“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その22―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その22 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <6>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

世界的複合危機の時代を生きる ②
―避けては通れない社会システムの根源的大転換―

――CO排出量削減の営為が即、
  古い社会(資本主義)自体の胎内で
  次代の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと
  自動的に連動する
  CSSK社会メカニズムの提起――

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要諦再読 ―その22―
“世界的複合危機の時代を生きる ②”
(PDF:668KB、A4用紙13枚分)

黒地にピンクとグレーの花・うぐいす色の葉

5 CSSK特定財源による彩り豊かな国土と民衆の生活世界の再生

CSSK特定財源による人間本位の新たなる公共的事業と地域再生
 道路やハコモノなどといわれてきた従来型の大型公共事業への財政支出では、工事執行の限られた期間だけにしか雇用を生み出すことができない。工事が終了すれば、基本的には道路やダムやトンネルなどといった大型建造物は公共財として残るものの、雇用は即、喪失してしまう。
 したがって、国・地方自治体や企業は、新たな需要を求め、また、失われた雇用を維持確保するためにも、さらなる大型公共事業を、現実の社会的必要性を度外視してでも、繰り返し続けなければならないという悪循環に陥る。
 当初はそれなりに時代の要請に応えて行われてきたかつての大型公共事業が、莫大な財政赤字を累積し、国民からしばしば「ムダ」と汚職の温床と批判され、次第に精彩を失っていったのは、こうした事情による。

 このような従来型の大型公共事業に対して、「要諦再読―その21―」で触れたCSSK特定財源による、CO排出量削減と「菜園家族」創出・育成のために恒常的に投資される新しいタイプの「公共的事業」であれば、事情は一変する。

 このCSSK特定財源によるいわゆる「菜園家族インフラ」への投資、つまり、「菜園家族型公共的事業」であれば、従来のような巨大ゼネコン主導の大型技術によるものではなく、地場の資源を生かした地域密着型の「中間技術」による多種多様できめ細やかな仕事が生まれてくる。その結果、雇用も地域に安定的に拡充され、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)は大いに活性化する。

 その上、この「菜園家族型公共的事業」であれば、財政執行の期間だけではなく、執行後においても、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとで、CSSKメカニズムをバックに新しく地域に生まれる「菜園家族」そのものが、いわば新規の安定した恒常的な「雇用先」となり、しかも永続的な「職場」として地域に確保されることになる。
 つまり、新しく生まれる「菜園家族」の構成員にとって、「菜園家族」それ自体が、もっとも身近で生活基盤に密着した、多品目少量生産の創造性豊かな、魅力あるまったく新しいタイプの「職場」になるのである。

 それにともない、「菜園家族」や「匠商家族」向けの住居・店舗や作業場・手工芸工房などの建築、農機具や家屋の修理・リフォーム、農道・林道の補修や圃場整備など、さらには、農作物加工、木工、工芸品の製作等々、「中間技術」による多種多様で細やかな仕事が生まれ、地域独自の特色ある持続可能な地場産業が育っていく。

 それだけではない。未来を担う子どもや孫たちにとってこの上ない、まさに「菜園家族」という人間形成の優れた場が地域に創出されることになる。それこそ本物の“自然循環型共生地域社会”という素晴らしい公共財が構築され、後世に継承されていくことになる。

 国土の至るところに「菜園家族」や「匠商家族」が誕生し、そのネットワークが広がりを見せはじめると、地方中小都市を中核とする森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)も、ようやく長い眠りから覚め、次第に甦る。
 これまで巨大都市に偏在し集中していた人々は、「菜園家族」や「匠商家族」の魅力に惹かれ、地方へと移りはじめ、中山間地にも奥山にも、「菜園家族」の暮らしは広がっていく。国土全体に均整のとれた配置を見せながら、平野部や山あいへと、土地土地に馴染んだ「菜園」と居住空間が美しいモザイク状に広げられていく。

地域分散・地域自律型の国土利用と民衆の創意性の発揚
 こうして人々が山に入るにしたがって、針葉樹のスギ・ヒノキに代わって、ナラやブナやクリなどの落葉樹や、クスやカシやツバキなどの照葉樹も次第に植林され、森林の生態系は大きく変わっていく。暗い針葉樹の人工林から、彩り豊かな明るく美しい山々に姿を変えていく。サルやシカやイノシシ、クマにとっても山林は十分にエサに恵まれた住みかとなり、農家にとって近年とみに悩まされてきた獣害問題も次第に解消へと向かうことになる。
 やがて、山あいを走る渓流や大小さまざまな湖、平野を縫うように流れる川や、突き抜けるような海や空の青さも甦っていく。

