連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」第2章3節

新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―

第2章  人間復活の「菜園家族」構想

3 自然の摂理と「菜園家族」

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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
第2章  人間復活の「菜園家族」構想
3 自然の摂理と「菜園家族」
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図2-4 自然界~「適応・調整」の原理~
図2-4 自然界~「適応・調整」の原理~

3 自然の摂理と「菜園家族」

自然界を貫く生成・進化の「適応・調整」(=「自己組織化」)原理
 21世紀の社会構想、つまり「菜園家族」構想は、ある意味では、自然への回帰によって今日の市場原理至上主義「拡大経済」を止揚し、自然の摂理に適った精神性豊かな社会の構築をめざすものである、と言ってもいいでしょう。
 そこで、「菜園家族」構想をより深く理解するために、ここでは次の2つのことについて根源的次元に立ち返り、あらためて考えてみたいと思います。1つは自然界を貫く生成・進化の原理とはいったい何なのか、もう1つはその原理と私たち人間社会とはどのような関係にあるのか、といった問いです。

 四十数億年前に地球が誕生して以後、気も遠くなるような長い時間をかけて、地球が変化する過程で起きた緩慢な化学合成によって、生命をもつ原始生物は出現したと考えられています。それが、今からおよそ38億年前、太古の海にあらわれた最初の生命です。それは単細胞で、はっきりとした核のない原核細胞生物であったといわれています。

 すべての生物個体は、細胞から成り立っているのですが、生物が誕生するためには、まず、前細胞段階のものが形成される必要があります。つまり、太古の海にできた有機物が生命体になるためには、なんらかの外界との境界ができ、細胞のように一定の内部環境が形づくられなければなりません。やがて、酵素や遺伝子(DNA)などを含む前細胞段階のものが生まれ、長い歳月をかけて変化を遂げるうちに、成長や物質交代能力、分裂能力をもつようになり、原始生物へ進化したと考えられています。

 こうして誕生した最初の生命体である原核細胞生物の段階から出発し、約38億年という歳月をかけて、ついに大自然界は、人間という特異で驚くべき傑作をつくりあげたのです。
 それだけに、人間の体の構造や機能の成り立ちを、細胞の核や細胞質の働きから、生物個体の組織や器官の1つひとつの果たす役割、そして生物個体全体を有機的に統一している機能に至るまで垣間見る時、それらの驚くべき合理的な機能メカニズムの仕組みに、ただただ圧倒され驚嘆するほかありません。
 60兆ともいわれる無数の細胞から組み立てられた、この人間という生物個体の不思議に満ちた深遠な世界に引き込まれていくと同時に、それを数十億年という歳月をかけながら、ゆっくりと熟成させてきた自然の偉大な力に感服します。

原始人

 これに比べて、直立二足歩行をし、石器を使用した最古の人類があらわれたのは、たかだか250万年前といわれています。やがて、遅かれ早かれ人類には、自然生的(ナチュラル)な共同体が最初の前提として現れます。それは、家族や種族や種族連合体としてです。
 この原始的で本源的な共同社会は、私的所有の発生・発展によって、古代から中世へ、そして近代へと様々な形態に変形されていきました。古代以降においては、社会の上層に一定の政治的権力が形成され、その「指揮・統制・支配」の原理によって、何らかの下部組織がつくりあげられ、ひとつのまとまりある社会が形成・維持されてきました。近代になると、民主主義の一定の発展によって、国家機構は若干改良されたとはいえ、国家の本質が、「指揮・統制・支配」であることに変わりありません。

 このように、人間社会は、構造上・機能上、極めて反自然的な、つまり人為的で権力的な「指揮・統制・支配」の原理によって、ひとつの社会的まとまりを保ち、それに見合ったさまざまなレベルの社会組織が形成され、管理・運営されてきました。

 これに対して、人間という生物個体は、生命の起源以来数十億年という長い歳月をかけて、大自然の恐るべき力によって自らの構造や機能を極めて自然生的で、しかも現代科学技術の最先端をゆく水準よりもはるかに精巧で高度な「適応・調整」原理に基づく機能メカニズムに、完全なまでにつくりあげられていることに気づかされます。ここでは、権力的な「指揮・統制・支配」の原理は微塵も見られません。まさに自然生的な「適応・調整」原理によってのみ、生命活動が営まれているのです。

