“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の要諦再読―その10―

“シリーズ21世紀の未来社会(全13章)”の
要諦再読 ―その10 ―

戦争の本質は民衆同士の殺し合いである
―どんな理由があろうとも
 戦争は人間冒涜の究極の大罪であり
 国権を発動し戦争を画策、加担した為政者は
 すべて厳罰を免れ得ない―

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要諦再読 ―その10―
“戦争の本質は民衆同士の殺し合いである”
(PDF:651KB、A4用紙11枚分)

花と葉の模様(ピンク・紫・緑)

 気候変動、新型コロナウイルス・パンデミック、そしてウクライナ戦争と、めまぐるしく同時多発する惨禍。この世界的複合危機、混迷の時代にあって、世論はますます近視眼的で狭隘な視野に陥っていく。
 今一旦、時間と空間を広げ、少なくとも冷戦後の歴史に視座を据え、そこから今日の時代状況とこの複合的危機の性格を確認しておく必要があるのではないか。

 国民の戦争と平和に対する考え方が急速に後退、麻痺する中、この機に乗じて、新聞・テレビなどマスメディアに次々に登場する「軍事専門家」と称する評論家のゲーム感覚まがいの生命軽視、人間冒涜とも言える「戦争俗論」が横行、罷り通る今、わが身を見つめ直すためにも、19世紀ロシア文学を代表する文豪トルストイが『イワンのばか』(1885年)に込めた人間と社会への深い思想、そして『俘虜記』(1948年)の作家大岡昇平が自らの実体験から深めた現代戦争と人間への透徹した思索に今一度立ち返って、考えてみることが大切ではないだろうか。
 少し長くなるが、以下の4つの項目に沿って話を進めたいと思う。

混迷の21世紀世界
 1990年代初頭、ソ連社会主義体制の崩壊を境に、第二次大戦後の世界を規定してきた米ソ二大陣営の対立による冷戦構造が消滅し、アメリカ単独覇権体制が成立することになる。
 しかしそれも束の間、アメリカ超大国の相対的衰退傾向の中、その弛緩に乗ずるかのように、西欧諸国、ロシアといった旧来の伝統的大国に加え、中国など新興大国が入り乱れる地球規模での新たな多元的覇権抗争の時代が幕を開けた。
 今や世界は憎しみと暴力の坩堝(るつぼ)と化し、報復の連鎖はとどまることを知らない。

 資本は今なお飽くなき自己増殖を繰り返しながら、新たな市場を求めて世界を蚕食し、ますます巨大化への道を突き進んでいる。
 20世紀70年代に入ると、資本の古典的とも言うべき増殖手法は、利殖家にとっては甚だ迂遠で非効率的と看做され、IT先端技術の発達とも相俟って、手っ取り早くしかも瞬時に、マネーが巨額のマネーを生み出す新たな回路が考案・開発されていく。
 そして今日、いよいよ人間を大地から引き離し、虚構と欺瞞、人間欲望の極限の世界にとことん追い遣る「経済の金融化」とも言うべき新たな恐るべき時代に突入したのである。

 こうして巨万の富を加速的に蓄積した現代寡頭巨大金融資本は、世界を席捲し、これまでには見られなかった規模で実体経済を攪乱する。やがて世界の圧倒的多数を占める民衆の生活基盤、つまり人間にとって根源的とも言うべき「家族」と「地域」、暮らしと労働の場を根こそぎ破壊していく。
 この社会の不条理に民衆の不満と怒りは募り、紛争の火種となって世界各地に拡散していく。決死の覚悟で蜂起した民衆の局地的紛争と戦争は、今や同時多発的に世界各地に頻発し、常態化する。

