連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」第3章3節

新企画連載
希望の明日へ
―個別具体の中のリアルな真実―

 今度こそは
 国民意識の大転換であってほしい

政治家は欺瞞に充ち満ちた
卑小な「選挙」の枠組みにすっかり埋没し
ついに、骨の髄まで腐り切っていく。

 この政治の権力構造の根深い腐敗。
 これを許してきたのは、一体何だったのか
 それはまさしく「お任せ民主主義」に安住し
 主体性を失い
 ますます内向きになっていく国民の
 脆弱な意識そのものではなかったのか。

今、この厳しい現実を突き付けられ
こんな筈ではなかったと
やっと気づきはじめたのかもしれない。

 今度こそは、騙されてはならない
 結局それは、私たち自身の意識の大転換なのである。

生命系の未来社会論具現化の道としての
「菜園家族」社会構想の根底には
人びとの心に脈々と受け継がれてきた
大地への回帰と止揚(レボリューション)という
民衆の揺るぎない歴史思想の水脈が
深く静かに息づいている。

 まさにこの民衆思想が
 冷酷無惨なグローバル市場に対峙し
 大地に根ざした
 素朴で精神性豊かな生活世界への
 新たな局面を切り拓くであろう。

世界は変わる
人が大地に生きる限り。

第3章  グローバル経済の対抗軸としての地域
―森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)再生への道―

琵琶湖畔・彦根
琵琶湖畔の彦根市街地 ~はるか遠方に伊吹山を望む

3 「匠商(しょうしょう)家族」が担う中心街と中核都市

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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」
第3章 グローバル経済の対抗軸としての地域
3 「匠商家族」が担う中心街と中核都市
(PDF:432KB、A4用紙7枚分)

花火

非農業基盤の零細家族経営と中小企業
 周知のように、非農業基盤の零細家族経営や中小企業は、日本の商業や工業において、きわめて大きな比重を占めています。細やかで優れた技術やサービスを編み出し、日本経済にとって不可欠な役割を果たしてきました。
 にもかかわらず、大企業との取引関係でも、金融・財政面や税制面でも不公正な扱いを受け、経営悪化に絶えず苦しめられ、極限状態にまで追いつめられています。

 アメリカ発信のグローバリゼーションのもと、アメリカ型経営モデルが強引に持ち込まれ、「消費者主権」の美名のもとに規制緩和がすすめられてきました。地方では、大資本による郊外型巨大量販店やコンビニエンスストア、ファストフードのチェーン店が次々と進出し、零細家族経営や中小企業は、破産寸前の苦境に追い込まれています。
 犬上川・芹川流域地域圏(エリア)の中核都市・彦根も、例外ではありません。商店街では多くの店のシャッターがおろされ、人影もまばらな閑散とした風景が当たり前のように広がっています。

 非農業基盤の零細家族経営には、工業・手工業の家内工場、工芸工房、商業・流通・サービスを担う商店、さらには文化・芸術を担う職種に至るまで、多様な形態が見られます。
 こうした家族の協力によって成り立つ経営形態は、「拡大経済」下の市場競争至上主義の効率一辺倒の風潮のもとでは、とるに足らない、経済成長には役に立たないものに映るかもしれません。
 しかし、零細家族経営によって支えられる地域社会は、高度経済成長期以前にあっては、「下町」として生き生きと息づいていました。それは、前近代的循環型社会にふさわしいゆったりしたリズムのなかで、人びとの心を豊かにし、和ませてきたのです。
 流通は緩慢で非効率ではあったけれども、人びとが触れ合い、心の通い合う楽しい暮らしでした。時間に急(せ)き立てられ、分秒を競うせかせかした暮らしは、そこにはありません。

写真3-13 ご夫婦で営む時計屋さん(彦根市佐和町商店街)
写真3-14 時計を修理するご主人(丸宮時計店)
ご夫婦で営む時計屋さん
(彦根市佐和町商店街)

 高度経済成長によってもたらされたものは、市場競争と効率を至上と見なす、プラグマティズムの極端なまでに歪められた、拝金・拝物主義の薄っぺらな思想でした。
 人びとの心の奥深くまでしみ込んだこの思想は、人間にとって大切な農地や森林、ものづくり・商いの場といった生きる基盤や、人と人とのふれあいをないがしろにして、農山村や都市部のコミュニティを破滅寸前にまで追い込んだのです。

