“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その11―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その11 ―

わが国社会の構造的破綻の自覚から

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要諦再読 ―その11―
“わが国社会の構造的破綻の自覚から”
(PDF:597KB、A4用紙8枚分)

葉っぱと木の実(黒地に青・グレー)

顕在化した日本社会の積年の矛盾 ―いのち削り、心病む、終わりなき市場競争
 投機マネーに翻弄(ほんろう)される世界経済。新型コロナウイルス・パンデミックのさなかにあっても、一握りの巨大金融資本、巨大企業、富裕層にますます莫大な富が集積する一方で、まともな医療さえ受けられず、路頭に迷う圧倒的多数の民衆。

 それでもこの機に乗じて、DX(デジタル・トランスフォーメーション)なるものによる新たな成長への幻想を演出しつつ、これまで急速に拡大させてきたにわか仕込みの観光産業※1 と、とどの詰まりはその背後にある巨大金融資本救出のための「Go To トラベル」だの、「Go To イート」だのと、感染拡大防止とは真逆の愚策に一兆数千億円もの国民の血税を注ぎ込む。ここに至ってもなお「浪費が美徳」の経済を煽(あお)る姿に、やるせない思いがつのる。
 果てには岸田自民党政権の軍拡・大増税に至っては、狂気の沙汰である。ついに、かつての軍国日本の道に一歩踏み込んでしまった。WBC「侍ジャパン」などと浮かれている場合ではない。

 一方、容赦なく迫りくる地球温暖化による異常気象と、世界的規模での食料危機。国内農業を切り捨て、農山村を荒廃させ、食料自給率過去最低の37パーセント(2018年度)に陥った日本。
 この恐るべき事態をよそに、テレビ画面には相も変わらず大食い競争やグルメ番組が氾濫する。今どき何がそんなにおかしいのか、たわいもないことにおどけ、ニヤニヤ、ゲラゲラ馬鹿騒ぎに浮かれ、四六時中茶の間にまで這入りこんでくる。
 現実世界とのあまりにも大きな落差に戸惑いながらも、一体これは何なのだ、と首をかしげるばかりである。これでは、不条理な現実への無関心、無批判層が増えていくのも当然の結果ではないか。報道倫理をかなぐり捨て、権力迎合のマスメディアの責任は重大だ。

 今、失業者、日雇いや派遣、「雇用関係によらない働き方」(個人請負・フリーランス)などの不安定労働、「ワーキングプア」が増大し、所得格差はますます拡大している。非正規雇用は今や雇用労働者のほぼ40%に達し、特に若者世代では半数にもおよぶと言われている。正社員であっても、コロナ災禍で急速に経済が失速する中、操業短縮による一時帰休やリストラが現実のものとなり、もはや安泰とは言えない不安に苛(さいな)まれている。

 近年登場し、コロナ災禍の中、急増している自転車などで食事宅配代行サービスを行う「個人請負」契約の配達員。「時間と空間にしばられない自由な働き方」を求める若者や子育て世代の女性などの希望を叶えるかのような触れ込みで、第2次安倍政権下において「働き方改革」の一環として推進されてきたこのような「雇用関係によらない働き方」は、実のところ、ますます労働を不安定化させ、労働者の権利を奪う苛酷な「働かせ方」の蔓延につながるものと言わざるを得ない。

 「賃金労働者」は、資本主義形成の初期の段階とは違って、高度に発達した現代資本主義の今日では、賃金の格差や職階制による待遇の様々な違いによって、階層分化がすすみ、その内実は単純ではなく、複雑な様相を呈している。したがって、今日、社会の圧倒的多数を占める都会の勤労者を、一口で「賃金労働者」という概念で捉えがたいことも事実である。
 しかし、今日の世界経済の構造的変化と行き詰まりの下で、パートや派遣労働者、フリーランサー、ギグワーカーなど不安定労働者の比率がますます増大し、比較的恵まれ安泰であると思われてきた大企業の正社員であっても、雇用条件や勤務形態の変質に伴って、日本国憲法第28条で保障されているはずの勤労者の団結権すら実質上、奪われ、突然のリストラによっていとも簡単に職を奪われてゆく現実に直面すると、「賃金労働者」という概念の本質が、今ほどあからさまな形で露呈した時もないのではないか。