 私たちは、この偉大な大自然界が数十億年という歳月を費やしてつくりあげてきた、自然界の最高傑作としかいいようのない、人間という生物個体の「適応・調整」原理に基づく機能メカニズムを、人間社会に組み込む必要に迫られています。
 現代の人間社会は、極めて人為的な権力による「指揮・統制・支配」の原理に基づくメカニズムの中に依然としてとどまり、いまだにそこから脱却できずにいます。人間という生物個体のこの自然生的な「適応・調整」原理に基づく機能メカニズムに限りなく近づくことによってはじめて、この課題は解決されるはずです。

 そのためには何よりもまず、人間という生物個体の基礎単位である細胞の機能・構造上の原理をモジュール化し、現代資本主義社会の地域の基礎単位に甦らせる必要があります。それはとりもなおさず、いわば人体の1つ1つの細胞にあたる家族を、「賃金労働者」と「農民」といういわば近代と前近代の人間の社会的生存形態の融合によって、21世紀にふさわしい新たな家族形態、つまり「菜園家族」として再生し、これをCFP複合社会の基礎単位に組み込み、さらにそれを地域団粒構造にまで熟成させていくことなのです。
 これが、真に民主的な手続きによって成立する地方自治体および「民主的政府」の究極の目標であり、最大の課題となります。そしてそれは、この政府を支持するすべての人々の暮らしの中から出てくる切実な願いでもあります。

 さて、現代の自然科学の到達点を鑑みながら、さらに深く考えをめぐらしていくと、この「適応・調整」原理は、実は、宇宙における物質的世界と生命世界の生成・進化のあらゆる現象を貫く普遍的な原理であるように思えてきます。
 細胞は、たくさんの異なった分子がともに働いている生命の統一体です。分子はたくさんの原子の集まりであり、さらに原子は素粒子の集まりです。そして、分子も細胞も生物個体も、惑星も太陽系も銀河系も、この宇宙のすべての存在はきわめて極小のレベル、すなわち原子よりも小さい素粒子、さらには量子のレベルの“場”にあって、互いに強く繋がっています。

 最新の説では、この量子レベルのエネルギーの“場”は、エネルギーを運搬するだけでなく、情報も伝達しているといわれています。これは従来の宇宙観とは大きく違い、宇宙は記憶をもっているということになります。一度生まれた情報は、その量子エネルギーの“場”に痕跡を残し、決して消え去りはしません。“過去”は宇宙の量子エネルギーの“場”に保存され、そこから情報を得て、新しい世界をたえず構築していくということなのです。

自然法則の現れとしての生命
 こうした自然科学の成果や新しい宇宙観に立つ時、次のような仮説が措定されます。
 物質あるいは生命のすべての存在は、それぞれが、分子や原子やさらに小さい素粒子の「極小の世界」から、生命世界のDNAや細胞核や細胞、そして生物個体から生態系への一連の生命系、さらには惑星や太陽系や銀河系など宇宙の「極大の世界」に至る遠大な系の中の、いずれかのレベルの“場”に位置を占めています。
 これは「自然の階層性」といわれるものですが、物質あるいは生命のすべての存在は、素粒子よりもさらに深遠な量子エネルギーのレベルで働く共通の広大無窮の“場”にあって、しかも宇宙や自然界の多重・重層的な“場”の構造のそれぞれのレベルの“場”において、外的環境の変化に対しては自己を適応させようとして、自己を調整し、自己をも変革さえしようとします。

 つまり、この宇宙の量子エネルギーの広大無窮の“場”にあって、物質あるいは生命のすべての存在には、究極において何らかの首尾一貫した統一的な“力”がたえず働き、貫かれていると考えられます。自然の摂理ともいうべき、まさにこの統一的な“力”こそが、自然界の生成・進化のあらゆる現象の深奥にひそむ源であり、これが宇宙や自然界のあらゆる現象を全一的に律する、「適応・調整」の原理なのです。