 国土の7割を占める広大な山村地帯。過疎高齢化に悩み、瀕死の状態に陥っている限界集落。手入れ放棄によって荒れ果てた森林、土砂災害の頻発。平野部の農村・漁村コミュニティの衰退・・・。「菜園家族」による森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生そのものが、こうした現状を克服し、地域分散・地域自律型の国土利用と地域の人々の助け合いを可能にするコミュニティの基盤構築につながっていく。
 これこそが、従来型の大型ダムや巨大防潮堤等々、ハード対策だけに頼るのではない、本来あるべき災害対策ではないか。災害発生時の対応のみならず、日常普段からの防災・減災を視野に入れ、森林、渓流、河川、平野、海、人間の居住空間など、自然と人間の生態系を全一体的(ホリスティック)に捉えた長期国土計画に基づく災害対策が、気候変動時代の今、求められている。
 こうした地域分散型の均衡ある国土構造への転換は、同時に巨大地震への対策やパンデミックの抑制と防止、それがもたらす社会経済の混迷の根源的克服にもつながるはずだ。

 CSSK特定財源による「菜園家族型公共的事業」は、自然の豊かさと厳しさに向き合いながら、日本の国土に、かつての上からの大型公共事業からは想像だにできない、多様で美しい民衆の生活世界を築きあげていくことになるであろう。
 このように考えるならば、このCSSKメカニズムをバックに展開する民衆主体の「菜園家族型公共的事業」は、非正規雇用の増大に伴う労働問題や経済の行き詰まりなど、ますます深刻化する今日の事態を打開する緊急経済対策として有効なばかりでなく、長い目で見ても、日本の風土に調和した原発のない脱炭素社会、そしてパンデミックにも耐えうる社会的免疫力に優れた自律的生活世界、つまり、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会を経て、素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への道を切り開く、決定的に重要な役割を果たしていくに違いない。

6 CSSKメカニズムに秘められた近代超克の意外にも高次のポテンシャル

 先にも述べたように、排出量取引と炭素税を組み合わせた「特定財源」に基づく新たなCSSKメカニズムのもとで、生産部門におけるCO排出量と、消費部門における化石エネルギー使用量が次第に抑制されていくのであるが、同時に「環境技術」の開発も、このCSSKメカニズムによって促進されていくことになるであろう。
 特にエネルギー生産の具体的方法や技術については、こうした「菜園家族」を基調とするなりわいや暮らしのあり方が国土全体に広がるにつれ、それにふさわしいものが各地に編み出されていくに違いない。
 CSSKは、再生可能な自然エネルギー、なかでも大型で「高度な」科学技術に頼らない、人間の身の丈に合った「中間技術」による地域分散自給自足型の小さなエネルギーの研究・開発、普及をも支援し、CO排出量のさらなる削減におおいに寄与することになろう。

 ここで再度、確認しておきたいことは、CSSKメカニズムによる「菜園家族」の創出と森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生そのものが、使い捨ての浪費に慣らされてきた私たち自身のライフスタイルと企業の生産体系を、社会の深層から着実に大きく変えていくということである。
 それはとりもなおさず、資本主義を根源的に問い直し、「菜園家族」基調のCFP複合社会を経て、自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への移行をめざすものであり、企業のみならず、一般家庭においても、「環境技術」による「省エネ」や新エネルギーの開発のみに頼り、地球生態系破滅の寸前にあっても、社会の根源的変革を忌避し、固守しようとする今日の不徹底な施策とは比較にならないほど大幅に消費エネルギー総量を削減する可能性を秘めている。
 したがって、CSSK方式においては、「菜園家族」とそれを基調とするCFP複合社会の創出そのものが、その新たな社会に生きる人間の意識、自然融合の人生観、世界観へと自己を根本から変革し、CO排出量大幅削減をも同時に決定づけていくのである。

