“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その16―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その16 ―

19世紀未来社会論のアウフヘーベン
―自然と人間社会の全一体的検証による―

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要諦再読 ―その16―
“19世紀未来社会論のアウフヘーベン”
(PDF:491KB、A4用紙6枚分)

青空と入道雲

21世紀未来社会論の核心に「地域生態学」的理念と方法をしっかり据える
 ところで、私たちが今生きている21世紀現代社会は、分かり易く単純化して言うならば、「家族」、「地域」、「国」、「グローバルな世界」といった具合に、多重・重層的な階層構造を成している。
 最上位の階層に君臨する巨大金融資本が、あらゆるモノやカネや人間や情報の流れを統御支配する。そしてそれは、それ自身の論理によって、賃金労働者(高次奴隷身分)という根なし草同然の人間の社会的生存形態を再生産するとともに、同時に社会のその存立基盤そのものをも根底から切り崩しつつ、この巨大システムの最下位の基礎階層に位置する「家族」や「地域」の固有の機能をことごとく撹乱し、衰退させていく。

 このことが今や逆に、この多重・重層的な階層システムの巨大な構造そのものを土台から朽ち果てさせ、揺るがしている。
 まさにこれこそが、近代経済学が機能不全に陥った要因の根源であり、同時に治療の術を失った末期重症の現代資本主義の姿ではないのか。これが今日のわが国社会の、そして各国社会の例外なく直面している現実である。

 人間社会の基礎代謝をミクロのレベルで直接的に担う、まさに「家族」と「地域」の再生産を破壊する限り、どんなに見かけは繁栄していても、現代社会のこの巨大な構造は、決して安泰ではいられないであろう。
 そうだとすれば、社会の大転換にさしかかった今日の時代においてはなおのこと、経済成長率偏重のこれまでの典型的な「近代経済学」の狭隘な経済主義的分析・視角からは、こうした現代社会の本質をより深層からトータルに把握し、その上で未来社会を展望することはますます困難になってくるのではないか。
 私たちは今、このことに気づかなければならない。

 21世紀の未来社会を構想するためには、こうした時代の変革期に差しかかっているからこそなおのこと、現代社会のこの巨大な構造の最下位の基礎階層に位置する「家族」や「地域」から出発して、それを基軸に社会を全一体的(ホリスティック)に考察する、今日の時代に応えうる革新的地域研究としての「地域生態学」が、いよいよ重要不可欠になってきている。

 では、ここで問題にしたい括弧付きの「地域」とは、そして21世紀の今日の時代が求めている「地域生態学」とは一体何なのであろうか。今あらためて考え直さなければならない時に来ている。
 「地域」とは、自然と人間の基礎的物質代謝の場、暮らしの場、いのちの再生産の場としての、人間の絆によるひとつのまとまりある最小の社会的、地理的、自然的基礎単位である。
 この基礎的「地域」は、いくつかの「家族」によって構成され、日本の場合であれば、多くは伝統的な少なくとも近世江戸以来のムラ集落の系譜を引き継ぐものである。人間社会は、「家族」、基礎的「地域」(=ムラ集落)、さらにはその上位の町、郡、県などいくつかの階梯を経てより広域へと次第に拡張しつつ、多重・重層的な地域階層構造を築きあげている。

 したがって、この基礎的「地域」は、人間社会全体を総合的かつ深く理解するために必要なすべての要素が完全なまでにぎっしり詰まっているがゆえに、社会考察の不可欠の鍵にして重要な基本的対象となる。
 人間とその社会への洞察は、とりとめもなく広大な現実世界の中から、任意に典型的なこの基礎的「地域」を抽出し、これを多重・重層的な地域階層構造全体の中に絶えず位置づけながら、長期にわたり複眼的、かつ総合的に調査・研究することによってはじめて深まっていく。

 特に21世紀現代においては、世界のいかなる辺境にある「地域」も、いわゆる先進工業国の「地域」も、今やグローバル市場世界の構造の中に組み込まれている。こうした時代にあって、自然と人間という二大要素からなる有機的な運動体であり、かつ歴史的存在でもあるこの基礎的「地域」を、ひとつのまとまりある総体として深く認識するためには、(1)「地域」共時態(シンクロニック)、(2) 歴史通時態(ダイアクロニック)、(3)「世界」(グローバルな)場という、異なる3つの次元の相を有機的に連関させながら、具体的かつ総合的に考察することがもとめられる。
 こうすることによってはじめて、社会の構造全体を、そして世界をも、全一体的(ホリスティック)にその本質において具体的に捉えることが可能になってくる。やがてそれは、社会経済の普遍的にして強靱な理論に、さらには21世紀世界を見究める哲学にまで昇華されていく。
 地域未来学とも言うべきこの革新的地域研究としての「地域生態学」は、こうして、21世紀の未来社会をも展望しうる方法論の確立にむかうものでなければならない。

