“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その18―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その18 ―

生命系の未来社会論具現化の道 <2>
―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―

草の根民主主義熟成の土壌
―「なりわいとも」の展開と地方自治体の再生―

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要諦再読 ―その18―
“草の根民主主義熟成の土壌”
(PDF:530KB、A4用紙9枚分)

青地に黄色の花と水色の葉っぱ

1 地域協同組織体「なりわいとも」の生成・展開 ―「地域生態学」的アプローチ―

 21世紀生命系の未来社会論具現化の道である「菜園家族」社会構想の核心は、週休(2+α)日制のワークシェアリングによる「菜園家族」を基調とするCFP複合社会の生成であり、その展開・円熟にある。
 基礎的にもっとも大切なことは、この社会基盤に「労」「農」人格融合の新たな人間の社会的生存形態「菜園家族」を据え、拡充していくことであるが、その際不可欠なのは、既に述べたように、「菜園家族」育成の場としての森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生である。

 「菜園家族」は、単独で孤立しては生きていけない。数家族、あるいは十数家族が集落を形成し、新しい地域共同体を徐々に築きあげていくことになるが、こうした“菜園家族群落”※1 も、農業を基盤にする限り、“森”と“水”と“野”を結ぶリンケージ、つまり森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の中ではじめて生かされてくる。
 ここでは、「菜園家族」を基礎単位に形成される地域共同の特質について、「菜園家族」のゆりかごともいうべき森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の形成過程との関連で、革新的「地域生態学」の視点からさらに詳しく見ていくことにする。

 「菜園家族」は、家事や生産などさまざまな「なりわい」(生業)での協同・相互扶助の必要から、自ずからその上位の次元に、自己の力量不足を補完するための協同組織を形成する。こうした地域協同組織体を「なりわいとも」と呼ぶことにする。
 この「なりわいとも」は、旧ソ連のコルホーズ(農業の大規模集団化経営)やモンゴルにおける遊牧の集団化経営ネグデルなどに見られるような、農地や家畜など主要な生産手段の共同所有のもとで、工業の論理を短絡的に取り入れ、労働の徹底した分業化と協業によって生産の効率化をはかるために上から組織された共同管理・共同経営体ではない。
 あくまでも自立した農的家族小経営、つまり「菜園家族」が基礎単位になり、その家族が生産や流通、そして日々の生活、すなわち「なりわい」の上で自主的、主体的に相互に協力し合う、極めて人間的な“共感能力”豊かな「とも」(仲間)を想定するものである。

 この人間味溢れる「なりわいとも」は、集落(近世の“村”の系譜を引く)を基盤に形成される「村なりわいとも」が基本となるものの、それ単独で存在するのではなく、地域の基礎的単位である一次元の「菜園家族」にはじまり、二次元の「くみなりわいとも」(隣保レベル)、三次元の「村なりわいとも」(集落レベル)、四次元の「町なりわいとも」(市町村レベル)、さらには五次元の「郡なりわいとも」(森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)、つまり郡レベル)、六次元の「くになりわいとも」(県レベル)といった具合に、多次元にわたる多重・重層的な地域構造が形づくられていく。それはあたかも土壌学で言うところの滋味豊かなふかふかとした土の団粒構造に酷似している。

地域団粒構造の各レベルに現れる「なりわいとも」
 さて、この地域団粒構造の各レベルに現れる「なりわいとも」のそれぞれについて、もう少し具体的に見ていこう。
 地域団粒構造の一次元に現れる「菜園家族」は、作物や家畜など生き物を相手に仕事をしている。一日でも家を空けるわけにはいかない。夫婦や子ども、祖父母の三世代全員で助け合い、補い合うのが前提であるが、それでも人手が足りない場合、特に週休(2+α)日制のワークシェアリングのもとでの“従来型”の出勤の日や、あるいは病気の時などは、隣近所の家族からの支援がなければ成り立たない。やむなく夫婦ともに出勤したり、外出したりしなければならない留守の日には、近くの3家族ないしは5家族が交代で作物や家畜の世話の手助けをすることになる。これが、二次元に現れる「くみなりわいとも」の果たす基本的な役割になる。

