連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」第2章2節

新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―

第2章  人間復活の「菜園家族」構想

2 「菜園家族」構想とCFP複合社会

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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
第2章  人間復活の「菜園家族」構想
2 「菜園家族」構想とCFP複合社会
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洋梨・りんご・黄色い花

2 「菜園家族」構想とCFP複合社会

週休(2+α)日制のワークシェアリングによる三世代「菜園家族」構想
 それでは「菜園家族」とは、一体いかなるものであるかを具体的に見ていきたいと思います。
 市場原理至上主義の社会にあって、市場競争の荒波に耐えて、家族がまともに生きていくには、まず、生きるために必要なものは大地から直接、できるだけ自分たちの手で作ることを基本に据えなければなりません。
 それによって、家計に占める現金支出の割合をできるだけ小さくおさえ、家計の賃金への依存度を最小限にして、家族が市場から受ける作用を可能なかぎり小さくするのです。いかにも素朴で、単純な方法のようですが、これ以外に、家族が市場競争に翻弄されることから逃れ、自由になる術(すべ)はありません。

 ここで提起する“週休(2+α)日制のワークシェアリングによる両親・子ども・祖父母三世代「菜園家族」”の構想(但し1≦α≦4)は、今日、危機的状況に陥っている家族の再生を基本目標にしています。20世紀の市場競争のなかで、みじめなまでに貶められた人間の尊厳を、21世紀になんとか取り戻したい。「菜園家族」構想は、この長期目標実現のために、新しい社会の枠組みとして提起しているものです。

 週休(2+α)日制のワークシェアリングのαを1、2、3、4に設定すると、それぞれ週休3日制、週休4日制、週休5日制、週休6日制ということになります。つまり、人びとの働き方の選択肢が、個々の家族や個人それぞれの条件に応じて、さらには社会の成熟度や社会発展の水準に照応して、より柔軟なものになることを意味しています。
 この「菜園家族」型ワークシェアリングの今考えられる理想的な標準的目標として、αを3に設定するならば、週休5日制となります。以下、週休5日制を基本例にして具体的に説明していくことにします。

 週休5日制の「菜園家族」型ワークシェアリングの場合、具体的には、人びとは、週のうち2日間だけ“従来型の仕事”、つまり民間の企業や、国または地方の公的機関の職場に勤務し、そして、残りの5日間は暮らしの大切な基盤である「菜園」での栽培や手作り加工の仕事をして生活するか、商業や手工業、サービス部門など、非農業部門の自営業(家族小経営)を営むのです。この5日間は、ゆとりのある育児、子どもの教育、風土に根ざした文化芸術活動、スポーツ・娯楽など、自由自在に人間らしい人間本来の創造的活動にも携わります。
 家族はもともと、衣食住の手作りの場であり、教育・文化芸術・手工芸のアトリエであったし、将来においてもそうあるべきものなのです。

 今日では農業は、なかなか苦労の多い、工業に比べると収益性の低い、割に合わない仕事かもしれません。現代の工業社会にあって、無条件に自由競争のもとで農業に従事する場合には、大規模専業農家ですら市場競争に悩まされ、経営が成り立たないのが現実です。

 したがって、「菜園家族」が社会的に成立するためには、どうしても一定の条件が必要になってきます。それが、「週休5日制」のワークシェアリングです。週5日は「菜園」で仕事をし、あとの2日間は従来型の仕事が法制上も保障されて、そこからの給与所得が安定的に得られることが、絶対に必要な条件になります。
 そして、「菜園」からとれる農作物は、売ることが目的ではありません。専ら自分の家族の消費にあてます。作物を大量に生産し、それを大量に売って現金収入を得なければ生活が成り立たない、という状態は避けなければなりません。

 つまり、週に2日間は、社会的にも法制的にも保障された従来型の仕事から、それに見合った応分の給与を安定的に確保し、その上で、週5日の「菜園」での仕事の成果と合わせて、生活が成り立つようにするのです。
 こうした条件のもとでは、田畑の面積は2~3反(20~30アール)もあればすみます。現金収入を得るために農地面積を拡大したり、市場に作物を商品として無理してまで大量に出荷したりする必要はありません。したがって、市場競争に巻き込まれることもなくなるのです。