 その定量的試算および検証については今後の課題として残されているが、そもそもこの「菜園家族」社会構想は、資本主義の本質を維持したままの未来を前提にしているのではなく、これまでには確立されていない人間の新たな社会的生存形態、「菜園家族」を創出することを通して、都市・農村を問わず、人々の生業のあり方、ライフスタイル、地域社会構造、産業構造をも社会の深層から長期にわたって根源的に変革させていくという提起である。
 したがって、定量的試算も、このような未知なる複雑な変化を見据えて、自然科学的側面のみならず、社会科学的側面をも含めた、実に多岐にわたる専門分野の知見を総合して試算しなければならない、長年を要する膨大な、しかも夢のある楽しい作業になるであろう。

 CSSK方式では、生産部門と消費部門から還流するいわば「特定財源」によってはじめて、CO排出量の大幅削減とエネルギーや資源の浪費抑制の多重・重層的、かつ包括的なメカニズムが、全体として有効かつ円滑に作動する。
 つまり、ここで敢えて繰り返し強調するならば、このCSSKメカニズムは、CO削減の営為が単にその削減だけにとどまることなく、同時に、古い社会(資本主義)自体の胎内で、次代のあるべき社会の新しい芽(「菜園家族」)の創出・育成へと自動的に連動していく、いわば社会変革の自律的運動をも合わせ持つ、意外にも高次のポテンシャルを内包しているのである。これが、CSSKメカニズムの優れたもっとも大切な特質であると言ってもいい。

 それは同時に、自然観と社会観の分離を排し、両者合一の普遍的原理、すなわち「適応・調整」の原理(=「自己組織化」)に則して、合法則的に人間社会を長期にわたって着実に変革していくという「菜園家族」社会構想の理念のまさに具現化そのものでもあるのだ。

 国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)が掲げる国際的約束、および2018年のIPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』が指摘する目標、そして2021年秋のグラスゴーCOP26で国際的に確認された合意文書、すなわちCO排出量削減の数値目標も、期限目標も、このCSSKメカニズムによってはじめて、原発に頼ることなく、現実的かつ確実に達成されていくことになろう。

今日の混迷と閉塞打開の唯一残された道
 生産手段と現代賃金労働者との「再結合」による新しい人間の社会的生存形態、「菜園家族」そのものが、自給自足度が高く、本質的に市場原理に抗する優れた免疫を備えていることから、CO排出量削減とエネルギーや資源の浪費抑制の究極の鍵になっている。
 したがって、「菜園家族」を基盤に、20年、30年、50年という長い時間をかけてゆっくりと築きあげていくCFP複合社会は、ますますグローバル化する世界金融や国際市場競争の脅威にもめげることなく、それに対抗する優れた免疫力を発揮しつつ、やがては、人類悲願の抗市場免疫の自律的な自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)へと着実に熟成していくにちがいない。

 それはとりもなおさず、外需に過度に依存する、無秩序で不安定極まりない輸出貿易主導型の今日の経済体系からの脱却であり、理性的に抑制された資源調整型の公正な貿易のもと、パンデミックにもめげない健全な内需主導型の異次元の社会経済へと着実に移行していくことでもある。そこではやがて、人間一人一人の尊厳が何よりも尊重され、自由・平等・友愛の精神に満ちた社会が実現される。
 私たちは21世紀において、たとえ長い歳月がかかろうとも、このような方法によって根気よく着実に資本主義を超克する新たな社会、つまり、「菜園家族」基調のCFP複合社会を経て、素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)をめざしていくほかに、道は残されていないのではないだろうか。

 気候変動、パンデミック、そしてウクライナ戦争という世界的複合危機の中、分断と対立、抗争がますます激化し、混迷を極め、精神的にも沈み込み、ますます閉塞していく今日の社会状況にあって、それを打開する究極の力は、生命系の未来社会論具現化の道であるこの「菜園家族」未来社会構想に基づくCSSKメカニズムによって触発され動き出す、民衆による新たな地域再生の力強いエネルギーであり、まさに草の根の民衆の自覚的な国民運動そのものなのである。

 次の7節において、パンデミックおよびウクライナ戦争が浮き彫りにした今日の私たち社会の脆弱性を如何に克服していくのか、このCSSKメカニズムの意義と役割をさらに深めて考えていきたい。