 週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもとでは、週のうち(5-α)日は従来型のサラリーマンとしての勤務に就く必要から、「くみなりわいとも」には、近世の農民家族間にはなかった「菜園家族」独自の新たな形態の“協同性”の発展が期待される。もちろん、お互いに農業を営んでいることから、“森”と“水”と“野”のリンケージを維持・管理するために、近世農民的な“協同性”が必要不可欠であることに変わりはない。
 したがって「くみなりわいとも」には、近世の“協同性”の基礎の上に、「菜園家族」という「労」・「農」一体の二重化された性格から生まれる独自の近代的な“協同性”が加味され、新たな“協同性”の発展が見られるはずである。「くみなりわいとも」は、このような“協同性”の発展を基礎にした3~5の「菜園家族」から成る、新しいタイプの隣保協同体なのである。

 この隣保協同体で解決できない課題は、「くみなりわいとも」が数くみ集まってできるその上位の三次元の協同組織体「村なりわいとも」で取り組まれる。集落レベルで成立するこの「村なりわいとも」は、「菜園家族」という「労」・「農」一体的な独特の家族小経営をその基盤に据えていることから、基本的には近世の“村”の系譜を引き継ぎ、その“協同性”の内実を幾分なりとも継承しつつも、同時に、イギリスにおける近代資本主義の勃興期に資本主義の横暴から自己を防衛する組織体として現れた近代の協同組合(コープラティブ・ソサエティ)の性格をも併せ持つ、新しいタイプの地域協同の組織体として登場する。
 このように、近世の地域社会の系譜を引く協同体的組織を基盤に、地域団粒構造のさまざまなレベルに前近代と近代の融合によって新たに形成される「菜園家族」社会構想独自の協同組織体を、ここでは一般的に「なりわいとも」と総称しておきたい。

「村なりわいとも」の特質と協同の喜び
 さて、三次元の「村なりわいとも」が成立する地理的範囲となる集落がもつロケーションは、自然的・農的立地条件としても、人間が快適に暮らす居住空間としての場としても、長い時代を経て選(え)りすぐられてきた優れたものを備えている。おおむね今日の行政区画上の大字(おおあざ)あるいは地区に相当するこうした農村集落は、少なくとも循環型社会の円熟期とも言われる近世江戸時代にまで遡ることができる“村”の伝統を受け継ぐものである。

 この伝統的“村”は、戦後の高度経済成長期を経て過疎高齢化が急速に進行し、今や限界集落と化し、深刻な問題を抱えてはいるが、それでも何とか生き延びて今日にその姿をとどめている。
 「村なりわいとも」は、こうした近世の系譜を引く伝統的な集落を基盤に甦ることができるならば、「菜園家族」社会構想が自然循環型共生社会をめざす以上、きわめて理に適ったものであり、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の地域構造の様々な次元に形成される「なりわいとも」の中でも、基軸となるべき協同組織体として特別な意義を有するものになると言ってもいい。

 「村なりわいとも」を構成する家族数は、一般に30~50家族、多くて100家族程度であるから、合議制に基づく全構成員参加の運営が肝心である。自分たちの郷土を点検し、調査し、立案し、未来への夢を描く。そしてみんなで共に楽しみながら実践する。時には集まって会食を楽しみながら対話を重ねる。こうした日常の繰り返しの中から、ことは動き出すのである。

 「村なりわいとも」の基盤となる集落が、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の奥山の山間地にあるのか、山麓に広がる農村地帯にあるのか、あるいは海岸線に近い平野部にあるのか。それぞれの地理的、自然的条件によって、「菜園家族」とその「村なりわいとも」の活動のあり方は、だいぶ違ってくる。
 「森の民」であり、森の「村なりわいとも」であれば、放置され荒廃しきった森林をどのように再生し、どのように「森の菜園家族」を確立していくのか。そして、過疎化と高齢化の極限状態に放置された山村集落をどのように甦らせるのか、森の「村なりわいとも」の直面する課題は実に大きい。廃校になった分校を再興し、子どもたちの教育と郷土の文化発信の拠点に育てることも、老若男女を問わず集落ぐるみで取り組める楽しい活動となるであろう。