 一方、福祉・年金・医療・介護など、庶民の最後の砦ともいうべき社会保障制度は、機能不全に陥り、破綻寸前にある。2022年10月1日から、75歳以上の後期高齢者の医療費窓口負担金の割合は、1割から2倍の2割に引き上げられた。この改悪の狙いは、いずれ遠からず全世代にまで及んでくる。

 競争と成果主義にかき立てられた過重労働、広がる心身の病。弱肉強食の波に呑まれ、倒産に追い込まれる弱小企業や自営業。ひとたび事が起これば、真っ先に解雇される非正規・不安定労働者たち。明日をも見出すことができずに、使い捨てにされる若者たちの群像。
 1998~2011年まで14年連続年間3万人を超えていたものの、近年減少傾向が見られた自殺者数が、コロナ災禍の中で女性・若者を中心に再び増加に転じている痛ましい現実。家族や地域は崩壊し、子どもの育つ場の劣化が急速にすすみ、DV(ドメスティック・バイオレンス)や児童虐待が社会問題化している。

 学校給食でしか、まともな食事が摂れない子どもたち。フード・バンクや子ども食堂などの活動に支えられ、何とか凌いでいるシングル・マザーたち。コロナ災禍で親の収入が減った上、アルバイトもなくなり、従来の授業料に加え、遠隔授業に対応するための新たな自己負担が増す中、食料配布支援に列をなす学生たち。
 一方、政財界肝煎りで強行された「Go To トラベル」事業で、食べきれないほどの豪華料理のサービスで集客を競う高級ホテルや旅館、普段は宿泊できないような高額なホテルに予約が集まるというまことに贅沢な消費行動を連日のように報道するマスメディア。

 このまったく相反するちぐはぐな二つの情景が同時に並存していること、そして何より、「そうしないと経済が回らない」というマジック・ワードの魔法にかけられ、こうした不条理に対して、もはや疑問や憤りを覚えることすらないほど感覚が麻痺してしまった多くの一般市民のありようそのものが、格差と分断が常態化した今日の日本社会の紛れもない現実を象徴している。
 どれひとつとっても、私たちの社会のありようそのものが、もはや限界に達していることを告発している。

もう忘れたのであろうか「8050」問題
 今から4年前、参議院選を直前に控えた2019年6月、与野党論戦の論点に老後の資産形成における「2000万円不足」問題が急浮上してきた。
 国民が怒ったのは、政府が言ってきた公的年金の「100年安心」がウソであり、その検証すらすることなく、自分で2000万円を貯めろ、と問題をすり替えたことなのだ。公的年金制度の破綻が、国民の目の前に一気に露呈した形だ。

 そんなことはもうとっくに分かっていたことで、この怒りの火にさらなる油を注いだのは、このことを長きにわたって押し隠し、その同じ手口で北朝鮮や中国の脅威を煽り立て、トランプ米大統領(当時)の言いなりに、F35戦闘機や弾道ミサイル迎撃システムなどの購入を次々に決め、莫大な軍事費の浪費を国民に押しつけてきたことではないのか。
 さらには、2022年ウクライナ戦争をいい口実に、同年6月29日、岸田文雄首相は、スペイン・マドリードで開幕したNATO(北大西洋条約機構)首脳会合に、日本の首相として初めて出席。日米同盟を新たな高みに引き上げるとともに、日本の防衛力を5年以内に抜本的に強化、その裏付けとなる軍事費の相当な増額を確保する決意だと表明する始末である。
 そして、ロシア、中国、北朝鮮の脅威を煽りつつ、周到に準備画策し、2023年3月末の国会において、5年間で43兆円の莫大な軍事予算案を難なく通過させたのである。これが世界に誇る平和憲法を有する国の為政者がやることなのだ。

 2019年4月19日、国立社会保障・人口問題研究所が公表した世帯数に関する推計によれば、一人暮らしをする65歳以上の高齢者は、2040年に896万3000人となり、2015年より43.4%増え、全世帯に対する割合は17.7%になるとされている。一人暮らしの高齢者は、家族によるサポートが受けづらいため、介護や日常生活の支援への需要が高まり、国や自治体の財政へのさらなる圧迫につながりかねない。

