連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その5≫

 2021年11月30日に、菜園家族じねんネットワーク日本列島Facebookページhttps://www.facebook.com/saienkazoku.jinen.network/に掲載した、連載「気候変動とパンデミックの時代を生きる」≪その5≫を、以下に転載します。

 なお、新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”の趣意書(全文)― 投稿要領などを含む ― は、こちらをご覧ください。

【連載】気候変動とパンデミックの時代を生きる ≪その5≫
 ―避けられない社会システムの転換―

――CO2排出量削減の営為が即、古い社会(資本主義)自体の胎内で次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動する社会メカニズムの提起――

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気候変動とパンデミックの時代を生きる≪その5≫
(PDF:351KB、A4用紙4枚分)

◆21世紀「菜園家族」社会構想の概括◆

 ここではまず、この構想のキーワードとなる「菜園家族」という概念の核心部分に絞って、簡潔に述べておきたいと思います。

 熾烈なグローバル市場競争のもとでは、科学・技術の発達による生産性の向上は、人間労働の軽減とゆとりある生活につながるどころか、むしろ社会は全般的労働力過剰に陥り、失業や派遣など非正規雇用をますます増大させていきます。少数精鋭に絞られた正社員も、過労死・過労自殺にさえ至る長時間過密労働を強いられています。
 この二律背反とも言うべき根本矛盾を、どう解消していくのか。このことが、今、私たちに突きつけられているのです。

 一方、農山漁村に目を移せば、過疎高齢化によって、その存立はもはや限界に達しています。これは当事者だけの問題に留まらず、むしろ戦後高度経済成長の過程で大地から引き離され、根なし草同然となって都市へと流れていった、圧倒的多数の賃金労働者という近代特有の人間の社会的生存形態、つまり都市住民のライフスタイルをどう変えていくのか、という国民共通の極めて重い根源的な問題でもあるのです。

 この変革を可能にする肝心要の鍵は、紛れもなく都市と農村の垣根を取り払いはじめて成立する、賃金労働者と農民の深い相互理解と信頼に基づく、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)なのです。

野菜と子供

 αを3に設定すれば、週休5日制のワークシェアリングとなります。
 具体的には、週のうち2日間だけ“従来型の仕事”、つまり民間の企業や国または地方の公的機関などに勤務します。残りの5日間は、自給目的の「菜園」の仕事をするか、あるいは商業や手工業、サービス部門など非農業部門の自営業を営みます(前者を「菜園家族」、後者を「匠商家族」と呼ぶが、ここでは両者を総称して、広義の意味での「菜園家族」とする)。

 週のこの5日間は、三世代の家族メンバー※1 が力を合わせ、それぞれの年齢や経験に応じて個性を発揮しつつ、自家の生産活動や家業に勤しむと同時に、ゆとりのある育児、子どもの教育、風土に根ざした文化芸術活動、スポーツ・娯楽など、自由自在に人間らしい創造性豊かな活動にも励みます。

 つまり、性別に関わりなく、週に2日は社会的にも法制的にも保障された従来型の仕事から、それに見合った応分の給料を安定的に確保し、その上で、週5日の「菜園」あるいは「匠・商」基盤での仕事の成果と合わせて生活が成り立つようにするのです。

 これは、従来型の一人当たりの週労働時間を大幅に短縮し、「菜園」あるいは「匠・商」の家族小経営を家族の基盤にしっかり据えることによって成立する、いわば「短時間正社員」ともいうべき21世紀の新しい働き方、すなわち週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングによる新しいライフスタイルの実現と言えます。

 それは、科学・技術や生産力全般が高度に発達した今日の社会的条件のもとで、人類にとってもともとあったはずの自己の自由な時間を取り戻す、まさに人間復活という人類悲願の壮大な営為そのものなのです。

 「菜園家族」社会構想によるこの新たな社会の特質は、大きく三つのセクターから成り立つ複合社会です。
 第一は、きわめて厳格に規制され、調整された資本主義セクターです。第二は、週休(2+α)日制のワークシェアリングによる三世代「菜園家族」を主体に、その他「匠・商基盤」の自営業を含む家族小経営セクターです。そして、第三は、国や都道府県・市町村の行政官庁、教育・文化・医療・社会福祉などの国公立機関、その他の公共性の高い事業機関やNPOや協同組合などからなる、公共的セクターです。

 第一の資本主義セクターをセクターC(Capitalism)、第二の家族小経営セクターをセクターF(Family)、第三の公共的セクターをセクターP(Public)とすると、この新しい複合社会は、より正確に規定すれば、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会※2 と言うことができます。

 もとより週休(2+α)日制のワークシェアリングによる「菜園家族」は、単独で孤立しては生きていけません。また、グローバル市場経済が席捲する今、ひとりでに創出され、育っていくものでもありません。「菜園家族」を育む「地域」という“場”の措定が必然的に要請されてきます。

 日本列島を縦断する脊梁山脈。この山脈を分水嶺に、太平洋側と日本海側へと水を分けて走る数々の水系。これらの水系を集めて流れる河川に沿って、かつては森と海(湖)を結ぶ流域循環型の大小さまざまな地域圏が形成され、日本の国土をモザイク状に覆っていました。