 また、平野部農村の「野の民」であり、野の「村なりわいとも」であれば、農業後継者不足や耕作放棄地などの問題をどう解決するかが差し迫った課題になる。「海の民」であり、海の「村なりわいとも」であれば、沿岸の自然環境を守りながら風土に適した漁業を育て、田畑や果樹園などもうまく組み合わせた暮らしを確立していかなければならない。
 若い後継者が根づき、多世代がともに暮らす家族と地域が甦れば、特に近年、深刻な問題となっている自然災害への対策にも、展望が開けてくるにちがいない。
 このように森から海に至る流域に沿った地域地域において、それぞれ特色のある「菜園家族」を、そして「村なりわいとも」を築き、取り組んでいくことになるであろう。

一次元から六次元への多重・重層的地域団粒構造の展開と熟成
 それぞれの地形や自然の特性に依拠し、土地土地の社会や歴史や文化を背景にして、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内には、集落(近世の“村”の系譜を引く)を基盤に、おそらく100程度の新しい「村なりわいとも」が誕生するであろう。
 これらの「村なりわいとも」は、それぞれ個性豊かな「森」の幸や、「野」の幸や、「川・海」の幸を産み出す。「村なりわいとも」の構成家族全体で、または数家族がグループで小さな工房・工場を設営し、こうした自然の幸を加工することもあるだろう。
 「村なりわいとも」が流通の媒体となって、モノやヒトが森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内を循環し、お互いに不足するものを補完し合う。こうした交流によって、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)としてのまとまりある一体感が次第に育まれていく。

 森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の中核都市では、地場産業や商店街が活気を取り戻し、「匠商(しょうしょう)家族のなりわいとも」※2 や住民の地域コミュニティも息づいてくる。高度経済成長期に急速に肥大化した巨大都市の機能は、やがて地方へ分割・分散され、活気を取り戻した地方の中小都市を核に、美しい田園風景が流域地域圏(エリア)に繰り広げられていく。
 今、衰退の一途を辿る流域地域圏(エリア)の中核都市は甦り、地方経済の結節点としての機能を果たしながら、文化・芸術・学問・スポーツ・娯楽などをもとめて人々が集う交流の広場として、精神性豊かなゆとりのある文化都市に次第に変貌していくにちがいない。

 このようにしてつくりだされた物的・精神的土壌の上に、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)の「なりわいとも」、つまり「郡なりわいとも」が形成されることになる。地域の事情によっては、今日の市町村の地理的範囲に、「郡なりわいとも」の下位に位置する「町なりわいとも」が形成される場合もある。
 そして、下から積み上げられてきた住民や市民の力量によって、さらに県全域を範囲に「郡なりわいとも」の連合体としての六次元の「くになりわいとも」(県レベル)が、必要に応じて形成されるであろう。この場合の「くに」とは、古代の風土記や江戸時代の旧国名にあるような「国」、例えば近江国(おうみのくに)、常陸国(ひたちのくに)等々の「国」から名づけたものであり、今日の場合、県に相当する地理的範囲を想定している。

 このように見てくると、来たるべき自然循環型共生社会としての広域地域圏(県)内には、地域の基礎的単位である「菜園家族」からはじまり「くになりわいとも」(県レベル)に至る、一次元から六次元までの多重・重層的な地域団粒構造が形成されていくことになる。
 単独で孤立しては自己を十分に維持し生かすことができないそれぞれの次元の「なりわいとも」が、より有効な協同の関係を求めて、地域団粒構造のそれぞれのレベルのより上位の次元の「なりわいとも」と、生産活動や日常の暮らしにおいて必要に応じて自由自在に連携することになる。
 こうして、自己の弱点や力量不足を補完する、優れた多重・重層的な地域団粒構造のシステムが次第に形成、熟成されていくことになるであろう。