 私たちが、未来にどんな暮らしを望むのかによって、社会のあり方の選択は決まります。
 「菜園家族」構想は、差し迫った地球環境の限界からも、人道上も、アメリカ型「拡大経済」が許されるものではないとする立場から、生命系の自然循環型共生社会への転換をめざしています。そして、多くの人びとが今、切実に望んでいるものは、人間の心を潤し、心が育つ暮らしです。
 であるならば、なおさら私たちは、ないがしろにされてきた零細家族経営や中小企業が成り立つ、かつての循環型の人間味豊かな地域社会を見直し、巨大企業優先の今日の経済体系に抗して、その再生をはからなければならないのではないでしょうか。

「匠商家族」と、その「なりわいとも」
 これまで、週休(2+α)日制のワークシェアリング(但し1≦α≦4)のもと、週のうち(2+α)日は家族とともに農業基盤である「菜園」の仕事に携わり、残りの(5-α)日は従来型の職場に勤務して、応分の現金収入を得ることによって自己補完する社会的生存形態を「菜園家族」と呼んできました。
 そして、広義の意味では、狭義の「菜園家族」に加え、非農業部門(工業・製造業や商業・流通・サービスなどの第2次・第3次産業)を基盤とする自己の家族小経営に週(2+α)日携わり、残りの(5-α)日を自己の「菜園」に携わるか、あるいは従来型の職場に勤務することによって自己補完する家族小経営も含めて、これらを総称して「菜園家族」と呼んできました。
 ここでは、後者の家族小経営を、狭義の「菜園家族」と区別する必要がある場合に限って、「匠商(しょうしょう)家族」と呼ぶことにします。

 「菜園家族」構想は、人間の暮らしのあり方を根底から問い、農山村においても、都市部においても、「菜園家族」や「匠商家族」を基盤にして、地域の再生をめざそうとするものです。
 そこにおいて「匠商家族」は、変革を担うもう1つの大切な主体とも成るべきものであり、「菜園家族」と「匠商家族」は、いわば車の両輪ともいうべきものです。

文房具

 これまでは、農業を基盤とする狭義の「菜園家族」を基礎単位にして成り立つ「なりわいとも」について考えてきました。ここでは、工業や商業・流通・サービス分野を基盤にした「匠商家族」と、それを基礎単位に成立する「なりわいとも」について考えてみましょう。

 狭義の「菜園家族」の「なりわいとも」は、近世の“村”の系譜を引く集落を発展的に継承し、農業を基盤とする性格上、自然の立地条件に規定されます。それゆえ、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の奥山の山間部から下流域の平野部へと、「村なりわいとも」、「町なりわいとも」、「郡なりわいとも」というように、ある意味では地縁的に団粒構造を形づくりながら展開していきます。

 一方、「匠商家族」の「ないわいとも」は、それと同じではありません。農業を基盤とする狭義の「菜園家族」の「なりわいとも」とはかなり違った、独自の「なりわいとも」の地域編成になるでしょう。
 一口に第2次産業の製造業・建設業の分野、第3次産業の商業・流通・サービス業の分野といっても、職種も業種も多種多様です。
 したがって、「匠商家族」の「なりわいとも」は、職種による職人組合的な「なりわいとも」であったり、同業者組合的な「なりわいとも」であったり、あるいは市街地の商店が地域的・地縁的に組織する商店街組合のような「なりわいとも」であったりします。

 まず、今日の行政区画上の市町村の地理的範囲内で、職人組合的な「町・村なりわいとも」や、同業者組合的な「町・村なりわいとも」、あるいは商店街組合的な「町なりわいとも」がそれぞれ形成されます。
 そして、それらを基盤にして、森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)全域(郡)の規模で、「郡なりわいとも」が形成されるのです。この「郡なりわいとも」は、対外的にも大きな力を発揮するでしょう。

 巨大企業の谷間で喘ぐ零細家族経営だけではなく、中小企業がおかれている状況も同じです。流域地域圏(エリア)の自然資源を活かし、地域住民に密着した地場産業の担い手として、中小企業を育成していかなければなりません。
 零細家族経営と中小企業が同じ森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)にあって連携を強めることによって、相互の強化・発展が可能になります。
 中小企業の「なりわいとも」への参加をどう位置づけ、両者が相互にいかに協力し合っていくのか、それは、今後研究すべき重要な課題として残されます。

