連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」の総括にかえて “高次自然社会への道”(その5)
連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」の終了にあたり
≪総括にかえて≫
“高次自然社会への道”(その5)
―自然との再融合、原初的「共感能力」(慈しむ心)再建の可能性―
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連載「希望の明日へ―個別具体の中のリアルな真実―」の
≪総括にかえて≫ “高次自然社会への道”(その5)
(PDF:355KB、A4用紙4枚分)
5 特異な発達を遂げたヒトの脳髄
―“諸刃の剣”とも言うべきその宿命―
「道具」の発達と生産力の爆発的な発展 ―ヒトの脳髄、大自然界からの皮肉な贈り物
既に見てきたように、「常態化された早産」によってこの世に現れた、脳髄の未成熟な「頼りない能なし」であるヒトの新生児は、長期にわたる「家族」の緊密な庇護のもとに成長する。どのようにも変えうる可能性を秘めたこの未成熟で柔らかな脳髄は、「家族」といういわば原初的社会の刺激を繰り返し受けつつ、他の哺乳類には見られない、人間に特有な異常な発達を遂げていく。
この「家族」を基盤に、人間発達のその他の3つの事象、すなわち「言語」、「直立二足歩行」、「道具」が相互に緊密に作用し合い、連動しつつ、人間の脳髄のさらなる発達を促していく。
すべての動物がそうであるように、人間も自然との間の物質代謝過程の中ではじめて、生命を維持していくことができる。人間の場合、この物質代謝過程を成立させているのが労働である。この人間労働は、自然を変えると同時に、人間自身をも変革し、人間に特有の脳髄の発達をさらに促していく。
先に述べた人間特有の3つの発達事象の中でも、とりわけ「道具」の発達は、人類史を大きく塗りかえてきた。ささやかな原始的石器から、高度に発達した現代の巨大技術体系に至るまでの「道具」の発達を辿ると、生産力の爆発的とも言える驚くべき凄まじい変化をまざまざと見せつけられる。
その間、人類始原の自然状態から古代奴隷制、中世封建制を経て、近代資本主義に至るまで、生産手段(土地と生産用具)の所有のあり方に注目するならば、直接生産者と生産手段との原初的結合状態から次第に分離へと向かい、ついには資本主義の成立によってはじめて、両者は完全分離の状態に達する。
一方の極には、社会的規模での莫大な生産手段が集積し、それを私的に所有する資本主義的権力層が形成され、もう一方の極には、生産手段から排除され、自らの労働力を商品として売る以外に生きる術のない、圧倒的多数の大群が賃金労働者として現れてくる。
ここで注目しなければならないことは、この生産手段と直接生産者である人間との完全分離は、少なくとも二百数十万年とも言われる人類の歴史から見れば、たかだか近代資本主義の成立以後のごく短い二、三百年の間に起こった現象に過ぎないと言うことである。
つまり人間は、二百数十万年とも言われる長い人類史のほとんど大部分の間を、自己のもとに生産手段を結合させた状態で、何らかの形の「家族」を基盤に、これを優れた労働の組織として機能させながら、自然と人間との物質代謝過程を維持してきたのである。
しかし、大地から引き離された近代賃金労働者という大群は、本来、労働そのものに内在する豊かな創意性と労働の喜びを剥奪された、人類史上かつて見られなかった脆弱な社会的生存形態に貶められたのである。
このことが「道具」の発達と生産力の爆発的発展によって引き起こされたとすれば、脳髄の特異な発達は、人類にとって何とも皮肉な“諸刃の剣”であると言わざるを得ない。
こう歴史的に見てくると、「常態化したヒトの早産」に起因する、他の動物には見られない人間の脳髄の特異な発達には、手放しでは喜ぶことができない、宿命的とも言うべき深刻な矛盾を孕んでいることに気づくはずだ。
ヒト特有の原初的「共感能力」(慈しむ心)が人類の未来に果たす可能性
さて、ここでもう一つ違った視点から、人類の特性に迫ってみよう。
それは、「常態化した早産」によって発達した人間に特有な「家族」、そこから派生した発達事象としての「言語」的、「直立二足歩行」的、「道具」的ぞれぞれの知能とは異なる、もう一つの見落としてはならない大切な発達事象として、人類始原のヒトに特有の感性である原初的「共感能力」、つまり、他者の痛み、他者の喜怒哀楽を自らのものとして受け止め、共振・共鳴する能力が芽生えていたことである。