 団粒構造とは、隙間が多く通気性・保水性に富んだ、作物栽培に最も適したふかふかの肥沃な土を指す土壌学上の用語である。このような土は、微生物が多く繁殖し、堆肥などの有機物もよく分解され、養分の面でも、単粒構造のさらさらとした砂地やゲル状の粘土質の土とは比較にならないほど優れた特質を備えている。
 多次元にわたる重層的な団粒構造の土は、微生物からミミズに至る大小さまざまな生き物にとって、実に快適ないのちの場となっている。それぞれが相互に有機的に作用し合い、自立した個体がそれぞれ自己の個性にふさわしい生き方をすることによって、結果的には他者をも同時に助け、自己をも生かしている、そんな共生の世界なのである。

 一次元の「菜園家族」から六次元の「くになりわいとも」(県)に至る各次元に位置するそれぞれ次元の異なる「団粒」が、個々に独自の特色ある個性豊かな活動を展開することによって、結果的には総体として森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)(郡)や広域地域圏(県)は、ふかふかとした滋味豊かな「自立と共生」の多重・重層的な地域団粒構造の「土」に、長い歳月をかけて熟成されていく。
 地域の形成・発展とは、上から「指揮・統制・支配」されてなされるものではなく、あくまでも底辺から自然の摂理、つまり「適応・調整」の原理(自己組織化)に適った仕組みの中ではじめて保障されるのではないだろうか。まさにこの地域団粒構造は、草の根の民主主義思想形成の何ものにも代え難い優れた土壌にもなっているのである。

 5年、10年、あるいは30年、50年以上の実に長期にわたる、本当の意味での民衆主体のこうした熟成のプロセスなくしては、「民主的な地方自治体」も、それを基盤に成立する一国の「民主的な政府」も、名ばかりの内実を伴わない絵に描いた餅に終わらざるをえないであろう。私たちは、目先にのみとらわれ一喜一憂することなく、こうした遠大な展望のもとに今、何からはじめ、何を成すべきかを真剣に考えなければならない時点に立たされている。

 この「なりわいとも」を基盤にした地域社会が現実に誕生し、成熟していくことができたとすれば、それは、世界史上画期的な出来事と言わなければならない。19世紀に世界史上はじめてイギリスにおいて協同組合(コープラティブ・ソサエティ)が出現しながらも、その後、世界各国の資本主義社会内部においてこの協同組合(コープラティブ・ソサエティ)は十全に発展し、開花することができなかった。
 生命系の未来社会論具現化の道である「菜園家族」社会構想のもと、地域社会の基礎単位に生産手段と現代賃金労働者(サラリーマン)との再結合による「労」「農」一体的な人格を有する「菜園家族」を導入することによって、この協同組合(コープラティブ・ソサエティ)の発展を阻害してきた要因を克服し、さらには森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)を滋味豊かで多重・重層的な地域団粒構造に築きあげることができたとするならば、それは、時代を画する人類の素晴らしい成果であると言わなければならない。

 新たに形成されるこの新しいタイプの「なりわいとも」は、イギリス産業革命以来、今日に至るまで一貫して歪曲と変質を余儀なくされてきた地域の構造を根本から変え、やがて「菜園家族」を基調とする素朴で精神性豊かな自然循環型共生社会へと導いていく決定的に重要な槓杆としての役割を果たしていくにちがいない。

※1 拙著『生命系の未来社会論』(御茶の水書房、2021年)の第六章「『菜園家族』社会構想の現実世界への具体的アプローチ ―実現可能性を探る―」の1節「地域再生の究極の鍵」で詳述。

※2 シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”の第七章「『匠商家族』と地方中核都市の形成 ―都市と農村の共進化―」で詳述。

2 「菜園家族」創出を促す具体的地域政策

農地とワークの一体的シェアリング ―公的「農地バンク」、その果たす役割
 現実に週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)による「菜園家族」社会構想を実行に移すには、さまざまな困難が予想される。調査と研究の長い準備期間が必要であろう。
 特に「菜園家族」創出のスタートの段階、つまり生成期には、国や都道府県、市町村の自治体は、「菜園家族」社会構想の真の意義を深く理解し、その創出と育成のための明確な展望と具体的な地域政策を持つことが大切である。

