連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その1≫

 このたび2021年11月より、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/にて、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」をはじめました。
 このホームページにも、順次、転載していきます。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その1≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

◆ こちらから全文をダウンロードできます。
気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その1≫
(PDF:424KB、A4用紙5枚分)

里山研究庵から望む大君ヶ畑集落

◆連載のスタートにあたって◆

 鈴鹿山中、里山研究庵の縁側から晩秋の奥山に目を遣ると、さまざまな想念が湧いてきます。
 グローバル化と都市の巨大化・過密化が進む今、新型コロナウイルスは瞬く間に地球規模に拡散。パンデミックの猛威は、世界を一気に震撼させました。私たちの社会はいかにも脆弱であり、その根源的矛盾の罠にあっさり取り籠められ、一歩も身動きできない事態に一瞬のうちに陥ってしまいました。
 巨大都市集中の歪(いびつ)な国土構造、国内産業を空洞化させ、グローバルなサプライチェーンに依存する生産体系。今さらのように、その弊害の恐ろしさに気づかされました。
 この際、ごまかすことなく、わが身を振り返り、明日の社会のありようそのものをいよいよ真剣に考えなければならない時に来ています。

 一方、最近の朝日新聞の報道によると、国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)直前の2021年10月26日、国連環境計画(UNEP)は、各国が掲げる温室効果ガスの削減目標を達成しても、今世紀末には世界の平均気温が産業革命前から2.7℃上がるとする報告書を公表しました。
 記事は続けて、「パリ協定では気温上昇を2℃よりかなり低く、できれば1.5℃に抑えるとしているが、道のりは遠い。英国で31日から始まるCOP26を前に、厳しい現実を突きつけられている。」と報じています。

 それは衝撃的ではあるが、言わずもがな、初めから予測できたことであり、遅きに過ぎると言わざるをえません。地球生態系と人類壊滅の迫りくる危機を今こそ真剣に受け止め、暮らしの土台にしっかり立脚した行動へと、いよいよ踏み出さなければならない時に来ているのではないでしょうか。

 こうした事態に至った状況を踏まえ、この際あえて、半年前に出版した拙著『生命系の未来社会論』(御茶の水書房、2021年3月)の第七章「気候変動とパンデミックの時代を生きる ―避けられない社会システムの転換―」をベースに、「菜園家族」社会構想の概括を加え、文体を「です・ます調」に改め、再構成した上で、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページに10回シリーズで連載することにしました。

 気候変動と新型コロナウイルスの問題を個々別々にではなく、両者を統一的、全一体的(ホリスティック)なものとして捉え、コロナ後の強靱で持続可能な新しい社会はどうあるべきかを考える、ひとつの手掛かりにしていただければと願っています。
 みなさんからの率直なコメントやご意見をお待ちしています。
(2021.11.6 里山研究庵Nomad 小貫・伊藤)

鈴鹿山中・大君ヶ畑集落を流れる犬上川北流(2021.11.10)
鈴鹿山中・大君ヶ畑集落を流れる犬上川北流(2021.11.10)

◆気候変動とパンデミックは果たして人間社会の進化にとってまことの試練となり得るのか◆

 鈴鹿山中に源を発し、谷あいの大君ヶ畑集落を経て迸る犬上川北流。やがて彦根市街地を貫流し、琵琶湖に注ぎます。
 1950年代半ば以降の高度経済成長に翻弄され、この集落も、全国各地の農山村の例に漏れず、過疎高齢化が進み、戸数の急速な減少によって限界集落と化し、今や再起不能寸前の窮地に追い込まれています。

 そして、今や働く者の40%を超える、極端な低賃金に苦しむ不安定身分の非正規労働者。いつ雇い止めを宣告されるかと脅え暮らすこうした多くの人々を、今日まで平然と見過ごしてきた「美しい日本」社会。

 「新しい資本主義」、「成長と分配の好循環」、「デジタル田園都市構想」などと、足元の惨憺たる現実世界から目を逸らし、綺麗事を言っている場合ではないのです。ことの根源に目を向けるべきです。

 与党とか権力的為政者たちに限らず、野党も含めすべての組織や個人が、合理性を欠き欺瞞に満ちた選挙制度のもとで、不誠実極まりない「選挙」という名の巨大な同調圧力装置の枠組みのうちに、いつの間にかすっかり取り込まれてしまった現実に、21世紀今日のわが国の最大の危機を認めざるをえません。