 超大国はむやみやたらに戦争の危機を煽り、不都合な国や集団に対しては敵意をあらわにする。「仲間」と看做す国と徒党を組み、経済制裁だ、はたまた武力制裁だなどと言って懲らしめる。
 しかし、どんなにもっともらしく大義名分を並べ立てようと、その言葉の背後には巨大世界市場、そして石油・天然ガスなど化石燃料・鉱物資源などをめぐる欲望と利権が渦巻いている。「自由と民主主義の価値観を共有する」と言われているどの国も、またそうでないとされている国も、その支配層はいずれもこうした欲望と利権の化身そのものなのだ。
 だから、国際紛争は解決されるどころか深い泥沼に陥り、戦争は長期化する。このままでは紛争と戦争は絶えることがない。世界は今や各地に紛争の火種が播き散らされ、世界大戦への一触即発の危険に晒されている。

 こうした火種は鎮まるどころか、ますます勢いを増し、同時多発的様相すら呈し、慢性化していく。
 このことは、1970年代に端を発した経済の極端な金融化、さらには1990年代初頭のソ連崩壊によって、旧社会主義諸国をも巻き込む市場原理至上主義の新自由主義的経済が生み出した極端な貧富の格差が、全世界に加速的に拡大していることと決して無縁ではない。
 人々の不満や怒りは頂点に達し、それが際立った負の現象として表面に露呈したものと見るべきであろう。いよいよ資本主義は行き詰まり、末期的症状をいっそうあらわにしている。

 為政者は自らの社会の深層に潜む根源的な原因には目を伏せ、民衆の不満を外にそらそうとする。絶えず国外に仮想敵をつくり、大国自身が自らつくり出した紛争に性懲りもなく関与していく。
 その内実は、相変わらず「仲間」なるものと徒党を組み、経済封鎖だの、武力行使、はたまたあからさまに“敵基地攻撃”だのと、他者に壊滅的な打撃を与えること、つまり「暴力」によって対処しようとする実に浅はかな愚行なのだ。もはやそれ以外になすすべを知らない。
 混迷はますます深まり、紛争は激化する。それをまた口実に、民衆の血税はとことん吸い上げられ、科学技術の粋を尽くした最新鋭の軍備が増強される。際限なき暴力の連鎖。
 このどうしようもない現実こそが、資本主義が陥った末期的事態ではないのか。

 まさにこうした中、新型コロナウイルスはあたかも意志あるかのように嘲笑い、人間どもの隙を突いて襲いかかってきた。グローバル化と都市の巨大化・過密化が進む今、ウイルスは瞬く間に地球規模に拡散。パンデミックの猛威は、世界を一気に震撼させた。私たちの社会はいかにも脆弱であり、その根源的矛盾の罠にあっさり取り籠められ、一歩も身動きできない事態に一瞬のうちに陥ってしまったのだ。
 巨大都市集中の歪(いびつ)な国土構造、国内産業を空洞化させ、グローバルなサプライチェーンに依存する生産体系。今さらのように、その弊害の恐ろしさに気づかされた。
 この際、ごまかすことなく、わが身を振り返り、明日の社会のありようそのものをいよいよ真剣に考えなければならない時に来ている。

 新型コロナウイルスの問題も、気候変動の問題も、自然と人間社会の生成・進化の長い歴史との切っても切れない宿命的とも言える深い関わりの中で、回復不能なまでに生態系を蝕むほどの飽くなき欲望に基づく近年の人間の経済活動によって引き起こされたものである。
 一方のウイルスは、ヒトの細胞内に執拗に侵入・寄生し増殖するという経路の違いはあるが、両者とも自然界の深奥から発し人間一人ひとりに襲いかかり、ついには人間の活動や移動を抑え込み、究極において人間社会そのものをも根底から覆す点で大がかりであり、その大本(おおもと)をただせば、結局、新型コロナウイルスの問題も、気候変動の問題も、本質的には同一のことから由来しているのだ。
 同時に、地球温暖化による気候変動が感染症のリスクをさらに増大させるという連関性が科学者から指摘されている。しかもウイルスとヒトの進化の歴史は、時をはるか遠く遡れば、遺伝子レベルにおいて深く関わっていたとも言われており、生命進化の不可思議、人間とウイルスの因縁の深さをあらためて思い知らされるのである。

