政治的欺瞞に対峙する民衆的生活世界の再構築 ― 苦難の実践こそが活力ある変革の主体を生み出す ―

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– 論説 –

政治的欺瞞に対峙する
民衆的生活世界の再構築

― 苦難の実践こそが活力ある変革の主体を生み出す ―

2014年7月1日、ついに安倍内閣は、他国に対する武力攻撃の場合でも自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を容認するために、憲法解釈を変える閣議決定をした。直接日本への攻撃が発生していなくても、他国の戦争に参加できる国に大きく転換することになる。

そもそも憲法9条は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」のである。もともと戦力の保持自体を認めていないのであるから、個別的自衛権と言えども、武力の行使はできないのである。ましてや他国の戦争に加わり、武力を行使する集団的自衛権などは、憲法上論外である。このことは、憲法を虚心坦懐にそれこそ素直に読みさえすれば、子どもでも分かる道理であるはずだ。それを殊更もっともらしくあれやこれやと屁理屈を並べ立て、国民を欺くとは実に恥ずべきことではないのか。

本来憲法違反である武力による個別的自衛権を勝手な憲法解釈によって認め、不当にも既成事実を積み重ねてきた歴代内閣も、さすがに集団的自衛権の行使については、長年、憲法解釈で禁じてきた。ところが、安倍内閣はそれすらも崩し、憲法の柱である平和主義を根底から覆す解釈改憲を行ったのである。国民の命運に関わる、憲法改定に等しいこの大転換を、国民は蚊帳の外に置き、自・公与党内の密室協議という猿芝居を延々と見せつけ、果てには議論は熟したと称して強行する歴史的暴挙であった。

あとは関連法案などを小出しにして、違憲の選挙制度のもとすでに準備された虚構の絶対多数をもって国会を押し切れば済むという魂胆なのだ。こんな子ども騙しのようなことを平然とやってのける。これが首相の言う「自由と民主主義」の実態なのだ。異常としか思えない私的心情から来るファシストまがいの狭隘な自己の信念に陶酔してのことなのか、あまりにも「政治」に嘘が多すぎる。立憲主義と国民主権の破壊に直面し、多くの人々は、暗い時代への急転回に不気味さと不安を感じている。


この企みの首謀者は、自分にとって不都合な国に対しては敵意をあらわにし、「仲間の国」に対しては「自由と民主主義の価値観を共有する必然のパートナー」と持ち上げ、結束を促す。小中学生のいじめを首謀する金持ち良家の坊ちゃんの幼稚さと、どこが違うというのであろうか。ずる賢さだけは長けているから、始末におえない。言っていることとやっていることの違いに、ご本人は気づかないのであろうか。果たしてこの人は、ご本人が言うように本当に民主主義の信奉者なのであろうか。

私たちはこの重大な局面に立たされて、あらためて戦後民主主義とは一体何だったのか、そして私たちは、私たち自身の生活世界の根っこに、それこそ本物の民主主義の土壌を培ってきたのか、深い憂慮と内省に苛まれるのである。

私たちは、戦後の高度経済成長とその後の余韻に長い間酔い痴れているうちに、いつの間にか民主主義をあまりにも形式的に捉え、それを「選挙」に矮小化し、変革主体としての自己の確立をおろそかにして、「お任せ民主主義」に甘んじてきたのではなかったか。つまり、経済・社会が幾度となく危機的事態に陥り、ついには絶望の淵にまで追い詰められた現実を前にしてもなお、私たち自身の今日の生活のありようを根源的に突き詰めて考えることもなく、従来型の成長戦略の可能性を信じ、またいずれ景気は回復し、この体制はいつまでも続くものと信じてきたのである。

こうした風潮に一役買ってきたのが、金融および財政のきわめて限られた枠内での分析手法とあれこれの処方操作に特化した、実に狭隘な市場経済論に宿命的にますます収斂していく今日の主流派経済学なのである。この経済学は、末期重症の機能不全に陥った現代資本主義の実態に直面してもなお、現体制が「永遠不変」であるかのような錯覚と幻想を振りまき続ける。その結果、人間の欲望を無限に肥大化させ、果てには化石燃料や地下鉱物などの資源とそれをめぐる利権の飽くなき争奪によって、世界を混乱と紛争の液状化へと陥れていく。このことは、世界の今日の事態を見れば明らかではないか。

こうした中でも、私たちは、自らの生活のありようを深く突き詰めて考えようとはしてこなかった。不都合なことには目を伏せ、思考停止に陥り、現実の表面をひたすら上滑りしてきただけではなかったのか。

物質的豊かさへの異常なまでの執着を断ち切り、かつて地域に息づいていた素朴で精神性豊かな民衆的生活世界をどう再構築するのか。私たちは今こそ、この重大な課題に真剣に取り組まなければならない時に来ている。イギリス産業革命以来二百数十年を経て、近代がまさに終末期を迎え、自壊の危機に瀕している今、大地から遊離した根なし草同然の賃金労働者という近代の落とし子とも言うべき人間の社会的生存形態そのものをいかにして変革し、21世紀の新たな形態へと止揚するのかというこの課題が、遠からず私たちの最大の関心事になってくるであろう。

この課題を遂行するためには、何よりもまず、初動の作業仮説(暫定的目標)の設定と、その目標に向かって実践する住民・市民による地道な「郷土の点検・調査・立案」の連続らせん円環運動が必須の条件となる。これこそが今日もっとも求められている国民的運動なのである。それはまさに人間鍛錬のプロセスそのものなのであり、この長期にわたるプロセスの中ではじめて、草の根の民主主義の生成と熟成が本格的に成されるのである。このことについては、末尾に転載する小文の中でも詳しく展開されている。

戦後まもなくはじまった農地改革によって地主・小作制が撤廃され、たけのこの如く次々と自作農があらわれてきた。彼らは創造性豊かな農業の再生に奮闘し、実に多種多様な品目の栽培や飼育に取り組み、篤農家と呼ばれる先進的農家が続々と現れてきた。農業生産は飛躍的に増大し、明るい農村の建設へと向かった。敗戦直後の想像に絶する食糧難にあって、貧窮とひもじさに苦しみながらも、不思議なことに人々は明日への希望に燃えていた。こうした時代の雰囲気の中で、活気を取り戻した自作農のまさに縁の下の力に支えられるようにして、都市労働者も知識層も広範な人々と共に、反戦平和と民主主義、そして文化国日本の建設をめざした。一時期とはいえ全国津々浦々に国民的運動が湧き起こり、その高揚期を迎えたのである。