 都市部から新規就農を希望してやって来る若者や団塊世代にとっても、もともと農山村の集落に暮らす兼業農家やその息子・娘にとっても、適正な規模の「菜園」、つまり自給限度の農地と、週休(2+α)日制に基づく安定的な勤め口の確保をどうするのかが、最大の関心事であり課題になるであろう。

 その解決のためにはまず、農地とワーク(勤め口)の両者のシェアリングを有機的に結合し、それらを一体的に捉えることによって、農地を有効かつフレキシブルに活用できる体制を早期につくりあげることが必要である。
 現実には農地は、所有や相続や先祖伝来の土地に対する根強い意識などさまざまな問題が絡むので、個々人の間で個人的に融通し合うよりも、市町村レベルに公的な「農地バンク」を設立し、その公的保障と仲介のもとにすすめる方がよりスムーズに運ぶであろう。農地が本来、すべての国民にとって公共的な機能と性格をもつことからも、公的機関が担うことが適切である。

 同時に、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングのもとで、週に(5-α)日の“従来型の仕事”を安定的に保障する、“就業に関する法律”の整備も必要になってくる。
 そして、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内の中小都市にある小学校・中学校・高校・大学・保育園・幼稚園・病院・市役所・町村役場・図書館・文化ホール・福祉施設などの公的機関、そして社会の主要なセクターを占める民間企業や、その他諸団体など、ありとあらゆる職場にわたって、まず「勤め口」の詳細な実態を正確に把握することが大切である。その上で、週休(2+α)日制のワークシェアリングの可能性を具体的に検討し、それを促進するための素案を作成しなければならない。

 そのためには、森と海を結ぶ流域地域圏(エリア)内に、民間企業や公的機関の職場代表、市町村レベルの地方自治体、それに広範な住民の代表から構成される、農地とワーク(勤め口)のシェアリングのための三者協議会(仮称)を発足させることが必要であろう。この協議会が、「点検・調査・立案」の活動をスタートさせ、農地とワーク(勤め口)のシェアリング実施の三者協定を結ぶのである。

 「菜園家族」社会構想においては、週休(2+α)日制のワーク(勤め口)のシェアリングは、農地のシェアリングと密接に連動する。というのは、後継者確保に悩む兼業農家が、余剰農地を公的「農地バンク」に預ける際、その見返りとして、息子や娘に週(5-α)日の“従来型の仕事”が斡旋される仕組みになっていれば、彼らは次代の三世代「菜園家族」としての条件を得て、すぐにでもスタートすることが可能になるからである。こうして、農地所有者から公的「農地バンク」への余剰農地の預託は、スムーズに促進されていくであろう。

 一方、農地をもたないサラリーマンも、自らがすすんでワークをシェアすることによって、公的「農地バンク」を通じて農地の斡旋を受けることになる。また、失業や不安定労働に悩む都市や地方の人々に対しては、この公的「農地バンク」のシステムによって、農地とワーク(勤め口)の斡旋をおこなう。
 住居についても、公的「農地バンク」を通じて、空き農家の斡旋を受けられるような体制になっていることが大切である。長らく空き家となり閉ざされたままでは朽ちるのを待つばかりの古民家も、新たな住人を得て再び息を吹き返すことになる。

 こうして、公的「農地バンク」は、後継者に悩む農家にとっても、これから農地や住まいを必要とするサラリーマンや不安定雇用に悩む人々にとっても、「菜園家族」的な暮らしに移行するにあたって、なくてはならない重要な役割を果たしていくことになるであろう。

地方自治体の果たす役割と真の住民自治
 このように、農地のシェアリングとワーク(勤め口)のシェアリングは、密接に関連してくるので、特に市町村の自治体は、このことを十分に考慮し、総合的に計画・立案しなければならない。もちろん、こうしたことは、民間の企業サイドおよび公的機関など、職場の理解が得られなければ前進しないのは言うまでもない。