 放置された巨大資本の専横、それを許してきた国の理不尽な権力的政策。そのなかで喘ぎながら、人びとは自らの生活の苦しみと悪化する地球環境に直面して、ようやく本当の原因がどこにあるのかを突きとめはじめました。土壇場に追いつめられながらも、何とか足を踏ん張り、反転への道を探ろうとしています。
 人間の欲望を手品師のように操りもてあそぶ、市場競争至上主義の「拡大経済」という名の巨大な怪物に対置して、人間精神の復活と、自由と平等と友愛をめざし、自らが築く自らの新たな体系を模索していかなければなりません。

「匠商家族のなりわいとも」の歴史的使命
 本来、都市とは、ある一定の地域圏(エリア)内にあって、政治・経済・文化・教育の中核的機能を果たし、人口の集中したその区域のみならず、地域圏(エリア)全域にとっても重要な役割を担います。
 古代ギリシャ・ローマにおいては国家の形態をもち、中世ヨーロッパではギルド的産業を基礎として、ときには自由都市となり、近代資本主義の勃興とともに発達してきました。
 こうした都市の発展の論理には、一定の普遍性が認められます。特定の国や地域の都市の考察においても、この普遍的論理は注目しておかなければなりません。

中世ヨーロッパの城

 ギルドは、よく知られているように、中世ヨーロッパの同業者組合です。封建的貴族領主や絶対的王権に対抗して、同業の発展を目的に成立しました。まず商人ギルドが生まれ、手工業者ギルドが派生してきます。こうして台頭してきた新興勢力は、都市の経済的・政治的実権をも掌握し、中世都市はギルドにより運営されようになりました。
 しかし、近代資本主義の勃興によって、ギルド的産業システムは衰退し、都市と農村の連携から地域のあり方までが激変していきます。
 それは、まさに中世・近世によって培われ高度に円熟した、前近代的循環型社会システムそのものの衰退によるものです。

 それでは、現代は歴史的にどんな位置に立たされているのでしょうか。まぎれもなくこの前近代的循環型社会の衰退過程の延長線上にあるといわなければなりません。
 今日のアメリカ型「拡大経済」は、この延長線上にあって、商業や工業における零細家族経営から弱小な中小企業に至るまで、ありとあらゆる小さきものを破壊していきます。企業、銀行などあらゆる経済組織は、再編統合を繰り返しながら巨大化の道を突きすすみ、大が小を従属させる寡頭支配の論理を貫徹してきました。
 東京など大都市に本社をおく巨大企業は、地方にもそのネットワークを広げ、地方経済を牛耳ることになります。地方はますます自立性を失い、中央への従属的位置に甘んじざるを得ない事態に追い詰められていくのです。

 「菜園家族」構想は、こうした流れに抗して地域の再生をめざします。そうであるならば、中世や近世の商人・手工業者が自衛のためにギルドをつくったように、今日のアメリカ型「拡大経済」下の巨大企業や巨大資本に対抗して、流域地域圏(エリア)内における商業・手工業の家族小経営が、「匠商家族」という新しいタイプの都市型家族小経営に生まれ変わり、これを基盤に「匠商家族のなりわいとも」を結成するのは、ある意味では歴史の必然であるといってもいいかもしれません。

 ギルドが中世および近世の循環型社会にあって、きわめて有意義かつ適合的に機能していました。「菜園家族」構想が近世の円熟した循環型社会への回帰の側面を持つ以上、「匠商家族のなりわいとも」の生成は、当然の帰結でしょう。
 そして、巨大化の道を突きすすむグローバル経済が席捲する今、この「匠商家族のなりわいとも」が、前近代の中世ギルド的な“協同性”に加え、資本主義に対抗して登場した近代的協同組合(コープラティブ・ソサエティ)の性格をも合わせもつ、21世紀の新しいタイプの都市型協同組織体として現れるのは、歴史の必然といわなければなりません。
 地方中小都市の未来は、こうした「匠商家族のなりわいとも」を市街地にいかに隈なく組織し編成するかにかかっているのです。

犬上川・芹川流域地域圏(エリア)における「匠商家族」と、その「なりわいとも」
 このように見てくると、森と琵琶湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)の広がりのなかで、中核都市・彦根の市街地をはじめ、多賀町、甲良町、豊郷町の中心街においては、「匠商家族」をいかにして創出するかが、第一の課題になります。
 そのためには、商業・工業・サービス業部門の家族小経営を営む家族が、週に(5-α)日、「菜園」に携わるか、従来型の職場に勤務することができる条件を整えることが必要です。