アンドロメダ座 系外銀河

 かねがね思いを巡らせてきたことなのですが、この自然界の生成・進化の「適応・調整」原理が成立する根拠は、一体どこにあるのでしょうか。このことについて、今考えられることを敢えて述べるならば、自然界のあらゆる事象がアインシュタインの数式E=mc(エネルギーE、質量m、光速c)と、エネルギー保存の法則のこの2つの命題の制約のもとにあることに依ると考えるのが、ごく自然なのではないでしょうか。

 つまり、はじめの命題からは、物質には膨大なエネルギーが秘められているということと、物質はエネルギーの姿を変えた形態に過ぎないということ。2番目の命題からは、自然界のあらゆる事象は、絶えず変化の中にあるのですが、その変化の前後においてエネルギーの総量は不変であるということ。
 まさにこの2つの命題(大法則)の制約のもとではじめて、すべての存在は外的環境の変化に対して、自己を適応させようとして自己を調整し、自己をも変革しようとするという、この自然界の生成・進化のあらゆる事象を貫く「適応・調整」の原理が必然的に導き出され、成立していると考えるべきなのではないでしょうか。

 ところで、自然淘汰と突然変異が、生物界における進化と、生物における秩序の唯一の原動力であると、長い間信じられてきました。しかし、淘汰によって選ばれた生物の形態が、もともと自然界を貫くより深遠な法則、すなわち「適応・調整」の原理によって生み出されたものであるならば、自然淘汰は形態を生み出す唯一の原動力ではなく、生物も、より深遠なこの自然法則の現れだということになります。したがって、われわれ人間も偶然の産物ではなく、生じるべくして生じたものだったということになるでしょう。

 ところが最近の研究によると、自然淘汰も、「適応・調整」原理のどちらも、単独では十分な働きをしない。つまり、自然淘汰は、より深遠な自然法則である「適応・調整」原理の単なる下位の従属的な法則でしかなく、「適応・調整」原理によって生じた秩序に対して働きかけをおこない、その秩序を念入りにつくりあげることになると考えられています。

 さて、話を少しもどして、この大自然界の「適応・調整」の原理を土壌の世界にも敷衍して、若干、述べておきましょう。土壌学でいうところの団粒構造も実は、宇宙や極小の世界の“場”に似せて、多重・重層的につくりあげられたものなのではないかとも考えられます。つまり、自然界の摂理ともいうべき「適応・調整」の原理が、自然界の中での次元はかなり異なってはいるものの、土壌の世界においても働き、具現されたものなのではないかということです。
 あるいは、むしろ団粒構造そのものが、土壌に限らず、分子や原子や素粒子などの極小の世界から、惑星など宇宙の極大の世界に至るあらゆるレベルにおいて現れる“場”の普遍的構造である、と言ってもいいのかもしれません。

 ところで、仮説としてのこの「適応・調整」の原理は、分子生物学・生物複雑系科学の第一人者である、アメリカのスチュアート・カウフマンが唱えている「自己組織化」 の原理と、奇しくも本質的な部分で重なるところが多いことに驚かされます。この分野では門外漢である者としては意を強くもし、その研究の今後の展開に期待しているところです。
 スチュアート・カウフマンのこの自己組織化の原理を、原子や素粒子の「極小の世界」から惑星など宇宙の「極大の世界」におよぶ自然界、さらには人間社会の生成・進化の現象にまで敷衍し、普遍にまで高めたのが、仮説としての自然界と人間社会を貫く生成・進化の「適応・調整」(=「自己組織化」)の普遍的原理なのです。

 アインシュタインが、「われわれは、観測される諸事実のすべてを体系化できるもっとも単純な思考の枠組みを探しているのだ」と語っているように、人類は、科学の確立された世界観を求めてすすんできたし、これからもすすんでいくにちがいありません。
 ここで提起した自然界と人間社会を貫く「適応・調整」(=「自己組織化」)の普遍的原理は、こうした今日の諸科学の進展の中で、その仮説としての有効性がいっそう明らかにされていくのではないでしょうか。

スチュアート・カウフマン 著、米沢登美子 監訳『自己組織化と進化の論理 ―宇宙を貫く複雑系の法則―』(日本経済新聞社、1999年)を参照。

自然界と人間社会を貫く生成・進化の普遍的原理と21世紀未来社会
 さて、「菜園家族」構想を現実のものにするためには、「菜園家族」形成のゆりかごとも言うべき森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内に、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)を制度的に確立することが鍵となります。
 ここでは、その重要性を、自然界と人間社会を貫く生成・進化の「適応・調整」(=「自己組織化」)の普遍的原理に照らして考えてみます。