しかしそれも束の間、1950年に勃発した朝鮮戦争による軍事特需を契機に、日本の資本主義は復活のきっかけをつかみ、やがて農業・農村を犠牲にする重化学工業偏重の高度経済成長へと邁進していったのである。今日の農山漁村の過疎・高齢化と都市の異常なまでの過密化という国土の荒廃と、今日の経済・社会の衰退と行き詰まりの根源的な原因は、このときすでに社会の深層に胚胎していたのである。

現代社会のこの閉塞状況を根本から打開する道筋として提起した「菜園家族」構想では、近代の歴史過程で大地から引き離された家族に、週休五日制の「菜園家族」型ワークシェアリングによって、生きるに最低限必要な生産手段(農地や生産用具など)を再び取り戻すこと、つまり現代賃金労働者と生産手段との「再結合」を果たすことを基礎に据えている。つまりこれは、賃金労働者と農民という近代と前近代のこの二つの人格的融合による歴史的回帰と止揚、すなわち21世紀の新たなる人間の社会的生存形態の創出を意味している。

21世紀における「菜園家族」というこの労・農一体的な新たな人間の社会的生存形態の創出は、かつて戦後の一時期、農村を主要舞台に展開したあの国民的運動の高揚期を彷彿とさせるに足る、あるいはそれをはるかに超える本格的な草の根民主主義と社会変革の高揚を新たな形でもたらすことであろう。そしてこの新たな高揚は、かつての国民運動とは質的にも異なり、現代賃金労働者と農民の人格的再融合による労・農一体的な新たな人間の生存形態を基礎にしている性格上、農山漁村に限らず、都市部をも包摂した運動になるはずである。つまり、労・農および匠商・工の自営業者や零細・中小企業者など生業の垣根を超えた広範な人々が「菜園家族」的人間への自己変革をめざす、社会の深部にまで及ぶ運動へと展開していく可能性を秘めている。

こうした変革主体の形成とその運動の過程を通じて、頑強な政治的欺瞞の体制は影を潜め、草の根の民主主義はしだいに熟成へと向かう。こうして近代超克の「菜園家族」を基調とする自然循環型共生社会、つまり民衆的生活世界の構築は成就されていくに違いない。

ますます強まる反動攻勢にただただ反対を唱え、他に例を見ない世界に誇る日本国憲法を受け身の形で守るのではなく、民衆のこうした創造的で具体的な実践によって、能動的かつ前向きにその内実を豊かにしていく。やがてそれは民衆の血肉となっていくに違いない。その時はじめて日本国憲法は、どんな企みにもめげることなく、民衆の不動の信念、そして何よりも民衆の精神そのものになるのである。

今日いよいよ強まる安倍政権の狡猾欺瞞の政治に対して込み上げる怒りはどうしようもないが、本当の歴史はここからはじまるのだ。こうした思いに突き動かされるようにして、今から10年前の拙著『森と海を結ぶ菜園家族 ―21世紀の未来社会論―』(小貫・伊藤、人文書院、2004年)を久しぶりに読み返すことになった。特に第七章第5節「近江国循環型社会から世界へ」の中の小文「歴史における主体的実践の役割」と「理想を地でゆく」は、この際あらためて噛みしめておきたいと思う。

こともあろうに平然と「平和と民主主義」の仮面をかぶり、今もなお次々に暴挙を重ねてくるこの政治のあり方に対峙して、今私たちは何からはじめ何をなすべきなのか、一刻の猶予もなく真剣に考えなければならない時に来ている。
以下に敢えてこの二つの小文を転載することにした。

― 拙著『森と海を結ぶ菜園家族 ―21世紀の未来社会論―』第七章第5節より転載 ―

歴史における主体的実践の役割
女性解放を叫び新思想の鼓吹に身を捧げた平塚らいてうらが、機関誌『青鞜』を創刊するに際して、その巻頭言の執筆を依頼された与謝野晶子は、長い休筆期間を破って、明治44年(1911年)、次のような寄稿をしています。それは、偏見と差別の古い因襲にとらわれ、身動きもできない重苦しい重圧の中で苦闘してきた人々への励ましのことばでもありました。

そぞろごと

与謝野 晶子

山の動く日来る。
かくいへども人われを信ぜじ。
山は姑く眠りしのみ。
その昔において
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。

一人称にてのみ物書かばや。
われは女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは。われは。

(後略)

『青鞜』第一巻第一号、明治44年(1911年)9月

私たちはともすれば、一見、山のようにびくとも動きそうにもない今日の状況を目の前にして、諦念に囚われ、不覚にも大勢に追従してゆきます。今日、若者は山を去り、残された高齢者は、孤独な不安の中に余生を送っています。手つかずの山は荒れたまま放置され、今日の日本の過疎山村は、絶望のさ中に沈み込んでいます。そこには未来への展望は、まったく見られません。あたかも動かざること泰山の如く、状況はいっこうに動きそうにもないようです。

しかし、本当にそうなのでしょうか。明治のその時、動くことはないと誰もが思い込んでいた女性という山が、ついには動き出したのです。女性解放一つとっても、どんなに動かないように見える状況でも、どんな頑強な体制でも、必ずついには動き出すことを、歴史は私たちに教えてくれています。たしかに社会の発展には、「自然史的過程」と呼ばれる、人々の意識からは独立した客観的な合法則的過程が貫いているのも事実です。しかし、このことは、人間が常に物的・経済的発展法則に引きまわされる無力な存在であることを意味しません。この法則の認識の上に、人間の主体的実践によって、歴史はつくり変えられてきたし、これからもつくり変えられてゆくのです。

圧倒的に不利な状況のもとで闘ってきた明治の先駆的な女性たちの苦闘の実践によって、今日の女性の地位があることを考える時、歴史における人間の主体的実践の果たす役割が、いかに大きなものであるかが分かります。

