」であり、「家族」であり、「地域」である。そして民主主義の問題は、究極において人格の変革の問題であり、人格を育むものは、人間の生産と暮らしの場である「家族」と「地域」である。したがって、この「家族」と「地域」を時間がかかってもどう立て直し、どう熟成させていくかにすべてがかかっている」(240頁)。

混迷するグローバル社会の海図
3・11福島原発事故は、原子力ムラに代表される中央集権的かつ非民主的な政治・経済体制を見直すための、エネルギー自治、生産活動の民主化といった構想の必要性を浮き彫りにした。しかし、現実には、新規の<放射性物質安全神話>によって市民が分断され、経済成長神話に依拠した従来型の路線が、資本を崇拝する者達によって維持継承されている。また、グローバルな経済体制を保安するための軍備増強がはかられ、同時に、行政権力にとって都合の悪い情報を隠すための秘密保護法制が議論されてもいる。人間の「いのち」の視点を重視した文明への転換が強く求められている今、本書は、これらの課題に、理論的かつ具体的な形で有益な視座を与えてくれる好著であり、一読をお勧めしたい。

☆ 評者の澤 佳成さんには、限られた紙面の中で、本書を多角的に懇切丁寧に吟味していただき、実に正鵠を得た過分のご批評にあずかることとなった。
 今日、資本主義社会の矛盾は熾烈さを極め、人々はその場しのぎの浅薄な処方箋のあれこれに終始している。未来へ思いをめぐらせ、深く考える余裕すら与えられていない。当然のことながら、効率・実利至上主義の風潮へと流れ、社会全体が理念蔑視、理念喪失、哲学不在の由々しき事態に陥っている。
 19世紀に隆盛を極めた近代超克の思索は、21世紀の今日の事態にあってはなおのこと、その思想的・理論的営為のさらなる展開を時代が要請しているにもかかわらず、すっかりその影を潜め、衰退してしまった。こうした中で、何よりも若い世代に属する研究者である氏が、拙著を真っ正面から取り上げ考察されたことそれ自体の持つ意義は、あるゆる意味において実に大きいと言わなければならない。あらためて心から感謝申し上げる次第である。

マクロビオティック・マガジン『むすび』2013年11月号に『静かなるレボリューション』が紹介されました!

 正食協会(大阪市中央区大手通)が発行するマクロビオティック・マガジン月刊『むすび』No.650(2013年11月号)の書籍案内コーナー「新刊EXPRESS」に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の紹介が掲載されました。以下に転載させていただきます。

『むすび』2013年11月号「新刊EXPRESS」

モンゴルと鈴鹿山中
辺境から見えてくるもの

片山明彦(正食協会『むすび』編集部)

「今だけ、金だけ、自分だけ」とは、目先の利益のみにとらわれる最近の世相を皮肉った言葉です。むき出しの市場競争至上主義がもてはやされる現代にあって、著者らは「大地への回帰」こそが、混迷を深める社会を根本から建て直す指針となるのではないかと訴えてきました。

ともにモンゴルの遊牧民研究から出発し、琵琶湖畔の鈴鹿山中を拠点に、「辺境」に生きる人々の視点を大切にして、研究と実践を重ねてきた著者らは、三世代による「菜園家族」を基礎単位にした社会づくりを一貫して提案しています。

菜園家族とは、週のうち二日だけ企業や公的機関の職場で従来型の仕事をして、残りの五日間は暮らしの基盤である菜園で自給農をしたり、手づくり加工や商業、サービス業といった自営業を、三世代が協力して営むというものです。  そして菜園家族の育成の場として、森と海を結ぶ流域地域圏を再生させることで、自然循環型共生社会の実現をめざしています。

東日本大震災で近代文明終焉の分水嶺に立たされた今こそ、「アベノミクス」に代表されるような従来型の「経済成長」をかたくなに推進するのではなく、新たな価値観のもとに大胆な一歩を踏み出そうと呼びかけています。

マクロビオティック・マガジン『むすび』2013年11月号

☆ 正食協会のホームページは http://www.macrobiotic.gr.jp/
  月刊『むすび』のご案内は http://www.macrobiotic.gr.jp/publish/musubi.html
  をご覧ください。

グラフィック電子雑誌『Lapiz ラピス』2013年秋号に『静かなるレボリューション』が紹介されました!