 こうしてはじめて、「菜園家族」は、都市から帰農して自給自足を試みる、特殊な家族の特殊なケースとしてではなく、社会的にも一般的な存在として成立することになるでしょう。その結果、「趣味の家庭菜園」を楽しむかのように、農に携わることができるようになります。精神的にも余裕をもって作物の成長を見守り、動植物の世話や手工芸などの文化活動にもいそしみながら、ゆったりとした、ゆとりのある暮らしが保障されることになるのです。

ふたば

 すべてを市場原理にゆだねず、また今日の科学技術の成果を利潤追求のためにではなく、本当に人間のために、そして「菜園家族」の形成・発展のために振り向けることができるならば、おそらく週に2日間の勤務でも、“従来型の仕事”は十分にこなせるはずです。もし、それが不可能であるというのであれば、科学技術の目的を、それが可能になるように設定し直せばよいのです。

 また、都市集中を避けるために、「菜園家族」が農山漁村に住居を構え、都市の職場から遠距離に暮らしの拠点を置いたとします。その場合も、今日の情報技術の水準や道路網整備の状況を考えると、従来型の仕事 は十分にこなせるはずです。私たちが想像する以上に、仕事のさまざまな方法や勤務形態が編み出されていくにちがいありません。

 なお、この「菜園家族」構想における家族構成は、祖父母・夫婦・子どもたちの三世代であると象徴的に表現していますが、現実には、三世代同居に加え、三世代近居という居住形態も、現れてくるでしょう。
 そして、この2つの形態がおそらくは主流になりながらも、個々人の多様な個性の存在、あるいは本人の個人的意志を越えて、歴史的、社会的、経済的、身体的、健康上の要因等によってつくり出されてきた、人間や家族のさまざまな個性も尊重されるべきです。それを前提にするならば、多様な組み合わせによる家族構成が現れたり、あるいは血縁とは無関係に、個人の自由な意志にもとづいて結ばれるさまざまな形態の「擬似家族」も想定されることを付け加えておきたいと思います。

 さて、ここで少し角度を変えて考えてみましょう。地球上には、世界人口約66億人のうち、12億人は富める国に、54億人は貧困に喘ぐ国に暮らしている(2008年現在)と言われています。
 私たち日本人は、この世界人口“5分の1”の富める国の暮らしにすっかり身を浸し、そこからだけの発想によって物事を考えてきました。農業を切り捨て、工業を法外に発展させて、工業製品を世界に売りつけ、残りの“5分の4”の人口の犠牲の上に、自己の繁栄を追い求めてきたのです。

 迫り来る地球資源や地球環境の限界を考えても、こうした構図は、将来においても成り立つはずがありません。私たち「先進工業国」は、あらゆる面から考えても、縮小再生産の方向を模索するほかないのです。
 そう考えると、週休5日制のワークシェアリングの導入によって、仮に工業生産が縮小傾向をたどるとしても、それはそれで世界全体から見れば、とても好ましい方向に向かうことを意味しています。

 また、別の角度から考えると、従来型の仕事を1人あたり週2日間に短縮するということは、単純に計算して、雇用者数が従来の2.5倍に拡大することを意味しています。1人あたりの週労働の日数を短縮して、多くの人びとに雇用の機会を平等に分かち合う。このワークシェアリングによって、ゆとりのある働き方や暮らし方が保障され、人間性豊かな地域や社会が形成される可能性が開けるとしたら、こんな素晴らしいことはありません。

CFP複合社会の創出 ―人類史上はじめての挑戦
 週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)による三世代「菜園家族」を基盤に構成される日本社会とは、一体どのような類型の社会になるのか、その骨格だけでもふれたいと思います。
 その社会は、今日のアメリカ型の資本主義社会でも、イギリス・ドイツ・フランスの資本主義社会でもない、あるいはかつての「ソ連型社会主義」や、今日の「中国型社会主義」のいずれでもない、まったく新しいタイプの社会が想定されます。