環境活動家17歳の少女
グレタ・トゥーンベリさんの
涙ながらの訴え。
あの清新の気は
私たち大人からは
もうとうに消え失せてしまったのであろうか。

 今、世界の人々は、新型コロナウイルス・パンデミックの脅威と地球温暖化による気候変動がもたらす破局的事態に直面し、この複合危機回避の重い課題を背負わされています。
 大量生産・大量浪費・大量廃棄に基づく市場原理至上主義「拡大経済」は、今や行き着くところまで行き着きました。消費拡大による「景気の好循環」の創出は、結局、資源の有限性・地球環境保全とのジレンマに陥らざるをえない矛盾を孕んでいます。
 今こそ、大地に根ざした素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会)への転換が切実に求められる所以です。

 そうはいっても、そのような社会は、結局、縮小再生産へと向かい、じり貧の状態へと陥っていくのではないかといった不安。あるいは、それは理想であり願望であって、実現など到底不可能だという諦念にも似た漠然とした思い。あるいはまた、先のない僅かばかりの温もりに訣別できず、ただただその日その日の歓楽を追い求める根深い意識などなどが、人々の心のどこかに根強くあるようです。

 COP26(国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議)の開催地イギリス北部のグラスゴー市内で、先日11月6日、世界中から集った若者たちや現地市民たち10万人が、気候正義を求めるマーチに参加。風雨の中、色とりどりのプラカードを掲げて行進し、大通りを埋め尽くしました。
 こうした世界の人々の声の高まりにもかかわらず、わが国における経済成長神話からの脱却、「脱成長」への国民的合意の形成は、いまだ容易ならざる状況にあります。

 よく考えてみると、それも無理もないことなのかもしれません。そもそも、戦後の焼け跡の中から営々と築きあげてきた今日の「快適で豊かな生活」に長い間どっぷり浸り、すっかり馴らされてきた大方の国民にとって、それ以外の生き方などとても考えられないからなのでしょう。
 新型コロナウイルス・パンデミックがやがて収束し、為政者が約束する「成長戦略」なるものによっていずれ景気が回復すれば、かつての「繁栄」も夢ではないのではないか、あるいは少なくともこれまで享受してきたライフスタイルは何とか維持できるのではないか、といった他人まかせ、「政治屋」まかせの後ろ向きで受け身の淡い期待感が、いつも心のどこかにあるのかもしれません。

 そして何よりも恐れなければならないことは、この「拡大経済」下の私たち自身が、資本の自己増殖運動の虜となり、ついにはその狂信者にまで身を落とし、人間欲望の際限のない肥大化の果てに、隣国への恐怖と敵対心を煽られ、人間が人間を徹底して殺める、惨いとしか言いようのない戦争という名の倫理喪失の深い闇の中へと沈んでいくことなのではないでしょうか。
 しかし、こうした人々の保身の姿勢に深く根ざした心情や思考を背景に形成されてきた「お任せ民主主義」も、地球生態系に不可逆的な損傷を与える無限の経済成長そのものも、今や限界に来ています。

 今から10年前、2011年3・11東日本大震災の惨禍を体験した国民は、為政者の喧伝する「成長戦略」に惑わされ時間だけが虚しく過ぎていくうちに、いつかこの国は奈落の底に落ちていくのではないか、という危惧を感じはじめていました。
 しかしこれとて漠然とした不安にすぎないもので、そこから一歩踏み出し、自らの頭で考え、行動し、これまでとは違った自らの生き方を、さらにはこの国の社会のあり方を真剣に探ろうという積極的で前向きな姿勢には、なかなかなれなかったようです。
 このことは、上から与えられた「アベノミクス」なるものに、つい最近まで幻想を抱き、皇室行事に浮かれ、懲りもせず浮き足立っていた世論の動向を見るだけでも頷けるはずです。

 こうした中で、今日のわが国社会の行き詰まったどうしようもないこの古い体制を何とか修復し、維持しようとする財界、官僚、政界中枢の鉄のトライアングルにつながる、まさに国民の「1パーセント」にも満たない金権権力支配層は、戦後これまでに蓄積してきた莫大な財力を背景に、彼ら自身の「シンクタンク」を上から組織し、マスメディアをはじめ既成のあらゆる体制を総動員して、そこから繰り出す洪水のように氾濫する情報と、欺瞞に充ち満ちた政策と甘言によって国民を統治・支配してきました。
 これが今日までのこの国の偽らざる実態なのではないでしょうか。