 私たちは今、気候変動、パンデミック、ウクライナ戦争と、現実社会に次々と露わになってくる新たな事態をふまえ、これらの問題を個々別々にではなく、統一的、全一体的(ホリスティツク)なものとして捉え、この世界的複合危機を乗り越えて、どのような未来社会をめざしていくべきかを真剣に考える時に来ているのではないか。

『イワンのばか』、直耕に込められたトルストイの深い思想
 今から12年前、ロシア文学研究者・法橋和彦氏の論考「没後百年を生きるトルストイの思想」(『日本とユーラシア』2010年12月15日号掲載、発行 日本ユーラシア協会)の中で取り上げられたトルストイの「イワンの馬鹿」は、岩波文庫『トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇』(中村白葉 訳、1932年第1刷発行)の中に、「イワンのばかとそのふたりの兄弟」として収められている。

 文庫本の表紙には、「ここに収められた(中略)民話には、愛すべきロシアの大地のにおいがする。そして民話の素朴な美しさの中に厳しい試練に耐えぬいたトルストイ(1828~1910)の思想の深みがのぞいている。ロマン・ロランが“芸術以上の芸術”“永遠なるもの”と絶賛し、作者自身全著作中もっとも重きをおいた作品。」と紹介されている。

 そして、巻末の解説の中で、訳者中村白葉氏は、「『イワンのばか』は、一面においてロシア人の底抜けの善意と大きさ、愚直さの象徴であり憧憬であると同時に、トルストイその人の底抜けの正直さ、大きさ、善意の象徴であり憧憬でもある。国民としても、個人としても、私は、イワンのばか的要素を尊いとも大切とも考える。小りこう性の多いわれら日本人にはとくに、ロシア人のようにいま少しこの要素がほしいと思うのは、はたして私だけだろうか。」と遠慮深く付け加えている。
 反ロシア、反中国、反北朝鮮、嫌韓・・・キャンペーンの中で、偏狭な民族蔑視がますます助長されている今日の状況下にあって、この指摘は、いよいよ大切になってきている。

 ところで、「イワンのばかとそのふたりの兄弟」は、副題にある通り、軍人の長男セミョーンと、ほてい腹の商人・次男タラースと、唖の妹マラーニャと、老悪魔と、三人の小悪魔の主要登場人物たちの織り成す物語である。
 長男の軍人セミョーンには、戦争に対する批判的態度が具象化されているし、ほていのタラースは、資本主義的人格の典型であり、両親のあとを継いだ三男イワンは、手にたこをつくり、正直に働く直耕のお人好しのロシア農民の典型であり、唖の妹マラーニャは、世間からは何一つできないと蔑まれながらも、兄のイワンを手伝い、健気に生きる農民女性を形象化している。
 妹のマラーニャは作中あまり登場してこないのであるが、村びとの中に溶け込み、ひたむきに働く。その一つひとつの所作や一途な姿が、不思議に憂いをおびた幽かな基底音となって、いつまでも読む人の心の奥底に響いてくる。トルストイがこの女性をそっと作中の片隅に設定したのは、偶然ではなく、必然と言うほかない。

 訳者の中村氏が指摘しているように、この作品には、特権階級の寄食性に対する永遠の摘発、人生観、道徳観、汎労働主義もあれば、非武装・無抵抗主義もあり、商品・貨幣経済への告発もあれば、反戦の思想もあり、徹底的な人間平等の思想も貫かれている。
 それは、自然観と社会観を統一的に捉え、人間社会の階級性を断罪した点で、わが国における近世江戸中期の安藤昌益(1703~1762)※1 の思想に通底するものがある。