 「菜園家族」構想における社会の特質は、大きく3つのセクターから成り立つ複合社会であるということです。
 第1は、極めて理性的に規制され、調整された資本主義セクターです。第2は、週休(2+α)日制のワークシェアリングによる“三世代「菜園家族」”を主体に、その他の自営業を含む、家族小経営セクターです。そして第3は、国や都道府県・市町村の行政官庁、教育・文化・医療・社会福祉などの国公立機関、その他の公共性の高い事業機関やNPOや協同組合などからなる、公共的セクターです。
 第1をセクターC(CapitalismのC)、第2をセクターF(FamilyのF)、そして第3をセクターP(PublicのP)とすると、この新しい複合社会をより正確に規定すれば、「菜園家族」を基調とする「CFP複合社会 」と言うことができます。

三角のパターン

 セクターFの主要な構成要素である「菜園家族」にとっては、四季の変化に応じてめぐる生産と生活の循環がいのちです。したがって、「菜園家族」においては、その循環の持続が何よりも大切で、それにふさわしい農地や生産用具や生活用具を備える必要があります。また、それらの損耗部分は絶えず補填しなければなりません。主としてこうした用具や機器の製造と、その損耗部分の補充のための工業生産を、セクターCが担います。

 次に、セクターCが担うもう1つの大切な役割は、主に輸出用工業製品の生産です。ただし、これも生産量としては、極めて限定されるでしょう。日本にはない資源や不足する資源が当然あります。これらは、外国からの輸入に頼らなければなりません。輸出用工業製品の生産は、基本的には、この国内にはない資源や不足する資源を輸入するために必要な資金調達の限度額内に、抑えられるべきでしょう。

 今日の工業生産と比べれば、それははるかに縮小された水準になるにちがいありません。従来のように国内の農業を切り捨ててでも工業生産を拡大し、貿易を無節操に拡張しなければならないものとは、全く違ったものが想定されます。理性的で適切な調整貿易のもとで、できるかぎり農・工業製品の「地産地消」を追求していくのです。それによって、遠隔地からの物資の運搬による莫大なエネルギーの浪費と、運輸にたずさわる人々の過酷な労働を前提とする今日の生産と流通のあり方からの脱却が可能になってきます。

 一方、CFP複合社会では、「菜園家族」の構成員は、週休(2+α)日制のワークシェアリングのもとで、たとえば週休5日制の場合、従来型の仕事、つまりセクターCあるいはセクターPで週2日働くと同時に、セクターFの「菜園」またはその他の自営業で5日間働きます。その結果、自給自足度の高い、生活基盤のきわめて安定した勤労者になるでしょう。ですから、セクターCあるいはセクターPの職場からの週2日分の賃金で、安定的に自己補完しつつ、ゆとりをもって生活できるように調整することは可能なはずです。

 このように考えてくると、とくに企業は、従来のように従業員およびその家族の生活を、賃金のみで100パーセント保障する必要はなくなります。企業は、きわめて自立度の高い人間を雇用することになるからです。
 もちろん、それは、今日横行している使い捨て自由の不安定雇用とは、まったく異質のものです。週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングのもとでは、従業員は法制上、労働者としての基本的権利を保障され、かつ、「菜園」という自己の自立基盤も同時に保障されることが前提だからです。
 したがって、労使の関係もより自由・対等な関係に変わり、その上、企業間の市場競争も、今日よりもはるかに穏やかなものになるでしょう。

 このようになれば、企業は、今日のように必死になって外国に工業製品を輸出し、貿易摩擦を拡大し、国際間の競争を激化させ、「途上国」に経済的な従属を強いるようなことにはならないはずです。むしろ人びとの知恵は国内に集中され、科学技術の成果は、「菜園家族」を基調とする「自然循環型共生社会」の生成・発展に向けられ、本当に人間のために役立つものとして、生かされていくにちがいありません。

CFP複合社会の特質
 「菜園家族」を基調とするCFP複合社会の重要な特徴について、もう一度、ここで整理し、確認しておきましょう。
 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)によるこのCFP複合社会では、まず第1に、特定の個人が投入する週労働日数は、たとえば週休5日制の場合、資本主義セクターCまたは公共的セクターPに2日間、そして家族小経営セクターFには5日間と、それぞれ2対5の割合で振り分けられます。
 したがって、この複合社会全体に投入される労働力を単純に計算すると、家族小経営セクターFに7分の5となり、圧倒的に大きな割合を占めます。このこと自体が、資本主義セクターCの市場原理の作動を、社会全体として大きく抑制することになるのです。