私たち現代の日本人は、あまりにも物質的な豊かさの中に身を浸し、生活の利便さだけを追い求めて、そこに安住することのみを考えてきました。それを失うことを、何よりも恐れているのです。このようなあまりにも狭隘な保身の意識が人々の心に深く沈澱し、それがやがて社会の意識となって全体を覆い尽くす時、事態の解決は絶えず先送りされるばかりで、根本的改革などは思いもよらぬことになります。このような状況は、もうすでにはじまっています。漠然とした不安と目先の脅威に怯え、根本的解決を先送りするこの状態が今後もつづくならば、きっと取り返しのつかない壊滅的な打撃を、私たちは受けることになるでしょう。今、恐るべきはこの事態の進行です。

森と湖を結ぶ犬上川・芹川流域循環型地域圏モデルを提起し、近江国広域圏循環型社会の可能性とその展望を示したのも、またその上で、「郷土の点検・調査・立案」の住民・市民・国民による広範な運動の展開の必要性を強調してきたのも、こうした今日の国民意識の衰退と先の見えない閉塞状況を何とか打開しなければならないという、切なる思いからであるのです。人々の意識から独立した客観的な合法則性のみを過度に強調することは、今日の状況のもとでは、かえって、「先送り論」に加担することになりかねません。私たちは、人間の力を信じ、主体的実践によって、今こそ歴史を積極的につくり変えてゆかなければなりません。そのことは、今日よりもはるかに困難で不利な条件のもとでも、勇猛果敢に挑戦した私たちの先人たちが身をもって示してくれた大切な教訓でもあるのです。

私たちは、「豊かさ」の中で、いつのまにか主体的実践の大切さ、素晴らしさを忘れてしまったようです。今、ここに提起した「菜園家族」構想に基づく“森と海を結ぶ流域循環型地域圏”形成の具体的な目標にむかって、主体的に実践し、その実践によって、変革の主体を甦らせることができるならば、今日の閉塞状況は打開され、この「菜園家族」構想は、やがて現実のものになってゆくことでしょう。

本章では、森と湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏を地域モデルにとりあげ考察を深め、さらにそこから近江国広域圏循環型社会への可能性についても展望してきたのですが、それは決して、この地域に限られたものではありません。こうした“森と海を結ぶ流域地域圏”は、日本列島を隈なくモザイク状に覆っています。冒頭にも述べたように、日本列島を縦断する山脈を分水嶺に、太平洋側と日本海側へと水を分けて走る数々の水系に沿って、かつては森と海を結ぶ流域循環型の流域地域圏が形成されていたのです。ですから、本章で示されたaモデル「犬上川・芹川流域地域圏」から、近江国広域圏循環型社会への展開過程は、全国いたるところに見られるこれらすべての“森と海を結ぶ流域地域圏”においても、同時に、それぞれの流域地域圏の特殊性を組み込みながら、独自の特色ある地域形成として具現されてゆくものと期待されます。そこでも、住民・市民による「郷土の点検・調査・立案」の地域認識過程の進展とともに、地域変革の主体が形成され、新しい時代を切り拓く力が着実に蓄積されてゆくことになるにちがいありません。

市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」によって、荒廃した日本の国土と社会は、やがて復興へとむかいます。「菜園家族」構想によって、全国的な規模で“森と海を結ぶ流域地域圏”は甦り、本格的なCFP複合社会、つまり資本主義セクターCと、「菜園家族」の家族小経営セクターFと、公共的セクターPからなる本格的なCFP複合社会の時代をむかえることになります。これによって、今日の市場競争至上主義のアメリカ型「拡大社会」は、「循環型社会」への本格的な移行をはじめることになるでしょう。この時、流域地域圏自治体(郡レベル)と広域圏自治体(県レベル)は、広範な住民の圧倒的な支持のもとに、本物の民主主義を確立してゆきます。そして、全国に拡大展開してゆくこれら数あまたの森と海を結ぶ流域地域圏自治体やそれを基礎に成立する広域圏自治体の強固な基盤の上に、一国レベルでの新しい政府の誕生を見るのです。

この時、縄文以来数千年もの長きにわたる森から平野への移行過程に、終止符が打たれます。平野部の巨大都市の過密は解消され、森の過疎山村は再生へとむかってゆきます。「森の菜園家族」も「野の菜園家族」も、そして都市部の「匠商家族」も、人々は、人間同士が競い合い争い合って、果てには殺し合うそんな「競争の原理」に最後の訣別を告げて、人間同士が共に慈しみ合い、助け合い、共に切磋琢磨し合いながら仲良く平和に暮らす「共生の原理」へと、しだいに軸足を移してゆきます。

この移行は、もちろんそう生易しいものではありません。しかし、人間は必ずこれをやってのけることでしょう。そして、このCFP複合社会をいっそう円熟した社会へとむかわせてゆきます。「共生の原理」の精神がことばの上だけではなく、CFP複合社会の長い時代の暮らしの中で、しだいに人々の心の中に定着してゆくのです。

やがて「共生の原理」の精神が人々の心に深く定着した時、このCFP複合社会も、徐々に次の段階へと移行してゆくことになるでしょう。すでにCFP複合社会への移行の時点から、資本主義セクターC内の巨大企業は分割され、国土全体にバランスよく配置されているはずです。したがて、このCFP複合社会の円熟期において、「共生の原理」の精神が人々の心に深く浸透し定着した段階では、そもそも市場競争原理そのものが、社会制御システムの原理としては、精神的にも低次元で狭隘な過去の遺物となって、社会制御の機能の根拠を失っているのです。ですから、資本主義セクターC内の私的な巨大企業から公共的セクターPへの移行は、極めて自然に社会発展の必然的な結果としてあらわれてくることになります。その結果、この社会の内部において、資本主義セクターCは自然に消滅し、「菜園家族」セクター、つまり家族小経営セクターFと、公共的セクターPの二つからなる本格的な循環型社会へと移行してゆくことになります。この社会を私たちは、「自然循環社会」と呼ぶことにしたのです。

この「自然循環社会」の段階では、森と海を結ぶ流域地域圏自治体と広域自治体、および政府は、広範な住民・市民・国民の圧倒的な支持のもとで、経済上、社会上の調整機能や管理運営機能を十分に果たさなければなりません。この発展段階では、すでに地域社会は円熟した団粒構造を成していて、地方分権は高度に発達し、その分権的な体制のもとで、自治体や政府への住民や国民の政治的参加は、形式ではなく実質的に保障されています。そして何よりも、人々の心は、すでに「競争の原理」のすさんだ精神から解放され、「共生の原理」の精神、すなわち人間同士が慈しみ合う精神へと変革されているのです。このことが、この時代の前提になっていることをおさえておく必要があります。