 グラフィック電子雑誌『Lapiz(ラピス)』2013年秋号に、拙著『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年6月刊)の書籍紹介が掲載されました。以下に転載させていただきます。

Book 『静かなるレボリューション』

片山通夫(フォト・ジャーナリスト)

インターネット上で読める「虚構新聞」という名の新聞がある。その名の通りあくまで《虚構=嘘》の情報などを扱っている。その新聞に次のような記事が掲載された。
「山手線、日暮里エクスプレス開業へ 来年3月から」
記事の要旨は、山手線・日暮里―西日暮里間をノンストップで走る超特急「日暮里エクスプレス」を来年3月のダイヤ改正に合わせて開業させるとJR東日本が発表したというもの。
日暮里駅の隣の駅は西日暮里駅である。しかし山手線は環状線である。一周回って隣の駅である駅まで27駅・約60分かかるので、乗客の利便を考えて日暮里エクスプレスを走らせるというものだ。隣の駅に行くのにである。http://kyoko-np.net/2013081301.html

冒頭につまらない事を書いた。しかし、この記事は現在の《無駄》を的確に表している。利便性を追うだけのために、壮大な無駄をしているのが現代社会だと、痛烈に批判した記事だと筆者は感じだ。

さて本論だが、本書は『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』と題する369ページ・A5版のたっぷりと読みごたえのある本である。著者は小貫雅男、伊藤恵子の両氏。小貫氏は、滋賀県で「里山研究庵Nomad」を主宰している。伊藤氏はNomadの研究員。小貫氏の専門はモンゴル近代史、伊藤氏のそれはモンゴル遊牧地域論。

本書のタイトルの頭に「グローバル市場原理に抗する」とあるように、アベノミクスの危うさ、無駄、3・11以後のわが国、政・官・財界がとった行動や発表した指針を、著者たちが提唱する「菜園家族」運動に照らして、如何に奇妙な行動であり、また提唱だと、痛烈な批判を繰り広げているのが特徴だ。

本書からプロローグ(39ページ)に書かれているほんの一部を紹介したい。
「私たちは今から十余年前の2000年に、21世紀の未来社会論として「菜園家族」構想を初めて公表した。2001年からは、滋賀県の琵琶湖に注ぐ犬上川・芹川の最上流、鈴鹿山中の限界集落・大君ヶ畑(おじがはた)に里山研究庵Nomadという拠点を定め、彦根市、多賀町、甲良町、豊郷町の一市三町を含むこの森と湖を結ぶ流域地域圏を地域モデルに、農山村地域とその中核都市の調査・研究に取り組んできた。(中略)本書は3・11を機に近代文明終焉の分水嶺に立たされたまさに今、この「菜園家族」構想の意味するところを改めて吟味し、今日の新たな時代状況を組み込みながらまとめたものである」

著者たちの提唱する「菜園家族」構想をここで説明するのは難しい。
著者たちはいう。「“菜園家族群落”による日本型農業の再生」の必要を。そしてその解が本書に書かれている。
そして今のわが国の情況、新自由主義をあがめ、戦争のできる普通の国を目指そうとしている政・官・財への辛辣な批判が本書を書かれた両氏の原動力だと筆者は読めたのだが。

☆ グラフィック・マガジン『Lapiz(ラピス)』は、大阪在住のフォト・ジャーナリスト片山通夫さんたちが2011年12月に創刊された季刊の電子雑誌です。
「ラピス」はスペイン語で鉛筆の意。3・11後、「私たちが享受している文明や文化を今こそ見つめ直すべきではないか。普通の市民として、とにかく現場に足を運んで自分の目で見て考える雑誌にしたい」(編集長 井上脩身さんの「創刊に当たって」より抜粋)と、フリージャーナリストのみなさんが中心となって執筆・発行されているものです。

通常は、「マガストア」、「DL MARKET」、「雑誌ONLINE」にて各号250円で発売されていますが、このたび東日本大震災3年目の節目に発行された特集号『東日本大震災 あれから3年』(2014年4月20日発行)に限っては、無料でダウンロードできるそうです。
マスメディアとはひと味もふた味も違う、この電子雑誌『Lapiz』。
詳しくは、Lapizホームページ
http://lapiz-international.com/ をご覧ください!

片山通夫さんは、フリーカメラマンとして、1990年代初頭の民主化のただ中にある東ヨーロッパなど、世界各地を取材。特に1999年からは、第二次大戦中日本によりサハリン(旧樺太)に残留を余儀なくされた朝鮮人問題に関心を持ち、そうした人びととその留守家族の歴史と現状を撮り続けておられます。
片山通夫さんのオフィシャルサイト「609studio」は、
http://www.609studio.com/ をご覧ください。