 そして第2に、セクターFである家族小経営セクターに所属する自給自足度の高い「菜園家族」またはその他の自営業の構成員は同時に、セクターCの企業またはセクターPの公共的職場で働く、賃金依存度のきわめて低い勤労者であるという、二重化された人格になっています。
 こうした二重化された人格の存在によって、市場原理の作動を自然に抑制する仕組みが、所与のものとしてこの社会のなかに埋め込まれることになるのです。また、生活基盤もより安定し、精神的余裕も出てくるでしょう。
 この2点が、CFP複合社会の特質を規定する重要な鍵になっています。

 また、家族小経営セクターFに投入される労働力が社会全体に占める割合を7分の5、つまり週休5日制にするのか、あるいは7分の4、つまり週休4日制にするのか。どのような比率でこの仕組みを社会に埋め込むかによって、その市場原理への抑制力は、かなり違ったものになります。
 したがって、現実にCFP複合社会を形成する過程においては、中間的移行措置として、当初はこの割合を7分の3、つまり週休3日制とし、漸次、高めながら導入する方法も考えられるでしょう。

水色と黄色の小花

 セクターCまたはセクターPの職業選択に際しては、従来よりもずっと自由に、自己の才能や能力、あるいはそれぞれの生活条件や個々人の志向にあった多様な選択ができるようになるでしょう。つまり、社会全体として、就業形態がきわめてフレキシブルで、自由なものになるのです。

 とくに女性の場合は、今日では出産や育児や家事による過重な負担が強いられ、職業選択の幅は狭められていきます。出産・育児か職業かの二者択一が迫られ、その中間項がなかなかありません。
 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングが定着すれば、たとえば週休5日制の場合なら、男性も女性も週2日だけ従来型の仕事に就けば、残りの5日間は「菜園」またはその他の自営業で家族とともに暮らすことが、社会的にも法制的にも公認され、保障されます。したがって、こうした問題は解消され、夫婦が協力し合って、家事・育児にあたることが可能になり、男女平等は、空言ではなく、現実のものになるでしょう。

 このようにして、「菜園家族」構想によるCFP複合社会では、女性の「社会参加」と、男性の「家庭参加」・「地域参加」の条件は、一層整っていきます。結果的に、男も女も人間らしくなり、多くの人びとに、多種多様で自由な人間活動の場が保障されることになるのです。

 なお、就業に関する法律の整備や、それに見合った斬新な社会保障制度の確立なども含め、細部の問題は、当然ながら今後の研究課題になります。
 そのとき注意したいのは、新しく生まれる社会保障制度は、家族が本来もっていたはずの育児や教育や医療・介護などなどといった機能をほとんど喪失したために、それをサービスとしてお金で買うようになってしまった「現代賃金労働者(サラリーマン)」家族を前提にした、今日の社会保障のあり方とは、まったく違ったものになるという点です。
 したがって、社会的負担は、現状とは比較にならないほど小さくなり、恒常的に莫大な赤字を累積していく今日の国や地方自治体の歪んだ財政体質は、根本から変えられていくでしょう。

 従来型の仕事が週2日になり、「菜園」またはその他の自営業の仕事が週5日になって、今日の科学技術、なかでも情報技術の成果が本当に人間の暮らしのために向けられていくならば、人びとが仕事の場を求めて大都市に集中する現象は、極端に減少するはずです。そうなれば、通勤ラッシュや工場・オフィスの大都市への集中は、自然に解消されていきます。
 その結果、大都市における自動車の交通量は激減して、交通渋滞はなくなり、静かな都市が取り戻されます。仕事の場というよりも、文化・芸術・学問・娯楽・スポーツ等々の文化的欲求によって人びとが集う交流の広場として、精神性豊かな、ゆとりのある文化都市に次第に変貌していくにちがいありません。

 また、自動車による道路交通のあり方が変わり、年間交通事故死1万人を超えるこの異常な事態も、根本から改善されるでしょう。
 さらに言うならば、人口の大都市集中の解消は、今後30年間にマグニチュード7クラスの地震が発生する確率が70%といわれている首都圏をはじめ、その他の大都市圏にとって、避けては通れない課題です。