 日本列島の各地に息づいていた、こうした森と海(湖)を結ぶ流域地域圏は、戦後、高度経済成長の過程で急速に衰退していきました。重化学工業重視路線のもと、莫大な貿易黒字と引き換えに、国内の農林漁業は絶えず犠牲にされ、人々は農山漁村の暮らしをあきらめ、都市へと移り住んでいったのです。

 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングの進展にともなって、この森と海(湖)を結ぶ流域地域圏では、水系に沿って、平野部の過密都市から中流域の農村へ、さらには上流の森の過疎山村へと、人々は無理なく還流していくでしょう。
 冷酷無惨なグローバル市場経済に対峙するこの森と海(湖)を結ぶ流域地域圏は、「菜園家族」を産み出すいわば母体であり、それを育むゆりかごでもあるのです。

 「菜園家族」社会構想のもとで、やがて巨大都市の機能は、地方へ分割・分散され、中小都市を核にした美しい田園風景が地方に広がっていくことでしょう。
 今、衰退の一途を辿る森と海(湖)を結ぶ流域地域圏の中核都市は、地方経済の結節点としての機能を果たしながら、文化・芸術・学問・娯楽・スポーツなどの文化的欲求によって人々が集う交流の広場として、精神性豊かなゆとりのある文化都市に、次第に変貌していくにちがいありません。

 こうして賃金労働者家族に代わって、21世紀の新しい人間の社会的生存形態である「菜園家族」が地域に深く根づき、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏が再び甦っていく時、農山漁村の過疎・高齢化と平野部の都市過密は同時に解消され、やがて、国土全体にバランスのとれた自然循環型共生の地域社会が構築されていくことになるでしょう。

 それは、自ずから近代を社会の根底から変えるまさに新しい働き方、新しいライフスタイルの創出へと向かわざるをえないものであり、そこに、「正規」「非正規」の分断、男女の差別、世代間の対立、そして都市と農村の垣根を乗り越えた、それこそ時代を画する、これまでには見られなかった、多彩で個性豊かな広範な国民的運動へと展開していく可能性が秘められているのです。

 以上、「菜園家族」社会構想について、骨格部分をごく簡単に掻い摘まんで述べました。
 大切なポイントをあらためて整理するならば、わが国の国土の自然や社会的、歴史的特性、さらには経済的発展段階を踏まえた週休(2+α)日制の独自のワークシェアリング(但し1≦α≦4)を編み出し、近代の落とし子とも言うべき根なし草同然の現代賃金労働者(サラリーマン)家族に、従来型の雇用労働を分かちあった上で、生きるに最低限必要な生産手段(農地や生産用具、家屋など)を再び取り戻すことによって、近代を超克する新しい人間の社会的生存形態「菜園家族」を創出する。そして、社会構造上の基礎的共同体である家族※3 を、自ら抗市場免疫の自律的で優れた体質に変革していく。

 それは、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会を経て、大地に根ざした素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会)をめざす21世紀の新たな未来構想であり、その社会の内実こそが、覇権主義、排外的大国主義の対極にある、思想としての小国主義が現実世界に具現化するために必要不可欠な経済的・社会的土壌そのものになるはずです。

 自然循環型共生社会(じねん社会)へのアプローチは、現実には資本主義セクターCと家族小経営(「菜園家族」)セクターF、および公共的セクターPの3つのセクターから成るCFP複合社会の生成・進化の中で展開していくのですが、次回の連載≪その6≫で提起するCSSKメカニズムを基軸に、さらに具体的に考えていくことにします。

※1 「菜園家族」社会構想における家族構成は、象徴的には三世代と表現しているが、現実には三世代同居に加えて、三世代近居という居住形態もあらわれてくるであろう。
 そして、この2つの形態がおそらくは主流になりながらも、個々人の多様な個性の存在、あるいは本人の個人的意志を越えて歴史的・社会的・経済的・身体的・健康上の要因などによってつくり出される人間や家族の様々な事情や「個性」も尊重されるべきである。
 それを前提にするならば、単身「家族」や、多様な組み合わせの家族構成があらわれたり、あるいは血縁とは無関係に、個人の自由な意志にもとづいて結ばれる様々な形態の「擬似家族」も想定されることを、付け加えておきたい。

※2 拙著『菜園家族の思想 ―甦る小国主義日本―』(かもがわ出版、2016年)の第四章の項目「CFP複合社会の特質」で詳述。

※3 家族の歴史的淵源と今日的意義、および家族の新たな概念規定については、同拙著第三章「人間はなるべくして人間になった ―その奇跡の歴史の根源に迫る」を参照されたい。

「差迫る気候変動の脅威、避けられない社会システムの転換」(小貫雅男・伊藤恵子、『季論21』第48号、本の泉社、2020年4月)をベースに再構成。

≪その6≫につづく

(2021.11.30 里山研究庵Nomad 小貫・伊藤)