やがて、この「自然循環社会」が円熟してゆくにつれて、流域地域圏自治体や広域圏自治体、そして政府の性格は、権力的な性格を失いながら、調整機能にのみ特化されてゆくことでしょう。この時、この発展段階に到達した社会を私たちは、「高度に発達した自然社会」と呼ぶことにしたのです。

この「高度に発達した自然社会」の発展段階に到達しても、「菜園家族」が消滅することはありません。このことは、「菜園家族」構想の中でも、基軸になる本質的で大切な命題であるので、記憶にとどめておいていただきたいと思います。つまり、この「高度に発達した自然社会」においては、国家的権力が消滅の方向を辿る一方、「菜園家族」セクター、すなわち家族小経営セクターFは、依然として主要な社会的セクターとして残り、公共的セクターPとともに、二つの主要セクターとしてこの社会を円熟させてゆくことになるのです。

ところで、第四章でも見てきたように、生命の起源以来、三十数億年の進化の歴史を経て、ついに高度に発達した生物個体としての人間のからだは、60兆もの細胞から成り立っているといわれています。そして、その一つ一つの細胞は、細胞質で満たされており、遺伝の機能をつかさどり細胞の活動を調整する細胞核を中心にして、ひとつのまとまりある生命活動を営んでいます。この細胞を人間社会における「家族」とみなすと、その「家族人間集団」は、さしずめ細胞核に相当するものであり、そのまわりを細胞質=「自然と農地と生産用具」が取り囲んでいます。つまり、一個の細胞(=家族)は、「家族人間集団」(=核)が生きるに最低限必要な「自然と農地と生産用具」(=細胞質)を自己の細胞膜の中に内包しているともいえるのです。「菜園家族」構想において、個々の「家族」が自らの生産手段を確保し、それによって自然に働きかけ、食べ物など基本的な生活手段を得て生活している状態を細胞に譬えて見ることができるのは、「家族」と細胞の両者にこのような本質上の類似が見られるからなのです。

人間のからだは、みずみずしい細胞質に満たされた生き生きとした細胞群から構成されるものであり、かつ、それらを相互に有機的に連関させ調整することによって、はじめて十全に機能する生命体です。もし、細胞質が干からびてなくなってしまったら、その細胞はどうなるでしょう。また、そのような細胞が日に日に増えていったとしたら、人体はどうなるのでしょう。

「干からびた細胞」、それらが無数に出現している状態。それはまさに、現代日本の地域社会の実態です。家族が自然から離れ、生産手段を失い、自らの労働を売るより他に生きる術のない状態の中で、ますます衰弱してゆく。こうした無数の家族群の出現により、地域社会も疲弊し、経済・社会が機能不全に陥り、息も絶え絶えになっている。これが今日の日本の閉塞の根底にある原因なのです。

生産手段を失い、細胞膜と核だけになった「干からびた細胞」という名の賃金労働者の家族に、今、細胞質という自然と必要最小限の生産手段を取り戻すことによって、みずみずしい家族を、そして人間を再生することが、何よりもまず求められています。さらに、そうした家族同士の連携=「なりわいとも」の地域団粒構造の中で、地域も甦ってくるのです。

自然界が三十数億年ともいわれる気も遠くなるような長い年月をかけて編み出してきた“いのち”の驚くべき摂理を見つめる時、人間社会のあるべき姿も、自ずと導き出されてきます。
一個の細胞は、自己の細胞膜の中に、核とみずみずしい細胞質を内包することによってはじめて、生命力を保つことができます。そして人間のからだは、こうしたみずみずしい細胞質が満たされた細胞群から構成されていることによってはじめて、十全に機能しているのです。人間のからだと同様、人間社会においても、社会の基礎単位である「家族」が、あたかも「干からびた細胞」にみずみずしい細胞質をとり込むように、自己の内部に「自然」と「生産手段」をとり込むことによってはじめて、「菜園家族」に生まれ変わります。そしてこの「菜園家族」が社会の基盤を構成してはじめて、社会全体の生命が生き生きと甦ってきます。人間のからだが、みずみずしい細胞なしには存在し得ないように、人間社会に基礎単位としての生き生きとした「菜園家族」が存在しなければ、その社会はいつしか衰え滅びてゆくのです。

ですから、人間社会がいかに「高度に発達した自然社会」に達したとしても、「菜園家族」は消滅することはないでしょう。それどころか、生物個体としての人間のからだの細胞が「干からびた細胞」で充満する時、やがてそのからだ自体が死に至るのと同様に、「菜園家族」が消滅すれば、人間社会を死滅へと追いやることになるのです。

「高度に発達した自然社会」に到達した段階でも、「菜園家族」が消滅することはないことについて、今、細胞と生物個体の関連で、確認したのですが、この点について少しばかり補足しておきたいと思います。
細胞質の部分をさらに観察してみると、ミトコンドリアなど種々の細胞小器官があることが分かります。細胞呼吸によって取り出されるエネルギーは、細胞質にあるミトコンドリアで、「エネルギーの共通通貨」といわれる物質ATPに転換されます。このATPは、血管を通じて人体内の他の器官に拠出されます。そのかわりに個々の細胞は、血液に乗せて、必要な酸素や栄養分を運んでもらっています。つまり、「菜園家族」構想の「週休五日制」に譬えるならば、個々の「菜園家族」は、週二日間、セクターCないしはセクターPの職場(=人体の組織や器官)で労働(=物質ATP)を提供し、それによって得た賃金(=必要な酸素や栄養分)で自己補完してはじめて、生きることが可能になるということです。

このように、生物個体の細胞になぞらえて「菜園家族」を考える時、たしかに「高度に発達した自然社会」の段階でも、「菜園家族」は不可欠のものとして存続しつづけるのであるけれども、人間社会において科学技術が高度に発達すればするほど、人間労働は軽減されるので、セクターCあるいはセクターPに拠出する労働(=物質ATP)は、次第に週二日から一日に、そして週に半日でもよいというように、減少の方向を辿ることになるでしょう。にもかかわらず、「菜園家族」そのものは、「高度に発達した自然社会」に達した段階でも、なおもセクターPに労働(=物質ATP)を提供し、その見返りを受けて自己補完しつつ、存続しつづけることになるのです。
これは、第四章でも考察し、導き出してきた結論です。人類史において「菜園家族」がいかなる位置を占め、未来社会において、それがいかに本質的で重大な役割を果たすものであるかを、ここで改めて確認しておきたいと思います。