 さて、セクターFの「菜園」またはその他の自営業で週5日働いて暮らす人びとの多くは、自給自足にふさわしい面積の畑や田んぼからなる「菜園」を、安定的に保有することになります。
 有効に利用できずに放置されたままの広大な山林をはじめ、農地、工業用地、宅地などを含め、国土の自然生態系は、総合的に見直されなければなりません。そして、「菜園家族」の育成という目標に沿った「国土構想」が練られ、最終的には、土地利用に関する法律が、抜本的に整備されるでしょう。

 「菜園家族」のゆとりある敷地内には、家族の構成や個性に見合った、そして世代から世代へと住み継いでいける、耐久性のある住家屋(農作業場や手工芸の工房やアトリエなどとの複合体)が配置されます。もちろん建材に使用するのは、日本の風土にあった国産の木材です。「菜園家族」にとっては、週に5日間はこの「菜園」が基本的生活ゾーンになり、セクターCまたはセクターPでの従来型 の職場は、副次的な位置に変わっていきます。

 従来、科学技術の発展の成果は、企業間の激しい市場競争のために、つまり、商品のコストダウンのためにもっぱら振り向けられてきました。そして、「国際競争に生き残る」という口実のもとに、「労働合理化」やリストラなどが公然とまかり通り、不安定労働が増大し、人びとは、かえって忙しい労働と苦しい生活を強いられることになったのです。

 しかし、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会にあっては、市場競争ははるかに緩和され、科学技術の成果は、もっぱら「菜園家族」とその他の自営業を支える広範で細やかなインフラに振り向けられます。それはまた、押し寄せる国際競争の波の侵蝕に対して、抗体ともなるべき、内需基調の循環型地域経済システムの構築を促すことにもなるのです。
 こうして、人びとは、やがて過密・過重な労働から解放されます。その結果、自給自足度の高い「菜園家族」とその他の自営業者は、時間的にもゆとりを得て、自由で創造的な文化的活動に情熱を振り向けていくでしょう。

このことについては、最近、当里山研究庵Nomadホームページで連載した「要諦再読」の「その23」(2023年7月28日付)および「その24」(2023年8月4日付)において、「『菜園家族』を土台に築く近代超克の円熟した先進福祉大国 ―高次の新たな社会保障制度を探る― ①・②」と題して、詳しく展開している。
 「要諦再読 その23」https://www.satoken-nomad.com/archives/2499
 「要諦再読 その24」https://www.satoken-nomad.com/archives/2509

21世紀の新しい地域協同組織体「なりわいとも」
 このような「菜園家族」は、決して単独で孤立しては生きていくことができません。また、1節でも述べたように、「菜園家族」が育成されるためには、そのゆりかごとしての場、すなわち、“森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)”の再生が必要不可欠です。ここでは、「菜園家族」を基礎単位に形成される協同組織体の特質について、流域地域圏(エリア)との関連で見ていきましょう。

 「菜園家族」構想の初動における核心は、CFP複合社会の形成であり、その発展・円熟にあります。そして、基礎的にもっとも大切なことは、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の社会基盤に、農的な家族である「菜園家族」を据え、これを拡充していくことです。したがって、「菜園家族」の農的ななりわいの性格上、流域地域圏(エリア)では、当然の帰結として、“森”と“水”と“野”という3つの自然要素のリンケージを基礎に、新たな“協同の世界”が甦り、それが熟成する方向を辿ります。
 その結果、近世の“村”の系譜を引く、今日衰退の一途を辿る「集落」(=大字おおあざ あるいは地区)は、新たな地域再生の出発の基盤として生まれ変わっていきます。

 そして、週に2日は賃金労働者(サラリーマン)であり、かつ残りの5日は農民家族経営の主体である「菜園家族」が、「労」・「農」一体の二重化された性格をもつことから、家族同士が補い合い、助け合う地域の協同のあり方もまた、二重化された性格をもつはずです。それは、近世の“村”の協同性と、資本主義の横暴から自己を防衛する組織体として現れた近代の協同組合(コープラティブ・ソサエティ)、これら2つの性格を併せ持つ、「なりわいとも」という新しいタイプの地域協同組織体として登場します。