7 パンデミックによって露わになったこの国社会の構造的矛盾

新型コロナウイルスがもたらした社会経済的衝撃、その真相と本質
 ここでは、経済地理学・政治経済学者デヴィッド・ハーヴェイが2020年3月に発表した論考 “Anti-Capitalist Politics in the Time of COVID-19″(「COVID―19時代の反キャピタリズム運動」、翻訳・解説 大屋定晴、『世界』2020年6月号、岩波書店)で指摘されている大切な論点に着目しつつ、日本の現実に敷衍して若干述べておきたいと思う。

 貨幣価値の流れが生産、消費、分配、そして再投資を経て、利潤を求めるという終わりのない資本蓄積の拡大、成長の螺旋円環運動。注目すべきは、この資本主義経済の宿命的とも言える基本モデルにおいて、2007~2008年以後に急拡大した消費様式の変化である。
 この消費様式は、消費の回転期間をできる限りゼロに近づけることで指数関数的に増大する資本が、その結果として急増する価値を、可能な限り短期の回転期間の消費形態、つまり刹那的「体験型」消費形態によって吸収し、その矛盾を解消するものになっている。

 この刹那的「体験型」消費形態は、都市への人口集中、格差の拡大、際限のないグローバル化にいっそうの拍車をかけていく。これら3つのファクターは、いずれも相互に作用しつつ、一体となって気候変動と新型コロナウイルス・パンデミックのリスクを助長する、決定的で客観的な条件になっていること。そして今後もそうなることをしっかり記憶にとどめ、おさえておかなければならない。

 このことをもう少し具体的に見ていきたいと思う。
 2010年から2018年にかけて、世界の国際観光客数は8億人から14億人に跳ね上がったと言われている。近年わが国に見られる国際観光客数の急速な増加も、こうした資本の要求に唯々諾々と応える経済成長戦略、つまり「観光立国推進基本法」の制定(2006年)やビザ発給の要件緩和(2013年)などの一連の政策によってもたらされたものであった。
 このような刹那的「体験型」消費形態にともなって、航空会社、ホテル、レストラン、テーマパーク、そして文化イベント、カジノ、パチンコ、プロ野球やプロサッカー、プロバスケットボール等々スポーツに至るまで、巨大なインフラ投資が必要とされた。

 こうした状況下でのコロナ災禍である。航空会社は破産に瀕し、ホテルはガラ空きとなり、特に中小・零細接客業での大量失業が進行していった。外食は避けられ、飲食店やレストランやバーは閉鎖された。不安定な職に従事してきた非正規労働者は、真っ先に解雇され、路頭に迷っている。
 文化的祭典、プロ野球やプロサッカーやプロバスケットボールなどの試合は中止に追い込まれ、果てには東京オリンピック・パラリンピックは、委員会指導部への国民の不満や非難が高まる中、無観客にしてでも開催を強行する始末であった。
 ライブやコンサートなどあらゆるイベントも中止され、マスプロ化した大学は閉鎖された。現代資本主義の最先端を行く刹那的「体験型」消費形態は、機能不全に陥っていったのである。

 現代資本主義の7割から8割をも牽引しているのは、消費であると言われている。過去40年のあいだに、消費者の「信頼」と心情は有効需要を動員するカギとなり、マスメディアもこれに一役も二役も買って出て、資本はますます需要主導型の経済になっている。
 だが、新型コロナウイルス感染症が引き金となって、終わりのない資本蓄積のこの螺旋円環運動は、今や内に向かって倒壊しはじめ、最富裕国のアメリカにおいて、そしてわが国やその他の先進資本主義国でも、優勢と言われてきたこの刹那的「体験型」消費形態の核心で、大崩壊が起きたのである。

 何よりもむごいことに、この崩壊現象は、人口の圧倒的多数を占める小さき弱き者たち、そして非正規不安定労働者を振り落としながら、世界の一地域からあらゆる地域へと広がっていった。
 まさにこの事態は、1990年代初頭のソ連崩壊後、今日に至る30年間、新自由主義の競争原理至上主義、自己責任論が幅を利かせ、社会保障制度が切り捨てられてきた格差社会の上に襲いかかり、まともな医療さえ受けることのできない小さき弱き人々を感染による命の危険にもろに晒したのである。