 「イワンのばか」は、本当の「馬鹿」であったのであろうか。イワンが世間の常識からは突き抜けて、まったく異なる次元の価値観、世界観、社会観、人生観に立脚していたが故に、他人から無理難題を頼まれても、お人好しに、おおらかに「ああ、いいとも!」と受け入れる。この言葉は、60ページ足らずのこの短編の中に、繰り返し何度も出てくる。世間の人からすれば、驚くべき「馬鹿」に映るのも無理もない。

 やがて時が経ち誕生した「イワンのばかの国」からは、賢い人はみんな出て行ってしまい、ただ、ばかだけがあとに残り、噂を聞いて、外からばかたちが移住してきた。誰もがお金というものを持たず、働いて自ら養った。
 タラカン王(油虫王の意)は、大きな軍隊を集め、鉄砲や大砲を用意し、兵力を増強して国境近くに集結させ、イワン王国へ侵攻した。
 武器もない、兵隊もいない「イワンのばかの国」は、果たしてどうなったのか。この王国に侵攻した軍隊は、勇んでみても戦う相手がどこにもおらず、「まるでゼリーでも切るような」手応えのなさに呆気にとられ、戦意を失って雲散霧消し、ほどなくこの「ばかの国」に飲み込まれてしまうのである。
 この描写に込められたトルストイの深い思想は、ぜひとも作品そのものをじっくり読んで味わい、汲み取っていただきたい。

今こそ民衆の創意と連帯による21世紀の未来社会を
 さて、21世紀の今日引き起こされたウクライナ戦争は、2022年2月24日のロシアの軍事侵攻開始から1年2ヵ月が経った今も、停戦の目途すら立っていない。
 ウクライナのゼレンスキー大統領の要請によるNATO(北大西洋条約機構)、欧米諸国からの武器供与は、かえってプーチン政権をしてロシア軍のいっそうの兵力増強と攻撃激化へと駆り立てている。ウクライナ国土を戦場に双方の莫大な火力が投下され、民間人を含む人命の殺傷と市街の破壊にいよいよ拍車をかけていく。

 欧米諸国がロシアへの経済制裁と軍事攻勢を強めれば強めるほど、プーチン政権・ロシア軍部を生物・化学兵器、核兵器の使用へとエスカレートさせ、勝者も敗者もない人類破滅の第三次世界大戦へと暴発させかねない。これが極悪非道のプーチン断罪をひたすら掲げ、「ウクライナ支援」と称してやっていることの真相であり、本質である。

 連日連夜、世界の人々は、新聞やテレビを通じて、ロシア軍によるウクライナ侵攻のニュースを悲痛な思いで目にし、耳にしている。攻撃を受け、死傷者が続出し、家族が分断され、老人や子供たちが逃げ惑い、生き地獄の中で不安と恐怖に怯えている。一民衆に過ぎないロシア兵の側にも多くの死傷者が出て、母親や家族・友人たちが泣いている。かつてのソ連邦の同胞であり、昨日までの隣人同士が、憎しみ合い、傷つけ合い、殺し合っている。

 解決のために各国首脳が表向き派手に国際会議を演出するものの、まったく進展が見られない。一刻の先延ばしの猶予も許されない、凄惨な光景を目の前にしながら、一体なぜなのか。
 それは、各国首脳の本当の眼目が、これ以上、犠牲者を一人でも増やしてはならないという、人命最優先の本来あるべき一点にあるのではなく、結局その背後には、覇権抗争を如何に自らに有利に展開させるかという、アメリカはじめ超大国、そしてそれを取り巻く諸大国権力支配層それぞれの思惑が働いているからだ。

 この膠着状態を今こそ一刻も早く打開しなければならない。世界各国の民衆が非同盟・中立、非武装・不戦、そして権力不服従の精神を貫き、自ら進んで武器を捨て、それぞれの自国政府に向かって武器供与と売買、軍事支援を即刻中止させ、このうねりを世界の隅々にまで広げていくのである。
 各国政府の首脳に頼っていては、この何とも言いようのない無気味な膠着状態から抜け出すことができないばかりか、全面的な核世界大戦にすら発展しかねない。