さて、ここでもう一度、日本の現実に目を戻したいと思います。
戦後日本は、高度に経済が発展してきたように見えながら、実は、その社会の深層では激変がおこっていました。大都市部における過密と、農山村における過疎化と高齢化。市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」による人間精神の荒廃、家族の空洞化と地域社会の衰退。こうしたことに起因する小中学校生徒の13万人におよぶ不登校。あまりにも奇妙な少年犯罪の続出。母親がわが子を虐待し、殺さなければならない悲惨な現実。うつ病など「心の病い」に苦しむ人々の増加。年間3万4,000人を超える自殺者。どれひとつとっても、疲弊しきった家族が崩壊寸前にまで追い詰められている姿が、浮かびあがってきます。

目を外にむけると、石油利権をめぐるアメリカによるイラク戦争。イラクの一般市民にまでおよぶ、目をそむけたくなるような凄惨な殺戮。まさにその戦場への自衛隊の派兵。こうしたさ中での「構造改革なくして、景気回復なし」とは、一体何を意味しているのでしょうか。威勢のいいスローガンのその先に、めざすべき社会ビジョンもないままに、景気回復と市場競争至上主義の「拡大経済」の修復のためにしかすぎない「構造改革」なるものが、すべてを解決するかのように、今も叫ばれているのです。日本社会の現実認識も、未来への選択肢の設定も、誤っているのではないでしょうか。あるいは意図的に、現実社会のどうにもならない実態から国民の目をそらすために、このような虚しいスローガンを叫んでいるのでしょうか。主観的意図はどうあれ、客観的にはどう見てもそうとしか思えないのです。

これまでに本書で縷々述べてきたことの中から、くっきりと浮かびあがってきたことは、結局、こういうことなのではないでしょうか。生命の起源から三十数億年ともいわれる長い歳月をかけてつくりあげられてきた、生物個体の最高の傑作である人間のからだを形づくっているのは、紛れもなく60兆ともいわれる細胞です。そして、人間社会において、この生物個体の細胞にあたるものが「家族」です。ですから、この「家族」から組み替えない限り、私たちの現代社会はどうにもならないところにまで立ち至っているということなのです。「干からびた細胞」のように疲弊しきった現代の「家族」に、細胞質にあたる「自然と農地と生産用具」をとり戻し、この新たに生まれ変わった「菜園家族」を、社会の組織体に組み込む。このこと以外に、現代社会を再生させる道はないのです。つまり、本書で述べてきたことは、現代社会の疲弊しきった「家族」を、いかにして「菜園家族」に組み替えてゆくのかという問題につきるのです。その実現のために大切なこととして、“森と海を結ぶ流域地域圏”を設定し、縄文以来二千数百年におよぶ森から平野への移行の歴史から、きわめて合法則的に導き出される流域地域圏の再生を積極的に評価して、それを「菜園家族」の発展の場として同時に構想したのです。

ここでは、「菜園家族」構想に基づいて、具体的な地域をとり挙げて、森と湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏モデルから出発して、近江国広域圏の未来像を展望してきました。地域の現実は複雑多岐にわたり、実に奥深いものがあります。にもかかわらず、そこに展開される未来への道筋は、現実の具体的な地域の中に、ようやく見えてきたように思われます。CFP複合社会の「揺籃期」にはじまり、本格的なCFP複合社会の成立とその展開過程についても、“森と湖を結ぶ流域地域圏”の自然と人間の実態を具体的に想定した時にはじめて、より鮮明に浮かびあがってきたのです。そしてその中で、今日の段階での作業仮説(解決すべき課題)を、同時に提起することができたのです。

あと私たちに残されていることは、繰り返しになりますが、森と湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏モデルによって示した、これら初動の作業仮説を出発に、住民・市民・国民による「郷土の点検・調査・立案」の連続螺旋円環運動をはじめることです。私たちの主体的実践は、客観的状勢からはるかに遅れているといわざるをえません。それも無理もないことなのかもしれません。子供たちが悲痛な叫びを発してこの理不尽でむごい現実に警告を送りつづけているにもかかわらず、何ごともなかったかのように、茶の間のどのチャンネルの映像も、四六時中、つまらぬギャグに空笑いで充満しています。今この厳しい社会の現実を直視する時、なぜそんなにおかしいのか、不思議にさえ思えてきます。この傾向は、ますますひどくなってゆくようです。こうして国民が浮かれさせられている間に、ことは易々と悪い方向に容赦なくすすめられてゆくことに気づいている方も、多いのではないでしょうか。しかし、この流れはどうしようもなく勢いを増してゆくばかりです。

私たちは、この巨大なマスメディアの洪水の中で世論が形成され、思わぬ方向へと誘導されているこの現実の実態に、気づかなければなりません。世論調査というもの自体、あたかも客観的におこなわれているかのように見えながら、実は世論調査をおこなう主体の側が、自ら演出しつくり出した「世論」が、どの程度の成果としてあらわれているのかを、後追い点検するためにおこなっているものとしか、もはや思えないのです。これは、マスメディアに対する皮肉とも受け止められかねない見方かもしれません。しかしそれは、今、重大な岐路に立たされている私たち国民にとっては、自らの命運を決定づけられる見逃すことのできない重大な問題であるのです。

だからといって、世の中の流れに茫然として立ちつくしているわけにはいきません。未来は、他人にまかせればそれですむことではなく、私たち自身の命運の問題であり、自ら切り拓いてゆくほかに道はないのです。先に与謝野晶子の「山の動く日来る。」を引き合いに出したのも、いっこうに動きそうにもない如何に頑強な状況であっても、人間は、必ず自らの主体的な実践によって、結局は状況を打開してきたことを確認しておきたかったからです。今日どんなに巨大な体制の中にあっても、その歴史の真実は、今なお変わることはないのです。

人類の歴史をかえりみるとき、こうした苦難の実践なくしては、人類の進歩も、新しい歴史の創造もありえなかったことは確かです。私たちは今、こうして連綿としてつづけられてきた、人類史の長きにわたる人間的営為の一端に、参加できることの喜びと誇りを、素直に受け止めたいと思います。