パンデミックが浮き彫りにした近代特有の賃金労働者の脆弱性と非人道性
 世界史的には18世紀イギリス産業革命以来、長きにわたって存続してきた賃金労働者、つまり大地から引き離され、生きるに必要な最低限の生産手段をも失い、根なし草同然となった不安定きわまりないこの近代特有の人間の社会的生存形態を、もはやこのまま放置しておくわけにはいかなくなってきたのである。
 この近代特有の人間の社会的生存形態の脆弱性、非人道性は、このたびのパンデミックによって白日の下にさらけ出された。この人間の社会的生存形態、つまり現代賃金労働者そのものを将来に向かってどう変革していくのか、このことが今、私たちに突きつけられた、避けてはならない喫緊の核心的課題になってきたのである。

 先にも触れたように、日本政府は近年、「経済の金融化」によって指数関数的ににわかに増大する資本が生み出す膨大な価値を、可能な限り短期の回転期間の消費形態、つまり刹那的「体験型」消費形態によって吸収し、その矛盾を解消したいとする資本の要請に唯々諾々と応えて、「観光立国推進基本法」の制定(2006年)やビザ発給の要件緩和(2013年)などを梃子に、観光業やホテル・宿泊業、飲食業やイベントなどをはじめとするあらゆる業種の刹那的「体験型」消費形態を急速に生み出していった。
 パンデミックの危機的事態に至っても、自らの失政を省みず、今なおその重大な誤りに上塗りしてそれを死守し、何としてでも維持していきたいというのが、おそらく財界や為政者の本音であろう。

 そこに働く圧倒的多数は、不安定な職に従事してきた非正規労働者である。今や非正規労働者が雇用労働者の40%にのぼるのも、こうした事情と歴史的背景があるからなのだ。
 こうした刹那的「体験型」消費形態は、経済成長の新たな中軸を担い、下支えしてきたのであるが、新型コロナウイルス・パンデミックによって、その中軸から瓦解しはじめたのである。

 政府は巨大観光企業をパンデミックに伴う経営困難から救出するために、「Go To トラベル」だの、「Go To イート」などに1兆数千億円もの莫大な国民の血税を注いできた。
 菅義偉首相(当時)が、内閣官房長官在任中から長きにわたって懇意にしてきたデービッド・アトキンソン氏(元米金融大手ゴールドマン・サックスのアナリスト)から、訪日外国人客増加政策の提言を受け入れてきたことは、周知の事実である。そして、政権発足早々、新設した「成長戦略会議」のメンバーにも、このアトキンソン氏や竹中平蔵氏ら、弱者を切り捨てて憚らない新自由主義の急先鋒を臆面もなく起用した。

 しかし、私たちが守らなければならないのは、にわかに規模拡大した刹那的「体験型」消費形態である観光産業をはじめとする大経営体と、その背後にある巨大金融資本ではない。本当に守るべきは、そこに働く圧倒的多数の非正規労働者であり、小さき弱き者たちでなくてはならない。
 政府はこの際、わが国の地域の実態や住民、国民の厳しい暮らしの現実を直視し、そこから未来を見据えた長期展望に立って、何に財源を重点的に振り向けていくかを考えるべきである。「Go To キャンペーン」の施策一つとって見ても、菅前政権そのものの階級的本質をさらけ出した格好である。

 その後を引き継いだ岸田文雄政権(2021年10月~)も、装い新たに「新しい資本主義」を掲げ、「成長と分配の好循環」を唱えているものの、その本質において、安倍・菅自公政権と何ら変わるものではない。発足後、次々にその馬脚を現している。
 それどころか、ウクライナ戦争を口実に屁理屈を並べ立て、日本国憲法の精神を臆面もなく踏みにじり、性懲りもなく軍拡大増税、軍国主義の道へと面舵いっぱいに切ったのである。まさに戦争前夜の再来である。

8 CSSKメカニズムの円滑かつ着実な駆動が21世紀の新しい時代を創る

 この間、新型コロナウイルスが猛威を振るう中で、人々は健気にも個々人のレベルでは、「三密」を避けること、手洗いやアルコール消毒の励行、マスクの着用、外出の自粛など、数々の貴重な知恵と具体的な方法を学び取り、身につけてきた。
 その上で残された大切な課題は、疫学的、医療的問題として、「感染検査体制」(唾液による簡易な方法を含むPCR検査、抗原・抗体検査、下水道中のウイルス検査等々)と「医療体制」(保健所、無症状感染者の隔離効果を伴う宿泊療養施設、感染症対応中核病院・感染症拠点病院、体外式膜型人工肺ECMO、ベッド数、医療従事者の拡充および待遇の抜本的改善等々)の拡充・確立である。