 後者のように従来型の職場に週(5-α)日勤務し、応分の現金収入を得て自己補完する場合には、主として流域地域圏(エリア)内における週休(2+α)日制のワークシェアリングによって、勤め口を確保しなければなりません。これは流域地域圏(エリア)内の世論の理解が深まるなかで、住民・行政・企業の三者協議にもとづく自治体の的確な支援政策とあいまって、促進されていくでしょう。

 前者のように「菜園」による自己補完を希望するケースも、こうした家族を育成するために、行政サイドからも施策を講じて、積極的に「菜園」の確保に努力しなければなりません。
 大都市と違って地方都市の場合は、市街地でも田畑は残されており、周辺には耕作放棄されている農地も随所に見かけるので、可能性は十分にあります。
 今後、彦根市・多賀町・甲良町・豊郷町の一市三町において、これまでのような無計画な都市開発をやめ、市民農園のための農地の確保を念頭におき、長期的ビジョンのある都市計画・土地利用計画をしっかり立て、実施することが大切です。

クローバー

 いずれにせよ、商業・工業・サービス業部門の家族小経営の現状を詳細に明らかにし、大企業や中小企業、そして行政・学校・文化・医療・社会福祉などの公共機関の雇用状況、さらには市街地内や近隣農地の実態の把握からはじめなければなりません。
 地域の実態を総合的に明らかにするために、都市部においても、住民・市民による「郷土の点検・調査・立案」の連続螺旋(らせん)円環運動を長期にわたって展開する必要があります。この運動が展開されるなかで、住民や市民の知恵は結集され、「匠商家族」創出の具体的な方策も含めて、明らかになるにちがいありません。

 肝心なのは、森と琵琶湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏(エリア)全域を視野に入れ、市街地の「匠商家族のなりわいとも」が、田園地帯に広がる“野”の「菜園家族のなりわいとも」や、森林地帯に展開する“森”の「菜園家族のなりわいとも」との連携を強化していくことです。そして、この三者による柔軟にして強靭な「なりわいとも」ネットワークを、流域地域圏(エリア)全域に張りめぐらしていく必要があります。
 この基盤の上に、“森”と“野”と“街”をめぐるヒトとモノとココロの交流の好ましい循環がはじまるのです。こうしてはじめて、市場競争至上主義の「拡大経済」に対抗して、相対的に自立したまとまりある自然循環型の地域経済圏の基底部が、徐々に築きあげられていきます。

 犬上川・芹川流域地域圏(エリア)全域に展開されるこうした「なりわいとも」ネットワークのなかで重要な結節点としての役割を果たすのが、中核都市・彦根の市街地です。
 近世の城下町以来の政治・経済・文化・教育の伝統や都市機能の集積を継承しつつ、彦根は、ヨーロッパ中世に典型的にあらわれた、周縁農村地帯を包摂した循環型都市に回帰していくことになるのかもしれません。
 しかし、それが決して単に前近代の低次の段階に戻るのではないことは、言うまでもありません。

 第3章では、「菜園家族」を育むゆりかごとなるべき森と海(湖)を結ぶ流域地域圏(エリア)の再生の基本方向を、犬上川・芹川流域地域圏(エリア)を地域モデルに、具体的な問題に触れて提示してきました。
 この初動の作業仮説(=立案)が契機となって、さまざまな角度からの意見が出され、自由闊達な議論を通じて、いっそう豊かな地域の未来像が描かれていくことを願っています。そうしたな議論こそが、地域の未来を切りひらく、確かな第一歩になるでしょう。

第3章3節の引用・参考文献
小貫雅男・伊藤恵子『生命系の未来社会論』(御茶の水書房、2021年)の第五章「『匠商家族』と地方中核都市の形成 ―都市と農村の共進化―」
河原 温『中世ヨーロッパの都市世界』(世界史リブレット23)山川出版社、1996年
松村善四郎・中川雄一郎『協同組合の思想と理論』日本経済評論社、1985年
祖田 修『都市と農村の結合』大明堂、1997年

       ――― ◇ ◇ ―――

新企画連載「希望の明日へ ―個別具体の中のリアルな真実―」の掲載にあたっては、明らかな誤字・脱字・舌足らずな表現の類い等の若干の訂正以外は、原典『菜園家族21』(コモンズ、2008年)が出版された15年前の時点でのこの地域の実情をそのまま忠実に再現し伝えることを期して、統計資料、地図、文中の統計数字、関連する諸研究の成果などについては、改変を加えることなく、出版当時の通り、そのまま原典から収録することにしました。

2024年1月26日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

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