図2-1 動物細胞の模式図
図2-1 動物細胞の模式図
(注)核・・・細胞活動をコントロール。染色体のDNAは遺伝子の本体。細胞膜・・・必要な物質を選択的に透過。エネルギーを使った能動輸送。細胞質基質・・・代謝・エネルギー代謝の場。中心体・・・細胞分裂に関与。ミトコンドリア・・・好気呼吸とATP生産の場。リボゾーム・・・タンパク質合成の場。リソゾーム・・・消化酵素の存在。ゴルジ体・・・分泌に関与。小胞体・・・物質輸送の通路。

 森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)社会を、生物個体としての人間のからだに譬えるならば、先に触れたように、「菜園家族」は、さしずめ人体の構造上・機能上の基礎単位である1つ1つの細胞にあたります。
 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングのもとでは、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内のそれぞれの「菜園家族」は、週に(2+α)日、自己の「菜園」で創造性豊かな多品目少量生産を営み、残りの日は、流域地域圏(エリア)内の中核都市など近隣の職場に労働力を拠出。その見返りに応分の賃金を受け取り、「菜園家族」自身を自己補完しつつ、安定的に暮らすことになります。

 それはあたかも、人体の60兆にもおよぶ細胞のそれぞれが、細胞質内のミトコンドリアで生産されるATPという、いわば「エネルギーの共通通貨」を、人体の組織や器官に拠出し、その見返りに血液に乗せて送られてくる栄養分を受け取り、細胞自身を自己補完しつつ生きている、というメカニズムに酷似しています(図2-1)。

 このように考えてくると、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングは、単なる偶然の思いつきで提起されたものと言うよりも、実は、自然界と人間社会を貫く生成・進化の摂理とも言うべき「適応・調整」の普遍的原理に則して、必然的に導き出されてくるシステムであるように思えてくるのです。

 ビッグバンによる宇宙の誕生から137億年。無窮の宇宙に地球が生まれてから46億年。太古の海に原初の生命があらわれてから38億年。大自然界は、この気の遠くなるような歳月を費やして、生物個体の構造や機能を極めて自然生的で、しかも現代科学技術の最先端を行く水準よりも、はるかに精巧で高度な「適応・調整」(=「自己組織化」)の原理に基づく機能メカニズムに、完全なまでにつくりあげてきたのです。
 連綿と続く生命の進化の果てに生まれた、自然界の最高傑作としか言いようのない人間という生物個体。この人体においてもまた、その生命の総合的な機能システムの根底には、自然界の「適応・調整」の原理が貫かれているのです。

 体温の自動調整機能1つをとって見ても、細胞内のミトコンドリアが果たすエネルギー転換の自律的で複雑な機能メカニズムを見ても、さらには、自律神経の巧妙なメカニズムを見ても、そのことに気づくはずです。自律神経は、人体を構成する約60兆もの細胞を意志とは無関係に調整しているだけでなく、血管、心臓、胃腸、内分泌腺、汗腺、唾液腺などを支配し、生体の機能を自動的に調整しています。交感神経と副交感神経の両者が外部環境や状況に応じてシーソーのように揺れ動き機能することで、私たちの体調が整えられているのです。この自然の偉大な摂理に感服するほかありません。

ドラゴン(銅版画調・モノクロ)

 ところが、「直立二足歩行」をはじめるようになり、両手の自由を獲得した人類は、「道具」の使用によって、脳髄を他の生物には見られないほど飛躍的に発達させていったのです。そして、人間に特有な「家族」、「言語」の発達とも密接に連動しつつ、いっそう脳を発達させながら、地球の生物進化史上、まったく予期せぬ重大な“出来事”をひきおこしていくのです。

 とりわけ「道具」の発達は、生産力の飛躍的な上昇をもたらし、いつしか人類は、剰余労働の収奪という悪習をおぼえ、身につけることになったのです。この時を起点に、人間社会の生成・進化を規定する原理は、自然界の「適応・調整」の原理から、きわめて人為的な「指揮・統制・支配」の原理へと大きく変質を遂げていったのです。