 現在、新型コロナウイルスは収まりを見せているものの、再びパンデミックに見舞われた際には、こうした体制を整えた上で、これまでの疫学的、医療学的知見に基づいた徹底した定期的検査によって、陽性者と陰性者を厳正に峻別し、安全を確保しつつ、安心して社会的活動を行うことを如何に保障するかである。
 なかでも、陰性と判定されたエッセンシャル・ワーカー、および次代の地域社会の新たな創造をめざして都市から地方へ移住し活動しようとする人々、とりわけ非正規労働者や若者たちに対しては、未来社会のあるべき姿を見据えて、「菜園家族」や「匠商家族」といった希望ある新しい生活形態への移行を優先的かつ恒久的財政支援によって下支えしていくことが、格別に大切になってくる。

 この新型コロナウイルス・パンデミックのはるか以前から、既にわが国では高度経済成長以来、一貫して巨大都市への人口集中・超過密化、他方、農山漁村の過疎高齢化が同時進行し、今や地方においては限界集落・消滅集落が続出し、耕作放棄地面積の拡大に歯止めがかからない深刻な状態である。国土は均衡を失い、その歪みは極限に達している。

 このたびのコロナ災禍の中で、国民の自然への回帰、地方移住の意識は高まり、農ある暮らしの見直しへと変わりつつある。これは、パンデミックという全国民を巻き添えにした悲惨な事態をきっかけにようやく起こりつつある、社会の根源的変化の新たな兆しとも言えよう。
 これを転機に、高度経済成長以来、一貫して続いてきた地方から都市への人口移動を逆の方向、つまり大都市から地方への流れへと変え、わが国の経済社会構造を根底から変革していかなければならない。

 地球温暖化による気候変動を根源的に解決していくために、原発のない脱炭素の自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への移行を促すメカニズムとして、これまで再三にわたり提起してきたCSSKメカニズムは、今、新型コロナウイルス・パンデミックによって痛めつけられ、機能不全に陥った古い社会(資本主義)から脱却し、地域分散型の国土構造への転換と、大地に根ざした素朴で精神性豊かな暮らしのあり方の創造を促進していく上でも、同時に重要な役割を担っていくことになるにちがいない。

 こうした壮大な理念から打ち出される長期展望と、それに基づく具体的政策であるならば、きっと、刹那的「体験型」消費形態のもとで不安定雇用を余儀なくされてきた圧倒的多数の人々や、職を失い絶望の淵に立たされている人々を、未来ある新たな生活世界へと促していくことができるはずである。
 そして、観光業をはじめ刹那的「体験型」消費形態の業種の大小さまざまな経営体も、やがて自ずから、自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)にふさわしいものに変質と変容を遂げていくことであろう。

 このプロセスを実現させていく肝心要の鍵こそ、まさに生命系の未来社会論具現化の道としての「菜園家族」社会構想に基づくCSSKメカニズムであり、たとえ新たなパンデミックが猛威を振るうさなかにあっても、「感染検査」と「医療体制」が拡充され、万全である限り、このCSSKメカニズムは円滑かつ着実に駆動し、その実現へと向かわせていくにちがいない。

 これまでとはまったく違った自然融合の人生観、世界観に基づき、資本主義を超克する新たな時代を築き上げていくのである。そこに人々は、なかんずく若者たちは、生き甲斐を感じ、閉じ込められた陰鬱な闇の世界から希望の光を見出し、未来を担っていこうとするのではないだろうか。
 人間は、特に若者は、苦難の中でこそはじめて鍛えられていく。このたびの新型コロナウイルスの災禍が、まことの試練となり、希望に向かって自由にのびのびと生きる、そんな時代へのまたとない転機になることを切に願う。