 こうした単身世帯の増加と同時に懸念されるのが、仕事や社会参加せずに孤立する「ひきこもり」である。2019年3月末、内閣府は、40~64歳の中高年ひきこもりが全国に約61万人いるという衝撃的な推計を公表した。
 中高年のひきこもりが深刻な社会問題として注目される背景には、バブル崩壊後の1993~2004年頃に大学や高校を卒業し、社会に出た人口規模の大きい就職氷河期世代(1971~74年生まれの団塊ジュニア世代を含む約2000万人。ロストジェネレーションとも呼ばれる)が、今や30代半ば~50代前半にさしかかっていることがある。

 長くひきこもる40~50代の子どもを、70~80代の親が支えなければならない、いわゆる「8050」問題。先立つ親の、わが子を思う心情の切なさ、その子自身の将来不安を思う時、それはあまりにも残酷ではないか。今や多くの人々にとって、決して他人事ではなくなっている。
 2020年11月に放映されたNHKスペシャル・ドラマ『こもりびと』※2 は、長年ひきこもる40歳の息子と余命わずかな父の葛藤を描く。膨大な取材の蓄積をもとに、現代社会の不条理を人間の内面奥深くからえぐり出し告発した、稀に見る傑作である。
 内閣府調査で分かったのは、ひきこもりが子どもや若者のみならず、すべての世代に関わる問題であるということなのだ。

 団塊世代(1947~49年生まれ)が75歳以上になる2025年問題は、かねてからよく知られているが、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、65歳以上人口が最も多くなるのは2042年、75歳以上人口のピークは2054年とされている。これは、就職氷河期世代が超高齢社会の主役となる時期と重なる。
 雇用の非正規化が進み、無業者が増え、さらに就職氷河期世代の中から老後に生活保護を受けざるをえない人口が増えることにもなれば、追加で必要な給付額は累計20兆円にものぼると言われている。少子化が進む今、このままでは、現行の社会保障制度は財政面からも困難を極め、いずれ遠からず破綻に追い込まれる。

 そして忘れてならないことは、最近の政府統計で、雇用労働者の38%超(2152万人、2018年10~12月)を非正規労働者が占め、その75%(1603万人、2017年)が年収200万円未満の極端な低賃金のいわゆるワーキングプアであり、ボーナスの支給は言うまでもなく、何ら身分保障もないまま将来不安に怯えているという現実である。
 非正規雇用の女性たちが、正規雇用の労働者との「不合理な格差」の是正を求め、賞与や退職金を支給されないのは違法だと訴えていた2件の裁判で、2020年10月13日に最高裁が下した判決は、こうした多くの人々の切実な願いを打ちのめすものであった。

 こうして不安定な非正規雇用で働いてきた人が年金を減らされ、自分で何とかしろと放り出されたら、どんなことになるのか。「8050」問題の悩みの深刻さは、まさにここにある。こんな社会に果たして未来はあるのだろうか。
 年金制度の改革をなおざりにして、将来に備えて貯金せよ、投資せよと、当てにもならないその場凌ぎの目先の処方箋を平然と政府が奨めること自体、現実からまったくかけ離れた戯言(たわごと)としか聞こえない。こうした為政者にどんな改革ができるというのであろうか。このまま進んだら、この国の社会はどうなるのか。

 就職氷河期世代の親たちの多くは、高度成長期に地方から都市へと出て就職、結婚し、家庭を築いてきた。その子どもたちは、バブル崩壊後、熾烈なグローバル市場競争の渦の中で、規制緩和による雇用の不安定化と、正規、非正規の分断、「自己責任」の風潮に晒され、孤立し、ひとり立ちすくんでいる。
 これは自然災害などでは決してない。政治の不作為である。人為による災害というほかない。

 この破綻の根源は何なのか。それは、戦後長きにわたってこの社会に澱(おり)のように溜まった強欲資本主義の病弊そのものではないのか。日本が抱え込んだこの積年の社会の歪みは、未来を生きる若者や子どもたちに重くのしかかっていく。
 際限なく噴出してくる問題群の一つひとつの対処に振り回されながら、その都度、絆創膏を貼るといった類(たぐい)のその場凌ぎのいわば対症療法は、もはや限界に来ていることを知るべきである。