 「指揮・統制・支配」の原理に基づく世界に身を浸し生きている現代の私たちは、それが当たり前のことのように受け止めていますが、38億年という生命起源の悠久の歴史から見れば、「直立二足歩行」をし、石器を使用した最古の人類が現れたのは、たかだか300万年前です。ましてや人類史上におけるこの「指揮・統制・支配」の原理への移行に至っては、つい最近の出来事であると言ってもいいのです。

人のいのちを喰い散らし
精神の荒廃の淵へと追い遣る
飽くなき欲望の権化
資本主義という名の恐るべき怪獣

 人類が、大自然界に抱かれ生存し続けるためには、人間社会の生成・進化を規定している「指揮・統制・支配」の原理を、究極において、自然界の摂理とも言うべき「適応・調整」(=「自己組織化」)の原理に限りなく近づかせていかなければならないのです。
 さもなければ、大自然界の一隅にありながら、自然界の生成・進化の原理とは相対立する「指揮・統制・支配」の原理のもとに、恐るべき勢いで増殖と転移を繰り返し、今まさに地球を覆い尽くそうとしている人間社会という名の「悪性の癌細胞」を、永遠に抑制することはできないでしょう。

 「菜園家族」構想が自然と人間社会の共生と融合をめざす以上、究極において人間社会の編成原理と機能原理が自然界の生成・進化の原理に限りなく近づき、1つのものになるように人間の社会システムを構想するのは、至極当然のことでしょう。
 こう考えるならば、人体における細胞の「ミトコンドリアの機能」メカニズムと酷似する週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングが、「菜園家族」を基調とする来たるべき地域社会にとって、自然界の生成・進化の原理に適ったものとして機能し、その自然循環型共生社会成立の不可欠の条件になることも、あらためて納得できるはずです。

 人間社会は、自らを律する「指揮・統制・支配」の原理を、自然界を貫く「適応・調整」という本来の原理に限りなく接近させることによってのみ、大自然という母体を蝕む存在としてではなく、同一の普遍的原理によって一元的に成立する大自然界の中へとけ込んでいくことができるのではないでしょうか。
 人間は自然の一部であり、人間そのものが自然なのです。

 本当の意味での持続可能な自然循環型共生社会の実現とは、浮ついた「エコ」風潮に甘んずることなく、まさに人間社会の生成・進化を律する原理レベルにおいて、この壮大な自然界への回帰と止揚(レボリューション)を成し遂げることにほかなりません。
 今こそ人間存在を大自然界に包摂する新たな世界認識の枠組みを構築し、その原理と思想を地球環境問題や未来社会構想の根っこにしっかりと据えなければならないのです。

 21世紀の新たな歴史観として提起する生命本位史観とは、実は今ここで述べてきたこうした考えがその根底にあります。人間社会を宇宙の壮大な生成・進化の歴史の中に位置づけ、それを生物個体としてのヒトの体に似せてモジュール化して捉え直す時、この生命本位史観は、表現を変えれば近代を超克するいわば社会生物史観として、より明確な輪郭と説得性をともなって立ち現れてくることになるでしょう。

CFP複合社会を経て高次自然社会へ ―労働を芸術に高める
 この世界に、そしてこの宇宙に存在するものはすべて、絶えず変化する過程の中にあります。それはむしろ、変化、すなわち運動そのものが存在であると言ってもいいのかもしれません。「菜園家族」を基調とするCFP複合社会も、決してその例外ではありません。

 ここでは、CFP複合社会の展開過程を、まず、C、F、P3つのセクター間の相互作用に注目しながら見ていきたいと思います。そして、その側面から、人間の労働とは一体何なのかを問いつつ、その未来のあるべき姿についても同時に考えていくことにしましょう。
 まず、資本主義セクターCの内部において、現代賃金労働者と生産手段(農地や生産用具など)との再結合がすすみ、「菜園家族」への転化が進行していきます。家族小経営(「菜園家族」と「匠商家族」)セクターFは、時間の経過とともに増大の一途を辿り、その結果、セクターCにおける純粋な意味での賃金労働者は、漸次、減少していきます。