9 21世紀、広範な国民運動の新たな土台となる「菜園家族」じねんネットワーク

 「要諦再読―その21―」の1節で提起した「菜園家族」じねんネットワークは、こうした広範な国民の切実な要求を汲み上げ、国民から真に信頼されるに足る、21世紀の新たな労働運動を社会の基底から下支えする重要な役割を果たしていくことになろう。
 それは、あたかも畑の作物を育てる土壌のように、さまざまな人間的活動や社会的運動に必要不可欠な地域づくりと職場づくりのエネルギーを涵養し、それを蓄え、さらに拠出する源泉とも言うべき役割を果たしていく。「菜園家族」じねんネットワークは、このような存在であってほしい。それは、主観的願望ではなく、客観的に見てもそうならざるを得ないであろう。

 それはなぜか。熾烈なグローバル市場競争によって、格差と不平等が社会を分断し、気候危機、新型コロナウイルスの脅威が人々を物質的にも精神的にも分断・孤立させ、窒息へと追い遣っている今、多くの人々がそれに代わる新たな社会の枠組みを切望している。
 こうした時代にあって、まさにこの「菜園家族」じねんネットワークが、市場原理至上主義「拡大経済」に対峙し、抗市場免疫の自律的な自然循環型共生の新たな地平をめざす時、それは農山漁村や地方中小都市、巨大都市部を含めた国土全域において、賃金労働者、農林漁業や匠・商を基盤とする家族小経営、中小企業、そしてあらゆる自由な個人やグループおよび団体(NPO・NGOなどの法人や各種協同組合、農林漁業・商工業団体、ユニオンなどさまざまな形態の労働組合、教育・文化・芸術・芸能・スポーツなどのグループや団体等々)をも包摂する、広範な国民運動を支える大切な母体となる可能性を秘めているからにほかならない。

 この「菜園家族」じねんネットワークは、老若男女、職業の如何を問わず、宗派や党派の垣根を越えて、相互に情報を交換し合い、学習し、切磋琢磨する、上下の関係を排したそれこそ対等で水平的な、活力ある本物のネットワークとして、今日の市場原理至上主義の苛酷な弱肉強食の「拡大経済」システムに対峙し、「菜園家族」を基調に、人間の自由と尊厳を尊重する精神性豊かな自然循環型共生の21世紀の未来社会をめざしていくことになろう。

明けぬ闇夜はない
 ここまで述べてきたCSSKメカニズムは、今日の資本主義社会を起点に、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会から自然循環型共生社会(じねん社会としてのFP複合社会)への全展開過程を促す具体的、かつ現実的な方法として提起され、その展開過程の中ではじめて有効に機能するものとして位置づけられている。したがって、「菜園家族」社会構想の全体像の中でこそ、理解が深まるものである。

 とりわけ、シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”の第六章および第十二章のCFP複合社会とその展開過程に関連する項目、さらに第九章の資本の自然遡行的分散過程に関する叙述を合わせ読むことによって、このCSSKメカニズムが、地球温暖化による気候変動、地球環境問題、さらにはパンデミック、ウクライナ戦争がもたらした社会経済的混乱という世界的複合危機を克服していく上で、根源的な提起となっていることが頷けるはずだ。
 それは、今日において客観的で理に適った社会的メカニズムであり、方法であるばかりでなく、重篤に陥った21世紀の現実世界を思う時、このメカニズムが内包する役割とその意義の大きさ、その影響の及ぼす奥行きの広さと深さ、そして合理性と現実的可能性からも、その創設の必要緊急性に気づくことになるであろう。

 ここまでに述べたように、IPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』は、今後、気候変動によって引き起こされる極端な異常気象、住民を襲う甚大な被害を予測し、今日の社会・経済システムの枠内を前提におこなわれてきたこれまでの地球温暖化・気候変動対策が今や限界に来ていることを、科学的データに基づく知見から警告、示唆している。
 ここに提起してきたCO排出量削減と新たな社会システムへの移行を連動させ、促進するCSSKメカニズムをいよいよ真剣に考え、広く議論し、実行に移すべき時に来ているのではないだろうか。こうした根源的な変革をめざす、まさに草の根の民衆運動の到来が、切に待たれるのである。

 このCSSKメカニズムをめぐって、それが現実社会において有効に機能するためには、従来のマクロ経済論はどうあるべきか等々、多岐にわたって具体的に議論が深められていくことになるであろう。それは、やがて来るべき脱成長時代のマクロ経済学はいかに変革されるべきかという、未来社会を視野に入れた一般原理論的レベルの問題へと必然的に展開していかざるをえないであろう。