 この「なりわいとも」は、旧ソ連のコルホーズ(農業の大規模集団化経営)などに見られるような、農地など主要な生産手段の共同所有にもとづく、共同管理・共同経営体ではありません。あくまでも自立した「菜園家族」が基礎単位になり、その家族が、生産や流通、そして日々の生活、すなわち「なりわい」(生業)の上で、自律的、主体的に相互協力する「とも」(仲間)を想定するものです。

図2-2 森と海を結ぶ流域地域圏の団粒構造
図2-2 森と海を結ぶ流域地域圏の団粒構造

 そして、この「なりわいとも」は、集落(“村”)レベルがおそらくは基本となるものの、それ単独で存在するのではなく、「くみなりわいとも」(隣保レベル)、「村なりわいとも」(集落レベル)、「町なりわいとも」(市町村レベル)、「郡なりわいとも」(郡レベル)、「くになりわいとも」(県レベル)といったように、多次元にわたる、土壌学でいうところの多重・重層的な団粒構造を形づくっていきます(図2-2)。

 各レベルの「なりわいとも」について、もう少し具体的に見ていきましょう。
 「菜園家族」は、作物や家畜など生き物を相手に仕事をしています。一日でも家をあけるわけにはいきません。夫婦や子ども、祖父母の三世代全員で助け合い、補い合うのが前提です。けれどもそれでも足りない場合、とくに週2日の出勤の日や病気のときなどは、隣近所の家族からの支援がなければ成り立ちません。やむなく夫婦ともに出勤したり、外出したりしなければならない留守の日には、近くの3家族ないしは5家族が交代制で、作物や家畜の世話をすることになるでしょう。これが、「くみなりわいとも」の果たす基本的な役割です。

 週2日は従来型のサラリーマンとしての勤務に就く必要から、「くみなりわいとも」には、近世の農民家族間にはなかった「菜園家族」独自の、新たな形態の“協同性”の発展が期待されます。
 もちろん、お互いに農業を営んでいることから、“森”と“水”と“野”のリンケージを維持管理するために、近世農民的な“協同性”が必要不可欠であることに変わりはありません。
 したがって、「くみなりわいとも」には、近世の“協同性”の基礎の上に、「菜園家族」という労農一体的な性格から生まれる独特の近代的な“協同性”が加味されて、新たな“協同性”の発展が見られるはずです。
 「くみなりわいとも」は、このような“協同性”の発展を基礎にした3~5の「菜園家族」から成る、新しいタイプの隣保協同体なのです。

 この隣保協同体で解決できない課題は、「くみなりわいとも」が数くみ集まってできる上位の協同体「村なりわいとも」で取り組まれます。「村なりわいとも」は、近世の“村”の系譜を引く集落としてのロケーションを基本的に引き継ぎ、その“協同性”の内実を幾分なりとも継承しつつ、「菜園家族」という労農一体的な独特の家族小経営をその基盤に据えていることから、近代的協同組合(コープラティブ・ソサエティ)の性格をも併せもつものになるでしょう。

 この集落がもつロケーションは、自然的・農的立地条件としても、人間が快適に暮らす居住空間としての場としても、長い時代を経て選(え)りすぐられてきた、優れたものを備えています。
 こうした農村集落は、高度経済成長期を経て、過疎・高齢化が急速に進行し、今や「限界集落」と化し、深刻な問題を抱えてはいますが、それでも何とか生き延びて、その姿をとどめています。
 「菜園家族」構想実現への初動段階では、こうした集落を基盤に「村なりわいとも」の再構築がはじまります。

 「村なりわいとも」の構成家族数は、一般に30~50家族、多くて100家族程度ですから、合議制に基づく全構成員参加の運営が肝心です。
 自分たちの郷土を点検し、調査し、立案し、未来への夢を描く。そしてみんなでともに楽しみながら実践する。時には集まって会食し、楽しみながら対話を重ねる。こうした繰り返しの中から、ことは動き出すのです。