 ワークシェアリングにともなって必然的に減収する自己の取り分としての給与所得は、こうして周到に準備され、確立された社会的体制のもとで形成される「菜園」や「匠・商」(シリーズ“21世紀の未来社会”の第七章で詳述)の自営基盤によってはじめて、安定的に補完されることが可能になる。
 今日、一般的に言われているワークシェアリングが、不況期の過剰雇用対策としての対症療法の域を出ないものであるのと比べれば、この「菜園家族」型ワークシェアリングは、未来のあるべき社会、すなわち「菜園家族」基調のCFP複合社会を経て自然循環型共生社会へおのずと連動する鍵となるメカニズムを内包している点で、世界的に見てもはるかに先進的な優れたシステムであると言えよう。

 いずれ遠からず、地域の将来構想に責任ある地方自治体や国は、この「菜園家族」型ワークシェアリング実施の検討を迫られることになるであろう。地方自治体の職員はじめその他の公務員は、誰よりも率先して自ら範を示し、週休(2+α)日制によるこの「菜園家族」型ワークシェアリングを積極的に身をもって実践することが期待される。
 公的機関に勤める公務員がまず自らすすんで、この週休(2+α)日制による「菜園家族」型ワークシェアリングを率先して実行していけば、週に(2+α)日は自らの「菜園」、あるいはさまざまな「匠・商」の自営業に携わりながら、同時に週の残りの(5-α)日は、地方自治体や国の官庁や学校・病院などの公共機関の職場でも現役のままで働くという画期的な体制が、地域に広がり定着していく。

 その結果、地域のさまざまな職種の人々の意志や経験が、より直接的に、しかも恒常的に地方や国の行政に、色濃く反映されることにもなる。今までには考えられもしなかった形で、行政は日常普段から住民との結びつきを強め、活性化していくことであろう。本当の意味での住民の行政参加が実現され、行政のあり方も根本から大きく変わっていくにちがいない。これこそが本来あるべき、究極の住民自治による行政のあるべき姿ではないだろうか。

 地方自治体や国などの公的機関からはじまる「菜園家族」型ワークシェアリングのこうした動きは、次第に民間の企業にもおよび、さらなる広がりを見せていくことになるであろう。
 このような具体的施策を実行できるかどうかは、何よりもまず地方自治体や国が地域住民や国民の総意に基づいて、自らの長期計画の中に地域づくり・国づくりの基本政策として、週休(2+α)日制の「菜園家族」型ワークシェアリングを本気になって位置づけることができるかどうかにかかっている。

 もちろん、直接生産者と生産手段との「再結合」によって、おびただしい数の小さな私的生産手段が新たに発生することになるのであるが、新しく生まれるまことの「民主的政府」のもとで、当然、これら生産手段の私的所有は、家族が生きていくために必要な限度内に制限されることになるはずである。
 こうした一定の制限枠が設定されなければ、生産手段の小さな私的所有が契機となって再び階層分化が進行し、やがては資本主義へ逆戻りすることにもなりかねない。そのまま放置しておけば、理論上、歴史は繰り返されることになる。
 したがって「民主的地方自治体」、そして「民主的政府」は、新しい社会への明確な目標のもとに、こうした事態を抑制・制御する民主的力量とその政策やシステムを備えていかなければならない。それは結局、数々の苦難と闘い鍛錬され、格段の成長を遂げた民衆の力によって支えられ、保障されていくであろう。

2023年6月23日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その18」の引用・参考文献
柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫、1993年
永原慶二『日本封建社会論』東京大学出版会、1955年
松好貞夫『村の記録』岩波新書、1956年
蔦谷栄一『農的社会をひらく』創森社、2016年
小農学会 編著、萬田正治・山下惣一 監修『新しい小農 ~その歩み・営み・強み~』創森社、2019年
石井圭一「フランス農村にみる零細コミューンの存立とその仕組み」『農林水産政策研究所レビュー』11号、2004年

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