“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その1―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その1―

 「家族」評価の歴史的経緯をめぐって

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要諦再読 ―その1―
“「家族」評価の歴史的経緯をめぐって”
(PDF:372KB、A4用紙5枚分)

フクロウ(銅版画調)

年頭に岸田首相が打ち出した「異次元の少子化対策」が
今、国会でにわかに取り沙汰されている。
しかし、根源的視点が抜け落ちたまま
議論が進行していると言わざるを得ない。

 シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)の
 第四章「人間そして家族、その奇跡の歴史の根源に迫る」
 https://www.satoken-nomad.com/archives/1924
 を基軸に、読者のみなさんとともに
 もう一度、考えを深めてみたいと思う。

これまで「家族」については
歴史的に実にさまざまな評価が
なされてきた経緯がある。
 特に近代に入ってもその否定的評価は根強く
 さまざまな問題を引き起こしている。
 旧統一教会や自民党に根強い
 古色蒼然たる家父長的家族観なども
 その典型と言えよう。

19世紀前半のロバート・オウエンに代表される
いわゆる空想的社会主義者たちや
その後19世紀の科学的社会主義者たちの間でも
「家族」に対する評価はまちまちで
一概に極めて低く、否定的にしか扱われていなかった。
中には、根強い復古的心情から
中世の家父長的家族への回帰を主張する論者もいた。

 いずれにしても
 未来社会論との関連では
 「家族」への考察と評価は
 十分に深められることはなかったと言えよう。

個々の「家族」の育児・炊事等々の
家事労働を社会化すれば
何よりも女性が解放されるとして
家事廃止論にまで行き着く傾向すらあらわれた。
 当時としては
 反封建主義を旗印に掲げる
 啓蒙的、革新的思想の立場から
 むしろ家族の持つ閉鎖性や狭隘性
 そして保守的で頑迷な性格の除去
 女性の負担軽減、地位向上に
 最大の関心があったと言えよう。
当時の時代が要請する課題からすれば
そのような主張や議論が起こるのも
ある意味では当然のことなのかも知れない。

 こうした時代状況を背景に
 マルクスやエンゲルスの場合も
 未来社会における
 「家族」の位置づけとその役割については
 ほとんど具体的系統的に触れることはなかったし
 いわんやそれを未来社会論の中に
 積極的に位置づけて論ずることはなかったのである。

エンゲルスは晩年
モルガンの『古代社会』に依拠して執筆した
古典的名著『家族・私有財産および国家の起源』(1884年)の中で
わざわざモルガンの言葉を引用し
家族の未来について次のように述べている。
 「将来において、単婚家族が社会の要求を
  満たすことができなくなったばあい
  そのつぎにあらわれるものが
  どんな性質のものであるかを
  予言することは不可能である。」

この言葉からも分かるように
「家族」への主要な関心は今日とは違い
別なところにあったことだけは確かであろう。
 特に近代における「家族」についての評価には
 こうした歴史的事情や時代的制約があったことを
 まず念頭においておく必要があろう。

私たちは今、それからおよそ200年もの歳月を隔てた
21世紀に生きている。
世界を覆い尽くす新自由主義の
市場原理至上主義「拡大経済」の凄まじい渦中にあって
あの時代からは想像を絶する事態に遭遇している。

 家族の崩壊が進む中で
 人と人との絆が失われ
 人間が徹底的に分断され
 多くの人々が恐るべき「無縁社会」の出現に
 戸惑い苦しんでいる。

私たちは、この恐るべき現実を目の前にして
あらためて人間とは
「家族」とは一体何なのかという
この古くて新しい問題に新たな角度から光を当て
考え直すよう迫られている。

 未来社会のあるべき姿も
 こうした根源からの問いと
 現実への深い洞察によってはじめて
 新たな像を結ぶことが
 可能になるのではないだろうか。

ここからはこのテーマに則して
先学たちの代表的な研究成果
時実利彦『人間であること』(岩波新書、1970年)
三木武夫『胎児の世界 ―人類の生命記憶―』(中公新書、1983年)
アドルフ・ポルトマン著、高木正孝訳
『人間はどこまで動物か ―新しい人間像のために―』(岩波新書、1961年)
等々に依拠して
まずは「家族」とは、人間とは一体何かを
自分なりに納得のいく理解をしておきたい。

 なかんずくスイスの著名な動物学者ポルトマンは
 その著書の中で
 人間に特有な「常態化した早産」による
 生まれたての赤ん坊の状態に起因して派生した
 「長期にわたる『家族』による幼児擁護」が
 人間に特有の「家族」をもたらしたこと。
そしてその「家族」が
他の動物一般に見られない
異常なまでの脳髄の特異な発達を促す
根源的で基底的な役割を果たしていること。
 つまり、ヒトを今日の人間たらしめたものは
 「家族」である、と結論づけている。

一方、アフリカ各地で長年ゴリラの野外研究に専念し
類人猿の生活とその社会的特徴を研究してきた
山極寿一氏の『「サル化」する人間社会』(集英社、2014年)
『家族進化論』(東京大学出版会、2012年)でも
人類史における「家族」の根源的な意義について
基本的にはポルトマンと同じ結論に達している。

 この両者の結論の一致は
 偶然とは言え
 一方が野外研究という
 研究方法上の対照的な側面からの
 アプローチによる結論であるだけに
 時空を隔てながらも巡り合った
 この一致の妙の単なる興味以上に
 21世紀の未来社会論を
 「家族」のもつ根源的意義を重視し
 それを基礎に展開してきた立場にある者にとって
 何とも心強い証左を得た思いがする。

特異な発達を遂げた
ヒトの脳髄は
人類の未来にとって
“諸刃の剣”とも言える
宿命的両義性を持っている。

 「要綱再読―その2―」以降では
 この両義性について触れ
 「家族」と人間の問題を
 より深く掘り下げて考察していきたい。

2023年2月17日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

       ――― ◇ ◇ ―――

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