 岸田政権は、こうした国民の切実な問題を放置したまま、ウクライナ戦争や台湾有事などを口実に国民に危機を煽り、莫大な予算額を実に周到具体的に提示し、軍拡大増税を国民に押しつけてくる。
 この反国民的本質を覆い隠し、政権浮揚を狙って、「異次元の少子化対策」などと称して、財源の裏付けもないまま、空虚な提案をどさくさ紛れに連呼する。一方、マスメディアでは、大企業の正社員中心の「官製春闘」で満額回答が相次ぐ異例の賃上げムードだと、華々しく喧伝している。そんな政略的魂胆など、土台おかしいのである。
 戦後77年、長きにわたって続いてきたこの政権は、国民に背を向け、ついにここまで腐敗しきったのである。それを許してきたのは国民自身でもあり、主権者である私たちこそ、目覚める時ではないだろうか。

 今、本当に必要なのは、問題が発生する大本(おおもと)のあり方そのものを変えることである。衰弱し切った今日の病んだ社会の体質そのものを根本から変えていく原因療法に、一刻も早く取りかかることではないか。
 それは、少なくとも10年先、20年先、30年先をしっかり見据え、長期展望のもとに、戦後社会の構造的矛盾の克服を人間の社会的生存形態、すなわち根なし草同然となった賃金労働者そのものを根源的に問い直すことからはじめて、「家族」と「地域」のあるべき姿を見つめ直し、一人ひとりの働き方を根本から変え、地域社会の再生、そしてこの国の社会の再建に粘り強く取り組むことではないのか。
 今回の連載「要諦再読」の意図する主眼は、まさにこのことにある。

近代の落とし子「賃金労働者」は、果たして人間の永遠不変の社会的生存形態なのか
 こうしたことは、わが国だけの問題ではない。グローバル市場原理のもと、過酷な競争経済が世界を席捲して30年近くが経過した今、その歪みが世界各地で噴出している。グローバル多国籍巨大企業や金融資本に莫大な富が集中する一方で、各地の風土に根ざした人々のささやかな暮らしは破壊されていく。
 その荒波は、開発途上国のみならず、先進工業国自身の国内産業、庶民の暮らしをも容赦なく侵蝕した。先進国の多くの人々が、従来の延長線上に約束されていたはずの「豊かな暮らし」から滑り落ちていったのである。

 その不満と不安から、アメリカ、EU諸国、ロシアをはじめ、世界各地の大衆の間で偏狭な「愛国心」、排他的ナショナリズムが醸成され、これを背景に大衆迎合的な新興政党が台頭し、「強いリーダー」出現の待望と支持が広がりを見せている。2017年1月の「米国第一主義(アメリカ・ファースト)」を掲げるトランプ氏の大統領就任と、政権交代後の今なお全米各地で熱狂的支持を保持し続けている現状は、こうした世界的傾向の結末的象徴であるとも言えよう。

 今、世界の多くの民衆は、生活基盤を根底から切り崩され、先行きの見えない日々に苛立っている。先進諸国に顕在化している大衆の不満を背景にした排他的志向も、その醜い対立も、その真の原因を突きつめていくならば、結局、今日の耐えがたい閉塞感を根源から打開する新たな未来への指針、つまり、従来の19世紀未来社会論に代わる新たな展望と理論の不在に遠因があることに気づくはずだ。

 市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」の弊害と行き詰まりが浮き彫りになった今、18世紀イギリス産業革命以来、二百数十年間、人々が拘泥してきたものの見方、考え方を支配する認識と思考の枠組み、つまり、近代の既成のパラダイムを根底から変えない限り、どうにもならないところにまで来ている。
 大地から引き離され、根なし草同然となった「賃金労働者」という近代の落とし子とも言うべき人間の社会的生存形態は、果たしてこれからも、永遠不変に続くものなのであろうか。 そもそも人間のいのちとは、一体、何だったのであろうか。 今あらためて、人類史を自然界の生成・進化の中に位置づけて捉え直し、新たなパラダイムのもとに、私たちが歩むべき未来社会はどうあるべきかを展望することが求められている。
 それが今、私たちに課せられた21世紀最大の課題なのである。