 一旦、戦争がはじまると、戦争指導者のみならず、兵士、そして一般市民ですら理性と倫理性を無残にも破壊され、特に戦場の兵士は野獣と化し、蛮行に走る。これが昔も今も変わらぬ戦争の本質である。このことについては、大岡昇平『俘虜記』にも如実に描かれている。
 ウクライナの国民が今もっとも望んでいることは、民衆同士の殺し合いではない。超大国覇権抗争の犠牲とも言うべきこの生き地獄からの脱出であり、元の暮らしに一日も早く戻ることではないのか。

 ウクライナの民衆は、何よりもまず国民の生命と暮らしを守らなければならない責任を負っているはずのゼレンスキー大統領と自らの政府に、この切実な真実の声を率直に伝え、NATOや欧米諸国に対して戦闘機やミサイル防衛システムなど最新最強の武器援助を乞い願う道ではなく、即時停戦の決断を迫ることではないのか。
 同時に、言論・思想統制・弾圧の厳しい条件下にあるロシアの民衆も、この戦争の構図と本質を見据え、何とか心を合わせ勇気を持って、自らの政府に即時侵攻中止を求める時に来ている。

 偉大なる思想家トルストイを輩出したロシアの雄大な大地で、歴史的苦悩と常に格闘し続けてきたロシアの民衆も、そしてまた、同じ風土、文化、歴史を共有してきたはらからウクライナの民衆も、非武装・不戦の同じこの思いに立った時、憎しみを越え、相互尊重と国境なき民衆連帯の上に、新たな未来へと歩み出すことができるのではないか。

 第二次世界大戦後今日に至るまで、米国は、価値観が異なり従わない国に対しては、同盟による軍事ブロックを構築し、経済封鎖と武力によって圧力をかけ、超大国の覇権主義的国際秩序を維持してきた。朝鮮民族の南北分断とその後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、そして、今日の台湾をめぐる軍事的緊迫事態等々を想起するだけでも、その罪の重さと大きさには頷けるはずだ。
 これが米国をはじめヨーロッパ諸国、そして日本の権力的為政者が口を揃えて盛んに言う「自由と民主主義の普遍的価値に基づく国際秩序」の実態なのである。
 長きにわたって続いてきたこの米国単独覇権主義体制は、綻びを見せはじめ、短期的には浮き沈みはあるにしても、このウクライナ戦争を契機に、いずれその破綻の道は決定的な段階を迎えるにちがいない。

軍国大増税の岐路に立つ日本 ―腐り切ったわが国の政治

ウクライナ戦争の底知れぬ泥沼化
雑多で一方的な情報の氾濫
 年の瀬も押し迫る昨2022年12月23日
 現代アメリカ政治研究者、前嶋和弘氏のテレビ番組での発言
 「アメリカがウクライナを支援するウラには
  したたかな金のにおいがする」。

これを耳にしてとっさに脳裡に浮かんだのは
今は亡き国際政治学者、岡倉古志郎さんの
『死の商人』(岩波新書、1951年)であった。
 この古典的名著の出版から早や70年の歳月が過ぎた。
 帝国主義の本質とその性格は
 今も一向に変わるものではない。

それどころか
兵器産業の寄金に支えられた
アメリカの巨大シンクタンク“戦争研究所”などが
一方的にタレ流す膨大な情報のもと
超大国は今もなお
悪辣巧妙、しかも大がかりな規模で
世界を撹乱、蹂躙し続けている。

 まさにウクライナ戦争は
 21世紀の今日の時代に相応しい姿形に変え甦った
 新帝国主義とも言うべき
 超大国および諸大国による
 多元的覇権争奪の戦争そのものなのである。