 こうした戦後長きにわたる権力構造を背景に、民衆の安易な「お任せ思考」はますます助長され、しかも多くの死票を出し、民意と議席数に極端な乖離を生む「小選挙区制」のもとで、議会制民主主義は徹底的に歪められ、民主主義はついに地に堕ちてしまいました。
 議会は、国民の「99パーセント」の意志をいかにも「合法的に」平然と無視し、国民の大多数の利益とは敵対する僅か「1パーセント」を代弁する機関にまで失墜してしまったのです。
 これは、民主主義の名のもとに、しかも「合法的に」、民主主義の恐るべき歪んだ構造を私たち自らの社会の中に深く抱え込んでしまっただけではなく、本来、民衆が政治の主権者であるにもかかわらず、ひと握りの為政者を主人であるかのように錯覚するまでに、人々の精神をも根底から顚倒させてしまったのです。

 長い苦難の道のりになるけれども、私たちは今日のこの倒錯した偽りの「民主主義」に対峙して、自らの草の根の政策を具体的に提起し、行動し得る力量を高めていくことからはじめなければなりません。
 国民の圧倒的多数を占める「99パーセント」の中から英知を結集し、切磋琢磨し、自らの新たなる“菜園家族じねんネットワーク”を構築し、自らの進む道を切り開いていく時に来ています。

 私たちは、自らの理想を不可能だと決めつけ諦める前に、人類のあるべき崇高な理想をいかに模索し実現していくのか、自らの置かれたそれぞれの立場から、独自の方法と具体的な道筋をまず自らの頭で考え行動することからはじめなければなりません。
 こうした長期にわたる忍耐強い日常普段の思索の鍛錬と実践を通してはじめて、自らを覆っている諦念と虚無感は払拭され、新たな創造的思考の世界が開かれていくのではないでしょうか。

 莫大な財力を背景に今日まで圧倒的多数の国民を欺き、統治してきた財界・官僚・政界ベースのまさにこの上から目線の「シンクタンク」に対峙して、今こそ身近な地域に人間同士がじかに会い、自由奔放に語り合い、切磋琢磨して互いの創造の力を高め合っていく場を生み出し、さらにはそれらを相互に結んで、全国津々浦々に分散、潜在している多彩な英知を結集する“菜園家族じねんネットワーク”をつくり出すことが、何よりもまず必要になってきています。
 いわば無数の小さな「私塾」と、それらが主体的・自発的に連携し、自由闊達に考え実践する水平的で自律的なネットワークです。そして、その柔軟で分厚い土台の上に、草の根の民衆の研究組織、21世紀未来構想シンクタンクとも言うべきものの構築が待たれるのです。

 わが国における支配層の目に余る頽廃、そして民衆の何とも言いようのない鬱屈した状況とが相俟って、地球温暖化による気候変動と新型コロナウイルス・パンデミックがもたらす差し迫る破局的危機にあっても、「成長と分配の好循環」を謳い文句に、今なお根源的解決に手をこまねき、一向に前へ進もうとしません。このことが私たちにとっての最大の問題なのではないでしょうか。

 まさにそれは、気候変動とパンデミックが果たして人間社会の進化にとって、まことの試練になり得るかどうかの岐路に立たされているということを意味しています。つまりその成否の如何は、ひとえに私たちが、複雑で多様な、しかも変化に富む生きた現実世界の実態から妥協なく誠実に帰納する、まさに草の根の民衆の21世紀未来社会論を、私たち自身の手で練り上げ、構築できるかどうかにかかっているということでもあるのです。

 こうした現状認識から、この連載ではまず、地球温暖化による気候変動に関する今日の世界の科学的知見の到達点をおさえた上で、地球温暖化・気候変動対策が国内的にも、世界的にも大きな壁にぶつかっている今、それを克服する一つの現実的、具体的かつ決定的な解決の方途として、市場原理至上主義「拡大経済」に対峙する自然循環型共生社会(じねん社会)の実現をめざす21世紀“生命系の未来社会論”具現化の道、すなわち「菜園家族」社会構想の立場から、CSSKという新たなメカニズムを基軸に展開していきたいと思います。

 このCSSKメカニズムについては、今から10数年前の2008年以来、拙著『菜園家族21 ―分かちあいの世界へ―』(コモンズ、2008年)、および『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(御茶の水書房、2013年)、そして『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年)の三著において、既に再三にわたって提起してきたところですが、今日の地球温暖化による気候変動の深刻化とこれに重なるパンデミックの脅威、それに対する世界の人々の危機感の高まりを受け、新たな状況のもとで、差し迫った課題として今あらためてここに提言するものです。

『生命系の未来社会論』(小貫雅男・伊藤恵子、御茶の水書房、2021年3月)第七章をベースに再構成。

≪その2≫につづく

(2021.11.12 里山研究庵Nomad 小貫・伊藤)