この人類始原以来の原初的「共感能力」(慈しむ心)を人間の発達事象全体の中に位置づけて、それを基底に、人間の繊細で豊かな感情の発達、歌や音楽、踊り、絵画、彫刻など美的感性、さらには知性的、倫理的感性へと展開してきた人間の精神発達の歴史を再確認しておく必要があろう。
人々が分断され、憎しみあい、相争い、またもや世界大戦の危機すら迫る21世紀の今日にあって、他の動物には見られない人類始原以来の貴重なこの原初的「共感能力」(慈しむ心)を充実、発揚、発展させ、その可能性を探り、今日の現実世界を超克する具体的プロセスを模索することは、人類の未来にとって、きわめて大切になってきているのではないか。
それはまさに19世紀未来社会論を止揚し、21世紀にふさわしい新たな未来社会論をどう構築するかという課題とも重なってくる。
サルは、群れの中の他のサルが怪我を負っても、見向きもせず無関心であるのに対して、特に人類に近い二足歩行のオランウータン、チンパンジー、ゴリラなどの霊長類には、傷ついた他者を気遣う原初的「共感能力」が認められるという。
ヒトは、先にも触れた「常態化した早産」によって、未熟な、どのようにも変えうる柔らかな脳髄の赤ちゃんを長期にわたって受け入れ、擁護する必要性から生まれた、他の哺乳動物には見られない、ヒト特有の「家族」という、いわば庇護の包膜の中で、ヒトに特有の発達事象である「言語」、「直立二足歩行」、「道具」との相互作用のもと、この原初的「共感能力」、つまり、他者の痛み、他者の喜怒哀楽を自らのものとして受け止め、共振・共鳴する能力を格別に発達させてきた。
この原初的「共感能力」は、人間に豊かな感情の発達を促し、他者を思い遣る心情、さらには人間の最高の価値としての真・善・美へと発達させ、真善美の調和へと高度に発達させていく。そして、数々の倫理規範をも編み出し、ついに普遍的な愛へと昇華させていった。
ネアンデルタール人や初期のホモ・サピエンスが残した洞窟の絵画、埋葬の痕跡、死者への献花、病や傷を負った仲間への介護の存在などから、この原初的「共感能力」や美的感情の萌芽を推察することができよう。
近代を迎え、人間は、二百数十万年という長い人類史からすれば、たかだか数百年というあっという間の短い時間に、自然科学を、社会科学を、人文科学を、哲学を、文化芸術を実に高度、複雑精緻に発達させた。そして今では、地球の起源も、自然界の成り立ちも、未来の宇宙の姿をも科学的に解明する知力を持つにまで至っている。
それなのになぜこの世では、人間は愚かにも互いにいがみ合い、権力の座にある者たちが勝手気ままに、しかもずる賢く大義名分を掲げ、徒党を組み、世界を分断し、民衆同士が殺し合いをさせられなければならないのか。
21世紀の今もって、世界大戦の危機迫るこの現実をどう解釈すべきなのか。そこからどうすれば、未来へ開く道筋は見えてくるのか。
人類始原のヒトに特有の他者を顧みる原初的「共感能力」(慈しむ心)の発達を歴史的に阻み、阻害してきた社会的要因は、一体何だったのか。このことを突き詰めて考えることこそが、今、私たちに求められているのではないだろうか。
これは、人類にとって至難の課題ではあるが、今日の私たちに背負わされた、避けては通れない最大の課題なのである。
それにしても、人間は、なぜこんな愚かなことにいとも簡単に騙され、同調し、力み、恥じないのか。
人間は何とも不思議で厄介な動物である。
21世紀の私たちの未来は、その真相にどれだけ迫れるかである。
◆“高次自然社会への道”(その5)の引用・参考文献◆
松沢哲郎『進化の隣人ヒトとチンパンジー』岩波新書、2002年
奈良貴史『ネアンデルタール人類のなぞ』岩波ジュニア新書、2003年
山極寿一『家族進化論』東京大学出版会、2012年
山極寿一『「サル化」する人間社会』集英社、2014年
藤岡惇「生命史観と唯物史観の統合 ―自然順応型文明の高次復活のために(上)―」『立命館経済学』第69巻 第5・6号、立命館大学経済学会、2021年
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2024年4月12日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子
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