内に目を向ければ
外国の政・教保守反動勢力
旧統一教会との
根深い因縁と癒着
底知れぬ政治腐敗の闇
 金バッジ付きの背広を着込み
 ウソで凝り固まった政治家の群れ
 そんな時代はもううんざりです。

こんな政治家たちがついこの間まで
自ら犯してきた醜悪な罪業を
すっかり忘れたかのように
現に今、またもや策略を弄し
強行する自らの反国民的行為を
一向におかしいとは思わないのである。
何と傲慢なことであろうか。

 いよいよ激しくなる
 一方的で欺瞞に満ち満ちた政治プロパガンダ
 国民の生活と生命を根底から破壊する
 悪辣きわまりない「軍拡大増税」「軍拡国債」の大合唱
 まさに戦争前夜の悪夢がよみがえってくる。

こうした政治家たちは
国民の大半を置き去りにしたまま
あくまでも私的な団体に過ぎない
自民党の税制調査会の幹部会合なるものを
散々喧伝に利用した揚げ句
 暮れも押し迫る昨2022年12月16日
 岸田文雄首相は事もあろうに
 「安全保障関連3文書」なるものを
 そそくさと閣議決定したのである。

その驚くべき内容たるや
「敵基地攻撃」能力に巨費を投入
米国製巡航ミサイル「トマホーク」の導入
「無人アセット防衛能力」の構築
武器輸出制限の緩和、促進などなど
2023年度から5年間の軍事費総額43兆円。

 しかも日本国憲法第九条など素知らぬ顔で
 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」に
 真っ向から違反しての決定であった。

あとは、この策略の奥に隠された本質には一切触れず
軍拡を当然の前提として
その財源捻出の細々とした手法に矮小化し
おざなりの議論をすれば済むという魂胆なのだ。

 これが彼らの言う
 わが国議会制民主主義の実態なのである。

法治国家として
こんな騙し討ち自体が許されるのであろうか。
今日のわが国政治が土台から腐っていく
最大かつ根元的原因は
まさに国の根本規範
日本国憲法の蹂躙そのものにある。

 マスメディアもまた無批判に
 彼らと同じ枠内での報道に終始する。
 これでは蚊帳の外に置かれた国民は
 たまったものではない。
 国民が政治に無関心になるのも当然であろう。

 わが国の作家大岡昇平(1909~1988)は、アジア・太平洋戦争における自らの実体験から、戦争とは何か、人間性の容赦なき破壊とその残虐性、そして国籍、民族の別なく現出するその本質の普遍性を、『俘虜記』など文学作品に見事に昇華。21世紀の今日の私たちに、戦争は絶対悪であることを切々と訴えかけてくる。

 私たち日本の国民は、世界に誇る非同盟・中立、非武装・不戦の日本国憲法前文と第九条を持っている。時代の常識からはまったく異なる次元に立つ人生観、価値観、世界観であるが故に、たとえ「ばかの国」と言われようが、世の同調圧力に屈することなく、ウクライナ戦争のさなかにある今こそ、日本国民自らが施行76年を迎える日本国憲法の前文および第九条の精神を堅持し、日米軍事同盟を排し、永世中立を貫くこと、そして自らの国土に非戦・平和の確かな礎となる自然循環型共生の新たな社会(じねん社会)を築き、世界に先駆けて民衆の範となることを再び決意することである。

 いよいよ緊急を要する課題となった各国での核兵器・軍備廃絶運動も、非戦・平和の運動も、シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)で提起した「生命系の未来社会論」具現化の道、すなわち「菜園家族」社会構想※2 の大地に根ざした21世紀のライフスタイルの創造という新たな動きと連動することによってはじめて、単なる抽象レベルでの反対にとどまることなく、一歩踏み込んで生活の内実の変革と結合した多彩で豊かな民衆運動へと発展していくことが可能になるのではないか。
 そこにこそ、近代を超克する「菜園家族的平和主義」※3 の真骨頂がある。