 「村なりわいとも」の基盤となる集落が、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の海岸線に近い平野部にあるか、平野部の周縁から山麓に至る農村地帯にあるか、あるいは奥山の山間地にあるか。それぞれの自然条件によって、「菜園家族」と「村なりわいとも」の活動のあり方は、だいぶ違ってきます。
 「森の民」であり、「森のなりわいとも」であれば、今日放置され荒廃しきった森林をどのように再生し、どのように「森の菜園家族」を確立していくのか。そして過疎化と高齢化の極限状態におかれた集落をどのように甦らせるのか。「村なりわいとも」の直面する課題は実に大きいのです。
 また、それが平野部の農村に位置する場合は、農業後継者不足や耕作放棄などの迫り来る課題を克服する必要があります。それぞれ特色のある「菜園家族」と「村なりわいとも」を築き、取り組んでいくことになるでしょう。

 それぞれの地形や自然に依拠し、土地の社会や歴史や文化を背景にして、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)内には、おそらく100程度の新しい「村なりわいとも」が誕生するでしょう。
 これら「村なりわいとも」は、それぞれ個性豊かな森の幸や野の幸や川・海(湖)の幸を産み出します。「村なりわいとも」が、流通の媒体となって、モノやヒトが森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)内を循環し、それぞれの地域に不足するものを補完し合う。こうした交流によって、地域圏(エリア)としてのまとまりある一体感が芽生えてきます。
 こうした物的・精神的土壌の上に、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の「なりわいとも」、つまり「郡なりわいとも」が形成されることになるのです。

 地方の事情によっては、今日の市町村の地理的範囲に、「郡なりわいとも」の下位に位置する「町なりわいとも」が形成される場合もあると思います。そして、下から積み上げられてきた住民・市民の力量によって、多重・重層的な地域団粒構造が築き上げられ、さらに県全域を範囲に、「郡なりわいとも」の連合体としての「くになりわいとも」が、必要に応じて形成されるでしょう。

 このように見てくると、来たるべき自然循環型共生社会としての“近江国(おうみのくに)広域地域圏(県)”内には、「菜園家族」から「くになりわいとも」に至る、1次元から6次元までの多重・重層的な団粒構造が形成されます。そして、単独では自己を維持できないそれぞれの次元の組織体が、団粒構造のより上位の次元と、生産活動や日常の暮らしにおいて、必要に応じて自由自在に連携する。それによって、自己の弱点や力量不足を補完する優れたシステムが成立することになるのです。

図2-3 土壌の単粒構造と団粒構造
図2-3 土壌の単粒構造と団粒構造
(出典)岩田進午『土のはなし』大月書店、1985年

 「団粒構造」とは、もともと土壌学において、隙間(すきま)が多く通気性に富んだ、作物栽培に最も適したふかふかの土を指す言葉です(図2-3)。
 このような土は、微生物が多く繁殖し、堆肥などの有機物もよく分解され、養分の面でも、単粒構造の砂地やゲル状の粘土質の土とは比較にならないほど優れています。
 団粒構造の土壌は、土中の微生物からミミズに至るまで、大小さまざまのあらゆる生き物にとって、実に快適ないのちの場となっています。あらゆるいのちあるものが、相互に有機的に作用し合い、自己の個性にふさわしい生き方をすることによって、他者をも同時に助け、自己をも生かしている。そんな世界なのです。

 1次元の「菜園家族」から6次元の「くになりわいとも」に至る、各次元に位置する「団粒」が、個々に独自の特色ある個性的な活動を展開することによって、総体として森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)や“近江国(おうみのくに)広域地域圏(県)”は、ふかふかとした滋味豊かな団粒構造の土壌に、長い歳月をかけて熟成されていきます。
 地域社会の発展とは、上から「指揮・統制・支配」されてなされるものではなく、あくまでも底辺から、自然の摂理に適った仕組みの中で保障されるのではないでしょうか。

第2章2節の引用・参考文献
岩田進午『土のはなし』大月書店、1985年
小貫雅男・伊藤恵子『森と海を結ぶ菜園家族 ―21世紀の未来社会論―』人文書院、2004年

       ――― ◇ ◇ ―――

新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の掲載にあたっては、明らかな誤字・脱字・舌足らずな表現の類い等の若干の訂正以外は、原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)が出版された15年前の時点でのこの地域の実情をそのまま忠実に再現し伝えることを期して、統計資料、地図、文中の統計数字、関連する諸研究の成果などについては、改変を加えることなく、出版当時の通り、そのまま原典から収録することにしました。

2023年11月24日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

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