森と湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏モデルを手はじめに、湖国近江国の広域圏の成立によって、そこに住む120万人の人々の暮らしのあり方が、「競争の原理」から「共生の原理」へと変わりゆく時代の到来を夢見て、多くの人々が、子供たちやその子供たちの未来のために、人類史のこの壮大な運動に加わってゆくことになるでしょう。そして、「菜園家族」構想の究極のはるか遠い未来の理想郷である「高度に発達した自然社会」に、一歩でも二歩でも近づいてゆける実感をかみしめながら生きてゆく。これが生き甲斐というものではないでしょうか。21世紀は、このような本当の生き甲斐を取り戻す時代でもあるのです。

先にも述べたように、必ずしもこの犬上川・芹川流域地域圏が、先頭をきって始動するとは限りません。日本列島を縦断する脊梁山脈を分水嶺に、日本海側と太平洋側に水を分けて走る数々の水系。これらの水系に沿って、“森と海を結ぶ流域地域圏”は、日本列島の多彩な自然条件を反映して、実に特色のある独自の個性を発達させながら、無数に存在しています。この無数ともいえる数多くの“森と海を結ぶ流域地域圏”の中から、それぞれの個性と、歴史的あるいは現実の条件の下で、時代の状勢の時機を得て、予期せぬ思わぬ流域地域圏が、独自の先進性を発揮してあらわれてくることも大いにあり得ることなのです。市場競争至上主義のアメリカ型「拡大経済」が行き詰まっている今日、21世紀のこの時代に、どんなに強固な抑圧の殻でふさがれようとも、それを打ち破って、必ず新しい芽は出てくるものです。お互いが切磋琢磨し合いながら成長してくることもあるのです。これは、歴史の必然といわなければなりません。

やがて、日本列島の至るところに散在するこれら数多くの“森と海を結ぶ流域地域圏”が、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会に移行するとともに、日本列島全体が、本格的な「菜園家族」のCFP複合社会の時代に入ってゆきます。本格的なCFP複合社会に移行したこの「菜園家族のくに」は、やがて徐々に「競争の原理」に代わって「共生の原理」を基調とする段階に達し、資本主義セクターCが消滅し、セクターFとセクターPからなる「自然循環社会」へと移行してゆきます。そしてついには、自然界を支配している「適応・調整」原理のみが十全に機能し、国家的権力の規制のない「高度に発達した自然社会」へと次第に近づいてゆくのです。この時人間は、真の意味で解放されることになるでしょう。人間が人間と争い競い合い、人間が人間を抑圧し支配する、そして戦争によって人間と人間が殺し合う、そんな「競争の原理」が罷り通る世界から、人間は最終的に解放されることになるのです。

現代の私たちは、あまりにも簡単に人類の理想を捨ててしまいました。特に「先進国」といわれる国において、それは極端です。物質的な豊かさを謳歌し、刹那刹那の快楽に心は浮かれ、あるいは襲いかかる現実の脅威の不安の中で精神が畏縮し、人間の思考は、ますます目の前の瑣事にのみ関心がせばめられてゆきます。そしてついには、人類の理想などは、現実味のないばかばかしい滑稽なものにさえ映るのです。人間の精神は、ますます卑俗な実利主義に傾き、低俗の極みに達します。倫理は地に堕ち、目的のためには手段を選ばず、何でもありの世界が繰り広げられてゆきます。困ったことには、こうした深刻な事態に至っても、自覚することもなく、憂慮もしない当の張本人が、道徳を説き、自由と民主主義を説き、人道支援を説き、平和を説くのです。事態はいっそう複雑に錯綜し混乱してゆきます。こうした状況のもとでは、人類の理想などは成立するはずもありません。それほどまでに、人間の精神は衰退してしまったのです。

世界史上、19世紀から20世紀の半ばまでは、まだしも人類は理想に希望を託し、その希望の実現を夢見て誠実に生きてきました。しかし、特に、20世紀の80年代から21世紀の現在にかけては、人類は、未来に理想と夢を描くことのできない客観的状勢の変化の中で、悶え苦しむことになります。理想と夢を失ったとき、人類がどのような世界を現出させるかは、今日の日本の現状と世界の事態を見れば、一目瞭然です。

私たちの世界は、今や最悪の事態にまで陥ってしまいました。もう堕ちるところまで堕ちて、これ以上堕ちることはないでしょう。人類史上最悪ともいうべき世界のこの現実の事態から、人々はようやく、人間にとって本当は何が大切なのかを真剣に考え気づきはじめたのです。21世紀の遠くない時期に、必ずや再び、理想を求めて、その実現のために誠実に立ち向かいはじめることでしょう。きっとそんな時代をむかえるにちがいありません。

理想を地でゆく
年年歳歳かわることなく巡りやってくる四季。その自然の移ろいの中で、「菜園家族」とその地域社会は、人間と自然の物質代謝の和やかな循環の恵みを享受します。“もの”を手作りし、人々と共に暮らす喜びを実感し、感謝の心を育んでゆきます。
人々は、やがて“もの”を大切にする心、さらには“いのち”を慈しむ心を育て、人間性を次第に回復してゆきます。市場競争至上主義の延長線上にあらわれる対立と憎しみに代わって、友愛が、そして抗争と戦争に代わって、平和の思想が、やがて「菜園家族」に、さらには地域社会に根づいてゆくのです。

よく考えてみると、ここに提起された「菜園家族のくに」こそ、日本国憲法が世界にむかって高らかに謳った、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重(生存権を含む)の三原則の精神を地でゆくものであることが、分かってきます。
「菜園家族のくに」では、日常のレベルで、そして大地に根ざした思想形成の過程で、この憲法の精神が現実のものになってゆきます。子供たちも、大人たちも、年老いた祖父母たちも、共に助け合い生きることで、人を慈しむいたわりの心を育んでゆきます。そこには、他人を傷つけ、他人を倒してまで、生きてゆかなければならない必然性は、何もありません。

ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』に登場する人物、“没落貴族”アディアスレンさんは、貧乏ではありますが、実に誠実に控え目に生きてきた人でした。この人こそ、悠久の自然の循環に身をゆだね、あるがままに生きてきた人間であり、いわば「菜園家族」の人格を如実に体現した人なのです。