 こうしてはじめて、日本国憲法第九条の「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」の精神は、遠い未来の理念としてではなく、国民生活から切り離すことのできないものとして暮らしの中に深く溶け込み、私たち一人ひとりのまさに血肉となっていく。
 それは、1885年、トルストイが「イワンのばか」で描いた、ロシア農民の直耕の暮らしに裏打ちされた、おおらかで素朴な人間性と人々の共生こそが、揺るがぬ平和の基盤を足もとから築いていくというあの深い思想を、21世紀の今に思い起こし、現代の私たち自身の社会に、単なる表面上の模倣ではなく、その真髄をまさに創造的に生かすことではないか。

 ウクライナ即時停戦から終結へ、そしてその後の復興の長い苦難の道のりを本当に支援できるのは、私たち自身の社会が変わり、私たち自身が生まれ変わる時である。
 これが私たちにできるウクライナとロシアの民衆へのまことの連帯であり、本物の支援なのである。
 戦争がひとたびはじまった以上、どちらが先に仕掛けたのか、どちらが侵略したのか問うている場合ではないのだ。
 現にますます激しくなっていく殺戮と破壊を目の前にしながら、ゲーム感覚で平然と解説する軍事評論家、それを無批判に四六時中、垂れ流すマスメディア。
 一刻も早く戦争を中止しなければならない。背後で武器を提供し戦争中止を阻む者、ましてや戦争を推進する者、その片棒を担ぐ者は、どんな理由があろうとも、すべて等しく世界の民衆の名において必ずや糾弾されるであろう。

超大国、そして諸々の大国の
権力者たちよ
ウクライナ戦争をいつまで続ければ
気が済むと言うのであろうか
 この機に乗じて
 敵が攻めてきたら
 どうするのかと
 恐怖を煽り、敵愾心を駆り立て
 ずる賢く軍拡を目論む
 あまりにもみじめなわが国の為政者たち
まことに「民主的」に選ばれ
バッジをつけ
背広を着込んだ
何ともこざかしい
人間どもよ
 民衆同士の殺し合いは
 もう、まっぴらごめんだ
世界をつなぐ
国境なき民衆連帯と
小さき者たちの
英知の力で
たとえどんなに時間がかかろうとも
戦争なき明日の世界を築いていくのだ
 今こそ響き渡れ
 夜明けの歌よ

※1 シリーズ“21世紀の未来社会”(全13章)の第十二章「高次自然社会への道」https://www.satoken-nomad.com/archives/1988の2節の項目「自然観と社会観の分離を排し、両者合一の思想を社会変革のすべての基礎におく」で詳述。

※2 同シリーズ“21世紀の未来社会”の第六章「あらためて考える21世紀の未来社会 ―自然界の生命進化の奥深い秩序に連動し、展開―」https://www.satoken-nomad.com/archives/1946で詳述。

※3 同シリーズ“21世紀の未来社会”の第十一章「『菜園家族的平和主義』の構築 ―いのちの思想を現実の世界へ―」https://www.satoken-nomad.com/archives/1981で詳述。

2023年4月21日
里山研究庵Nomad
小貫雅男・伊藤恵子

「要諦再読 その10」の引用・参考文献
アルフレッド・W・クロスビー 著、西村秀一 訳・解説『史上最悪のインフルエンザ ―忘れられたパンデミック―』みすず書房、2004年
山本太郎『感染症と文明 ―共生への道』岩波新書、2011年
山内一也『ウイルスの意味論 ―生命の定義を超えた存在―』みすず書房、2018年
山内一也『ウイルスの世紀 ―なぜ繰り返し出現するのか―』みすず書房、2020年
トルストイ 著、中村白葉 訳『トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇』岩波文庫、1932年第1刷発行
大岡昇平『俘虜記』新潮文庫、1967年(初版は創元社、1948年)

       ――― ◇ ◇ ―――

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