 こうした主旨からすれば、本来、21世紀の革新的地域研究としての「地域生態学」は、諸学の寄せ集めの単なる混合物であるはずもない。だとすれば、それはまさに時代が要請する壮大な理念のもとに、自然、社会、人文科学のあらゆる学問領域の成果の上に、事物や人間や世界の根源的原理を究める諸科学の科学、つまり、21世紀の新たな哲学の確立と、それに基づく歴史観を導きの糸に、相対的に自律的な独自の学問的体系を築く努力がもとめられてくる。こうして確立される革新的地域研究としての「地域生態学」、つまり地域未来学とも言うべきものは、21世紀未来社会を見通し得る透徹した歴史観を新たな指針に、混迷する今日の現実世界に立ち向かっていくことになろう。

 グローバル市場経済が世界を席捲し、「家族」を、そして「地域」を攪乱し、破局へと追い込んでいる今こそ、それへの対抗軸として、何よりもまず、私たちの生命活動を直接的かつ基礎的に保障している「家族」と「地域」を市場原理に抗する免疫力に優れた自律的な「家族」と「地域」に甦らせ、人間にとって本来あるべき民衆的生活圏の再構築を急がなければならない。
 そのために今、何をなすべきかが問われている。近代を超克する新たなパラダイムのもと、包括的で新しい地域未来学の確立と、「地域実践」の取り組みがもとめられている所以である。

 それは、「近代経済学」を乗り越えた、時代のこの大きな転換期にふさわしい新たな「経済学」をも包摂した革新的地域研究、つまりそれはより厳密かつ分かりやすく簡潔に定義するならば、生活者としての民衆的生活世界に着目し、あくまでもそれを基軸に据えた、21世紀における近代超克の新たな時代要請に応えうる「地域生態学」とも言うべき新しい研究分野の開拓であり、確立でもある。
 この革新的「地域生態学」によってはじめて、21世紀を見通し、あるべき社会の未来の姿を提示し、しかもそのあるべき姿にアプローチする、より具体的な道筋をも明確に示すことが可能になってくるのではないだろうか。

 この探究の道のりは、たやすいものではないが、自然、社会、人文科学の諸分野の垣根を越えた真摯な対話によって、道は次第に拓かれていくにちがいない。
 シリーズ“21世紀の未来社会(全13章)”は、まさにこの革新的「地域生態学」の理念と方法を貫き、それをベースに現実世界を分析し、未来への透視を試みた試論となっている。これまでの20余年にわたる「菜園家族」社会構想の研究をあらためて総括し、こうした新たな理念と研究方法の自覚のもとに、2011年3・11東日本大震災・福島原発事故、気候変動と新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争によって露わになった資本主義の末期重症のこの時代に応えるべく、“生命系の未来社会論”とも言うべき新たな次元への昇華を試みようとするものである。まさにこれは、19世紀未来社会論のアウフヘーベン(止揚)ともいうべきものなのである。

 19世紀以来、今も依然として未来社会論に決定的に欠けているものは、まさにこの「地域生態学」的方法論ではないのか。そのために、変革主体を何に求めるかが曖昧となり、さらにはその主体形成のメカニズムを現実世界に即して、より具体的に明らかにすることからも疎遠となり、結局、未来社会への展望に確信を持てず、希望を失っていく。今日、社会全体が混迷と閉塞状況に陥っていくのも、根底にはこのことがあるからではないだろうか。

21世紀の今日にふさわしい新たな歴史観の探究を
 今、何よりも切実に求められているものは、19世紀近代の歴史観に代わる新たな歴史観の探究であり、確立であろう。それはとりもなおさず、大自然界の摂理に背く核エネルギーの利用という事態にまで至らしめた、少なくとも18世紀以来の生産力至上主義の近代主義的歴史観に終止符を打ち、21世紀の時代要請に応えうる新たな歴史観を探究することであろう。
 そして、やがて構築されるこの新たな歴史観と、そこから自ずと導き出される革新的地域研究としての「地域生態学」に裏打ちされた異次元の新たな「経済学」とを両輪に、21世紀の未来社会論は確立されていく。

 大自然界の摂理に背く核エネルギーの利用に手を染め、恐るべき惨禍を体験するに至った私たちは、自然と人間、人間と人間の関係をあらためて捉え直すよう迫られている。シリーズ“21世紀の未来社会”の第三章「今こそ近代のパラダイムを転換する」で述べたように、大自然界と人間社会をあらためて統一的に捉え直そうとするならば、宇宙、地球、そして生命をも包摂する大自然界の生成・進化を貫くきわめて自然生的(ナチュラル)な「適応・調整」の原理(=自己組織化)が、私たち人間社会にも、その普遍的原理として基本的には貫徹していることに気づかされるのである。

 しかし、人類は大自然の一部でありながら、ある時点からは他の生物には見られない特異な進化を遂げ、ある歴史的段階から人間社会は、自然界の生成・進化を貫く「適応・調整」の原理(=自己組織化)とはまったく違った異質の原理、つまり人間の欲望に深く根ざした「指揮・統制・支配」の特殊原理によって動かされてきた。人間と人間社会の業の深さを思い知らされるのである。