 18世紀イギリス産業革命以来、今日まで支配的であった成長モデルに代わる新たな社会モデルがいまだ確立されていない現状を何とか打開し、今こそ未来への展望を確かなものにしていかなければならない時に来ている。
 2011年3・11福島原発苛酷事故、その後12年におよぶ自然と人間社会への深刻な打撃と引き続く混迷、そして、地球温暖化対策が特に大国間の利害対立によって先延ばしにされ、遅々として進まない中、世界各地で大きな高まりを見せている気候変動の脅威に対する世界の子どもたち・若者たちの切実な声は、まさにこの事態の打開の必要緊急性と、そのための私たち自身の主体的力量をいかに培い、発展させていくかという新たな難題を突きつけているのである。

 この現実的・具体的課題に真正面から向き合い、本気で取り組むことから、19世紀未来社会論を止揚し、それに取って代わる私たち自身の草の根の21世紀未来社会論の深化ははじまるのである。こうした努力の中から、今日の地球温暖化・気候変動対策の限界、そして、新型コロナウイルス・パンデミックの脅威のもとでの人々の思考の混乱、混迷、さらにはウクライナ戦争がもたらしている社会経済的危機、そして何よりも思想的退廃は、必ずや克服されていくに違いない。

 それにしても、数々の判断の誤りを認めようとはしない為政者の傲慢さ、ウソや欺瞞を恥とも思わぬ本性に深く根ざした言動、未来への展望のなさ、無為無策は、驚くべきである。もはや政権担当能力のなさを衆人の目の前にさらけ出した格好ではないか。
 奇しくも安倍元首相銃撃事件を機に露呈した、戦後長きにわたる歴代自民党政権と反社会的カルト集団、旧統一教会との根深い癒着。底知れぬ不気味な闇。戦後民主主義は事もあろうに、選りによって世界に誇る日本国憲法を最たる標的にされ、実に巧妙かつ狡猾に根底から切り崩されていったのである。
 そんな暗黒の政治を私たちは、戦後78年ものあいだ許したきたのだ。むしろそのことにこそ、私たち自身の内面の最大の危機があるのではないか。

 まさにこうした中、私たちは、気候変動とパンデミックがもたらす地球生態系の破局的危機に直面している。もはや時間は残されていない。だからこそなおのこと、一時凌ぎの糊塗に終わらせてはならない。
 たとえ迂遠に思えても、この時を逃すことなく根源的解決へと敢然と立ち向かわなければならない。さもなければ人類は、この差し掛かった破滅の道から引き返すことは、もはや望めなくなるであろう。

 人間の飽くなき欲望の権化、巨大資本という名の妖怪が、命の母なるこの惑星におびき寄せたあのおぞましい阿修羅ども。彼ら自らが招いた不穏な事態をいい口実に、民衆に敵愾心を煽り、分断と対立、さらなる軍拡競争へと拍車をかける。死臭漂い続ける戦乱の深い闇。
 それでも挫けずひたむきに生きる人々の心に、これまでにはなかった新たな地平から、この闇を引き裂く仄かな光がきっと射し込んでくる。

2023年7月22日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その22」の引用・参考文献
佐々木寛「<文明>転換への挑戦 ―エネルギー・デモクラシーの論理と実践」『世界』2020年1月号、岩波書店
石橋克彦「超広域大震災にどう備えるか ―大地動乱・人口減少時代の成長信仰が衰亡をまねく」『世界』2020年3月号、「特集1 災害列島改造論」、岩波書店
藤岡惇 書評『人新世の「資本論」』(斎藤幸平 著、集英社新書、2020年)『季刊 経済理論』第59巻第1号、経済理論学会 編集・発行、桜井書店、2022年
中屋敷均『ウイルスは生きている』講談社現代新書、2016年
山内一也『新版 ウイルスと人間』岩波科学ライブラリー、2020年
デヴィッド・ハーヴェイ 著、翻訳・解説 大屋定晴「COVID―19時代の反キャピタリズム運動」『世界』2020年6月号、「特集1 生存のために ―コロナ禍のもとの生活と生命」、岩波書店
 原典は、Harvey,David “Anti-Capitalist Politics in the Time of COVID-19”,Jacobin,3 March 2020,
 https://jacobinmag.com/2020/03/david-harvey-coronavirus-political-economy-disruptions

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