 ところで、終戦を青少年期にむかえた世代は、ほとんどの人々がそうだったのであるが、戦後の廃墟と飢えと漠然とした不安の中で、未来へのほのかな希望を胸に、心の奥底から込み上げる何かに突き動かされるように、中・高・大学などでの学校教育、あるいは独学に励み、精神的にも何か手応えのあるものを求めて学んできたように思う。
 今から思えばそれは、一国にしか通用しないあの偏狭で忌々しい思想の呪縛からの脱却であり、壮大な人類史的視野に立つ世界の普遍的な知の遺産を、戦後日本の歴史学や経済学研究が引き継ごうとしたものであったのかもしれない。

 そしてそれらは、学問の世界ではいざ知らず、世間一般、とくに今日の若い世代には、はるか過去のものとして忘れ去られてしまった。しかし、それらを今、あらためて謙虚にここでのテーマに則して振り返ってみると、意外にも新鮮な形で甦ってくるのに気づかされる。と同時に、今、私たちが生きているこの現代資本主義社会が、あらためて人類史の全過程の中に、首尾一貫した透徹した論理でくっきりと浮かび上がってくるのに気づくのである。そして今、私たちが突き当たっている状況とその課題が何であるのかも、いっそう明瞭になってくる。
 古臭いと烙印を押され、洗い流されてしまった数々の理論的諸命題が、イギリス産業革命以来、二百数十年におよぶ人類の苦渋に満ちた数々の闘いと現実の実践的経験を組み込みながら、修羅場にも似た現代の行き詰まった状況の中で、あらためて「否定の否定」として生き生きと活力ある新たな命題に甦り、あらわれてくるのを感じるのである。

 それは、旧ソ連邦の崩壊とともに高らかに謳いあげられた資本主義勝利の大合唱が、その後の世界の事態の進展によってまたたく間に色褪せ、しかも18世紀以来、人類が身をもって苦闘し明らかにしてきた資本主義そのものに内在する運動法則が、かえってこの法則自体によって導かれ陥っていく現実によって、皮肉にも検証される結果に終わろうとしていることと無関係ではない。
 古いと断罪され烙印を押されたこれらいくつかの諸命題、なかんずく人間の社会的生存形態としての「賃金労働者」という概念は、シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)で提起した草の根の新たなる21世紀未来社会論、つまり“生命系の未来社会論”構築の決定的な鍵になっている。

 この「賃金労働者」という人間の社会的生存形態は、18世紀イギリス産業革命を起点とする近代初期資本主義から、今私たちが生きている21世紀初頭の現代資本主義に至る二百数十年の歩みを辿りつつ、それぞれの時代の特徴や特質、それにその時々に浮上してきた問題や未解決のまま残された課題などを整理・検証する時、その歴史的性格とその脆弱性・不安定性、そして何よりも非人道性がより明確になってくる。
 こうすることによって、「菜園家族」とそれを基盤に成立するCFP(Capitalism・Family・Public)複合社会※3 が、人類史の長いスパンの中でどんな歴史的位置を占め、そしてその果たすべき歴史的役割が何なのかが、はっきりしてくるにちがいない。

※1 にわか仕込みの観光産業の真相とその本質については、シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)の第八章「世界的複合危機の時代を生きる ―避けては通れない社会システムの根源的大転換―」https://www.satoken-nomad.com/archives/1965の4節「露わになったこの国社会の構造的矛盾、その根源に迫るCSSKメカニズム」で詳述。

※2 NHKスペシャル・ドラマ『こもりびと』NHK総合テレビ、2020年11月22日放送。作 羽原大介、演出 梶原登城、取材 森田智子・宮川俊武。

※3 資本主義セクターCと、家族小経営セクターFと、公共的セクターPの3つのセクターから成る複合社会。シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)の第六章「あらためて考える21世紀の未来社会」https://www.satoken-nomad.com/archives/1946の1節「21世紀の『菜園家族』社会構想 ―『地域生態学』的理念とその方法を基軸に―」で詳述。

2023年5月2日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その11」の引用・参考文献(一部映像作品を含む)
森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書、2005年
NHKスペシャル・ドラマ『こもりびと』作 羽原大介、演出 梶原登城、取材 森田智子・宮川俊武、NHK総合テレビ、2020年11月22日放送

       ――― ◇ ◇ ―――

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シリーズ“21世紀の未来社会 ―世界的複合危機、混迷の時代を生きる―(全13章)の≪目次一覧≫は、下記リンクのページをご覧ください。
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