木肌

 国土に偏在していた巨大企業や官庁などが分割・分散され、全国各地にバランスよく配置されることによって、賃金労働者と農民の性格、ないしは人格を二重に合わせもつ「菜園家族」の生成はいっそう進展し、全国の隅々にまで広がっていきます。こうして自給自足度の高い、自律的な家族が国土に隈無く広がることと相俟って、巨大企業の分割配置がさらに促進され、企業の規模適正化が確実にすすんでいきます。

 その結果、適正規模の工業や流通・サービス産業から成る中小都市を中核に、「菜園家族」のネットワークが森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)全域に広がりを見せ、美しい田園風景が次第に国土全体を覆っていくことでしょう。こうして、熾烈な市場競争はおおいに緩和の方向へとむかい、資本主義セクターCは、自然循環型共生社会にふさわしい性格に次第に変質する過程を辿っていくことになるのです。

 他方、成長途上にある家族小経営セクターFでは、自然と人間との間の直接的な物質代謝過程が回復し、自然循環型共生のおおらかな生活がはじまります。労働に喜びが甦り、人間の自己鍛錬の過程が深まっていきます。自然循環型共生の思想と倫理に裏打ちされた、新しい人間形成の過程がはじまるのです。「菜園家族」独自のきめ細やかで多様な労働を通じて、人びとに和の精神が芽生え、共生の精神によって人びとの輪が広がっていくことでしょう。

 このCFP複合社会形成の時代は、おそらく10年、20年といった短い歳月ではなく、30年、50年、あるいはそれ以上の長い時代を要することになるのかもしれません。それは、今日人類にとって避けては通れない喫緊の課題となっているエネルギーや資源の浪費抑制や、「2050年までに世界のCO排出量を半減する」という国際目標にも呼応する、重要なプロセスのなくてはならない一翼を担うことになるでしょう。

 こうした長きにわたる時代の経過の中で、家族小経営セクターFはますます力をつけて発展していきます。それにともなって、資本主義セクターC内部の個々の企業や経営体は、次第に自然循環型共生社会にふさわしい内容と規模に変質を遂げながら、漸次、公共的セクターPに転化・移行していきます。
 やがて、このCFP複合社会の時代の最終段階では、資本主義セクターCはその存在意義を失い、ついには自然消滅し、家族小経営(「菜園家族」と「匠商家族」)セクターFと公共的セクターPの二大セクターから成るじねん社会としてのFP複合社会(自然循環型共生社会)が誕生します。この時はじめて、資本主義は超克されるのです。それでも、この段階に至ってもなお、「菜園家族」を基調とする家族小経営セクターFが、依然としてこの社会の土台に据えられていることに、かわりはないでしょう。

海底に透ける石

 かくして、CFP複合社会の長期にわたる展開過程を経て、最終的に成立したF、Pの二大セクターから成るじねん社会としてのFP複合社会(自然循環型共生社会)は、さらに長期にわたる熟成のプロセスを経て、ついには人間復活の高次自然社会に到達します。
 そこでは、支配、被支配の階級対立は次第に解消し、権力の象徴である国家は消滅します。そして人類は、権力に強制され民衆同士が殺し合う凄惨な戦争を、極悪非道の大罪として永遠に葬り去るでしょう。
 この高次自然社会は、はるか遠い未来に到達すべき人類の悲願であり、究極の目標であり、夢でもあるのです。

 CFP複合社会の形成からはじまって高次自然社会に到達する、この長いプロセスを貫く特質は、いずれも「菜園家族」がいわば生物個体としての人体における細胞のように、地域社会の最小の基礎単位であり続ける点です。
 したがって、「菜園家族」が農地と生産用具を含む生産手段との有機的な結合を維持している限り、この家族の構成員である子どもから老人に至る個々人にとっても、自然と人間との間の直接的な物質代謝過程が安定的に確保されることになります。この過程に投入される労働を通じて、人間は自然を変革すると同時に、何よりも人間自身をも変革する条件とその可能性を絶えず保持し続けるでしょう。

 このことは、CFP複合社会の形成から高次自然社会に至る全過程を貫く法則であるのです。したがって、社会の細胞である最小の基礎単位が「菜園家族」である限り、この社会は、人間の発達と人間形成を基軸に据えた、これまでには見られなかった優れた社会システムとしてあり続けることが可能になるのです。