ある夜、この家族に近隣の若者が凄みを利かせ押し入ってきて、暴力沙汰にまでおよんだことがありました。アディアスレンさんは、ゲル(天幕)の端で黙って静かにキセルをふかして、じっと耐えていました。はじめは意気地なしの情けない男に思えて、目のやり場を失い、実にみじめな思いをしたのですが、その後、彼と付き合う中で分かってきたのです。実は、この徹底した無抵抗主義が、彼の信念であり、彼の生きる思想であること、そして、この徹底した無抵抗主義は、徹底した平和主義と徹底した民主主義につながるということを、彼は教えてくれたのです。

世界は今も、暴力が暴力を生む悪循環の連鎖の中で苦しんでいます。戦争が戦争を誘発する悪循環の中で、多くの人々が今も恐怖に怯えています。“自衛のために”というもっともらしい大義名分によって、あるいは“戦争を抑止する”という美名のもとに、はたまた“テロとの戦い”という大義のもとに、武器を保持し、戦争は今もつづけられ、この悪循環は断ち切れないでいます。

アフリカや中東、中央アジアをはじめ、どの地域紛争を見てもそうなのですが、現地の人々が、自分では到底作れそうもないピカピカの立派な自動小銃など、近代兵器をあてがわれ、お互い同士憎しみ合い、血を流している構図。“人権”とか“「世界平和」を乱すものへの制裁”を名目に、容赦なく市民生活の領域にもミサイルを打ち込んで憚らない神経。兵器を商売に私腹を肥やす「死の商人」の餌食になるのは、もう沢山です。世界の超大国が、「テロ」との戦いの中で自国の兵士を死なせないようにするために、砂漠を走る無人戦車の開発競争に、産学軍一体となって心血を注ぎ、「世界最先端の科学技術」を総動員し、嬉々として憚らない姿。それは、もはや他人のいのちなど気にもとめない、血塗られた「死の科学者」たちとしか見えません。はっきり言って、地球の貴重な資源と人類の頭脳と知恵と大切な時間を、そんな狂気じみた「ゲーム」に、もうこれ以上、費やしてほしくありません。

20世紀は戦争の世紀でした。第二次世界大戦の悲惨な体験と地獄絵のような沖縄戦、そしてヒロシマ・ナガサキを思い起こすだけでも、本当は素直にその道理は分かるはずです。きっと、分かる時代がやってくるにちがいありません。

『四季・遊牧』に生きるモンゴル・ツェルゲルの人々の深い思い。その思いに裏打ちされた人生観。透徹した世界観。今でも私たちの心を捉えて放しません。そのことばをもう一度、引用させてもらいます。

悠久の時空の中
人は大地に生まれ
育ち
大地に帰ってゆく

21世紀は、自然と人間を巡るこの壮大な循環の中で、「菜園家族」は、共生の思想を、そして人を慈しむ素直な心を育んでゆくことでしょう。「菜園家族」は、もともと戦争とは無縁です。残酷非道な、それこそ無駄と浪費の最たる前世紀の遺物“人を殺す道具”とは、無縁なのです。「菜園家族」は、世界に先駆けて、自らの手で戦争を永遠に放棄し、人間が平和に暮らすよすがを築いてゆくにちがいありません。

ひょっとしたら、これは酔夢だったのだろうか、ふと、そんな思いがよぎります。しかし、よく考えてみると、前にもふれた世界人口“五分の四”の視点からすれば、それは決して酔夢とは思えません。日本のこの国土に生きる私たち自身が、世界に率先してこの新しい「菜園家族」の道を選び、誠実にこの道を歩んでゆくならば、きっと、世界に誇る日本国憲法に“いのち”を吹き込むことになるでしょう。

やがて、この憲法の精神を地でゆく「菜園家族」に、アジアの人々も、さらには世界のすべての人々も、いつかはきっと、惜しみない賞讃と尊敬の念を寄せてくれるにちがいありません。世界は今、ものではなく、お金でもなく、精神の高みを心から望んでいます。「菜園家族」は、この世界の願いに応えて、必ず、世界に先駆けてその範を示すことになるでしょう。

新聞報道によると、1999年の5月12日~15日に総数約1万人が参加してオランダのハーグで開かれた「平和市民会議」でも、日本国憲法第九条の理念が注目を集めたと伝えられています。会議は、最終日に「公正な世界秩序のための基本十原則」を発表し、その第一項目には「すべての議会は、日本の憲法第九条にならい、政府による戦争行為を禁止する決議を行うべきこと」が採り入れられたということです。第9条は、21世紀においていよいよ世界的意義をもつことになるのです。

それから、日本国憲法第25条「生存権・国の社会的使命」では、「すべての国民は健康で文化的最低限度の生活を営む権利を有する」と定められています。つづいて、社会福祉・社会保障は国の国民に対する義務だと謳っています。こうした経済生活上の権利を謳った憲法を持っている国もまた、少ないのです。

ところが残念なことに、最近日本人は、どうしたことか、この憲法の本当の良さが分からなくなってきたようです。それが心配です。
憲法の精神を現実世界に生かそうと努力するどころか、憲法が現実に合わなくなったとか、とにかく、いろいろな理由をつけては、憲法をなんとかつくり変えようというのです。この傾向は、ますます強まってきているようです。
何も分からない幼い子供たちから、戦時の苦しみをくぐりぬけてきたお年寄りに至るまで、何の罪もないおおくの人々を巻き添えにしてまでも、またあの暗い悲惨な道を突き進んでゆこうとでもいうのでしょうか。どう考えても、不思議でならないのです。

今や憲法について、個人がなんらかの意思を表明するとなると、即、宗派や党派に色分けされてしまい、そこで、人々の思考は止まってしまいます。ほんとうは、何が人々に幸せをもたらし、何が正しく、何が間違っているのか、このことこそが大切であるのに、色分けによって素直に考えることが阻まれ、そこで思考は止まってしまい、その先に進もうとはしません。戦前・戦中にも似たこの風潮が、今再び蔓延しようとしています。そして、やがてこの風潮は、少数意見を排除してゆきます。これは、歴史的にも根の深い、極めて日本的な“負の遺産”といわざるをえません。

