サッカーW杯に沸く歓声と興奮の陰でほくそ笑むアベの「政治」― 屈辱の世界を越えて、希望の未来へ ―

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サッカーW杯に沸く歓声と興奮の陰でほくそ笑むアベの「政治」
― 屈辱の世界を越えて、希望の未来へ ―
(2018年6月23日付、PDF:204KB、A4用紙5枚分)

  サッカーW杯に沸く
    歓声と興奮の陰でほくそ笑むアベの「政治」

― 屈辱の世界を越えて、希望の未来へ ―

 熱狂するサポーターやマスメディアの余りにも過剰なまでの報道とあの光景が、かつて不満のはけ口を求めてファシズムの道を突き進んだ民衆の熱狂と重なって、不安が胸をよぎる。よもやとは思うが、今日のわが国の「政治」の現状を見ると、一概にそれを否定できないのではないか。
 それが杞憂に過ぎないと思える日が、一日も早く来ることを願うばかりである。
 昨今のマスメディアの報道を見るに、国民の将来にとって今もっとも大切なことは何なのか、そしてしっかり伝えるべきことは何なのか、という報道の社会的役割、つまり報道の公共性をすっかり忘れ、人々の目先の興味や好奇心におもねる、極端にバランスを欠いた視聴率第一主義の報道へと急速に傾斜していく姿に一抹の不安を感じている。
 アベ「政治」が森友・加計問題で窮地に陥り、政治の腐敗が白日の下に晒されたにもかかわらず、政党政治は手をこまねき、解決の方向すら見出せず混迷を深めている。国民の不満や鬱屈した心情は、今や頂点に達している。こうした中、局面を一気に打開しようとするファシズム台頭の社会的動機、思想的土壌はいよいよ極度に醸し出されていく。
 わが国の戦後民主主義が根源的に問われているこの瞬間においても、サッカーW杯、紀州のドン・ファン、つまり躍動的で熱狂的なスポーツとどろどろとした猟奇的な事件で、しつこくメディアが埋め尽くされていくこの異常な事態をどう見るのか。今後の報道のあり方を考えるためにも、報道に携わる当事者はもちろん、メディア研究の専門家をはじめ、広汎な国民共通の重い課題として受け止め、多面的かつ総合的に検証していく必要があるのではないか。
 ところで、加計学園の加計孝太郎理事長による6月19日の突然の記者会見は、姑息としか言いようのないものだった。

 前日6月18日の朝、大阪北部を震源とする地震の発生により世の中が動揺し、また当日19日夜にサッカーW杯日本代表の初戦を迎えるこの時を狙ったとしか思えない絶妙なタイミングであった。しかも、記者会見の会場は岡山市の学園内で、2時間前に地元報道各社に通知しただけ。マスコミの扱いを最小限に留めようという魂胆が透けて見える。まさにその手口は、こざかしさにおいて類は友を呼ぶような加計孝太郎理事長と安倍晋三首相の取り合わせであった。アベ「政治」の本質のすべては、まさにこのことに見事に象徴されている。

   「膿を出し切る」と
   まことしやかに嘯きながら
   国民には
   耳触りのいいことばを
   つらつらと並べ立て
   いざ不都合な国会への「証人喚問」となると
   拒絶し続ける
     「議会」の実質的議論を封鎖し
     「政治」の真実を知りたいと願う
     国民の耳目をふさぎ
     閉ざされた闇夜に紛れて
     「多数」にものを言わせ
     己に得策な悪法の数々を
     一挙、強引に採決する
   これが近隣の独裁諸国家には見られない
   わが国が誇る「議会制民主主義」だと
   胸を張り
   他国を蔑み、敵視する
     米朝首脳会談を機に
     トランプが急遽
     「最大限の圧力という言葉は
     もう使いたくない」と申せば
     忠犬アベは途端に前言を翻し
     金正恩を「指導力がある」と持ち上げる
   この人の信念は
   この程度のものなのか
   あまりにも身勝手で
   姑息に過ぎる振る舞いではないか
   アベの「政治」には
   あまりにも嘘が多すぎる
     そうこうしているうちに
     人々は
     時間が経つにつれて
     いつしか
     この「政治」の嘘に馴らされていく
     このことこそが恐ろしいのである
   常に為政者は、そして権力者は
   外なる危機を煽り
   民衆の目を逸らし
   内なる敵をつくり
   不安と恐怖を高め
   「国民の生命と財産を守る」と唱えて
   人を殺す道具
   つまり軍備の拡大を狙う
     こんな不条理で
     嘘つきのアベ「政治」を
     許してなるものか・・・
   こうした時だからこそ
   腰を据えて
   未来への基本方向を
   しっかり定め
   その展望の中で
   今日にふさわしい
   新たな国民的運動とは何かを
   模索していかなければならない
     それは取りも直さず
     日本国憲法全条項の究極の具現化なのだ
   つまりそれは
   四季折々の変化に富んだ
   山紫水明の地、日本列島の津々浦々に
     大地への回帰と止揚(レボリューション)を促す
     週休(2+α)日制の
     ワークシェアリングを梃子に
   「菜園家族」構想による
   おおらかな生活世界
   素朴で精神性豊かな
   自然循環型の共生社会
     すなわち「自然(じねん)の世界」を
     築きあげていくことではないのか
   そして、創造的で壮大なこの国民運動の中に
   私たち一人ひとりの日々の実践を
   どう位置づけるかである
     まさにこの高らかな
     「自然(じねん)の歌声」を
     「夜明けの歌」を
     全国各地の地域や職場に
     巻き起こそう!
   私たちの未来は
   私たち自身の力で
   つくりあげていく
     21世紀
     上からの統治を廃し
     民衆自身による
     草の根からの
     静かなるレボリューションの時代がはじまる
   本当の危機は
   外にではなく
   内にこそある
     今こそこの国の「政治」を
     「社会」そのものを
     私たち自身の足もとの現実から
     問い直そう
   そして今起こりつつある
   世界の、東アジアの
   新たな大きなうねりを
   その上っ面からではなく
   深みに潜む本質から
   見極めよう
     人類の目指す終点は
     はるか遠い未来である
     それでも、それをどう描くかによって
     明日からの生き方は決まってくる

※ 今年の早春、拙著『菜園家族レボリューション ―日本国憲法、究極の具現化―』(小貫雅男・ 伊藤恵子 著、本の泉社、A5判160頁、2018年2月3日発行、定価:本体1,200円+税)を発刊しました。この小著が今日の事態を見極め、さらに明日への希望を人それぞれの立場から、それこそ自由奔放に描く出発のささやかな一助になればと願っています。

           菜園家族レボリューション           
              ―日本国憲法、究極の具現化―

           21世紀人々は、前人未踏の
           おおらかな自然(じねん)の世界を求め
           大地への壮大な回帰と止揚(レボリューション)の道を歩みはじめる。

             根なし草同然となった
             近代特有の人間の生存形態
             賃金労働者を根源的に問い直し

           冷酷無惨なグローバル市場に対峙して
           抗市場免疫の「菜園家族」を基礎に
           素朴で、精神性豊かな生活世界を構築する。

             憎しみと報復の連鎖に代えて
             非武装・不戦の誓いを
             いのちの思想を
             暮らしの根っこから。

           今こそ近代のパラダイムを転換する。

                            (本書の扉のことばより)

                                2018年6月23日
                               ―沖縄慰霊の日に―

                                  小貫雅男
                                  伊藤恵子

〒522-0321 滋賀県犬上郡多賀町大君ヶ畑452番地
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