 今こそ広大無窮の大自然界、宇宙の生成・進化の歴史の中で、あらためて自然と人間、人間と人間の関係を捉え直し、私たち人間の社会的生存形態を根源から問い直す必要に迫られている。
 そして、市場原理至上主義「拡大経済」下の今ではすでに常識となっている現代賃金労働者(サラリーマン)という人間の社会的生存形態とは、一体いかなるものであるのか、生命の淵源を辿り、人類史という長いスパンの中でもう一度、その性格と本質を見極め、その歴史的限界を明らかにしなければならない。

 賃金労働者(高次奴隷身分)という人間の社会的生存形態を暗黙の前提とする近代の思想と人間観が、当初の理念とは別に、現実生活において結局は人々をことごとく拝金・拝物主義に追いやり、人間の尊厳を貶め、人間の生命を軽んじてきたとするならば、今こそそれを根本から超克しうる「生命本位史観」ともいうべき21世紀の新たな歴史観の探究に着手しなければならない時に来ている。
 それはまた、人間社会を壮大な宇宙の生成・進化の歴史の中に位置づけ、それを生物個体としてのヒトの体に似せてモジュール化して捉えるならば、「社会生物史観」とも言うべきものなのかも知れない。

 この新たな歴史観に基づく未来社会論の探究は、まさに諸学の革新の大前提となるべき学問的営為であるが、その研究状況は、時代が求める切実な要請からはあまりにも遅れていると言わざるをえない。しかし、この営為を抜きにしては、今日求められている本当の意味でのパラダイムの転換はありえないであろう。
 特に時代の大転換期においてはなおのこと、社会科学としての社会理論の再構築は、具体的現実から出発し、抽象へと向かうものでなければならない。専ら抽象のレベルから抽象へと渡りながら、抽象レベルでの概念操作 ― 概念間の連関性や整合性のみの検証に終始し、それを延々と繰り返すいわば訓詁学的手法だけでは、新たな時代に応えうるパラダイムの転換も、それに基づく新たな理論も生まれるはずがない。

 今こそ21世紀の具体的現実世界に立ち返り、そこから再出発し、何よりもまず21世紀の新たな歴史観の探究と構築に努め、それを導きの糸に、新しい時代の要請に応えうる広い意味での新たな「経済学研究」、そして革新的地域研究としての「地域生態学」の確立に取り組まなければならない。
 こうした努力の延長線上に、わが国の現実に立脚した、まさに21世紀私たち自身の草の根の未来社会論は再構築されていくにちがいない。

2023年6月9日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その16」の引用・参考文献
安藤昌益「稿本 自然真営道」『安藤昌益全集』(第一巻~第七巻)、農山漁村文化協会、1982~1983年
柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫、1993年
松好貞夫『村の記録』岩波新書、1956年
永原慶二『歴史学叙説』東京大学出版会、1983年
マルクス、訳・解説 手島正毅『資本主義的生産に先行する諸形態』国民文庫、1970年
エンゲルス『自然弁証法』(1)(2)国民文庫、1965年
スチュアート・カウフマン 著、米沢登美子 監訳『自己組織化と進化の論理 ―宇宙を貫く複雑系の法則―』日本経済新聞社、1999年
 原典は、Kauffman,Stuart “AT HOME IN THE UNIVERSE:The Search for Laws of Self-Organization and Complexity”,Oxford University Press,Inc.,1995
アドルフ・ポルトマン『人間はどこまで動物か』岩波新書、1961年
中村桂子『生命誌の世界』日本放送出版協会、2000年
スティーヴン・W・ホーキング『ホーキングの最新宇宙論』日本放送出版協会、1990年
カール・ポラニー 著、吉沢英成・野口建彦・長尾史郎・杉村芳美 訳『大転換 ―市場社会の形成と崩壊―』東洋経済新報社、1975年
玉野井芳郎『生命系のエコノミー ―経済学・物理学・哲学への問いかけ―』新評論、1982年
ポール・エキンズ 編著、石見尚ほか 訳『生命系の経済学』御茶の水書房、1987年
ジェイムズ・ロバートソン 著、石見尚・森田邦彦 訳『21世紀の経済システム展望 ―市民所得・地域貨幣・資源・金融システムの総合構想―』日本経済評論社、1999年
藤岡惇「帰りなん、いざ豊饒の大地と海に ―『平和なエコエコノミー』の創造・再論―」『立命館経済学』第65巻 特別号13、立命館大学経済学会、2016年
友寄英隆『「人新世」と唯物史観』本の泉社、2022年
聽濤弘『<論争>地球限界時代とマルクスの「生産力」概念』かもがわ出版、2022年
藤岡惇 書評『人新世の「資本論」』(斎藤幸平 著、集英社新書、2020年)『季刊 経済理論』第59巻第1号、経済理論学会 編集・発行、桜井書店、2022年

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