もうすでに教育の現場では、“日の丸”・“君が代”問題がこの憲法問題に先行して、この風潮を強めています。小・中・高校の卒業式の日、教師や保護者や、そして子供たちまでが、踏絵を強いられる式場の重苦しい雰囲気の中で、気まずい思いをさせられながら、この風潮に呑み込まれてゆく姿をご存知でしょうか。
今ここで指摘してきたことは、単なる危惧や妄想にすぎないとして片付けられない、極めて深刻な問題を孕んでいます。この風潮に屈服し、呑み込まれてしまったら、もうおしまいです。内心の自由を土足で踏みにじるそのこと自体が、すでに戦前の繰り返しを許したことになるからです。

こうした状勢に今、差しかかっているからこそ、人類が長い時間と苦闘の歴史の中で築きあげてきた、人間の生きる思想の集大成ともいえる、この日本国憲法の意義を、私たちは、もっとしっかりと再認識しなければなりません。そして、その優れた憲法の精神をただ観念的に守ろうとするだけではなく、積極的に、私たち自身の日常の現実生活に生かす方法を探り、そして、それを実行し、その成果を世界の人々に示す時が来たのではないでしょうか。

21世紀の今こそ、私たちが背負ってきた“負の遺産”を克服しつつ、すべての宗派や党派を越えて、人々の幸せと、失われた人間性の回復を目指して、新しい時代状況をつくり出してゆかなければなりません。ここで提起された「菜園家族のくに」は、まさにこのことを具体的に身をもって示す、理想への確実で手近な道でもあるのです。

天才的喜劇役者であり、20世紀最大の映画監督であるチャップリンは、映画『モダン・タイムス』の中で、何を描こうとしたのでしょうか。今、あらためて考えさせられます。
今からおよそ70年前、ニューヨークから発した世界大恐慌のさなか、冷酷無惨な資本主義のメカニズムによって掃き捨てられ、ズタズタにされてゆく労働者の姿を、チャップリンは、臆することなく、時代の最大の課題として真っ向から受け止めます。

ラストシーンは、この映画の圧巻です。ついには、使い古された雑巾のように捨てられ、放心状態のチャップリン扮する労働者が、非情の都会に浮浪する少女とともに、喧騒の大都会を背に、丘を越え、前方に広がる田園風景の中へと消えてゆきます。
それは、70年が経った今もなお、21世紀の人類に行くべき道を暗示しているかのようです。社会の底辺に生きる人間へのあたたかい視線と、慧眼としか言いようのない未来への洞察力に、ただただ驚嘆するばかりです。

近年、次々に飛び出してきては、世に流布する新語。パート、フリーター、派遣労働、請負会社。そのどれひとつとっても、新たな装いを凝らしてはいるものの、これほど人間を愚弄し、家畜同然、機械の部品同然におとしめる代物もありません。

ある財界のリーダーは、こうした不安定労働者の現実について、マスメディアの質問に応えて、臆せず語ります。経済効率のためには、そして熾烈な国際競争に勝ちぬくためには、それは必要なのですよ、と。さらなる質問にも、人間の尊厳とは言うけれども、しかし、私は、競争によって選りすぐられた優秀な人間のみを大切にすることを、経営の信条にしているのです、と言って憚らないのです。

それでは、切り捨てられ見捨てられた者は、人間ではないとでも言うのでしょうか。これが、今日の日本の経営者の本音であり、常識なのです。いつのまにか、人々もそう思い込まされ、ついには、国民の常識にまですりかえられてしまったのです。人類が、自然権の承認から出発し、数世紀にわたって、鋭意かちとってきた自由・平等・友愛の精神からは、はるかに遠いところにまで後退したといわざるをえません。

こうしたギスギスした社会が、結局は何をもたらすかは、もうはっきりしてきたのではないでしょうか。この市場競争至上主義の行き着く先は、9・11のニューヨーク・マンハッタンの超高層ビルの崩落であり、その後に続く石油利権をめぐるイラク戦争であり、国内問題では、「復興支援」の名を借りた自衛隊のイラク派兵であり、完全失業者三百二十数万人、フリーター四百数十万人の現状であり、果てには、財政効率化の大義のもと、一気に教育や学問の領域にまで、競争原理を持ち込もうとする現実なのです。

今日まで、私たちが思い込まされてきたこの常識は、恐らくこのままありつづけることはないでしょう。今や世界は、大転換期をむかえつつあるのです。

人は、明日があるから、今日を生きるのです。
21世紀、人々はきっと、人類始原の自由と平等と友愛の自然状態を夢見て、壮大な回帰と止揚の道を歩みはじめるにちがいありません。

さいごに、ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧 ―ツェルゲルの人々―』のエンディングから次の詩を引用して、未来に夢をつなぎたいと思います。

それがどんな「国家」であろうとも
この「地域」の願いを
圧し潰すことはできない。

歴史がどんなに人間の思考を
顛倒させようとも
人々の思いを
圧し潰すことはできない。

人が大地に生きる限り。

春の日差しが
人々の思いが
やがて根雪を溶かし
「地域」の一つ一つが花開き
この地球を覆い尽くすとき
世界は変わる。

人が大地に生きる限り。

以上、『森と海を結ぶ菜園家族 ―21世紀の未来社会論―』(小貫・伊藤、人文書院、2004年)第七章第5節より転載


ここでとりあげた二つの小文が収められている拙著『森と海を結ぶ菜園家族 ―21世紀の未来社会論―』(小貫雅男・伊藤恵子、人文書院、2004年、A5判447頁)は、出版されてから早や10年の歳月が経過した。その間も引き続き同じテーマのもとに研究を続け、理論上も内容においても数次にわたって検討を加えながら進化させ、その成果を節目ごとに書籍の形にまとめてきた。これらを出版年次の新しい順に以下に列記する。ご関心のある方は、一読していただければ幸いである。

『グローバル市場原理に抗する 静かなるレボリューション ―自然循環型共生社会への道―』(小貫・伊藤、御茶の水書房、2013年、A5判368頁)
『菜園家族21 ―分かちあいの世界へ―』(小貫・伊藤、コモンズ、2008年、四六判255頁)
『菜園家族物語 ―子どもに伝える未来への夢―』(小貫・伊藤、日本経済評論社、2006年、A5判373頁)

2014年7月7日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

追記:本稿を、論説「アベノミクスの 積極的平和主義の欺瞞性 ― 対峙する菜園家族的平和主義 ―」(里山研究庵Nomadホームページに2014年5月20日掲載)とあわせ読んでいただければ、今回の安倍政権による集団的自衛権の行使容認の意味するところが、もっとはっきりしてくるのではないかと思っている。