 生産手段(「菜園」)が家族小経営の基礎にしっかりと組み込まれている限り、「菜園」での労働過程の指揮系統は、労働主体である人間の外部にあるのではなく、労働主体である人間と一体のものであり続けます。したがって「菜園家族」は、まさにこの指揮系統を自らのものとして自己の内部に獲得し続けるでしょう。

 労働過程を指揮する営みを精神労働と看做し、それに従って神経や筋肉を動かす労働を肉体労働とするならば、もともと精神労働と肉体労働とは、一人の人間の中に分かち難く統合されていたものです。その両者の分離は、労働する人間から生産手段(農地や生産用具など)を奪った時からはじまるのですが、この精神労働と肉体労働の両者の分離こそが、労働から創造の喜びを奪い、労働を忌み嫌う傾向を生み出してきたのです。

 主体性を失い、苦痛のみを強いられるこうした労働とは対照的に、芸術的創作は疲れや時間の経過さえ忘れさせるほど、人間に喜びをもたらすものです。それは、本来の芸術が精神労働と肉体労働の両者の統一されたものであり、まさにそこに創造の喜びの源泉があるからにほかなりません。
 「菜園家族」構想は、資本主義が生み出した賃金労働者と生産手段(農地と生産用具など)との、まさにこの分離を「再結合」させることによって、労働過程に指揮する営み、つまり精神労働を取り戻し、両者の統一を実現し、労働を芸術にまで高めようとするものなのです。

 労働が芸術に転化したときはじめて、人間は、創造の喜びを等しく享受することになるでしょう。その時、人間は、市場原理至上主義「拡大経済」のもとで物欲や金銭欲の充足のみに矮小化された価値観から次第に解き放たれ、多元的な価値に基づく多様で豊かな幸福観を形成し、前時代には見られなかった新たな倫理と思想を育んでいくにちがいありません。

 CFP複合社会がどんなに高い水準に達し、さらに人類の夢である高次自然社会に到達したとしても、この社会から家族小経営としての「菜園家族」が消えることはないでしょう。「菜園家族」がこの社会の最小の基礎単位であり続けなければならない理由は、まさに人間の労働に本来の喜びを取り戻すために不可欠なものであるからであり、しかも、自然との融合による素朴で精神性豊かな世界への回帰を実現し、健全で豊かな人間形成にむけて、人間そのものの変革過程を恒常的かつ永遠に保障するものであるからなのです。
 人間の変革過程が静止した時、人間は人間ではなくなるでしょう。

第2章3節の引用・参考文献
川上紳一『生命と地球の共進化』日本放送出版協会、2000年
黒岩常祥『ミトコンドリアはどこからきたか』日本放送出版協会、2000年
木村資生『生物進化を考える』岩波新書、1988年
中村桂子『生命誌の世界』日本放送出版協会、2000年
スチュアート・カウフマン 著、米沢登美子 監訳『自己組織化と進化の論理 ―宇宙を貫く複雑系の法則―』日本経済新聞社、1999年
 原典は、Kauffman, Stuart “AT HOME IN THE UNIVERSE:The Search for Laws of Self-Organization and Complexity”, Oxford University Press, Inc., 1995
メラニー・ミッチェル 著、高橋洋 訳『ガイドツアー 複雑系の世界 ―サンタフェ研究所講義ノートから』紀伊國屋書店、2011年
 原典は、Mitchell, Melanie “COMPLEXITY:A Guided Tour”, Oxford University Press, 2009
池内了『これだけは知っておきたい物理学の原理と法則』PHP研究所、2011年
相原博昭『素粒子の物理』東京大学出版会、2006年
南部陽一郎『クォーク 第2版 ―素粒子物理はどこまで進んできたか―』講談社、1998年
スティーヴン・W・ホーキング『ホーキングの最新宇宙論』日本放送出版協会、1990年
サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』上・下 新潮社、2006年
村山斉『宇宙は何でできているか』幻冬舎、2010年
アリス・カラプリス 編『アインシュタインは語る』大月書店、1997年

       ――― ◇ ◇ ―――

この第2章3節については、新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)をベースにしつつ、本旨をより正確に理解していただけるよう書き改めました。

2023年12月1日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

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